Prism★Stars〜女装アイドルは美容男子と恋に落ちる〜

新学期が始まった。

夏休みの後半は、スキャンダル対応に追われる毎日だった。
取材、事務所との打ち合わせ、ネットの反応……気が休まる暇もなく、本当に疲れ切っていた。

それでも学校へ足を踏み入れると、そこにはいつも通りの日常があった。
友達の笑い声。
チャイムの音。
教室に流れる何気ない空気。
その何気なさが、今の俺には何よりありがたかった。

始業式を終え、教室へ戻る廊下で隣を歩く律に声をかける。

「おはよ。今日からまた部活だな」

「……うん。そうだな」

返ってきた声は、どこか覇気がない。

(……あれ?)

その時になって初めて気づいた。
律の髪が、今日は何もセットされていない。
いつもなら軽くワックスで整えられていて、無造作なのに計算されたような髪型をしている。
美容に詳しい律らしく、朝の身支度もきっちりしてくるタイプだ。
それなのに今日は、寝癖こそないものの、さらりとしたストレートのまま。
もちろん、それもよく似合っていた。

だけど、始業式の日にこのまま来るなんて珍しい。

「髪……今日はセットしてないんだ」
「ああ……時間なくて」

どこか誤魔化すような返事だった。

「でも、それもいいじゃん。似合ってるよ」
「……ありがと」

律は笑っていたけれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
いつもなら「本当?ありがと!」って照れ笑いしながら返してくれるのに。

(やっぱり、なんか変だ)

胸に小さな引っ掛かりが残る。

「……次、体育だから。早く行こう」
「う、うん」

律はそれ以上話を広げることなく歩き出した。
俺もその背中を追いかけ、教室へ戻って着替えを済ませると、そのまま授業へ向かった。

*******

放課後。
今日は美術部の活動日だった。
本当なら、一日の中で一番楽しみな時間のはずなのに。
今日は不思議なくらい会話がない。
静かな美術室に鉛筆の音だけが響いていた。
俺も何度か話しかけようと思った。
でも律は絵に集中しているように見えて、その横顔にはどこか近寄りがたい空気があった。

やがて活動が終わり、すっかり日が落ちた帰り道。
街灯の明かりが歩道を照らす中、俺は意を決して口を開いた。

「……今日も、律の家に行っちゃダメ?」
「えっ……」

律が足を止める。
驚いたように目を見開き、その表情には戸惑いが浮かんでいた。
俺はその反応を見ても、引き下がらなかった。

「なんか今日の律、ずっと変だもん。何かあったんじゃないかって気になる。……だから、ちゃんと話したい」

しばらく黙っていた律は、小さく息を吐いてから頷いた。

「……わかった」

その一言だけを残して歩き出す。
俺も隣に並び、二人は再び律の住むマンションへと向かった。

******

律の部屋に通され、俺は静かにソファへ腰を下ろした。
いつもと同じ部屋のはずなのに、今日は妙に広く、ひどく静かに感じる。

しばらく沈黙が続いたあと、律がぽつりと口を開いた。

「……合宿から帰ってからさ。テレビつけたらやってたんだ。秋ドラマの特番」
「……!」
「それに出てた、ルナって子が……ハヤテにすごく、似てて。それから……自分で調べたんだよ」

そう言ってスマホを差し出してくる。
画面に表示されていたのは、ルナのプロフィールページだった。

「最初は他人の空似とか、妹がいたのかな、って思った。
でも…生まれた年も誕生日も血液型も、好きな食べ物もMBTIも一緒で。
他の動画とか写真も見てたけど……ハヤテにしか、やっぱり見えないって結論になった」
「………ごめん、黙ってて」

小さく謝る声しか出なかった。
本当は、新学期になったら自分の口で話そうと思っていた。
ちゃんと説明して、理解してもらおうって。
まさか、こんな形で知られてしまうなんて思ってもみなかった。

「女装してアイドルしてる、なんて恥ずかしくて……なかなか言えなかった。ごめん」

俺が俯くと、律は苦しそうに眉を寄せながらも、少しだけ声色を和らげた。

「アイドルを黙ってたことは、しょうがないって思ってるよ。ハヤテが昔、芸能活動からかわれたっていうのも合宿の時聞いたし。でも……」

律の言葉が尚更硬く、低くなる。

「……この前出てた、アイドルの俳優の家泊まったって……本当?」
「────っ」

息が止まる。
まさか、そのことを律の口から聞かれるなんて思っていなかった。
俺は唇を噛み締めたまま、小さく頷く。

その瞬間、律は乱暴に髪をかき上げ、大きく息を吐いた。

「っ、でも、奏さんは本当に先輩で、この日も仕事の話したいからってことで家に行って…っ」

必死に説明する。
けれど律は、その言葉を遮るように問いかけた。

「じゃあ、何もなかったって事?」

真っ直ぐな視線が、俺を射抜く。
俺はグッと言葉に詰まった。
……何もない、なんてことはなかった。

俺が一瞬視線を彷徨わせたのを、律は見逃さなかった。

「……ッ!」

次の瞬間。
強引に引き寄せられ、唇を強く塞がれた。

「………っ」

逃げ場を奪うみたいに、強く押し付けられる唇。舌で乱暴にこじ開けられ、強く吸われる。驚きで身体が強張るのに、律の腕はさらにきつく俺を引き寄せてきた。

「……っ、ん……っ」

その唇の熱さに眩暈がした。
屠るように舌を吸われると、甘い刺激が走って俺は小さく声を上げる。

突然、律はハッと我に返ったように身体を離し、背を向けた。
荒く息を吐いたまま、俯く。
そして、喉の奥から絞り出すように言った。

「……ごめん。今日は、帰って」
「え……」

思わず声が漏れる。
律は後ろを向いたまま、肩を小さく震わせていた。

「今の俺……冷静じゃない。
ハヤテとこのまま一緒にいたら、きっと後悔することになる」

握り締めた拳に力が入る。
掠れた声は、怒りとも悲しみともつかないほど苦しげだった。

「だから……今日は帰って」

その一言で、律が必死に自分を抑えていることが伝わってきた。
胸が締めつけられる。
律をこんなにも苦しめたのは、紛れもなく俺だ。
何か言わなきゃと思うのに、どんな言葉も薄っぺらく思えてしまう。

俺はゆっくりと立ち上がり、小さく頷いた。

「……わかった」

その返事にも、律は振り返らなかった。
静まり返った部屋に、玄関のドアが閉まる音だけが小さく響く。
こうして俺は、重苦しい空気だけを残して、律の家を後にした。

******

マンションを出ると、夜風が頬を撫でた。
オートロックの扉が静かに閉まる音が、やけに胸に響く。

「…………」

歩き出そうとしても、足が動かない。

(……戻りたい)

胸の奥から湧き上がるその気持ちに、思わず唇を噛む。
本当は帰りたくなんかなかった。
あのまま、律のそばにいたかった。

どんな事になってもいい。
ただ同じ部屋にいて、隣にいたかった。
…合宿の時気付いた気持ちも、伝えたかった。

でも。

「……っ」

その願いを、自分で押し殺す。
そんな資格、俺にはない。
律を傷付けたのは、俺だ。
期待させて、苦しめて。
自分でも気付かないうちに振り回して。
そんな俺が、「そばにいたい」なんて思う資格なんてない。

一歩、また一歩と夜道を歩く。

視界が滲んだ。
ぽたり、とアスファルトに雫が落ちる。

「あ……」

涙だった。
止めようとしても止まらない。

「っ……ぅ……」

嗚咽を堪えるように口元を押さえる。
胸が苦しくて、息ができない。
律が苦しそうに「帰って」と言った姿が、何度も頭に浮かぶ。

震えていた背中。
苦しそうな声。

全部、俺のせいだ。

「……ごめん、律……」

謝っても、もう届かない。
それでも涙は次から次へと溢れてくる。
律が苦しむ姿を見た瞬間。
離れたくないと思った瞬間。
あの日、芦ノ湖で自覚したばかりの気持ちが溢れ出した。

「……好き」

震える声が夜に溶ける。

どうしようもなく。
苦しくても、一緒にいたいと願ってしまうくらい。

俺は、律が好きだった。

涙を拭っても、また零れる。

夜の街を一人歩きながら、俺はこの日。
自覚したばかりだった恋を失ったのだった。