◆◇◆
数日後、俺はいつも通り圭と通話を繋いでいた。
表向きの理由は作業通話。けれどまあ、あくまで作業通話なのだが、俺は好きな人の声を聞くためだ。そんな下心を含み誘っているなんて圭は考えもしないだろうなあ、と。
そんなことが頭を過ぎってしまったのは、数日前ふゆとあんな話をしたからか。
『そーいえば、アヤとフユ、流石にもう寝とる?』
液タブにペンを滑らしていると、動画を編集中だと言っていた圭が、ふと口を開いた。
ペンを止め、頷きながら微笑む。
「流石にね、もう二十三時だし。今日はなんか疲れたみたいで、ぐっすりだよ」
『そう、無理させてもたかいな。……実はもう、歌ってみたの音源全員撮り終わっとるんよ』
「もう?」
確かに今日は、学校から帰ってきて、二人ともずっとあやくんの家の方に居たけど。
でもまさか、今日中に撮り終わるとは。
これが普通なのか? 歌い手界隈の常識が分からず首を傾ける。
まあいいか。気持ちを切り替え、俺は口を開いた。
「ええと、何の曲にしたんだっけ」
数曲まで一緒に絞ったけれど、最終的には三人で決めていた。問うと、圭は苦虫を噛み潰したような声も混ぜながら、けれど楽しそうな、不思議なトーンで笑う。
『イラストを描いてもらう千には、ちょっと難題かもしれんけど』
「でも、いいのができたと」
声色でわかる。言葉を次ぐと、圭は苦笑い。
『うん』
「俺を誰だと思ってるの。いくつの依頼を貰って描いてきたと思う?」
それに元がいいなら、筆が乗るしね。圭が気に入ったのならいいに決まっている。
そう付け足すと、今度は照れたように笑った圭。
『おおきに、頼りにしとる』
そういう真っ直ぐなところも、声が感情と連動してころころ変わるのも好きだなあ──なんて。
自分の思考に呆れたように笑みを零し、俺はペシっと頬を叩いた。
ここからは、仕事の範囲内だ。恋愛脳には一旦どこかへ行ってもらおう。
「で、結局何の曲になったの?」
『……まあ、聴いた方が早いやろ。まだMIX前なんやけど、ええ?』
「もちろん」
逆に聴かせてくれるのならありがたい。イラストのイメージを固めるのに、実物を聴くほどいいことはない。
ちなみに余談だが、編集も歌のMIXも、全て圭がやってくれるらしい。何でも、圭はいつもの個人歌ってみたもイラスト以外はずっと全部自分でこなしていて……初めて知った時は超驚いた記憶がある。
食いつき気味に頷くと、圭は『ありがとう』と呟きミュートにした。続けて、俺もミュートにする。
通話の音を上げて、耳を澄ました。そっと目を閉じてみる。音が流れる。
──あ、このイントロ。
一音で分かった。あの曲だ。
これにしたんだ……。
少し意外で驚く。──選ばれたのは、有名なラブソングだった。
ポップな曲調に、少し切ない歌詞。真っ直ぐな好きの気持ちを相手に伝える、等身大の恋を描いた楽曲。
歌ってみたも有名だけによく見かけるけれど、三人で歌うのは聴いたことがない。しかも三人売りをしているのはともかく、「フユアヤ」は二人ペアだけで通っている。それに圭をどうにか加えるとなると……うわ、確かに、ムズイかも。
全員が正面を向いて、視聴者を想っているような構図にすればいけるか?
イントロの間にそんなことを黙々と考えていたら、歌い出し直前のメロディに来た。一旦難しいことは置いといて、耳元に神経を集中させる。
次の瞬間、声が身体に流れ込んできた。
響いた、ではなく、本当に、流れ込むような感覚。
息を漏らした。ぎゅっと手に力が入る。……歌い出し、圭なんだ。
ポップなメロディに似合う、明るいはっきりとした歌声。それでも、優しくて、眩しくて、……俺の、憧れで。
瞬時に圧倒された。息を吐いて、吸って、またか細く漏らす。
そうだ、俺が圭に興味を持ったのは……依頼を頂いた時、初めて圭の歌声を聴いた瞬間。
もう、あそこで、俺は圭に落ちていた。
それに、あの頃よりずっと成長している。どこまで高いところに行くつもりだよ、アンタ。
耳が、身体中が熱を持つ。胸の奥から込み上げてくる熱いものに気づかないふりをしながら、俺は流れ込んでくる音の波を追う。
次はふゆだった。
キーは同じなはずなのに、声が低く聴こえて、圭とはガラッと雰囲気が変わる。
つい最近あんなに落ち込んでいた人物かと思うほど堂々と歌っている。……吹っ切れたな、ふゆ。
優しく歌詞をなぞり辿った、緩やかな静かな歌。時折低音が正しいキーより下を掠って、それがいい味を出していた。
特に、「好き」というフレーズが入る時は、こちらの胸が温かくなるような声色で。
身内ながらかっこいいなあと、心の底から思う。
その次は、あやくん。
聴こえてきて、思わずうわと声を漏らした。……数日前から、更に進化を遂げている。
太陽のような歌声。天使のような歌声。大袈裟な誇張ではなく、本当に。
楽しそうに歌っているのがはっきりと伝わって、思わずこちらまで歌いたくなった。
この曲に一番似合う王道な歌い方をしているのに、これはあやくんにしか歌えないものだと……唯一無二だと。
そう、分からせられる。
三者三様、それぞれの輝きが、色があって。
俺は一瞬で三人の世界に連れ込まれた。
一音でも逃すのが惜しくて、思わず聴く以外の思考を放棄しのめり込む。
夢中で聴いていると、あっという間にラスサビに入った。
ずっと心の中で恋心を隠していた主人公が、初めて好きを言葉にするシーンが描かれているラスサビは、この曲の顔と言っても過言ではない。
想い人に好きなところを伝える歌詞はふゆとあやくんが交互に歌っていて、まるでお互いに好きなところを言い合っているみたいだ。こう来るかと、指先が小さく震える。
そして……最後の、率直に想いを告げる歌詞。
これは全員で来るのかなと踏んでいた。だから。
『──君が好きです』
不意打ちに、やられた。
歌ったのは圭だった。けれど「歌う」という行為ではなく、まるで「話す」ような。
今までずっと高くはっきりと発音していた圭の声が、初めて揺れた。
切なげに、哀しげに、儚く。
息が詰まる。頭を殴られたかのように痛みさえ感じる。唇が震える。心が揺さぶられる。
たった三分、されど三分。短いようで長いお話の、幕が下ろされた。音が鳴り終わったあとでもしばらく呆然としていて、圭の声にやっと地に足のついた感覚がした。
だから今更気づいた。
『どーやった?』
自分が泣いていることに。
ゆっくりと瞼を持ち上げる。すると、視界が情けなく滲んだ。自覚した瞬間、やっと自分の頬が流れてくる涙を認識する。
嘘でしょ、俺……もう二十一歳にもなって、歌で泣くなんて。
『……千? 大丈夫?』
ミュートを解除しない俺に圭が怪訝そうな声をあげる。俺はやっと意識して息を吐いた。糸が緩む感覚がする。
勘付かれてはいけない、気づかれてはいけない。
三人の──圭の歌で泣いていたなんて、俺の気持ちも一緒にバレかれないから。
深呼吸して、声を整える。ミュートを外し、「大丈夫」。そう、言葉にしようとして。
一つのイメージが頭に降ってきた。
凄く久しぶりな──雷に打たれたような感覚に陥る。
『あ、千! 大丈夫か? どうやった?』
「……描きたい」
『え?』
「ごめん圭、ちょっと描いてくる」
飛びつくように液タブを引き寄せペンを手に取った。
『今から!?』だとか、『千ー?』だとか、圭が何か言っていたけれど、聞こえたとしても脳に届いていなかった。ただ覚えているのは、やがて声が静まったということだけ。
本当に久しぶりだ、この感覚。
操るように自分の手を動かして、イメージを形にする。
描きたい、描きたい、……俺が描かなきゃ。
無我夢中でペンを滑らせながら、俺はどこか違うところを見ていた。
『君が好きです』
ふゆはあやくんへ、あやくんはふゆへ。
等身大で、がむしゃらで、キラキラしてて、苦しくて、もどかしくて。
あの一曲に、ふゆあやの気持ち、きっと全部が詰まっていた。
正真正銘の、恋。
ならば圭は──アンタは。
『好きな人を思い浮かべて歌ってみて』
誰を思い浮かべていたの。
問いかけて、当然のように返事は返ってこなくて、それでも、問いかけて。
アンタは、どこを見てた?
ゆっくりと、ゆったりと──それでも先を急ぐように最後の一筆を描き終わって、俺は息を吐いた。
はあと、やけに静かな部屋に俺の吐いた声が大きく響く。一瞬のような感覚だったのに、時計を見ればもう日付が変わっていることに気づいた。
約一時間半。集中力を一秒でも途切れさせずに、俺は絵を描いていた。そのことに誇らしくなって達成感に浸る。
と、圭と通話中だったことをやっと思い出した。あとで謝ろうと、モニターを見て。
大きく目を見開いた。
絵を描いていたのと別のモニターには、圭のアイコンが表示されている。
「……けい?」
驚愕の色を滲ませて名前を呼ぶと、『んん』とくぐもった声が聞こえてきた。それだけで、ドクンと胸が高鳴る。
『あー……終わった? んん、半分寝てたわ……』
まさか、待っていてくれたのか。
記憶の中では、最初の頃、圭はずっと声をかけていてくれた。それを無視したあげく、今の今までずっと無言で絵を描き続けていたのに。
何で、と零そうとして、遮られた。
『な、描いとったん、見して』
「え」
『あかん?』
いや、全然ダメではないし……そもそも圭に描いていたものなんだけど。
でも、それよりも、怒ってないの?
ぽかんとしていると、『やっぱダメー?』と急かされて、俺は慌てて描いた絵を保存し圭へと送る。
清書してないから雑だし、色もだいたいで塗ったんだけど……。
それでも、今回のは自分で胸張って言える。──納得のいく最高傑作ができた、と。
すぐさま既読がつき、それと同時にハッと息を呑む音が聞こえた。
俺も改めてまじまじと描き切った絵を見つめてみる。
──フユ、アヤ、圭。
三人が、草むらに寝っ転がっているイラスト。
フユは青い瞳でアヤくんを、アヤくんは赤い瞳でフユを、圭は黄色の瞳でまっすぐと、こっちを。
その瞳からは、いくつかの雫が溢れている。
泣きながら、笑っていた。笑いながら、泣いていた。
圭のふ、と息を吐く音が聴こえる。数秒沈黙が続いて、やっと圭は口を開いた。
『……めっちゃ好き』
小さい声で、けれどとても温かい声で、ポツンと呟かれる。
お世辞とかではなく、本気のトーンで。
想い人に「好き」と言われたという喜びよりも、率直にイラストを評価された喜びの方が強く、ふわふわと心が浮いた。
「ありがとう」
『……アヤとフユは分かる。せやけど、俺、こんな顔してた?』
正しくは声だけど、ね。
俺は笑みを零すと、深く頷いた。
「うん」
思い浮かばなければ、こんな表情は描けない。
即答すると、圭は苦笑する。それにどこか嬉しさが混じっているように感じたのは、気のせいだろうか。
『やっぱり、千はいつも俺の予想の先をいくな。……これの泣いてへん、笑顔だけの差分も作ってくれたりせん?』
「え?」
『こんないいイラスト、眠らしとくのはもったいなすぎる。歌ってみたのイラスト、これにしよか』
「……いいの?」
『こっちのセリフ』
だって、普通は依頼者の希望を聞いてそれに合わせて描いてってするやつを、これは俺一人で、しかも一時間で衝動的に描き殴ったものなのに。
それでも、……圭がいいって言うなら、いいか。
深夜だからか、圭を相手にしているからか。思考が緩くなって、もう何でもいいような感覚になってくる。
背もたれに背中を預け、天井を仰いだ。ピントが合わなくて、視界がぼんやりとしている。
『千はいつも俺の予想の先をいくな』
……それこそこっちのセリフ、何だけどなあ。
圭はいつも俺の先を行く。どんどん、どんどん上へ登って──いつか届かなくなるんじゃないかと。
たまにそんな、恐怖に駆られることがある。
手を開けて、握って、開けて──ゆっくり握り込んだ。
ふゆにはあんな偉そうに言ったけど、恋愛偏差値0なのは俺も同じか。
圭のこと何も知らないだとか、怖がらせたくないだとか。
それは所詮カッコつけた理由だ。
俺もふゆと同じ。この関係が壊れるのが、一番恐ろしいから。
唇を噛み、天井からモニターへ視線を移動させ、圭のアイコンを目でなぞる。
「ねえ、圭」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
改めて名前を口にした俺に、圭は不思議そうに『何?』と答える。
絶対報われない恋だ。
絶対報われない恋だからこそ。
俺は、この距離感が、哀しいようで心地よい。
「……ふゆとあやくんさ、結ばれると思う?」
だから、自分では絶対に壊しちゃダメだ。ふとイヤホンをそーっと触って、目を細めた。
『え、アヤとフユ? いや、二人の問題やからわからへんけど』
「うん」
『結ばれてほしい、よな』
「……うん」
笑った。ふは、と笑みを零す。
「俺もそう思う」
ふゆもあやくんも、兄として、一人の人間として、一生懸命恋をしている姿を、ずっと見てきたから。
結ばれて欲しいよ。
できれば俺の分まで──。そんな勝手な期待を乗せて。
数日後、俺はいつも通り圭と通話を繋いでいた。
表向きの理由は作業通話。けれどまあ、あくまで作業通話なのだが、俺は好きな人の声を聞くためだ。そんな下心を含み誘っているなんて圭は考えもしないだろうなあ、と。
そんなことが頭を過ぎってしまったのは、数日前ふゆとあんな話をしたからか。
『そーいえば、アヤとフユ、流石にもう寝とる?』
液タブにペンを滑らしていると、動画を編集中だと言っていた圭が、ふと口を開いた。
ペンを止め、頷きながら微笑む。
「流石にね、もう二十三時だし。今日はなんか疲れたみたいで、ぐっすりだよ」
『そう、無理させてもたかいな。……実はもう、歌ってみたの音源全員撮り終わっとるんよ』
「もう?」
確かに今日は、学校から帰ってきて、二人ともずっとあやくんの家の方に居たけど。
でもまさか、今日中に撮り終わるとは。
これが普通なのか? 歌い手界隈の常識が分からず首を傾ける。
まあいいか。気持ちを切り替え、俺は口を開いた。
「ええと、何の曲にしたんだっけ」
数曲まで一緒に絞ったけれど、最終的には三人で決めていた。問うと、圭は苦虫を噛み潰したような声も混ぜながら、けれど楽しそうな、不思議なトーンで笑う。
『イラストを描いてもらう千には、ちょっと難題かもしれんけど』
「でも、いいのができたと」
声色でわかる。言葉を次ぐと、圭は苦笑い。
『うん』
「俺を誰だと思ってるの。いくつの依頼を貰って描いてきたと思う?」
それに元がいいなら、筆が乗るしね。圭が気に入ったのならいいに決まっている。
そう付け足すと、今度は照れたように笑った圭。
『おおきに、頼りにしとる』
そういう真っ直ぐなところも、声が感情と連動してころころ変わるのも好きだなあ──なんて。
自分の思考に呆れたように笑みを零し、俺はペシっと頬を叩いた。
ここからは、仕事の範囲内だ。恋愛脳には一旦どこかへ行ってもらおう。
「で、結局何の曲になったの?」
『……まあ、聴いた方が早いやろ。まだMIX前なんやけど、ええ?』
「もちろん」
逆に聴かせてくれるのならありがたい。イラストのイメージを固めるのに、実物を聴くほどいいことはない。
ちなみに余談だが、編集も歌のMIXも、全て圭がやってくれるらしい。何でも、圭はいつもの個人歌ってみたもイラスト以外はずっと全部自分でこなしていて……初めて知った時は超驚いた記憶がある。
食いつき気味に頷くと、圭は『ありがとう』と呟きミュートにした。続けて、俺もミュートにする。
通話の音を上げて、耳を澄ました。そっと目を閉じてみる。音が流れる。
──あ、このイントロ。
一音で分かった。あの曲だ。
これにしたんだ……。
少し意外で驚く。──選ばれたのは、有名なラブソングだった。
ポップな曲調に、少し切ない歌詞。真っ直ぐな好きの気持ちを相手に伝える、等身大の恋を描いた楽曲。
歌ってみたも有名だけによく見かけるけれど、三人で歌うのは聴いたことがない。しかも三人売りをしているのはともかく、「フユアヤ」は二人ペアだけで通っている。それに圭をどうにか加えるとなると……うわ、確かに、ムズイかも。
全員が正面を向いて、視聴者を想っているような構図にすればいけるか?
イントロの間にそんなことを黙々と考えていたら、歌い出し直前のメロディに来た。一旦難しいことは置いといて、耳元に神経を集中させる。
次の瞬間、声が身体に流れ込んできた。
響いた、ではなく、本当に、流れ込むような感覚。
息を漏らした。ぎゅっと手に力が入る。……歌い出し、圭なんだ。
ポップなメロディに似合う、明るいはっきりとした歌声。それでも、優しくて、眩しくて、……俺の、憧れで。
瞬時に圧倒された。息を吐いて、吸って、またか細く漏らす。
そうだ、俺が圭に興味を持ったのは……依頼を頂いた時、初めて圭の歌声を聴いた瞬間。
もう、あそこで、俺は圭に落ちていた。
それに、あの頃よりずっと成長している。どこまで高いところに行くつもりだよ、アンタ。
耳が、身体中が熱を持つ。胸の奥から込み上げてくる熱いものに気づかないふりをしながら、俺は流れ込んでくる音の波を追う。
次はふゆだった。
キーは同じなはずなのに、声が低く聴こえて、圭とはガラッと雰囲気が変わる。
つい最近あんなに落ち込んでいた人物かと思うほど堂々と歌っている。……吹っ切れたな、ふゆ。
優しく歌詞をなぞり辿った、緩やかな静かな歌。時折低音が正しいキーより下を掠って、それがいい味を出していた。
特に、「好き」というフレーズが入る時は、こちらの胸が温かくなるような声色で。
身内ながらかっこいいなあと、心の底から思う。
その次は、あやくん。
聴こえてきて、思わずうわと声を漏らした。……数日前から、更に進化を遂げている。
太陽のような歌声。天使のような歌声。大袈裟な誇張ではなく、本当に。
楽しそうに歌っているのがはっきりと伝わって、思わずこちらまで歌いたくなった。
この曲に一番似合う王道な歌い方をしているのに、これはあやくんにしか歌えないものだと……唯一無二だと。
そう、分からせられる。
三者三様、それぞれの輝きが、色があって。
俺は一瞬で三人の世界に連れ込まれた。
一音でも逃すのが惜しくて、思わず聴く以外の思考を放棄しのめり込む。
夢中で聴いていると、あっという間にラスサビに入った。
ずっと心の中で恋心を隠していた主人公が、初めて好きを言葉にするシーンが描かれているラスサビは、この曲の顔と言っても過言ではない。
想い人に好きなところを伝える歌詞はふゆとあやくんが交互に歌っていて、まるでお互いに好きなところを言い合っているみたいだ。こう来るかと、指先が小さく震える。
そして……最後の、率直に想いを告げる歌詞。
これは全員で来るのかなと踏んでいた。だから。
『──君が好きです』
不意打ちに、やられた。
歌ったのは圭だった。けれど「歌う」という行為ではなく、まるで「話す」ような。
今までずっと高くはっきりと発音していた圭の声が、初めて揺れた。
切なげに、哀しげに、儚く。
息が詰まる。頭を殴られたかのように痛みさえ感じる。唇が震える。心が揺さぶられる。
たった三分、されど三分。短いようで長いお話の、幕が下ろされた。音が鳴り終わったあとでもしばらく呆然としていて、圭の声にやっと地に足のついた感覚がした。
だから今更気づいた。
『どーやった?』
自分が泣いていることに。
ゆっくりと瞼を持ち上げる。すると、視界が情けなく滲んだ。自覚した瞬間、やっと自分の頬が流れてくる涙を認識する。
嘘でしょ、俺……もう二十一歳にもなって、歌で泣くなんて。
『……千? 大丈夫?』
ミュートを解除しない俺に圭が怪訝そうな声をあげる。俺はやっと意識して息を吐いた。糸が緩む感覚がする。
勘付かれてはいけない、気づかれてはいけない。
三人の──圭の歌で泣いていたなんて、俺の気持ちも一緒にバレかれないから。
深呼吸して、声を整える。ミュートを外し、「大丈夫」。そう、言葉にしようとして。
一つのイメージが頭に降ってきた。
凄く久しぶりな──雷に打たれたような感覚に陥る。
『あ、千! 大丈夫か? どうやった?』
「……描きたい」
『え?』
「ごめん圭、ちょっと描いてくる」
飛びつくように液タブを引き寄せペンを手に取った。
『今から!?』だとか、『千ー?』だとか、圭が何か言っていたけれど、聞こえたとしても脳に届いていなかった。ただ覚えているのは、やがて声が静まったということだけ。
本当に久しぶりだ、この感覚。
操るように自分の手を動かして、イメージを形にする。
描きたい、描きたい、……俺が描かなきゃ。
無我夢中でペンを滑らせながら、俺はどこか違うところを見ていた。
『君が好きです』
ふゆはあやくんへ、あやくんはふゆへ。
等身大で、がむしゃらで、キラキラしてて、苦しくて、もどかしくて。
あの一曲に、ふゆあやの気持ち、きっと全部が詰まっていた。
正真正銘の、恋。
ならば圭は──アンタは。
『好きな人を思い浮かべて歌ってみて』
誰を思い浮かべていたの。
問いかけて、当然のように返事は返ってこなくて、それでも、問いかけて。
アンタは、どこを見てた?
ゆっくりと、ゆったりと──それでも先を急ぐように最後の一筆を描き終わって、俺は息を吐いた。
はあと、やけに静かな部屋に俺の吐いた声が大きく響く。一瞬のような感覚だったのに、時計を見ればもう日付が変わっていることに気づいた。
約一時間半。集中力を一秒でも途切れさせずに、俺は絵を描いていた。そのことに誇らしくなって達成感に浸る。
と、圭と通話中だったことをやっと思い出した。あとで謝ろうと、モニターを見て。
大きく目を見開いた。
絵を描いていたのと別のモニターには、圭のアイコンが表示されている。
「……けい?」
驚愕の色を滲ませて名前を呼ぶと、『んん』とくぐもった声が聞こえてきた。それだけで、ドクンと胸が高鳴る。
『あー……終わった? んん、半分寝てたわ……』
まさか、待っていてくれたのか。
記憶の中では、最初の頃、圭はずっと声をかけていてくれた。それを無視したあげく、今の今までずっと無言で絵を描き続けていたのに。
何で、と零そうとして、遮られた。
『な、描いとったん、見して』
「え」
『あかん?』
いや、全然ダメではないし……そもそも圭に描いていたものなんだけど。
でも、それよりも、怒ってないの?
ぽかんとしていると、『やっぱダメー?』と急かされて、俺は慌てて描いた絵を保存し圭へと送る。
清書してないから雑だし、色もだいたいで塗ったんだけど……。
それでも、今回のは自分で胸張って言える。──納得のいく最高傑作ができた、と。
すぐさま既読がつき、それと同時にハッと息を呑む音が聞こえた。
俺も改めてまじまじと描き切った絵を見つめてみる。
──フユ、アヤ、圭。
三人が、草むらに寝っ転がっているイラスト。
フユは青い瞳でアヤくんを、アヤくんは赤い瞳でフユを、圭は黄色の瞳でまっすぐと、こっちを。
その瞳からは、いくつかの雫が溢れている。
泣きながら、笑っていた。笑いながら、泣いていた。
圭のふ、と息を吐く音が聴こえる。数秒沈黙が続いて、やっと圭は口を開いた。
『……めっちゃ好き』
小さい声で、けれどとても温かい声で、ポツンと呟かれる。
お世辞とかではなく、本気のトーンで。
想い人に「好き」と言われたという喜びよりも、率直にイラストを評価された喜びの方が強く、ふわふわと心が浮いた。
「ありがとう」
『……アヤとフユは分かる。せやけど、俺、こんな顔してた?』
正しくは声だけど、ね。
俺は笑みを零すと、深く頷いた。
「うん」
思い浮かばなければ、こんな表情は描けない。
即答すると、圭は苦笑する。それにどこか嬉しさが混じっているように感じたのは、気のせいだろうか。
『やっぱり、千はいつも俺の予想の先をいくな。……これの泣いてへん、笑顔だけの差分も作ってくれたりせん?』
「え?」
『こんないいイラスト、眠らしとくのはもったいなすぎる。歌ってみたのイラスト、これにしよか』
「……いいの?」
『こっちのセリフ』
だって、普通は依頼者の希望を聞いてそれに合わせて描いてってするやつを、これは俺一人で、しかも一時間で衝動的に描き殴ったものなのに。
それでも、……圭がいいって言うなら、いいか。
深夜だからか、圭を相手にしているからか。思考が緩くなって、もう何でもいいような感覚になってくる。
背もたれに背中を預け、天井を仰いだ。ピントが合わなくて、視界がぼんやりとしている。
『千はいつも俺の予想の先をいくな』
……それこそこっちのセリフ、何だけどなあ。
圭はいつも俺の先を行く。どんどん、どんどん上へ登って──いつか届かなくなるんじゃないかと。
たまにそんな、恐怖に駆られることがある。
手を開けて、握って、開けて──ゆっくり握り込んだ。
ふゆにはあんな偉そうに言ったけど、恋愛偏差値0なのは俺も同じか。
圭のこと何も知らないだとか、怖がらせたくないだとか。
それは所詮カッコつけた理由だ。
俺もふゆと同じ。この関係が壊れるのが、一番恐ろしいから。
唇を噛み、天井からモニターへ視線を移動させ、圭のアイコンを目でなぞる。
「ねえ、圭」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
改めて名前を口にした俺に、圭は不思議そうに『何?』と答える。
絶対報われない恋だ。
絶対報われない恋だからこそ。
俺は、この距離感が、哀しいようで心地よい。
「……ふゆとあやくんさ、結ばれると思う?」
だから、自分では絶対に壊しちゃダメだ。ふとイヤホンをそーっと触って、目を細めた。
『え、アヤとフユ? いや、二人の問題やからわからへんけど』
「うん」
『結ばれてほしい、よな』
「……うん」
笑った。ふは、と笑みを零す。
「俺もそう思う」
ふゆもあやくんも、兄として、一人の人間として、一生懸命恋をしている姿を、ずっと見てきたから。
結ばれて欲しいよ。
できれば俺の分まで──。そんな勝手な期待を乗せて。
