◆◇◆
「綾斗、好きな人いるのか……?」
その日の夜。
あやくんがお風呂に入ってる間、リビングのテーブルに突っ伏した男がひとり。
まあ言うまでもないが、あやくんに恋心を抱き、あやくんに恋心を抱かれている、俺の弟ふゆである。
俺は向かい合わせに座り、持ってきたお茶を飲み干した。そして、息をつく。
「俺に聞かれても、ね」
『好きな人を思い浮かべて歌ってみて』
圭と俺のアドバイスを実行に移したあやくんは、さっき歌っていた人とは別人かと思うぐらい聞き違えた。
発音ははっきりと、けれど柔らかく、甘く。時々声を掠れさせて、切なさを出すのも忘れない。
正直、思わず聞き惚れてしまった。
圭も大絶賛だったし、このままこの調子で出したらガチ恋勢一気に増えそうだなあと思ったり思わなかったり?
ふゆもあやくんまでとはいかないけど圭のアドバイスだけで十分上達していて、俺はふと気がついた。
フユアヤの魅力の一つは、高校生ならではの若々しさと取り繕わない自然体を持ち合わせているからだ。
けれど歌は声を作ろうとして、その要素が殺されていた。だから普段のフユアヤを見ている俺たちにとって、「無機質」に見えた。
けれど……あやくんはラブソングにふゆを想う自分の気持ちを当てはめたことで、いつもの魅力を活かせたんだ、と。
──ということで、歌の方は順調も順調。
今問題なのは、俺の弟の方だ。
「……千兄は、何か聞いてないの。恋の相談とか」
「残念ながら聞いてませーん。そもそも恋バナなら、俺よりふゆにするんじゃないの?」
ごめん、嘘。あやくんが中学生の頃、遠回しにだけど超されてました。最近はフユアヤの活動が忙しいのかないけど。
ふいっと視線を逸らした。……ふゆはあやくんの歌でやっとというか何というか、あやくんに想い人がいると気づいたらしい。
それはふゆにとって失恋を意味するものだ。
「……俺は恋愛偏差値0だから……頼りにされてないんだと思う……」
それで、このザマである。
いやさあ、えっとさあ、確かにあやくんに想い人がいるのは正解だよ?
俺は困ったような面白いような複雑な笑みを浮かべる。
でも、あやくんがあの場で思い浮かべてたのは、瞳を恋の色に染めて見つめていたのは。
きっと、たぶん、いや、絶対──君なんですけどねえ。
手の中のコップを弄びながら、俺はくいっと小首を傾げた。
「いっそ、もう告っちゃえば?」
それが一番手っ取り早いのに。思い切った提案をしてみれば、すかさずふゆの冷たい視線が飛んでくる。
「バッサリ振られて気まずくなってこいと?」
「いやあ……」
そういうことじゃないんだけど。けれどあくまでこれは二人の問題なので、勝手に気持ちを伝えることなどできるはずがない。
あははと笑って誤魔化す。と、ふゆは起き上がり、じっと俺を見つめた。
冬のような、澄んだ冷たい青い瞳。
イラストで描くとき映えるんだよなあ。イラストレーターの本能でそう思い頬杖をつき眺めていると、「千兄こそ」と口を開かれた。
「告白とか、しないの」
……ふむ。
「……だれ、に」
分かっている。俺が告るとしたらアイツしかいないってこと。現にあの関西弁が易々と頭に浮かんでくる。
でも、ふゆにバレているわけ。
俺の問いかけにふゆは眉を上げた。何とも不思議そうに、まっすぐに。冬のような瞳が揺れて、俺を映す。
「圭に」
硬直した。
ビシッと固まって、息を飲み込んで、目を見開く。
……何とも典型的な動揺の仕方だ。
ふゆは表情ひとつ動かさず、俺を捉えている。……こういう時俺に兄の余裕があれば、ふゆみたいに無表情で流せたのかなあ。
目を彷徨わせる。少し口角を遠慮がちに持ち上げて、困ったように笑ってみた。
「……何で?」
「何となく。俺と千兄は似ているから」
だから、恋をしている顔がわかる──と。
そのセンサー、あやくんに作動してくれないかなあ。何でよりによって俺に作動しちゃうの。……家族だからか。
けれど、バレたのならもう仕方がない。誤魔化すのはもう無理だ。目を伏せ、小さく頷いた。
「……せーかい」
俺の素直な肯定に、ふゆは瞳を細めた。
「いつから?」
「……フユアヤが圭と巡り会う、ずっと前から?」
「どこが好きとか」
「明るくて元気で可愛くてなんだかんだ頼れるところ」
「いっしょ」
弟に自分の恋バナを根掘り葉堀り聞かれるとかなんだこの拷問と思っていたら、突如ふゆはふっと笑いを零した。あやくんが近くにいないところで笑うところを久しぶりに見て、思わず息を止める。
『一緒』……ふゆも、あやくんのそんなところを、好きになった?
じっとふゆの笑顔を目に焼き付けた。なるほど、……これは確かに、あやくんが恋に落ちるのも納得かも。
不覚にも自分の弟に見惚れてしまっていると、数秒後、ふゆは少し躊躇うように口を開け閉めして、けれど結局声に出した。
「告らないの?」
二度目の質問。
そして、俺がさっきふゆに言ったことも数えれば、三度目だ。
想像以上にその質問はずしっと重く心に乗っかった。……うわ、当事者となると、結構きついかも?
「ごめん」
「は、何が」
ふゆはさっきこんな気持ちだった? 反射で謝ると、不可解そうに眉を顰められた。質問の答えになってない、と。
……鈍感って強メンタルなのか?
安堵したような羨ましいようなでも鈍感だからふゆあやは結ばれてないんだよなと、複雑な感情が絡まる。
黙っていると、ふゆは小さく首を傾けた。綺麗な黒い髪が揺れる。
青い瞳に静かな圧が乗っていて、答えを急かされているのだと察した。俺は息をつくと椅子の背もたれに背中を預ける。あー、お茶飲み干したの失敗だった。
この一瞬で、馬鹿なぐらいに喉が枯れている。
「できない」
やるやらないではなくて、できない。
「何で」
「俺と圭はお互い会ったこともないから?」
投げやりに言うと、ハッとふゆの息を吸い込む音が聞こえた。
本名も知らない、住んでいる場所も知らない、もしかしたら声が男っぽいだけで──性別が違うかもしれない。知っているのは、せいぜいネットに公開されている情報ぐらいだ。
俺は何も知らない相手のことを好きになった。
少し天井を仰いでから、ふうっと息をついた。
「俺はこれでいいんだ、別に。でも、ふゆは?」
「……」
「あやくんがふゆのことを好きな可能性は、0じゃない」
「でも、千兄だって」
「俺は0だよ」
言い切れる。両想いになれるなんて、期待していない──期待したこともなかった。
眉をあげ笑うと、ふゆはぎゅっと顔を歪めた。
馬鹿、何で君が苦しそうなのよ。
今度は苦笑いを浮かべて立ち上がる。コップを持ち、冷蔵庫へ向かった。
その最中、ぽんとふゆの頭を撫でてみる。
「例えあやくんに好きな人がいたとしても、お兄さんは諦めるのはまだ早いと思いまーす」
「……諦めるなんて一言も言ってない」
「はは、そーでした」
兄弟同士、ずっと似てないと言われ続けてきた。
でも。
実は恋に不器用なところは、結構似てたりして。
気づきたくなかった意外な発見のあとに飲んだお茶は、さっきよりもずっと苦かった。
「綾斗、好きな人いるのか……?」
その日の夜。
あやくんがお風呂に入ってる間、リビングのテーブルに突っ伏した男がひとり。
まあ言うまでもないが、あやくんに恋心を抱き、あやくんに恋心を抱かれている、俺の弟ふゆである。
俺は向かい合わせに座り、持ってきたお茶を飲み干した。そして、息をつく。
「俺に聞かれても、ね」
『好きな人を思い浮かべて歌ってみて』
圭と俺のアドバイスを実行に移したあやくんは、さっき歌っていた人とは別人かと思うぐらい聞き違えた。
発音ははっきりと、けれど柔らかく、甘く。時々声を掠れさせて、切なさを出すのも忘れない。
正直、思わず聞き惚れてしまった。
圭も大絶賛だったし、このままこの調子で出したらガチ恋勢一気に増えそうだなあと思ったり思わなかったり?
ふゆもあやくんまでとはいかないけど圭のアドバイスだけで十分上達していて、俺はふと気がついた。
フユアヤの魅力の一つは、高校生ならではの若々しさと取り繕わない自然体を持ち合わせているからだ。
けれど歌は声を作ろうとして、その要素が殺されていた。だから普段のフユアヤを見ている俺たちにとって、「無機質」に見えた。
けれど……あやくんはラブソングにふゆを想う自分の気持ちを当てはめたことで、いつもの魅力を活かせたんだ、と。
──ということで、歌の方は順調も順調。
今問題なのは、俺の弟の方だ。
「……千兄は、何か聞いてないの。恋の相談とか」
「残念ながら聞いてませーん。そもそも恋バナなら、俺よりふゆにするんじゃないの?」
ごめん、嘘。あやくんが中学生の頃、遠回しにだけど超されてました。最近はフユアヤの活動が忙しいのかないけど。
ふいっと視線を逸らした。……ふゆはあやくんの歌でやっとというか何というか、あやくんに想い人がいると気づいたらしい。
それはふゆにとって失恋を意味するものだ。
「……俺は恋愛偏差値0だから……頼りにされてないんだと思う……」
それで、このザマである。
いやさあ、えっとさあ、確かにあやくんに想い人がいるのは正解だよ?
俺は困ったような面白いような複雑な笑みを浮かべる。
でも、あやくんがあの場で思い浮かべてたのは、瞳を恋の色に染めて見つめていたのは。
きっと、たぶん、いや、絶対──君なんですけどねえ。
手の中のコップを弄びながら、俺はくいっと小首を傾げた。
「いっそ、もう告っちゃえば?」
それが一番手っ取り早いのに。思い切った提案をしてみれば、すかさずふゆの冷たい視線が飛んでくる。
「バッサリ振られて気まずくなってこいと?」
「いやあ……」
そういうことじゃないんだけど。けれどあくまでこれは二人の問題なので、勝手に気持ちを伝えることなどできるはずがない。
あははと笑って誤魔化す。と、ふゆは起き上がり、じっと俺を見つめた。
冬のような、澄んだ冷たい青い瞳。
イラストで描くとき映えるんだよなあ。イラストレーターの本能でそう思い頬杖をつき眺めていると、「千兄こそ」と口を開かれた。
「告白とか、しないの」
……ふむ。
「……だれ、に」
分かっている。俺が告るとしたらアイツしかいないってこと。現にあの関西弁が易々と頭に浮かんでくる。
でも、ふゆにバレているわけ。
俺の問いかけにふゆは眉を上げた。何とも不思議そうに、まっすぐに。冬のような瞳が揺れて、俺を映す。
「圭に」
硬直した。
ビシッと固まって、息を飲み込んで、目を見開く。
……何とも典型的な動揺の仕方だ。
ふゆは表情ひとつ動かさず、俺を捉えている。……こういう時俺に兄の余裕があれば、ふゆみたいに無表情で流せたのかなあ。
目を彷徨わせる。少し口角を遠慮がちに持ち上げて、困ったように笑ってみた。
「……何で?」
「何となく。俺と千兄は似ているから」
だから、恋をしている顔がわかる──と。
そのセンサー、あやくんに作動してくれないかなあ。何でよりによって俺に作動しちゃうの。……家族だからか。
けれど、バレたのならもう仕方がない。誤魔化すのはもう無理だ。目を伏せ、小さく頷いた。
「……せーかい」
俺の素直な肯定に、ふゆは瞳を細めた。
「いつから?」
「……フユアヤが圭と巡り会う、ずっと前から?」
「どこが好きとか」
「明るくて元気で可愛くてなんだかんだ頼れるところ」
「いっしょ」
弟に自分の恋バナを根掘り葉堀り聞かれるとかなんだこの拷問と思っていたら、突如ふゆはふっと笑いを零した。あやくんが近くにいないところで笑うところを久しぶりに見て、思わず息を止める。
『一緒』……ふゆも、あやくんのそんなところを、好きになった?
じっとふゆの笑顔を目に焼き付けた。なるほど、……これは確かに、あやくんが恋に落ちるのも納得かも。
不覚にも自分の弟に見惚れてしまっていると、数秒後、ふゆは少し躊躇うように口を開け閉めして、けれど結局声に出した。
「告らないの?」
二度目の質問。
そして、俺がさっきふゆに言ったことも数えれば、三度目だ。
想像以上にその質問はずしっと重く心に乗っかった。……うわ、当事者となると、結構きついかも?
「ごめん」
「は、何が」
ふゆはさっきこんな気持ちだった? 反射で謝ると、不可解そうに眉を顰められた。質問の答えになってない、と。
……鈍感って強メンタルなのか?
安堵したような羨ましいようなでも鈍感だからふゆあやは結ばれてないんだよなと、複雑な感情が絡まる。
黙っていると、ふゆは小さく首を傾けた。綺麗な黒い髪が揺れる。
青い瞳に静かな圧が乗っていて、答えを急かされているのだと察した。俺は息をつくと椅子の背もたれに背中を預ける。あー、お茶飲み干したの失敗だった。
この一瞬で、馬鹿なぐらいに喉が枯れている。
「できない」
やるやらないではなくて、できない。
「何で」
「俺と圭はお互い会ったこともないから?」
投げやりに言うと、ハッとふゆの息を吸い込む音が聞こえた。
本名も知らない、住んでいる場所も知らない、もしかしたら声が男っぽいだけで──性別が違うかもしれない。知っているのは、せいぜいネットに公開されている情報ぐらいだ。
俺は何も知らない相手のことを好きになった。
少し天井を仰いでから、ふうっと息をついた。
「俺はこれでいいんだ、別に。でも、ふゆは?」
「……」
「あやくんがふゆのことを好きな可能性は、0じゃない」
「でも、千兄だって」
「俺は0だよ」
言い切れる。両想いになれるなんて、期待していない──期待したこともなかった。
眉をあげ笑うと、ふゆはぎゅっと顔を歪めた。
馬鹿、何で君が苦しそうなのよ。
今度は苦笑いを浮かべて立ち上がる。コップを持ち、冷蔵庫へ向かった。
その最中、ぽんとふゆの頭を撫でてみる。
「例えあやくんに好きな人がいたとしても、お兄さんは諦めるのはまだ早いと思いまーす」
「……諦めるなんて一言も言ってない」
「はは、そーでした」
兄弟同士、ずっと似てないと言われ続けてきた。
でも。
実は恋に不器用なところは、結構似てたりして。
気づきたくなかった意外な発見のあとに飲んだお茶は、さっきよりもずっと苦かった。
