「明日の朝、会いたい」
そう昨日遊びに行った響魚の家から駅までの帰り道で言われた。朝練の前に会いたいのだと言う、なんでも県大会の代表決めが放課後にあって、最後の走り込みを優凪に見守ってもらいたいとのことだった。
だからその日優凪はいつもより一時間早く起きた。響魚の部活のためだ。きっと彼にとって今日は重要な一日となるだろう。それに誰よりも速く走る響魚の姿も見てみたかった。
朝食を食べようと食パンの袋を開けたのだが、なんとなく食欲がわかなくて結局パンは食べなかった。飲み物だけ、と買ってあったカフェオレを飲む。
「そろそろ、準備しなきゃ……」
なんだか身体が重かった。先日の体調不良以来、どうも身体の調子が戻らない。それでも熱は下がって、少しずつ食べ物も食べられるようになってはいたのだが。だけど今朝はどうしても行かなければ、今後の響魚を応援し見守るためにも。
重い身体で制服に着替えて寝癖のついた髪を直して、優凪は家の戸締りを確かめた。朝の空はいい天気、今日は一日晴れだろう。
駅前は通勤通学の人の流れが出来ていた。その雑踏の最中でスマホにメッセージ、響魚からのものだ。
体育倉庫前で柔軟をしている、ああ、響魚はもう学校にいるのか。急がないと、と優凪は駅前の階段を急いでかけのぼったそのときだった。脚からがくりと力が抜ける。バランスを崩した優凪はそのまま音を立てて階段から転がり落ちる。そのとき後頭部を強かに打ち付けて、優凪は意識を失った。地面に倒れこんだその姿を慌てたあたりにいた人々が囲んで行く……。
響魚のスマホに優凪から返信があって一時間がたっていた。これから駅に向かうところ、しかし三十分もあればつくはずだった。柔軟と軽いランニングを終えて優凪を待つ。いまどこにいるのか、メッセージには返信がないから電話も掛けてみた。しかし、繋がらない。なにかあったのだろうか。
心のざわつきをおさえながら授業を受けて、昼休み、優凪のクラスに行ってみる。ひとりの生徒を捕まえて聞いてみると優凪は学校に来ていないと言う。返信があったのは朝だ、家を出ていることは確かなのに。
困った響魚はもしもの可能性を考えて保健室に行った。また体調を崩して寝ているのかもしれない。保健室に駆け込んだ響魚を見て、幸原は表情をこわばらせた。何かあったのだ、響魚は息を飲んでじっと彼を見る。
「加瀬くん、市川くんが……」
「え?」
***
駅の階段から足を滑らせて落下した。後頭部を打ち付けて病院に急搬されたが意識が未だ戻らないらしい。今日は放課後の部活で県大会代表が決まるはずだった。しかし響魚は部活に出ず、優凪の病院に行くことを選んだ。その行為はたとえいままでの記録等から代表に選ばれたとしても自ら辞退すると言うこと。響魚の夢だった陸上の道が閉ざされて行く。だけど響魚は優凪の方を選んだのだ。
集中治療室の窓から眠っている優凪を見た。家族じゃないから響魚は優凪に会うことが出来ない。固く目を閉じて、意識の戻らない優凪。こんなことになるのなら朝、会いたいなんて言うんじゃなかった。
面会時間終了間際、ひとりの中年男性が廊下に駆け込んできた。スーツ姿が急いできたのか乱れている。
「市川優凪の、父です」
そう言ったのは面影のある顔、優凪の父は看護師に集中治療室の中に案内されて行く。優凪とは離れて暮らしていたはずだが連絡を受けて駆けつけたのか。
絵本のお姫さまのようにキスをしてその目を覚ましたらどんなによかったか。廊下でうつむいている響魚の隣で優凪の父は忙しそうに各所に電話をしている。仕事の電話のようだ、取引先がどうの会議がどうの、いまはそれどころじゃないはずなのに。
電話を終えた優凪の父はため息をついて響魚の隣のベンチに座る。面倒なことになった、そんな多少の不機嫌な感情を見せながら。
「お仕事、忙しいんですか」
再びスマホを取り出した姿に、響魚は思わず声をかけた。父は驚いて響魚を見る。
「優凪くんの学校の友人の加瀬です。たまにお家に遊びに行かせていただいていました」
「そうか、息子が迷惑をかけたな」
「迷惑だなんてとんでもない。優凪くんに救われることも多かったです」
「……」
「優凪くんはいつもひとりで寂しそうでしたよ」
「……そうか」
その日、優凪は目を覚まさなかった。家族ではない響魚は面会時間が終了しそのまま帰ることをうながされる。残ったのは優凪の父、彼は明日まで優凪のそばにいてくれるだろうか。こんなときまで彼を孤独にしないだろうか、そんな心配を抱えながら響魚は病院を後にした。
翌朝、眠れない夜を過ごした響魚はぼんやりと陸上部の朝練を遠目に見ていた。昨日の部活に出られなかったことが響魚が朝練に参加しない理由だった。県大会に向かって一緒に努力していた部員を裏切った気まずい感情と自分に期待してくれていた周りに申し訳ない感情が共存する。
でも響魚は優凪を選んだのは間違いではないと思っていた。二年の終わりには引退する、かつてそう自分でも言ったこと。ほんの少しの夢の可能性が消えただけだ。
そう昨日遊びに行った響魚の家から駅までの帰り道で言われた。朝練の前に会いたいのだと言う、なんでも県大会の代表決めが放課後にあって、最後の走り込みを優凪に見守ってもらいたいとのことだった。
だからその日優凪はいつもより一時間早く起きた。響魚の部活のためだ。きっと彼にとって今日は重要な一日となるだろう。それに誰よりも速く走る響魚の姿も見てみたかった。
朝食を食べようと食パンの袋を開けたのだが、なんとなく食欲がわかなくて結局パンは食べなかった。飲み物だけ、と買ってあったカフェオレを飲む。
「そろそろ、準備しなきゃ……」
なんだか身体が重かった。先日の体調不良以来、どうも身体の調子が戻らない。それでも熱は下がって、少しずつ食べ物も食べられるようになってはいたのだが。だけど今朝はどうしても行かなければ、今後の響魚を応援し見守るためにも。
重い身体で制服に着替えて寝癖のついた髪を直して、優凪は家の戸締りを確かめた。朝の空はいい天気、今日は一日晴れだろう。
駅前は通勤通学の人の流れが出来ていた。その雑踏の最中でスマホにメッセージ、響魚からのものだ。
体育倉庫前で柔軟をしている、ああ、響魚はもう学校にいるのか。急がないと、と優凪は駅前の階段を急いでかけのぼったそのときだった。脚からがくりと力が抜ける。バランスを崩した優凪はそのまま音を立てて階段から転がり落ちる。そのとき後頭部を強かに打ち付けて、優凪は意識を失った。地面に倒れこんだその姿を慌てたあたりにいた人々が囲んで行く……。
響魚のスマホに優凪から返信があって一時間がたっていた。これから駅に向かうところ、しかし三十分もあればつくはずだった。柔軟と軽いランニングを終えて優凪を待つ。いまどこにいるのか、メッセージには返信がないから電話も掛けてみた。しかし、繋がらない。なにかあったのだろうか。
心のざわつきをおさえながら授業を受けて、昼休み、優凪のクラスに行ってみる。ひとりの生徒を捕まえて聞いてみると優凪は学校に来ていないと言う。返信があったのは朝だ、家を出ていることは確かなのに。
困った響魚はもしもの可能性を考えて保健室に行った。また体調を崩して寝ているのかもしれない。保健室に駆け込んだ響魚を見て、幸原は表情をこわばらせた。何かあったのだ、響魚は息を飲んでじっと彼を見る。
「加瀬くん、市川くんが……」
「え?」
***
駅の階段から足を滑らせて落下した。後頭部を打ち付けて病院に急搬されたが意識が未だ戻らないらしい。今日は放課後の部活で県大会代表が決まるはずだった。しかし響魚は部活に出ず、優凪の病院に行くことを選んだ。その行為はたとえいままでの記録等から代表に選ばれたとしても自ら辞退すると言うこと。響魚の夢だった陸上の道が閉ざされて行く。だけど響魚は優凪の方を選んだのだ。
集中治療室の窓から眠っている優凪を見た。家族じゃないから響魚は優凪に会うことが出来ない。固く目を閉じて、意識の戻らない優凪。こんなことになるのなら朝、会いたいなんて言うんじゃなかった。
面会時間終了間際、ひとりの中年男性が廊下に駆け込んできた。スーツ姿が急いできたのか乱れている。
「市川優凪の、父です」
そう言ったのは面影のある顔、優凪の父は看護師に集中治療室の中に案内されて行く。優凪とは離れて暮らしていたはずだが連絡を受けて駆けつけたのか。
絵本のお姫さまのようにキスをしてその目を覚ましたらどんなによかったか。廊下でうつむいている響魚の隣で優凪の父は忙しそうに各所に電話をしている。仕事の電話のようだ、取引先がどうの会議がどうの、いまはそれどころじゃないはずなのに。
電話を終えた優凪の父はため息をついて響魚の隣のベンチに座る。面倒なことになった、そんな多少の不機嫌な感情を見せながら。
「お仕事、忙しいんですか」
再びスマホを取り出した姿に、響魚は思わず声をかけた。父は驚いて響魚を見る。
「優凪くんの学校の友人の加瀬です。たまにお家に遊びに行かせていただいていました」
「そうか、息子が迷惑をかけたな」
「迷惑だなんてとんでもない。優凪くんに救われることも多かったです」
「……」
「優凪くんはいつもひとりで寂しそうでしたよ」
「……そうか」
その日、優凪は目を覚まさなかった。家族ではない響魚は面会時間が終了しそのまま帰ることをうながされる。残ったのは優凪の父、彼は明日まで優凪のそばにいてくれるだろうか。こんなときまで彼を孤独にしないだろうか、そんな心配を抱えながら響魚は病院を後にした。
翌朝、眠れない夜を過ごした響魚はぼんやりと陸上部の朝練を遠目に見ていた。昨日の部活に出られなかったことが響魚が朝練に参加しない理由だった。県大会に向かって一緒に努力していた部員を裏切った気まずい感情と自分に期待してくれていた周りに申し訳ない感情が共存する。
でも響魚は優凪を選んだのは間違いではないと思っていた。二年の終わりには引退する、かつてそう自分でも言ったこと。ほんの少しの夢の可能性が消えただけだ。
