響魚と会わなくなって三日がたった。何も支障はない、何回かは保健室で過ごした時間もあるが授業には大体出ているし、課題もたまってはいない。ずっと熱っぽいのが気になってはいたが、我慢すればいいだけのこと。ただ、心が空しくて食事は思うように食べられてはいなかった。
庄司にからまれたときのことが気にならなかったわけじゃないし、部活に熱心になる響魚も悪くない。ただただ寂しかった、部活よりも自分を選ぶと言ってくれた響魚も結局そばにはいなかったから。一度優しさを覚えてしまうと贅沢になるのだ、そのぬくもりを知ってしまったらもうひとりには戻れなくて。
何度も響魚から不在着信の連絡が入っているのは気づいていた。別にあえて避けているわけではなかった。でも出ない、出たらきっと言葉が止まらなくなってしまう。彼を傷つけたいわけじゃなかった。ただ、そばにいてくれひとりにしないで、まるで子供じゃないか。そんな自分が女々しくて恥ずかしい。
「まだ、もつかな……」
心も、身体も。食事もとれない体調が日々悪くなっているのはわかっていた。
***
「熱、高いね、今日はもう帰ったほうがいいよ」
午後の授業中には座っていられないほどひどい寒気に襲われて、耐え切れずふらつきながらなんとか保健室までやって来た。真っ青な顔で震えている優凪を驚いた幸原が慌ててベッドまで連れて行く。されるがままになって熱を測られた、あまり深刻なことにしたくなかったから軽い調子で何かを喋りたかったけれど、意識朦朧として言葉が浮かばない。
「迎えは難しいんだよね」
「ひ、ひとりで帰れます……」
「そういうわけにも、どうしようか」
「……」
困った顔の幸原をぼんやりと見つめていると次第に彼の姿がにじんで消えて行く。どうしたらいいのかなんて、優凪が一番わからない。頼れる誰か、そんなのはいない……そう思っていた。
「優凪」
「あ」
次に気が付いたとき、ベッドの隣で響魚が見つめていた。久しぶりに見た彼はさらに日焼けした気がする。ほんの数日会わなかっただけだ。でもこんなにたくましい印象のある人だっただろうか。
「俺が家まで連れて帰ります」
「荷物持った?」
「はい、ふたりぶん」
そう言って彼は優凪の身体を優しく起こす。いい匂いがする、こんな制汗剤、響魚は使っていただろうか。
「帰ろう、優凪」
「授業……部活は」
「もう終わったよ、下校時刻だ」
「もう……?」
知らない間に随分と眠っていたらしい、響魚の隣では幸原が心配そうな顔をしている。
「市川くん、無理はしないようにね。熱が下がるまでは学校は休んで、身体のことを考えて。病院も行くんだよ」
「……はい」
周りの風景が全てがぼんやりとしている。響魚はそっと優凪の額に浮かぶ汗を拭って、そして自分の背中を差し出した。
「帰ろう、優凪」
「歩ける……」
「無理するな、いいから背中に」
優凪は子供の様に背負われて、響魚の背中は大きかった。ああ、この背中が好きだ。背中越しに伝わって来る体温を忘れたくないと思った。こうして寄り添っている時間がなんて愛おしいのか。だからもうひとりには戻れない。
帰り道に診療終了間際のクリニックに寄った。高い熱は風邪をこじらせているのだろうと、栄養失調もあると言う。響魚はため息をつく、優凪は自分の身体の管理不足に気まずさを感じていた。もう高校生なんだから、自分で自分のことが出来ない。
「どうしてもっと早くに言わないんだ、辛いって。また俺を避けていただろう?」
「避けていたわけじゃないよ、その」
「その、なんだ」
響魚が不機嫌そうな表情をしている。でもこの件は響魚が悪かったわけじゃないのだ。
「少しでも頼ったら甘えてしまいそうで……この年でひとりじゃ生きて行けないなんて、あまりに情けなさすぎるでしょ」
「……甘えていいんだよ。俺を必要としてくれるのなら、存分に甘えて構わない」
そう言って響魚はベッドに寝かせた優凪の額に絞ったハンドタオルを乗せた。点滴と薬で多少熱は下がってはいる。でもまだ身体が熱くて、タオルの冷たさが心地良かった。
「何か食べられそうなものはあるか?」
「……ゼリー、昨日の帰りに買って来たものが、机の上に置いてある。冷やしておいてくれる?」
「これだけでいいのか?」
「今夜はあまり食べたくない。明日になったら考えるよ」
「明日も来るよ」
「いいよ、学校あるし」
「甘えて良いって言ったろ? ひとりにはさせられない」
両親ですら優凪のことを放って置くのに、響魚だけがあきらめない。本当はこの広いマンションでひとりになりたくなかった。でも誰に頼ったらいいのかわからなかったんだ。体調不良の夜は、いつも不安になる。
「明日、待っててもいい……? 授業も部活も全部終わった頃でいいから。響魚くんの顔が見たい」
「わかった、構わないよ。夕方来るから、何か食べられそうなものも買って来る」
「うん……」
「大丈夫だから、そんな、泣きそうな顔をするな」
そこまで素直に表情に出ていただろうか。でも響魚がまた来てくれるのなら、今夜はよく眠れそうだった。明日になったらまた会える、それは些細ながらも待ち遠しい楽しみでもあるから。甘えられる存在は尊い。優凪にとって甘えることは親に向かっても出来ないことだった。
庄司にからまれたときのことが気にならなかったわけじゃないし、部活に熱心になる響魚も悪くない。ただただ寂しかった、部活よりも自分を選ぶと言ってくれた響魚も結局そばにはいなかったから。一度優しさを覚えてしまうと贅沢になるのだ、そのぬくもりを知ってしまったらもうひとりには戻れなくて。
何度も響魚から不在着信の連絡が入っているのは気づいていた。別にあえて避けているわけではなかった。でも出ない、出たらきっと言葉が止まらなくなってしまう。彼を傷つけたいわけじゃなかった。ただ、そばにいてくれひとりにしないで、まるで子供じゃないか。そんな自分が女々しくて恥ずかしい。
「まだ、もつかな……」
心も、身体も。食事もとれない体調が日々悪くなっているのはわかっていた。
***
「熱、高いね、今日はもう帰ったほうがいいよ」
午後の授業中には座っていられないほどひどい寒気に襲われて、耐え切れずふらつきながらなんとか保健室までやって来た。真っ青な顔で震えている優凪を驚いた幸原が慌ててベッドまで連れて行く。されるがままになって熱を測られた、あまり深刻なことにしたくなかったから軽い調子で何かを喋りたかったけれど、意識朦朧として言葉が浮かばない。
「迎えは難しいんだよね」
「ひ、ひとりで帰れます……」
「そういうわけにも、どうしようか」
「……」
困った顔の幸原をぼんやりと見つめていると次第に彼の姿がにじんで消えて行く。どうしたらいいのかなんて、優凪が一番わからない。頼れる誰か、そんなのはいない……そう思っていた。
「優凪」
「あ」
次に気が付いたとき、ベッドの隣で響魚が見つめていた。久しぶりに見た彼はさらに日焼けした気がする。ほんの数日会わなかっただけだ。でもこんなにたくましい印象のある人だっただろうか。
「俺が家まで連れて帰ります」
「荷物持った?」
「はい、ふたりぶん」
そう言って彼は優凪の身体を優しく起こす。いい匂いがする、こんな制汗剤、響魚は使っていただろうか。
「帰ろう、優凪」
「授業……部活は」
「もう終わったよ、下校時刻だ」
「もう……?」
知らない間に随分と眠っていたらしい、響魚の隣では幸原が心配そうな顔をしている。
「市川くん、無理はしないようにね。熱が下がるまでは学校は休んで、身体のことを考えて。病院も行くんだよ」
「……はい」
周りの風景が全てがぼんやりとしている。響魚はそっと優凪の額に浮かぶ汗を拭って、そして自分の背中を差し出した。
「帰ろう、優凪」
「歩ける……」
「無理するな、いいから背中に」
優凪は子供の様に背負われて、響魚の背中は大きかった。ああ、この背中が好きだ。背中越しに伝わって来る体温を忘れたくないと思った。こうして寄り添っている時間がなんて愛おしいのか。だからもうひとりには戻れない。
帰り道に診療終了間際のクリニックに寄った。高い熱は風邪をこじらせているのだろうと、栄養失調もあると言う。響魚はため息をつく、優凪は自分の身体の管理不足に気まずさを感じていた。もう高校生なんだから、自分で自分のことが出来ない。
「どうしてもっと早くに言わないんだ、辛いって。また俺を避けていただろう?」
「避けていたわけじゃないよ、その」
「その、なんだ」
響魚が不機嫌そうな表情をしている。でもこの件は響魚が悪かったわけじゃないのだ。
「少しでも頼ったら甘えてしまいそうで……この年でひとりじゃ生きて行けないなんて、あまりに情けなさすぎるでしょ」
「……甘えていいんだよ。俺を必要としてくれるのなら、存分に甘えて構わない」
そう言って響魚はベッドに寝かせた優凪の額に絞ったハンドタオルを乗せた。点滴と薬で多少熱は下がってはいる。でもまだ身体が熱くて、タオルの冷たさが心地良かった。
「何か食べられそうなものはあるか?」
「……ゼリー、昨日の帰りに買って来たものが、机の上に置いてある。冷やしておいてくれる?」
「これだけでいいのか?」
「今夜はあまり食べたくない。明日になったら考えるよ」
「明日も来るよ」
「いいよ、学校あるし」
「甘えて良いって言ったろ? ひとりにはさせられない」
両親ですら優凪のことを放って置くのに、響魚だけがあきらめない。本当はこの広いマンションでひとりになりたくなかった。でも誰に頼ったらいいのかわからなかったんだ。体調不良の夜は、いつも不安になる。
「明日、待っててもいい……? 授業も部活も全部終わった頃でいいから。響魚くんの顔が見たい」
「わかった、構わないよ。夕方来るから、何か食べられそうなものも買って来る」
「うん……」
「大丈夫だから、そんな、泣きそうな顔をするな」
そこまで素直に表情に出ていただろうか。でも響魚がまた来てくれるのなら、今夜はよく眠れそうだった。明日になったらまた会える、それは些細ながらも待ち遠しい楽しみでもあるから。甘えられる存在は尊い。優凪にとって甘えることは親に向かっても出来ないことだった。
