俺の隣でクレープを頬張る大切な人。もとい、愛しい人。お前もこっち向けばいいのに、とか、一方的なエゴを押し付けちゃうんだ。嫌な話だけど、多分、それが恋。
「美味い?」
「うんっ!」
頬を主にホイップクリームで膨らませた子リスさんは、クレープを両手に、にこにこ幸せそうにそれを食べる。そのほっぺを突っついて吹き出させてみたくなる。けど、だめだな。だって子リスさんが可哀そう。……なんちって。
「この後どっか行く?」
「まだ授業始まったばっかで切羽詰まってないからな。多分遊べるの今のうちだろうな。」
「じゃ、家来て漫画でも読む?」
「あ、そうなる? でも行くわ。」
割といつものこと、とまでいかずともしょっちゅうやってること。お互い、同中ということもあり家が近くって、よくどっちかの家に遊びに行く。泊りも以前はしていた。俺のこの感情があるため、それはもうできないと思うけど。
「また泊まりとかしてーな。」
え、まじすか? なんとタイムリー。あんま自主的にそういうこと言うタイプだとは思っていなかった。
「……~っ……。」
「大河?」
「いや、なんも。するとしても夏休みじゃね?」
「ゴールデンウィークがいい。」
那衣はどうやらすごく乗り気なようで。これじゃ断りづらいよな。膨らんだ頬を緩めて、キラキラした目で見てくるんだから。素直に、もちろん俺の恋心は伏せてだけれど、那衣に話した方がいいかもしれない。
「なあ、那衣……」
「ん?」
こて、と首を傾げ、こちらの顔をのぞき込んでくる。アッ、無理だ。可愛すぎて無理だ。……がっかり、させたくないな……。やめる……か。本当に泊まりになりそうだったらそのときに考えよう。
「……」
なんだろう、何か言いたげに那衣がこちらを見ている気がする。残り何口分かに小さくなったクレープを頬張りつつも、じっとこっちを見て目を逸らさない。
「……えっと、なに?」
「……いや。」
「いや。」じゃないよな?! 今の間何!? 絶対「いや。」じゃないよな、あの間は明らかに!! でも、それっきり那衣は何も言わないし……。
手元では食べ終わったクレープの包装紙をいじっているのに、ずっとこっちから視線を外さない。見られていることに対して「なに?!」よりも、普通に危なそうなのでやめてほしい。前を見てくれ、こっちは地味にヒヤヒヤなんだよ〜。
いたたまれず、こちらは目を逸らしながら、那衣に付き合って買ったタピオカ入りのいちごミルクを差し出す。
「……飲む?」
「飲む。」
食い気味の即答〜。ちゅ、と那衣の唇がストローに触れる。ゆっくりと、少しだけ重みが軽くなる。ふとそちらを向いたのが馬鹿だったな。当たり前だけど、俺がさっきまで口に含んでいたストローの先が今、那衣の唇に触れていたんだ。そこで俺はようやく、これが”間接キス”であることに気が付いた。
「あ……」
顔が、首からじわじわ熱くなってくる。
「ん〜! 甘ぁい!」
那衣は満足気にプラスチックのカップを返してきた。けれど俺はそれどころじゃなくて、落としそうになったのを那衣が反射でぎりぎりキャッチしてくれた。
「っぶな、セーフ。」
「ほらちゃんと持てよ」と差し出されるが、俺の手は右が口元に、左が宙ぶらりんになっていて、それを受け取る手が出なかった。
「あ、なに、たい——」
目を、絶対に合わせられない。今絶対やばい顔してる。多分那衣も引いてる。だってこんなに真っ赤で、こんなの絶対、恋しているようにしか見えないから。現に、那衣は黙りこくっちゃってるし。
「っ、あつ……」
いっそ顔を上げてシャツをぱたぱたさせて仰ぐけれど……いや、むしろわざとらしくてだめだったかな。終わらない沈黙に耐えきれず、そろ、と視線を那衣に向け——
……え?
顔を上げると、那衣はシャツの胸のあたりをクシャッと握り、口元と眉を歪ませていた。
「大河って、俺のこと……好きだったりしない?」
……え?
「す、きじゃないです。」
……
「そっか。」
……ええ⁇
な、何がなんだか。今、何が起きたんだ? えっと、好きかと訊かれ、好きじゃないと答え、以上。
……えっ? ええ? えええ?
「え、今の何だったの?」
「ん? 確認。」
そっか、確認か。……いや、なんの?
「え、なんの?」
「え。」
「えっ」
「え。」
「え?」
「え。」
「ええ~?」
あ、ちょ、もうだめ。可笑しくってしかたない。くっと吹き出してしまった。
「ふ、ふふふ。」
む、と眉を寄せる那衣。かわいいなぁ、お前。何に笑ってんのさ、って問い詰めるみたいな目をしている。でもそれ、俺、怖くないよ。ごめんだけれど、俺はお前のことが大好きだ。たまらなく大好きだ。好きじゃないなんて真っ赤な嘘だし、わざわざ訊くまでしてきたんだから、お前はそれをわかっているはずだろう。だけどもそれを問い詰めないってのはさ、そういう距離感なんだ、俺たちは。いいな、それ。俺はさ、お前のこと大好きだけど、それと同時に俺たちは親友だ。それは間違いないし、嘘じゃない。お前も多分、わかっている。だから、こういうもん。
「ふふ、ふ、くく……くくくく。」
「なに、なんでそんなに笑うんだよ。」
「わかんねぇ……」
目尻に涙が滲んだ。何がそんなに面白いんだ。俺にだってわからない。わからないけど、しっとり目尻が濡れるんだ。
「くくく、く……。」
ぐーたらとくつろいで、部屋の主は俺なのに、俺のベッドを占領しているのは那衣だった。枕を胸に抱え込んで、肘をついて、足を交差させて。みんなやるよな、これ。俺もやる。ときどきくすっと笑って、大抵は無表情。みんな同じもんなんだな。
「面白い?」
「そりゃ。面白いから勧めたんだろ。」
「ごもっとも。」
それ以上、話は続かない。し、続けない。漫画を読み漁っている俺たちは大抵しゃべらない。無言、沈黙、無音。そこに、コンコンコン、とノックの音。二人の頭が同時に上がる。
「那衣くんご飯食べてく?」
母さんの声だ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
「はーい。陽子さんに伝えとくんだよー。」
「はーい。」
とんとんとん、と足音が遠ざかっていく。そしてまた、俺たちは顔を下げ、手元に集中する。十分、二十分、すいすい時間は過ぎていく。時折、吐息にも似た那衣の「ふ」という笑い。楽しんでいただけているようで良かった。すると、「ん……。」と眉間にしわが入る。
「喉乾いた?」
「ん。」
「取ってくる。」
「水筒あるからいい。」
「おっけ。」
それはそれとして、トイレに行きたい。あと、俺も喉が渇いた。水汲みに行こ。
「厠に行ってきゃーす」
「あーい、報告いらねー。」
那衣は漫画の間に顔をうずめたまま、くっくと笑う。バカらし。どうせ見えちゃいないけど、手を振って、それから部屋を出た。
用を足してすっきり、これからキッチンまで下りて水を汲んでから部屋へ戻ります、というところで母さんの声。ご飯だ。すぐには那衣が出てこないのでドアをじっと見ていたが、ついに出てくることはなかった。後で呼ぼ、ということで手を洗いに行く。
「夕飯何?」
「豚汁。」
「よっしゃ」
そして手も洗い終わり……。
那衣?
「降りてこねーな。」
「ね。いつもは呼んだら転げ回る勢いで下りてくるのに。」
誇張に聞こえるかもしれないが、本当にそうなんだ。ドアだけ丁寧に開けて、そこからは壁にぶつかりそうなのをすれすれで避けながら、靴下で滑り、階段を駆け下り、息を荒げて下りる。なぜかって、それはすごく単純な話、那衣は食べることが好きだからだ。あれだ、食い意地が張っている、というやつだ。
「俺呼んでくる。」
手すりに手をかけ、階段を一段ずつ上る。
「那衣~?」
返事はない。いつもなら、話の内容は聞いてなくともとりあえず「うん」と答えるのに。妙だな、嫌な予感がする。
「那衣? なぎぃ? 飯食わねーのぉ?」
失礼しゃーす、とドアを開ける。ここ、俺の部屋なんだけどな。
「ありゃ」
寝てる。漫画だけきちんと畳んで置いて、枕に正面から顔を沈めている。息、辛くねーのかな。
「那衣、なーぎー。」
つむじをつんつん刺す。無反応。死んだように眠っている。いや、肩が上下しているから、死んだように、というほどじゃないか。
困ったな。とりあえず灯りはそのまま、足音を殺してそっと下へ引き返す。
「母さん、那衣寝てた。」
「ありゃ、じゃあ陽子さんに連絡する? 泊まらせてく?」
「そのうち起きるだろ。一応、一報は入れとこう。」
「じゃあ先に食べちゃお。」
椅子を引き、向き合って座り、いただきます、と手を合わせた。
起きない、起きない。現在時刻、九時。那衣は依然として起きないまま。すーすーと枕の隙間から寝息を漏らし、ベッドを占領したまま動かない。
「なぎぃ~、なぎなぎぃ~。」
だめだ、起きる気配すらねえ。さっきからずっと、かなり強めに頬をつねっているはずなのに。ふと、ため息が漏れる。泊りとか、勘弁してくれよ。こちとら高校生男子だぞ。思春期真っただ中の男に、自分のベッドで寝てる好きな子を出してみろよ、頭狂うぞ。
はあ、と大きくため息をつき、耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「起きろよ、俺を試してんのか?」
な、わけもないけれど。
「母さーん、風呂できてるー?」
「できてるー!」
「俺はいるー!」
「はーい!」
立ち上がる前に、那衣の頭を一度だけくしゃり。それから首元に顔をうずめ、じゃ、と部屋を出た。相手が寝ているから、好き放題だ。このくらいならいいだろう。
「母さん、那衣泊りになりそ? おばさんはなんて?」
「『よろしくお願いします』って。まあお互い様だよね、大河も何度か寝落ちてお世話になってたし。」
「まーな。こっちに那衣の制服一式あるんだよなぁ。」
母さんは肩をすくめ、ふっと笑う。「困ったもんだよ」と言う声が嬉しそうだった。何に嬉しそうにしているんだろう。俺と那衣が仲がすごく良い、親友であること? だとしたら、俺が那衣を友達として見れていないことをそったら母さんはどう思うだろう。興味、に近い。ただの興味に。
「母さん、俺、那衣のことが好きなんだ。」
気付けば口走っていた。一拍置いてからはっとし、自分の口をおさえる。
「ごめん、嘘っ、なんでもない!」
慌てふためく俺の一方、母さんはすごく落ち着いている。それを目の前にしていると、なぜだかそれに引っ張られてだんだん落ち着いてきてしまう。いや、焦らせてくれよ。まあまあ、と手で制して座るよう促してくる。あまりに当然という風だったので、条件反射的に従ってしまう。
「驚かないよ、そんな気はしてたし。」
え。え、え?
「え?」
困惑の極み、の一方で母さんはのほほんとテーブルに肘をついていた。
「母親を舐めるんじゃないよ。」
すげえ、説得力が違う。
「いいと思うよ、私は。とりあえず風呂入ってきな、時間も時間だし。」
あっさり流された。今の多分、カミングアウト的なもんだよな? こんな当たり前のことみたいに……。俺の言葉が口をついて出たものだと見抜いていたのかな。なんにせよ、おそろしや。
「美味い?」
「うんっ!」
頬を主にホイップクリームで膨らませた子リスさんは、クレープを両手に、にこにこ幸せそうにそれを食べる。そのほっぺを突っついて吹き出させてみたくなる。けど、だめだな。だって子リスさんが可哀そう。……なんちって。
「この後どっか行く?」
「まだ授業始まったばっかで切羽詰まってないからな。多分遊べるの今のうちだろうな。」
「じゃ、家来て漫画でも読む?」
「あ、そうなる? でも行くわ。」
割といつものこと、とまでいかずともしょっちゅうやってること。お互い、同中ということもあり家が近くって、よくどっちかの家に遊びに行く。泊りも以前はしていた。俺のこの感情があるため、それはもうできないと思うけど。
「また泊まりとかしてーな。」
え、まじすか? なんとタイムリー。あんま自主的にそういうこと言うタイプだとは思っていなかった。
「……~っ……。」
「大河?」
「いや、なんも。するとしても夏休みじゃね?」
「ゴールデンウィークがいい。」
那衣はどうやらすごく乗り気なようで。これじゃ断りづらいよな。膨らんだ頬を緩めて、キラキラした目で見てくるんだから。素直に、もちろん俺の恋心は伏せてだけれど、那衣に話した方がいいかもしれない。
「なあ、那衣……」
「ん?」
こて、と首を傾げ、こちらの顔をのぞき込んでくる。アッ、無理だ。可愛すぎて無理だ。……がっかり、させたくないな……。やめる……か。本当に泊まりになりそうだったらそのときに考えよう。
「……」
なんだろう、何か言いたげに那衣がこちらを見ている気がする。残り何口分かに小さくなったクレープを頬張りつつも、じっとこっちを見て目を逸らさない。
「……えっと、なに?」
「……いや。」
「いや。」じゃないよな?! 今の間何!? 絶対「いや。」じゃないよな、あの間は明らかに!! でも、それっきり那衣は何も言わないし……。
手元では食べ終わったクレープの包装紙をいじっているのに、ずっとこっちから視線を外さない。見られていることに対して「なに?!」よりも、普通に危なそうなのでやめてほしい。前を見てくれ、こっちは地味にヒヤヒヤなんだよ〜。
いたたまれず、こちらは目を逸らしながら、那衣に付き合って買ったタピオカ入りのいちごミルクを差し出す。
「……飲む?」
「飲む。」
食い気味の即答〜。ちゅ、と那衣の唇がストローに触れる。ゆっくりと、少しだけ重みが軽くなる。ふとそちらを向いたのが馬鹿だったな。当たり前だけど、俺がさっきまで口に含んでいたストローの先が今、那衣の唇に触れていたんだ。そこで俺はようやく、これが”間接キス”であることに気が付いた。
「あ……」
顔が、首からじわじわ熱くなってくる。
「ん〜! 甘ぁい!」
那衣は満足気にプラスチックのカップを返してきた。けれど俺はそれどころじゃなくて、落としそうになったのを那衣が反射でぎりぎりキャッチしてくれた。
「っぶな、セーフ。」
「ほらちゃんと持てよ」と差し出されるが、俺の手は右が口元に、左が宙ぶらりんになっていて、それを受け取る手が出なかった。
「あ、なに、たい——」
目を、絶対に合わせられない。今絶対やばい顔してる。多分那衣も引いてる。だってこんなに真っ赤で、こんなの絶対、恋しているようにしか見えないから。現に、那衣は黙りこくっちゃってるし。
「っ、あつ……」
いっそ顔を上げてシャツをぱたぱたさせて仰ぐけれど……いや、むしろわざとらしくてだめだったかな。終わらない沈黙に耐えきれず、そろ、と視線を那衣に向け——
……え?
顔を上げると、那衣はシャツの胸のあたりをクシャッと握り、口元と眉を歪ませていた。
「大河って、俺のこと……好きだったりしない?」
……え?
「す、きじゃないです。」
……
「そっか。」
……ええ⁇
な、何がなんだか。今、何が起きたんだ? えっと、好きかと訊かれ、好きじゃないと答え、以上。
……えっ? ええ? えええ?
「え、今の何だったの?」
「ん? 確認。」
そっか、確認か。……いや、なんの?
「え、なんの?」
「え。」
「えっ」
「え。」
「え?」
「え。」
「ええ~?」
あ、ちょ、もうだめ。可笑しくってしかたない。くっと吹き出してしまった。
「ふ、ふふふ。」
む、と眉を寄せる那衣。かわいいなぁ、お前。何に笑ってんのさ、って問い詰めるみたいな目をしている。でもそれ、俺、怖くないよ。ごめんだけれど、俺はお前のことが大好きだ。たまらなく大好きだ。好きじゃないなんて真っ赤な嘘だし、わざわざ訊くまでしてきたんだから、お前はそれをわかっているはずだろう。だけどもそれを問い詰めないってのはさ、そういう距離感なんだ、俺たちは。いいな、それ。俺はさ、お前のこと大好きだけど、それと同時に俺たちは親友だ。それは間違いないし、嘘じゃない。お前も多分、わかっている。だから、こういうもん。
「ふふ、ふ、くく……くくくく。」
「なに、なんでそんなに笑うんだよ。」
「わかんねぇ……」
目尻に涙が滲んだ。何がそんなに面白いんだ。俺にだってわからない。わからないけど、しっとり目尻が濡れるんだ。
「くくく、く……。」
ぐーたらとくつろいで、部屋の主は俺なのに、俺のベッドを占領しているのは那衣だった。枕を胸に抱え込んで、肘をついて、足を交差させて。みんなやるよな、これ。俺もやる。ときどきくすっと笑って、大抵は無表情。みんな同じもんなんだな。
「面白い?」
「そりゃ。面白いから勧めたんだろ。」
「ごもっとも。」
それ以上、話は続かない。し、続けない。漫画を読み漁っている俺たちは大抵しゃべらない。無言、沈黙、無音。そこに、コンコンコン、とノックの音。二人の頭が同時に上がる。
「那衣くんご飯食べてく?」
母さんの声だ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
「はーい。陽子さんに伝えとくんだよー。」
「はーい。」
とんとんとん、と足音が遠ざかっていく。そしてまた、俺たちは顔を下げ、手元に集中する。十分、二十分、すいすい時間は過ぎていく。時折、吐息にも似た那衣の「ふ」という笑い。楽しんでいただけているようで良かった。すると、「ん……。」と眉間にしわが入る。
「喉乾いた?」
「ん。」
「取ってくる。」
「水筒あるからいい。」
「おっけ。」
それはそれとして、トイレに行きたい。あと、俺も喉が渇いた。水汲みに行こ。
「厠に行ってきゃーす」
「あーい、報告いらねー。」
那衣は漫画の間に顔をうずめたまま、くっくと笑う。バカらし。どうせ見えちゃいないけど、手を振って、それから部屋を出た。
用を足してすっきり、これからキッチンまで下りて水を汲んでから部屋へ戻ります、というところで母さんの声。ご飯だ。すぐには那衣が出てこないのでドアをじっと見ていたが、ついに出てくることはなかった。後で呼ぼ、ということで手を洗いに行く。
「夕飯何?」
「豚汁。」
「よっしゃ」
そして手も洗い終わり……。
那衣?
「降りてこねーな。」
「ね。いつもは呼んだら転げ回る勢いで下りてくるのに。」
誇張に聞こえるかもしれないが、本当にそうなんだ。ドアだけ丁寧に開けて、そこからは壁にぶつかりそうなのをすれすれで避けながら、靴下で滑り、階段を駆け下り、息を荒げて下りる。なぜかって、それはすごく単純な話、那衣は食べることが好きだからだ。あれだ、食い意地が張っている、というやつだ。
「俺呼んでくる。」
手すりに手をかけ、階段を一段ずつ上る。
「那衣~?」
返事はない。いつもなら、話の内容は聞いてなくともとりあえず「うん」と答えるのに。妙だな、嫌な予感がする。
「那衣? なぎぃ? 飯食わねーのぉ?」
失礼しゃーす、とドアを開ける。ここ、俺の部屋なんだけどな。
「ありゃ」
寝てる。漫画だけきちんと畳んで置いて、枕に正面から顔を沈めている。息、辛くねーのかな。
「那衣、なーぎー。」
つむじをつんつん刺す。無反応。死んだように眠っている。いや、肩が上下しているから、死んだように、というほどじゃないか。
困ったな。とりあえず灯りはそのまま、足音を殺してそっと下へ引き返す。
「母さん、那衣寝てた。」
「ありゃ、じゃあ陽子さんに連絡する? 泊まらせてく?」
「そのうち起きるだろ。一応、一報は入れとこう。」
「じゃあ先に食べちゃお。」
椅子を引き、向き合って座り、いただきます、と手を合わせた。
起きない、起きない。現在時刻、九時。那衣は依然として起きないまま。すーすーと枕の隙間から寝息を漏らし、ベッドを占領したまま動かない。
「なぎぃ~、なぎなぎぃ~。」
だめだ、起きる気配すらねえ。さっきからずっと、かなり強めに頬をつねっているはずなのに。ふと、ため息が漏れる。泊りとか、勘弁してくれよ。こちとら高校生男子だぞ。思春期真っただ中の男に、自分のベッドで寝てる好きな子を出してみろよ、頭狂うぞ。
はあ、と大きくため息をつき、耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「起きろよ、俺を試してんのか?」
な、わけもないけれど。
「母さーん、風呂できてるー?」
「できてるー!」
「俺はいるー!」
「はーい!」
立ち上がる前に、那衣の頭を一度だけくしゃり。それから首元に顔をうずめ、じゃ、と部屋を出た。相手が寝ているから、好き放題だ。このくらいならいいだろう。
「母さん、那衣泊りになりそ? おばさんはなんて?」
「『よろしくお願いします』って。まあお互い様だよね、大河も何度か寝落ちてお世話になってたし。」
「まーな。こっちに那衣の制服一式あるんだよなぁ。」
母さんは肩をすくめ、ふっと笑う。「困ったもんだよ」と言う声が嬉しそうだった。何に嬉しそうにしているんだろう。俺と那衣が仲がすごく良い、親友であること? だとしたら、俺が那衣を友達として見れていないことをそったら母さんはどう思うだろう。興味、に近い。ただの興味に。
「母さん、俺、那衣のことが好きなんだ。」
気付けば口走っていた。一拍置いてからはっとし、自分の口をおさえる。
「ごめん、嘘っ、なんでもない!」
慌てふためく俺の一方、母さんはすごく落ち着いている。それを目の前にしていると、なぜだかそれに引っ張られてだんだん落ち着いてきてしまう。いや、焦らせてくれよ。まあまあ、と手で制して座るよう促してくる。あまりに当然という風だったので、条件反射的に従ってしまう。
「驚かないよ、そんな気はしてたし。」
え。え、え?
「え?」
困惑の極み、の一方で母さんはのほほんとテーブルに肘をついていた。
「母親を舐めるんじゃないよ。」
すげえ、説得力が違う。
「いいと思うよ、私は。とりあえず風呂入ってきな、時間も時間だし。」
あっさり流された。今の多分、カミングアウト的なもんだよな? こんな当たり前のことみたいに……。俺の言葉が口をついて出たものだと見抜いていたのかな。なんにせよ、おそろしや。


