マンションの部屋を飛び出して、エレベーターに乗り込む。
岐阜県に帰ってまた、あの住宅兼店舗の便利屋で仕事をする運命だったのだ。ここにいて、十分、夢を見させてもらった。
1階に着くと、エントランスを出て、記者数人に取り囲まれる。あたりはすっかり薄暗くなっていた。
「奥さん、東松さんと一緒に出かけないのですか?」
「東松さんとの暮らしはいかがですか?」
「もう入籍は住んでいるんですよね?」
矢継ぎ早に質問で追い詰められる。
普段なら素通りするが、今夜は勇気を持って、立ち止まった。
「もう……、もう」
言葉がなかなか出てこない。
「もう、やめてください! 私は東松ひろしさんの妻でも恋人でもない!」
ついに本当のことが言えた。
記者たちがザワつき、急いでカメラや録音機を回す。
「妻でも恋人でもないって、どういうことですか? 奥さんでしょ?」
「違います!」
「じゃあ、あなたはどういう関係の人ですか?」
「期間限定で形式上結婚した、ただの便利屋です」
それを聞いて、「えぇ!」というどよめきが起こる。フラッシュライトあまりにも眩しくて、私の視界を奪った。
「うわべだけの結婚をしていたのですか? そんなの世間が許しませんよ!」
記者が私を追い詰める。おそらく世間はこれから私に容赦のないバッシングを浴びせるだろう。でも、それでもいい。
「とにかくその契約も終わりです。だから、私は今日から、ただの便利屋に戻ります」
連続で発せられるフラッシュライトが眩しい。
何も見えない。
よろめきそうになったその時、背後で誰かが、私の肩を掴んだ。
振り向いても、眩しくて見えない。誰だろう?
「ふざけんなよ!」
その声、……ヒロくん?
「ゆず香は、オレの妻だ! 噓じゃねえ。亡くなったオレの母さんが婚姻届の保証人になってる」
「ヒロくん? いいの、そんなこと言って?」
「当たり前だろ」
二人が揃ってフラッシュライトを浴びていると、結婚発表の記者会見をしているみたいだ。
「今まで、接点のないはずの二人の出会いやなれそめがずっとベールに包まれていて、世間では憶測を呼んでいましたけど、どこで知り合ったんですか?」
記者の質問を受けて、ヒロくんはチラッと私を見た。
「ゆず香が経営していた、岐阜県の便利屋で初めて会った。最初は親を安心させたいから、仕事として結婚したフリをしてもらおうと思っていた」
ヒロくんは全部、正直に話してしまうつもりのようだ。
「その結婚のフリが、今も続いていると?」
「いや、ゆず香は結婚のフリをするのではなくて、オレやオレの母親に、本物の妻以上に妻らしく振る舞ってくれた。これからは、結婚のフリではなくて、本当の結婚相手として、これからもずっと側にいてほしいと思っている」
本当? 嬉しくて涙があふれる。
「亡くなったお母さんは、この結婚を偽りだと知らずにこの世を去ったのですか?」
「いや、知らないうちにバレてしまっていた。それで母親は生前、ゆず香がずっとここにいてくれるように願って、あんたたちマスコミに情報をリークしたんだよ」
「私たちマスコミにリークすることで、ゆず香さんはひろしさんの側から離れないようになるんですか? むしろ逆で、一緒にいづらくなるんじゃないですか?」
「それは違うな。最初からまっとうに出会って付き合っていたなら、メディアに報道されると一緒にいづらくなるだろうが、オレたちのように偽りから始まった関係だと、報道されたら既成事実となって離れづらくなる。実際に報道があってから、オレはゆず香と愛がはぐくめたというか……」
はぐくめた? そんなことを言われると照れる。ただ、明日のネットニュースが心配になるが。
「ゆず香さんは、偽りから始まった関係はつらくなかったんですか?」
「つらかったですよ。でも、幸せな瞬間もいっぱいありました」
すると、ヒロくんは私の前に立ちはだかった。
「もう、いいネタ書ける分のことをオレたちはしゃべったからいいだろ? ここからはオレたちの時間だ」
ヒロくんは記者に問いかける。そして、私を見た。
「ゆず香。オレ、ずっと言えてなかったから、今、ここで言う」
「何?」
「これからも幸せにできるように努力します。だから、……結婚してください」
これって、プロポーズ!?
出会った時にも言われたけど、あれは仕事の依頼としての形式的なものだった。でも、これは本物のプロポーズだ。
ヒロくんが頭を下げる。こんな謙虚な姿を見るのは初めてだ。
そういえば、私って妻なのに、本物のプロポーズをしてもらってなかった。いや、それどころか、指輪ももらってない。
本当は、今までの仕返しに「どうしようかな」と困らせてやりたいところだが、……そんな駆け引きをするなんて、私には無理。
「はい、よろしくお願いします」
「え? 本当?」
「何で、ここで私が断るのよ。そんな訳ないじゃん」
「だって、オレが無理矢理連れてきたから、本当はオレのことが嫌でずっと我慢してたんじゃないかって思ってた」
「だから、さっき煮え切らない態度だったの? スターのくせに?」
「スターとか、関係ないだろ。オレはお前のことを心配してさ」
「あ、自分のものになった途端、『お前』って言った」
「ダメか?」
「ダメだよ。『お前』なんて、嫌」
「分かったよ」
「それと、……」
「まだ何かあるのか?」
「当たり前だよ。エンゲージリングがほしい」
するとようやくヒロくんは笑ってうなづいた。
「じゃあ、部屋に帰るぞ」
「うん、って、え? えぇ!!」
ヒロくんが、私をお姫様抱っこした。
噓でしょ。記者たちが見ている前で?
「初めて出会った日、本当はこうやってほしかったんだろ? そう言ったじゃないか」
「言ったけど、恥ずかしい」
「何だよ、それ。あ、ゆず香、軽くなったな。出会った日はもっと重かったぞ」
「サイテー!」
そして、私を抱えたまま、ヒロくんはマンションの中へ戻っていく。
便利屋をやっていて、よかった。
ヒロくんやお義母さんと出会えてよかった。
そして、何より、この世に生まれてきてよかった。
(私、幸せだよ)
この本音だけは、ヒロくんに言わないようにしようと決めた。だって、また調子に乗るかもしれないから。
立ち去る私たちに向けて、記者のカメラのフラッシュライトは、いつまでも止むことはなかった。(了)
岐阜県に帰ってまた、あの住宅兼店舗の便利屋で仕事をする運命だったのだ。ここにいて、十分、夢を見させてもらった。
1階に着くと、エントランスを出て、記者数人に取り囲まれる。あたりはすっかり薄暗くなっていた。
「奥さん、東松さんと一緒に出かけないのですか?」
「東松さんとの暮らしはいかがですか?」
「もう入籍は住んでいるんですよね?」
矢継ぎ早に質問で追い詰められる。
普段なら素通りするが、今夜は勇気を持って、立ち止まった。
「もう……、もう」
言葉がなかなか出てこない。
「もう、やめてください! 私は東松ひろしさんの妻でも恋人でもない!」
ついに本当のことが言えた。
記者たちがザワつき、急いでカメラや録音機を回す。
「妻でも恋人でもないって、どういうことですか? 奥さんでしょ?」
「違います!」
「じゃあ、あなたはどういう関係の人ですか?」
「期間限定で形式上結婚した、ただの便利屋です」
それを聞いて、「えぇ!」というどよめきが起こる。フラッシュライトあまりにも眩しくて、私の視界を奪った。
「うわべだけの結婚をしていたのですか? そんなの世間が許しませんよ!」
記者が私を追い詰める。おそらく世間はこれから私に容赦のないバッシングを浴びせるだろう。でも、それでもいい。
「とにかくその契約も終わりです。だから、私は今日から、ただの便利屋に戻ります」
連続で発せられるフラッシュライトが眩しい。
何も見えない。
よろめきそうになったその時、背後で誰かが、私の肩を掴んだ。
振り向いても、眩しくて見えない。誰だろう?
「ふざけんなよ!」
その声、……ヒロくん?
「ゆず香は、オレの妻だ! 噓じゃねえ。亡くなったオレの母さんが婚姻届の保証人になってる」
「ヒロくん? いいの、そんなこと言って?」
「当たり前だろ」
二人が揃ってフラッシュライトを浴びていると、結婚発表の記者会見をしているみたいだ。
「今まで、接点のないはずの二人の出会いやなれそめがずっとベールに包まれていて、世間では憶測を呼んでいましたけど、どこで知り合ったんですか?」
記者の質問を受けて、ヒロくんはチラッと私を見た。
「ゆず香が経営していた、岐阜県の便利屋で初めて会った。最初は親を安心させたいから、仕事として結婚したフリをしてもらおうと思っていた」
ヒロくんは全部、正直に話してしまうつもりのようだ。
「その結婚のフリが、今も続いていると?」
「いや、ゆず香は結婚のフリをするのではなくて、オレやオレの母親に、本物の妻以上に妻らしく振る舞ってくれた。これからは、結婚のフリではなくて、本当の結婚相手として、これからもずっと側にいてほしいと思っている」
本当? 嬉しくて涙があふれる。
「亡くなったお母さんは、この結婚を偽りだと知らずにこの世を去ったのですか?」
「いや、知らないうちにバレてしまっていた。それで母親は生前、ゆず香がずっとここにいてくれるように願って、あんたたちマスコミに情報をリークしたんだよ」
「私たちマスコミにリークすることで、ゆず香さんはひろしさんの側から離れないようになるんですか? むしろ逆で、一緒にいづらくなるんじゃないですか?」
「それは違うな。最初からまっとうに出会って付き合っていたなら、メディアに報道されると一緒にいづらくなるだろうが、オレたちのように偽りから始まった関係だと、報道されたら既成事実となって離れづらくなる。実際に報道があってから、オレはゆず香と愛がはぐくめたというか……」
はぐくめた? そんなことを言われると照れる。ただ、明日のネットニュースが心配になるが。
「ゆず香さんは、偽りから始まった関係はつらくなかったんですか?」
「つらかったですよ。でも、幸せな瞬間もいっぱいありました」
すると、ヒロくんは私の前に立ちはだかった。
「もう、いいネタ書ける分のことをオレたちはしゃべったからいいだろ? ここからはオレたちの時間だ」
ヒロくんは記者に問いかける。そして、私を見た。
「ゆず香。オレ、ずっと言えてなかったから、今、ここで言う」
「何?」
「これからも幸せにできるように努力します。だから、……結婚してください」
これって、プロポーズ!?
出会った時にも言われたけど、あれは仕事の依頼としての形式的なものだった。でも、これは本物のプロポーズだ。
ヒロくんが頭を下げる。こんな謙虚な姿を見るのは初めてだ。
そういえば、私って妻なのに、本物のプロポーズをしてもらってなかった。いや、それどころか、指輪ももらってない。
本当は、今までの仕返しに「どうしようかな」と困らせてやりたいところだが、……そんな駆け引きをするなんて、私には無理。
「はい、よろしくお願いします」
「え? 本当?」
「何で、ここで私が断るのよ。そんな訳ないじゃん」
「だって、オレが無理矢理連れてきたから、本当はオレのことが嫌でずっと我慢してたんじゃないかって思ってた」
「だから、さっき煮え切らない態度だったの? スターのくせに?」
「スターとか、関係ないだろ。オレはお前のことを心配してさ」
「あ、自分のものになった途端、『お前』って言った」
「ダメか?」
「ダメだよ。『お前』なんて、嫌」
「分かったよ」
「それと、……」
「まだ何かあるのか?」
「当たり前だよ。エンゲージリングがほしい」
するとようやくヒロくんは笑ってうなづいた。
「じゃあ、部屋に帰るぞ」
「うん、って、え? えぇ!!」
ヒロくんが、私をお姫様抱っこした。
噓でしょ。記者たちが見ている前で?
「初めて出会った日、本当はこうやってほしかったんだろ? そう言ったじゃないか」
「言ったけど、恥ずかしい」
「何だよ、それ。あ、ゆず香、軽くなったな。出会った日はもっと重かったぞ」
「サイテー!」
そして、私を抱えたまま、ヒロくんはマンションの中へ戻っていく。
便利屋をやっていて、よかった。
ヒロくんやお義母さんと出会えてよかった。
そして、何より、この世に生まれてきてよかった。
(私、幸せだよ)
この本音だけは、ヒロくんに言わないようにしようと決めた。だって、また調子に乗るかもしれないから。
立ち去る私たちに向けて、記者のカメラのフラッシュライトは、いつまでも止むことはなかった。(了)



