その結婚、ロックンロールに抱きしめて

 それは、突然だった。
 病院で主治医の話を聞いてから、1週間後の早朝、看護師からケータイに電話が入った。
「おそらく、今日が山かと思います。付き添いをお願いします」
 この日、仕事がなかったヒロくんと一緒にマンションを出て、病院に向う。マンションの外には今日も記者が何人かいたが、無視して車に乗り込んだ。
「いよいよだな」
「うん」
 もう、私たちが悲しむことはなかった。それよりも、最期をできるだけ冷静に、しっかりと看取りたい。
 病院着いて、呼吸を整えてからお義母さんのいる病室に入る。そこには看護師が1人いて、お義母さんは色んな機器につながれていた。
「母さん!」
 ヒロくんの呼びかけにお義母さんは「はい」と小さく返事する。
 まだ意識はあるようだ。
「東松さんは、先ほど意識が戻りましたが、いつまで続くかは分かりません。今のうちに話しかけてください」
 看護師さんはお義母さんの点滴を確認しながら、教えてくれた。
「今よりももっとオレが売れて、母さんに贅沢させてあげたかったのに、ごめんな」
「もう、十分よ。……ひろしはよく頑張った。……私の自慢の息子だよ」
 お義母さんは小声だけど、しっかりと答えてくれる。
「ゆずちゃんも、ありがとう」
「そんな、……私は何も役に立てなくてごめんなさい」
「そんなことないわ。実の娘だと思っていたのよ。あなたはかわいくて、いい子よ」
 思わず、涙があふれる。ヒロくんも泣いていた。
「ひろし、ゆずちゃん。最後に謝らなければならないことがあるの」
「謝る? 何か謝ることなんてあるのか?」
 ヒロくんは不思議そうに聞き返す。
「実はね、……ひろしがゆずちゃんと同居しているって週刊誌に教えたのは、……私よ」
 え?
 どういうこと?
 元マネージャーの春奈さんの裏切じゃなかったってこと?
「何を言ってんだよ。母さんがそんなことするはずないじゃないか」
「いいえ、記者に教えたのは私です。だから、病院まで記者さんは来たでしょ? ゆずちゃんも、ごめんね」
「お義母さんがひろしさんの不利になることするなんて、……どうしてですか?」
「私はね、ゆずちゃんがひろしの本当の嫁になってほしかったの。仕事上の結婚なんて嫌だったのよ」
 やっと、お義母さんの気持ちが分かった。
 スクープ記事が世に出ることで、私とヒロくんが結婚していることを世に知らせて、別れられないようにしたかったんだ。
「期間限定でゆず香と契約結婚したことを、何で母さんは知っているんだ?」
「元マネージャーの春奈さんが教えてくれたの。あの子はひろしが好きだったけど、フったじゃない? それで、悔しいけど恋敵だったゆずちゃんと結ばれてほしいから、あの子は私にすべてを教えてくれたのよ」
 春奈さんが?
 あんなに私を憎んでいたのに、援護しようとしたの?
 お義母さんの命が尽きようとしているこんなタイミングで、思いがけない真実を突きつけられ、私は呆然とする。
「ゆずちゃん、あなたも本当のことが言えずに、つらかったでしょう?」
「いえ、そんな」
「ごめん、母さん。オレは、母さんを安心させたくて、それで……」
「ゆずちゃんはすごくいい子よ。ひろしもそう思っているんでしょう?」
「うん」
 これ、……本音かな?
「こんないい子を手放したら、もう二度と手に入らないわ。それに、ひろしがまた一人きりになったら私も死に切れないじゃないの」
「お義母さん、ありがとう。そう言っていただけただけで、私は幸せです」
「言いたいことを言えて、ホッとしたわ。少し休ませてね」
 そう言って、お義母さんは目をつむった。今の告白で、体力を使い果たしたのだろうか。
 まさか、週刊誌にリークしたのが、お義母さんだったとは。
 私とヒロくんは無言のまま、ベッドの脇に座っていた。
 ヒロくんはどんな気持ちなのだろう? 私と本当に結婚することは、……ありえないか。キスはしたけど、きっと私は遊び程度の相手だろう。
 一言も発せず、どのくらい時間が過ぎただろうか。機器が警報音を発し、私は慌ててナースコールのボタンを押す。
 すると医者と看護師が部屋に入ってきた。
「母さん! 母さん!」
 ヒロくんの呼びかけも、もう届かない。私はお義母さんの弱々しい手をずっと握りしめていた。
「御臨終です。お疲れ様でした」
 医者の無機質な言葉が部屋に響き、看護師とともに一礼をする。
「この後の手続きについては改めて職員から説明があります。一旦、私たちは失礼します」
 そう言って、医者と看護師は部屋から出ていった。
 ヒロくんは泣き崩れる。でも、私はもう、泣かなかった。泣いて悲しむより、この瞬間から前を向いて生きていく方が、お義母さんが喜ぶような気がしたから。

 その日からは葬式が終わるまで、記憶が飛びそうなほど忙しかった。
 形式上ではあったが入籍しているから、私はヒロくんに代わって死亡届や火葬許可証の手続きができた。ヒロくんは珍しく連休を取って、葬儀屋の対応をする。お義母さんはヒロくん以外に親族がいなかったので、私とヒロくんだけの家族葬となった。
 お通夜の翌日、本葬、火葬、初七日を終えて葬儀場を出ると、もう二人ともぐったりして、気力もない。
 マンションに戻るとエントランス前に相変わらず記者がいて、録音用のマイクを向けてくるが、私たちは無言のまま立ち去って中に入る。
 部屋のリビングに座り込む私に、ヒロくんは冷えた缶ビールを持ってきた。
 昔なら、ビールを飲む時は、一緒にお菓子や惣菜を食べたものだが、結婚してからは体型を気にするヒロくんの影響を受けて、私もビールだけをひたすら飲む。
 疲れた身体に、冷えたビールが染みわたる。
 結婚してから、私もヒロくんのようにスタイルを気にするようになり、痩せた。ヒロくんにかわいい、と思ってもらいたくて、オシャレにも気を使うようになった。以前なら興味のなかった音楽やギターについても、少しずつ理解し始めている。
 わずか数カ月で、私は変わった。
 少しでもヒロくんに近づきたくて、自分を変えていった。今、思えば、それが私の喜びでもあった。
 自分がふと、冷静になるのが怖い。
 この生活にのぼせ上ってしまって見失っているが、立ち止まってよくよく考えたら、もう私の役割は終わったのではないか?
 契約はあと1カ月あるが、ここに私がいる意味は、お義母さんが天国へ旅立ってしまった時点でない。
「どうしよう、私?」
 少し酔っ払いながら、聞きたくない言葉をヒロくんに投げかける。
「どうって、何が?」
「もう、お義母さんがこの世にいないから、……私って、どうすればいいのかな?」
「……ゆず香の好きにすればいいよ」
 ヒロくんは私の心を切り刻むような残酷なことを言う。
「私が決めるの?」
「……そうだよ。だってオレが無理矢理連れ出したんだから、引き留める権利なんてない」
「それって、ヒロくんにとって私はどうでもいい存在ってこと?」
「……知らない人はオレをスターだって、もてはやすけど、一緒にいて分かったろ。実際のオレはただのマザコンで、ちゃんとした恋愛をしたことのない、つまらない男だ」
「私は、ヒロくんをそんな風に思ったことなんか、一度もない! ヒロくんは私が思っていた以上にスターでいい男だよ」
「ゆず香……」
「週刊誌に掲載されてから、プライベートまで赤裸々にされて、自由がなくなったけど、それでもこの毎日って刺激的で、岐阜県で便利屋をしていたら味わえないものばかりだったもん」
「でも、こんな記者に追われる毎日、苦痛だろ? そもそも、あんな形式上の契約結婚をしたオレが悪い」
「結婚を否定しないでよ、バカ!」
 私は、泣きながら部屋を飛び出していた。