その結婚、ロックンロールに抱きしめて

 苦しい毎日が続く。
 ヒロくんからもらったサングラスをかけ、キャップを深くかぶって、マンションから出る。エントランスの外には今日も記者が数人張り付いていて、私の姿を見かけると取り囲んでくる。現場には週刊東西のほかに、他のメディアもいた。他のメディアは週刊東西のスクープを受けて、別の角度から私たちのネタを拾おうと後追い取材をしている。
「ゆず香さんですよね? 出身は岐阜県って本当ですか?」
「岐阜県で便利屋をしていたそうですね? とうして東松さんと知り合えたんですか?」
「交際0日婚だという噂がありますが、本当ですか?」
 知られたくないことを、この人たちは大声で聞いてくる。
「先を急ぎますので、すいません」
 私は記者を振り払い、マンション前に呼び付けていたタクシーに走って乗り込んだ。
 お義母さんのことだけで精一杯なのに、こんな好奇の目に晒されるのは辛い。記者に追いかけられるのが嫌で、最近はお義母さんのいる病院へ行くのすら、タクシーで移動するようにしている。
 ケータイでニュースを見ると、「東松ひろし、母危篤の裏で入籍」「東松をおとした! 便利屋女子のあざと婚」などの見出しが並んでいた。
 web 上ではすでに私個人が特定され、出身地や出身の高校・大学、便利屋でやってきた仕事内容などが公開されている。また、私のSNSは悪口ばかりのコメントで埋め尽くされていた。この一方的なメディアや個人からの攻撃に、私は何一つ抵抗する術がない。
 唯一の救いは、期間限定の契約による結婚だと気付かれていないことだ。私が便利屋として結婚していることを知ったら、お義母さんが悲しんでしまう。
 タクシーが病院に着く。ここには記者が取材に来ないようになったから安心だ。先日、病院敷地内で私たちを記者が無断撮影したことを受けて、病院が警察に通報してくれたからだ。
 タクシーを下りて、病院のロビーに行くと、先にヒロくんが待っていた。
「よし、行こうか」
 私たちは、主治医が待つ部屋へ向う。今日は主治医から家族に話したいことがあるらしい。
 週刊誌に交際報道されてから、私たちは、堂々と二人で行動するようになった。今更、隠れる必要もないからだ。
 私たちはエレベーターに乗り込み、指定された5階の部屋へ移動する。
「報道後のヒロくんの仕事は、順調?」
「ああ。別に不倫をしてる訳じゃないからな。CMやイベントのスポンサーはどこも降板しないでいてくれた。音楽活動そのものも、何も変わっていない」
「よかった」
「ただ、ファンクラブの会員が5パーセントくらいで、動画投稿サイトの登録者数は10パーセントくらい減ったかな」
「大変じゃない」
「そんなもん、大したことないよ。それより、今回の一件で、恋愛リアリティショーの番組から主題歌の依頼がきたり、過去にリリースしたラブソンクがメディアでたくさん使用されたりと、プラスもあるんだぜ」
 それは、意外だ。
「私は、こうやって隠れることなく二人で行動できるようになって、嬉しい」
「そうか。面倒なことに巻き込んで、ごめんな」
「できれば、……謝らないでほしいよ。期間限定でも、今は夫婦だもん。夫婦なら、当然のことをしてるだけだから……」
「うん」
 エレベーターが5階に着き、扉が開くと、指定された部屋はすぐ近くにあった。
 主治医が待つ部屋のドアの前で、ヒロくんと目を合わせる。
「ヒロくんは、何か、怖いよ」
「大丈夫。もう、オレと覚悟はできてる。入ろう」
 ドアをノックしてから開け、部屋に入ると、主治医の小林先生が待っていた。小林先生は温和で人当たりが優しい。
「こちらにどうぞ」
 小林先生に促され、指定されたイスに座ると、パソコンのモニターに、お義母さんの内臓を映した画像を並べる。
「率直に申し上げますと、思っていた以上に進行が早く、至る所に転移しています」
 予想していたこととはいえ、改めて先生から言われるとやはり動揺する。
「もう、残された時間はないですか?」
 ヒロくんは、いつになく悲しい表情を浮かべている。
「はい。もう、いつその日がやってきてもおかしくないです。今は小康状態ですが、近々で急変すると思います。その時は、連絡を入れますのでご了承ください」
 先生からの話は、ほんの数分で終わった。
 ヒロくんと私は抜け殻のようになって、部屋を出る。そして、お義母さんに面会に行った。
「あれあれ、今日は二人揃って来てくれたのね。嬉しいわ」
 もう身体はボロボロのはずなのに、お義母さんは私たちが病室に入ると、笑って話す。
「母さん、無理するなよ」
「どうしたの、ひろし? ゆずちゃんも、そんな暗い顔をして。先生から話は聞いてくれたのよね? 本人が運命を受け入れているんだから、あなたたちは落ち込まなくていいのよ」
「はい……」と返事したものの、悲しい。ホントは、明るく振る舞わなきゃいけないのに、私はいつもダメダメだ。
「私はね、ゆずちゃんがいるから、こんな身体だけど心が穏やかにいられるのよ。ひろしは人生の最後に、いいシナリオをつくってくれたわ」
「そうか……」
 お義母さんは体力がないから、あまり話し込んでもいられない。
「ヒロくん。お義母さんの具合が悪くなるといけないから、そろそろ行こうか」
「そうだな。母さん、また来るからな」
 お義母さんは、声を出さず手を振っている。また、笑った。
 便利屋として妻を演じている私は、こんな優しいお義母さんを最後の最後まで裏切っているようで、やり切れない。
 本当のことを話して謝りたいけれど、それではお義母さんは傷付いたまま天国に行くことになる。
 黙るしかない。
 もう、仕方がないのだ。
「一緒に帰ろうか?」
「いいの? 仕事は?」
「今日はもう、仕事は終わったよ」
「じゃあ、帰ろう」
 病院の駐車場に置いてあるヒロくんの車の助手席に乗る。週刊誌に報道されるまでは、後部座席で身体をかがめるようにしか乗れなかったから、とても新鮮だ。
 ヒロくんは車のエンジンをかけるが、どういう訳かすぐに切った。
「どうした……の」
 ヒロくんは運転席から身を乗り出して、私を強く抱きしめる。
 ええ? どういうこと?
 こんなにギュッと男の人にされるのが初めてで、どうしていいのか分からない。
 ヒロくんの手は震えていた。
「すまない。すまない……」
「謝らないでって、いつも言ってるじゃん」
「これでよかったのかな?」
「お義母さんが喜んでいるなら、それでいいんだよ」
 男の香りが私を覆う。私もヒロくんの肩に顔をうずめた。ヒロくんの鼓動が伝わってくる。
「私も怖いよ。お義母さんがいなくなるなんて、耐えられない」
 お義母さんが病院で苦しんでいるというのに、こんなことをしているのは不謹慎な気もする。でも、お互い何かにもたれないと、心が持たない。お義母さんが一番大事と思いながらも、私はヒロくんとつながりを求めていた。そんな私を神様は怒るだろうか?
 複雑な感情で頭がいっぱいになり、ショートしそうだ。
 私はヒロくんの背中に手を回す。少しずつヒロくんの体重が私にかかってきた。
「ゆず香……」
 こんな近くにヒロくんがいる。そして、目が合った。
 私は、目を閉じる。
 もう。どうなってもいい。
 ゆっくりと、温かな感触が私の唇と心を奪う。
 このまま時間が止まってほしいと、心から願った。