その結婚、ロックンロールに抱きしめて

 次の日、朝起きたら、もうヒロくんはいなかった。
 改めてお義母さんと二人きりになると、うまくやっていけるのか不安になる。あれだけのお金をもらう仕事だから、そりゃ楽をさせてもらえるはずはないか。
 冷蔵庫を開くと、それなりに食材が入っている。棚には急須と緑茶、ほうじ茶が置いてあった。私は岐阜の自宅にマイ急須を持っていて、毎日淹れて飲むほど日本茶が大好きだ。
 とりあえず、朝ごはんを作って食べよう。あ、でも、お義母さんって朝ごはん食べるかな? そもそも病気だから食べられないかもしれないし……、うーん。
 困っていても仕方がないから、お義母さんの部屋をノックする。
「はーい、どうぞ、入って」とお義母さんは優しく返事をした。
 部屋に入ると、お義母さんはベッドで寝ころびながら本を読んでいる。
「あのー、朝ご飯を作って食べようかな、って思っているんですけど、一緒に食べますか?」
「どうしようかしらね。最近は、食欲がなくて朝に食べないことが多いけど、せっかくだからいただこうかしら。ゆずちゃん、作ってくれるの」
「はい!」
 私はお義母さんに「ゆずちゃん」と呼んでもらえるのが、認められたようで嬉しくなる。
「たくさんは食べられないから、少しでいいからね」
「お味噌汁と卵焼きを作って、漬物を出そうと思っていますが、食べられないものってありますか?」
「和食! ゆずちゃんは若いのに朝ご飯はパンじゃなのね。ステキ。大丈夫、全部、食べられるわ」
「よかったです。じゃあ、待っていてください」
 私は料理が得意という訳ではないが、それでも毎日、自炊している。……というか、貧しいから何でも自炊しないとやっていけなかっただけだが。
 白米を研いで、炊飯器にセットする。本当はお米を水に浸して30分くらい吸水させたいが、まあ、この高そうな炊飯器ならうまくできるだろう。
 あ、棚にいりこベースの粉末出汁がある! いつもならスーパーで見かけても、高くて買うのを我慢していたやつだ。これで味噌汁とつくるとおいしくなる。具は、豆腐とブナシメジ。
 キッチンには玉子焼き機も置いてあった。ここはホント、何でもある。卵はいりこの出汁を活かして、出汁巻きにしてみた。
「できましたよー」と伝えると、お義母さんが部屋からリビングに出てくる。
 具材はいいものを使っているが、料理の内容は、私が毎朝作っている地味なものだ。果たしてお義母さんは喜んでくれるかな?
「すごいじゃない!」
「お口に合えばいいですが、……どうぞ」
 私は、湯呑みに急須からお茶を注ぎながら、お義母さんがどう思うか心配で仕方がない。
「おいしい!」
 お義母さんが食べてすぐに発したその一言で、私は心が救われた。よかった。味噌汁も出汁巻き玉子も、喜んで食べてくれている。
 ホッとして、私も食べ始めた。
「ゆずちゃん、ちゃんと毎日、料理をしているのね。食べたらすぐに分かるわ。しかも、うす味で食べやすい! ひろしはいい方と結婚したものね」
「お身体が辛かったり、助けが必要でしたら、いつでも言ってくださいね」
「ありがとう。ひろしから聞いてると思うけど、私は進行がんで、あと余命が少ししかないの。今のところは普通に生活ができているけど、思いがけないことが起こったら、助けてね」
「はい」
 お義母さんは壁掛け時計を見てから、慌ててリビングの大きなテレビを点ける。朝の情報番組が流れると、優しい顔になった。
「それでは、ここでスペシャルゲストにご登場いただきましょう。東松ひろしさんです!」
 テレビ番組の女性司会者が紹介すると、ヒロくんは颯爽とテレビの画面に現れた。それを見てお義母さんは拍手をしている。ライブ放送みたいだ。ということは、ヒロくんが夕べ言っていた朝早い仕事って、これだったんだ。
 やっぱり、カッコいい。
 ヒロくんは、今週公開になる映画「僕にも言い訳がある」の告知をしていた。そうか、ヒロくんは主演ではないけれど、この作品に出ている。しかも、主題歌も担当していたはず。
 ヒロくんは、司会の質問に合わせて、淡々と映画の見どころを答える。
「舞台裏の話も伺いたいのですが、撮影中は東松さんの恋人役だった森川リカさんと、現場では非常に和気あいあいとしていたそうですね。森川さんって、カメラが回っていないところでは、どんな人なんですか?」
 司会者は、この映画の主役である森川リカのことが気になるようだ。森川は、元アイドルグループに所属していたが、去年卒業し、今は女優として注目されている。
「クールな印象があるかもしれませんが、実際はおっちょこちょいで、かわいいですよ」
 あ、森川のことをかわいいって言った。私にはそんなこと言ってくれたことないのに……。そりゃ、美人でスタイルがよくて、何をしても絵になる芸能人の森川に私がかなうはずがないのは分かっているけど、それでも何だかムカつく。
「今回の作品は、森川さんとキスシーンがありますよね?」
「はい」
 すると、トークに合わせて映画のキスシーンを画面に流した。その場面は海辺の公園で、ヒロくんは森川を抱きしめた後、唇を長々と重ね合わせる。
 大画面でヒロくんのキスシーンを見るのがつらいし、ムカつく。
 ヒロくんは、私だけのものじゃないし、この結婚が偽りのものだとは分かっている。
 ……分かっているけど、悔しい。
「ごめんなさいね、まさかキスシーンがあるとは知らなかったものだから」とお義母さんは申し訳なさそうに謝る。
「いえ、……ヒロくんの大切な仕事ですから」
「ゆずちゃん、我慢しなくてもいいのよ。腹が立ったらひろしに言えばいいの。……だってね、私もひろしがあんな訳のわからない女優とキスするのはムカつくもの」
 お義母さんも、やっぱり腹が立つんだ。実の息子がキスするのは、そりゃ、見たくないか。
「ホントは、私もヒロくんが他の女の人とキスするのは嫌だし、許せません」
「そう! それでいいの。ひろしが帰ってきたら痛い目に遭わせなきゃいけないわね」
「はい!」
 私はお義母さんと顔を見合わせ、大声で笑う。この時、私はお義母さんと心でつながったような気がした。 
「それでは、東松ひろしさんに映画の主題歌を生演奏で歌っていただきましょう」
 司会の女性は、ヒロくんに演奏するようにふる。
 するとヒロくんは、アコースティック・ギターを弾いて、切ないバラード曲を唄った。
 ステキ。
 作詞も、作曲も、演奏もいいし、歌唱力も抜群だ。この世にこんないい男はいない。
「ひろしはね、本当は人前に出るのが好きじゃないのよ」
 お義母さんは意外なことを言う。
「そうなんですか?」
「演奏と作詞・作曲は昔から大好きだけど、高校の時はバンドを組んでもボーカルはやらなかったの」
「今じゃ考えられないですね」
「案外今も、注目されるのが好きじゃないみたいで、しばらくしたら楽曲提供だけの仕事をしたいって事務所の人に言ってるそうよ」
「だったら、今からでも、楽曲提供だけの仕事に専念すればいいのに」
「それは、関わる人たちを食べさせないといけないから我慢してるのね」
「食べさせる?」
「ひろしの事務所は規模が小さくて、演者が若手ばかりだから、ひろしが稼ぐしかないみたい」
「そんな事情があったんですか?」
「ひもじい思いを周りにさせたくないんだろうね。私はひろしが生まれてすぐに離婚して、シングルで育ててきたけど、貧しかったの。ひろしは昔から貧しい環境に文句など一言も言ったことはないけど、本音としては、貧しいのはもう、ゴリゴリなんだと思うわ」
「期待に応えて、ヒロくんはすごいですね」
「そうね。それに、私はひろしが唄うのは好きだから、楽曲提供だけなんて淋しいことを言わず、唄い続けてほしいかな。この世を去っても、空の上からずっと見守っているわ」
 私は、何と答えていいか、分からなかった。お義母さんは60歳前後だと思うから、病気で亡くなるには余りにも若い。私には想像もできないほど、つらい気持ちでいっぱいだろう。私が同じ境遇なら、毎日泣き叫んでいるかもしれない。でも、お義母さんは決して取り乱さない。
 強い人だと思う。
 強くて、愛情深くて、優しい人。
 私は、お義母さんのような女性になりたいと思った。