その結婚、ロックンロールに抱きしめて

 今月の売上記録を眺めてため息をついていたら、店の前の駐車場に豪快なエンジン音を響かせた外車が入ってきた。
 え? この車って、フェラーリ? 本物?
 駐車した車の左側のドアが開く。サングラスをかけた背の高い男性が車から降りると、私の店にやってきた。
 その男性は深いネイビーのテーパードスラックスを腰骨の位置でゆるく穿いていて、上は柔らかな白のニットポロシャツを、第一ボタンだけ外して無造作に着こなしていた。
 まさか、こんなお金持ちそうでオシャレな男の人が私の店に? この貧相な便利屋に、この男性は何の用事があるのだろう?
 男性は店の扉を開けると、「こんにちは」と朗らかに声をかけてくる。
「い、いらっしゃいませ。便利屋『デイジー』です」
 やはり、このゴージャス感にあふれたこの男の人に、私の店は似つかわしくない。
「あのさ……結婚してもらないかな?」
 その男性は唐突に、信じられないことを口にした。
「え!? 結婚って、私とですか?」
 結婚どころか、カレシすらいない私は、生まれて初めて言われたプロポーズに動揺して、頭の中が整理できない。
「あのさ。……ダメかな?」
 その男性は、サングラスを外して、私を見る。
「あぁ〜! トウヒロ! いえ、呼び捨てにしてすいません。あなたは、トウヒロさんじゃないですか」
「そうだよ」
 この人は、東松ひろし。略してトウヒロという愛称で知られる有名人だ。シンガーソングライターで、俳優・モデルでもあり、webや番組コンテンツなどで見かけない日はないくらいの超スター。
 近くで見ると、惚れ惚れしてしまう。肌もキレイ。いい男だ。
「相手と場所を間違えていませんか? ここはあなたのようなスターが来る場所ではありません。ただの個人商店の便利屋ですよ」
「間違ってないさ。田舎にあって、知名度が低く、地味な独身の女が一人で運営している便利屋を全国から探して、ここに辿り着いたんだ。デイジーっていうセンスのない店名も気に入っている」
 何なんだ、この横柄な言い方は。カッコよくても、こんな言い方されたら許せない。
 地味な独身の女で悪かったな。ここは田舎だし、店の知名度は低いし、売り上げも悪くて、毎日アップアップしているけど、何なのさ。「デイジー」って店名、気に入ってるのにムカつく。
「すいません、ひょっとして結婚っていうのは、この便利屋への依頼ということですか?」
 するとトウヒロは笑って、「当然だろ? 仕事じゃなきゃ、この店でキミにプロポーズなどしないさ」と小馬鹿にする。
 一瞬でも、ドキっとしてしまった自分が悔しい。
 web番組で見るトウヒロは、すごく優しそうな印象なのに、実物は全然違う。失礼極まりない。
「あ、ごめん。本気だと思った?」
「いえ!」
「いや、ごめんごめん。怒ったか? 怒ったよね?」
「もういいです。私は地味でセンスもない独身ですが、仕事とはいえ、トウヒロさんと結婚するつもりはありません」
「え? カレシいるの?」
 もはや、ただのセクハラだ。
「いませんが、そんなのトウヒロさんに関係ないです」
「いないなら、誰にも迷惑かけないから、いいじゃん」
「嫌です」
「月100万円払うよ。それでもダメ?」
「月100万円?」
 金額を言われると、私の心が急にグラつく。デイジーは3カ月連続の赤字で、融資の返済と電気代が2カ月分支払えていない。まさにピンチの状況だ。
「しかも、結婚する期間は半年くらいを希望するから、全部で600万円の契約額になるかな」
「600万円?」
「どうだ?」
 ぐ、……そのお金、欲しい。そのお金があれば待ってもらっている支払いを全部すませてもおつりがくる。でも、……、やっぱりプライドは捨てたくない。
「私は、お金で結婚をしてしまう、そんな安い女じゃないです!」
「ダメなのか? じゃあ、……」
 あー、喉から手が出るほど欲しいのが本音だけどー。
「じゃあさ、月200万円の合計1,200万円ならどうなんだ?」
 え? 1,200万円? わ、すごい。この額ならすごいぜいたくできる!
「まあ、仕事としてなら、……私、プロなんで何でもやれますけど」
 私の意思に反して、勝手に口が動いた。
「お。態度が変わったね?」とトウヒロさんは笑う。悔しいけど、……仕方ない。
「この店は料金先払いですよ」
「いいよ」
「別途費用が必要になったら、追加料金が必要です」
「分かってるって」
 そういって、トウヒロさんはクレジットカードを出した。
 私が会計処理をしようとカードの読み取り機を差し出すと、トウヒロさんは「ちょっと待って」と言って、鞄から紙を取り出した。
「契約成立なら、先にここに名前と住所を書いてよ」
 トウヒロさんがカウンターの上に広げたのは、婚姻届。初めて見た。
「本当に籍を入れるんですか?」
「そうだよ。その代わり、期間が過ぎたら、独身に戻れるからさ」
 それって、つまりバツイチになるってこと……?
「それと、この入籍は世間には秘密だ。一切口外しないでほしい。いいか?」
 この人の言いなりになるのは悔しい。でも、お金は必要だ。このままじゃ、倒産してたくさんの人に迷惑をかけてしまう。
「分かりましたよ!」
 私は迷いを断ち切るように、力強く婚姻届に記入する。
「よし、契約成立だな。ところでキミは、福角ゆず香って名前だったのか?」
「はい。トウヒロさんの東松ひろしっていう名前、芸名だと思っていましたが、本名だったんですね」
「そうだ。今日から東松ゆず香になるな。よろしくな」
「はい。こちらこそ……って。え?」
 改めて婚姻届を見直して驚いた。
「何だ?」
「トウヒロさんって、私より年下?!」
「そうなのか? ……ホントだ。オレが1歳年下か。何で急に笑ってんだよ」
「だって、テレビとかwebの番組で出ているのを見たら、てっきり年上だと思ってたから。何か嬉しい」
「どういう意味だ?」
「いいじゃないの。ね、ヒロくん」
「おい! いきなりタメ口かよ。それにヒロくんって……」
「当然でしょ、私の方が年上だもん。ふっふっふ」
「ちっ。もういい」
 ヒロくんはそう言うと、クレジットカードで先払い1カ月分となる200万円を決済した。よかった。これで未払いだったものが支払える。
「ゆず香、じゃあ、行くよ」
「あ、いきなり、私を呼び捨てにした!」と言いながら、私の心の中はまんざらでもなかった。
「いいだろ、一応は夫婦なんだから」
 男の人に呼び捨てにされるのって、初めてだ。ヒロくんって、スターだけあってわがままで強引だけど、年下だと分かると急にかわいく思えてしまう。
 ヒロくんは勝手にカウンターの中へ入ってくると、私の手を握って、外へ連れ出そうとする。
 え? 男の人と手をつなぐの、初めてなんですけど。しかも、こんな有名人にギュウってされたら、ドキドキしてしまう。
「どこへ行くの?」
「オレんち。だって夫婦になるんだから、一緒に住むだろ、普通」
「待って。私、この店があるから」
「しばらく臨時休業にすればいい。今すぐ休業の張り紙をしてくれ」
 ものすごく強引だ。
「ヒロくんって、家はどこ?」
「世田谷」
「って、東京じゃない! ここは岐阜県だよ。メチャクチャ遠いって。簡単に帰れないなら、準備しないと」
「準備?」
「そう。着替えとか、メイク道具とか、シャンプーとか、いろいろ女子は大変なのよ」
「それ全部、行く途中で買えばいい」
「買う?」
「うん。別途料金としてオレがこのカードで払えばいいんだろ。ついでに途中で区役所に寄って、この婚姻届も出さなきゃいけないし、とにかく今すぐ出るぞ」
「気持ちの準備が、まだ……」
 すると、「面倒くせえ」と言って再びサングラスをかけ、かがんで右肩を私の腰に当てて右腕を私の背中に回す。そして、素早く私を持ち上げた。私はヒロくんの肩で二つ折りになった状態で担がれて外に出る。
「こういうの、お姫様抱っこがよかったのにぃ!」
「時間がない」とヒロくんは、フェラーリの助手席のドアを開けて、シートの上に私を無理やり座らせた。
 ヒロくんは運転席に乗り込み、エンジン音を響かせて、いきなりスピードを上げて走り出しす。
「ごめんなさい。私、体重重かったでしょ?」
「いや、軽いぞ。まあ、よろしくな」
 こんな高級車に乗る日がくるとは思わなかった。大丈夫だろうか、私。
 いや、これは仕事だよ、仕事。そう思おう。
 車は高速に入ると、一気に東京を目指して進んでいった。