ぼくをみて。

放課後になると、また金井くんがやって来る。
授業の合間の休み時間には来ないけれど、大きな休み時間には来るのだと分かった。
「帰ろ」
「……うん」
連れ立って教室を出ると、またざわざわとする校内。クラスメイトは若干受け入れたようだけれど、他のクラスとか、他の学年はまだ、好奇の目で見てきていた。
ところで。
金井くんはなにで通っているんだろう。
徒歩?バス?電車?
高校自体が割と不便な所にあるから、バス派が多くて、僕もそうだった。
少し先を行く金井くんに着いて行きながら様子を見て、辿り着いたのはやはりバス乗り場で。
そこでもやっぱり目立ったから、居心地が悪いなぁと思う。
そしたら、金井くんがカバンを探って、引っ張り出してきたオレンジ色のイヤホン。
えらく鮮やかだな、と思っていると、僕に差し出されて。
え、僕?って思っていると、また寄せられるので受け取った。
箸は嫌なのに、イヤホンは良いのか。
なんとなくその辺の塩梅がまだ分からなくて、でもとりあえず記憶しておく。
差し出されたイヤホンは耳に着けると、何故か、雨音がした。
それはそれはシンプルな雨音。部屋に居る時、聞こえてきそうなくらい、聞き馴染みのある雨音。
なんで雨音??って思ったけれど、これが存外良くて。
周りの囁き声が聞こえなくなる。
周りの噂話が、聞こえなくなる。
音楽じゃないから気分に左右されなくて、気分も左右されなくて。
目の前はすっごく晴れているのに、土砂降りの雨音が、アンバランス過ぎて面白かった。
金井くんは良いのかな、って見ると、金井くんは金井くんでワイヤレスイヤホンを着けていて。
用意が良いなぁと思った。
もしくは普段から、イヤホンを使い分けているのだろうか。だとしたら、いつも雨音を聴いているのか、気になった。
金井くんは、今何を聴いているんだろう。
金井くんは、今何を考えているんだろう。
同じなら良いなと思う。
同じ雨音を、この晴天の空の下聴いて、囁かれる者同士、囁きを聞くことを拒絶しているのだとしたら。
それは、なんか良いなと思う。
見えないバリアが、二人にだけあるような、そんな感覚。
そうして暫く雨音を聴いていたら、バス待ちの列が動き始めて。
僕と金井くんは同じバスに乗ることができたから、隣合って座る。
バスに乗り込む時、イヤホンが外れないように渡されたのはスマホ。
これ、バスが僕と金井くんの間で満員になって分断されてたら、どうするつもりだったんだよと思った。不用心。
信頼なのか、何も考えていなかったのかは、まだ判断が付かない。
けれどまあ、離れることはなかったので、スマホを金井くんの膝の上に翳す。
すると手の甲で押し返されて、おやと思う。
まだ持っとけってことか。
それなら、もう暫く。
手を引くと、寝の体勢に入る金井くん。
お昼休みといい、よく寝るなぁと思う。
だから背が高いのか。
金井くんは、僕より少しだけ背が高かった。

バスで揺られること、20分。
ようやく最寄りの駅に着いて、学生がゾロゾロと吐き出される。
僕は金井くんを揺り起こして、最後の方に降りる。
少し離れて、イヤホンを外して。
なんとなく払ってからスマホごと返すと、ちゃんと受け取られる。それから金井くんもイヤホンを外すから、そこでやっとお礼が言えた。
「イヤホンありがとう」
「うん」
「僕、はここから歩きだけど、金井くんは?」
「……んー、電車かな」
何の「んー」だ?と思う。いつもは電車じゃないのか。
反応に困っていると、「送ってく」と言われてぎょっとする。
「え、いや、いいよ、一人で帰る」
「…………心配だから」
じっ、と見られるから、居心地が悪い。ひそひそ囁かれている時とは別の、むず痒い方の、居心地の悪さ。
「じゃあ、まあ」
こっち、って自宅の方へ歩き出すと、少し、金井くんの目元が和らいだ気がして。
それが妙に、嬉しかった。
既にもう暑くなり始めている中、二人で並んで、ただ歩く。
家に帰るだけなのに、どこか地元を紹介するような気恥しさがあって、変な感じだった。
暫く歩くと橋がある。あれを渡ればもうすぐ家で、もうすぐで解散かと思うと、少し物足りない気がした。
このまま、もうひとつ先の橋まで行っても良いけれど。
でもなぁ、結構遠いんだよな、と思っていたら。
「っ希くん!」
突然、横道から人が現れて驚いた。
「うぇ、っと、なに……?」
よく見ればその人は、別れたばかりの元彼で。
なんでここに……と、戸惑うと、隣の金井くんが半歩出て僕を下がらせる。
「何の用」
金井くんの冷たい声。警戒している声。
大丈夫この人は、と止めようとしたら、彼はポケットから何かを取り出して。
見せ付けるように掲げてくるから、目を凝らす。
袋の中には、何か白いもの。
「こっ、これ何か分かる?これ、僕の宝物、希くんが、出してくれたもの、僕ずっと、冷凍庫で保管してたんだ、ねえ、これ僕の、宝物、これ、僕しか持ってない、僕達の宝物、ねえ、これを、ど、どうしたら、僕と希くんの記憶に一生、残せるかな」
「は…………?」
恍惚とした表情を浮かべる彼は、手に持つそれを、僕が行為の末に吐き出したものだという。
冷凍庫で保管、して、いて。もし、赤子になりうるものが、生きていたとしたら。
それを、悪用、し放題だと、こいつは宣っている。
僕の記憶に、一生植え付ける。
「っぉえ、」
吐き気が込み上げて、生理的な涙で視界が滲む。
嗚咽のみだけれど、せり上がってきた胃液に、喉の奥が気持ち悪い。
ジャリ、と音がして、落ちていた視線を上げると、黙って聞いていた金井くんが拳を振り上げているのが見えて。
「やめろ!!」
咄嗟に飛び付いて、その腕に全体重を掛ける。
それでもまだ殴りかかろうとするから、全力で引く。
「まて、やめろ、お前まで停学になる」
絞り出した声で必死に言うのに、全然敵わない。引き摺られて、クソ男と距離が縮まる。
「渡せ」
「や、やだね、僕は今希くんと話してるんだ、ねえ希くん、これ、僕が飲む?き、君が飲んでみる?」
もう、もう止めてくれ、これ以上地獄を増やすな、コイツから流れ込む言葉の全てが気持ち悪い。
思わず力が緩んで、それを見逃さない金井くんが動いて。
反動でその場に崩れた僕は、ただ呆然と、金井くんのブレザーが舞う背を見ていた。

殴り掛かる、と思われた動きで袋をひったくった金井くんは、その動きを反動にして、足を大きく振り上げて。
それから思い切り、彼に金的をかまして、汚い悲鳴を上げながら倒れ込む彼を、しゃがみ込んで追いかける。
「これを今から警察に持ち込む。捕まりたくなければ二度と面を見せるな。お前の愛し方じゃ人は幸せにならない」
「ぐぅう、」
金的のダメージなのか、言葉のダメージなのか分からないけれど、悔しそうな声を漏らす彼。
僕も立ち上がろうとしたけれど、全然だめで息を潜めて見守るしかない。
「希は俺が幸せにする。俺が守る。希は大丈夫だ。だからもう忘れて、悔い改めろ。二度とするなよ、分かったな」
「うぅ……」
金井くんの言葉に彼が顔を歪めた後、頷く姿が見える。
嫌がらせかと思われたこの一連の行動は、彼にとっての、愛情……表現、だったのかと思う。
歪み過ぎていて、何一つ理解は出来ないが、金井くんが丸く収めてくれたことだけは分かった。
「じゃあ帰れ」
言われて、転げるように、帰って行く彼。
これで解決なのだろうか、本当にもう二度と、僕の前に現れないのだろうか。
拭い去ることはできない不安に、固まっていると手を引かれる。
引っ張り起こされて、立ち上がる。
そのまま歩き出すから、僕も大人しく従う。
立てなかったのに、歩けている。そのことに安心していると、金井くんが繋いでない方の手を、ポケットに入れるからぎょっとする。
おいそっちの手にはさっきの袋、そんな思考を読み取ってか、繋いだ手の力が強くなり。
大丈夫、と先程金井くんが言っていた言葉が蘇る。
大丈夫。希は大丈夫だ、と言っていた。
あの時、初めて名前を呼ばれたことに気付く。
初めてがあんな時で、しかもいきなり下の名前かよ、って思うと少し肩の力が抜ける。
分かっている。金井くんは、あの場で一番、より伝わりやすい呼び方をしただけだ。
歩き続けて、警察署へ行くのかと思えば、僕達は橋から見えていたコンビニに辿り着く。
それからライターを買う金井くんを、ただ見守る。
コンビニを出るとまた橋の方へ戻り、階段を下り、川辺に行く。
ポケットを探った金井くんは、それを砂の上に、置いて。
直視できずに目を逸らすと、カチ、という音。
金井くんが袋に火を付けて、燃やして消し去ろうとしてくれていた。
こんなもの、見られたくなかった。
こんなものを、触らせてしまった。
罪悪感で、消えたくなる。
制御できずに、流れていく涙を感じる。
あの日、やけに準備が良いなとは思っていた。
けれど、これまでもそういう人は居たから、気にしていなかった。
気持ちが無くても行為ができる自分を恥じた。
求められたら応えるのが当然だと思っていた。
けれど、応えた結果がこの有様で。
これが、自分の体で妊娠できる人の起こした行動だったらと思うと、恐ろしいどころの話ではなかった。
これまでもその危険の淵に居て、それでも尚、期待に応えるのが正義なのだと思っていて。
何も起きていなかったのが奇跡なのだと思った。
何か起きていたら、求められるままに、応えるのが正義だからと、責任を取っていたのだろうとも思ったから。
「希」
止まらない涙がただ溢れ出るまま、金井くんを見る。
金井くんはまた、僕をまっすぐと見て。
「大丈夫」
「っ」
僕の思考なんて全部見えてる、みたいな。
その上で尚、大丈夫だと断言してくれているような。
そんな強さに、顔が保てない。
崩れて、しわくちゃになって、体全体で泣く僕を、金井くんと、消えかけの火だけが見ていた。

散々泣いて、落ち着いて。
差し出されたティッシュで、ようやく顔も整えて。
「あの」
「……別れ話なら聞かない」
「っえ」
先回りされて、驚く。
立ったままだった金井くんを見上げると、しゃがんでくるから視線が揃う。
「危なっかしいから傍に居る。さっきの奴とも約束した。別れ話は、俺を本気で嫌いになった時にして」
真っ直ぐな視線と、その言葉一つ一つが、全て胸に突き刺さる。
これまでいろんな人にもらってきた、どの言葉よりも重みを感じる。それは、確かな気持ちが籠っているからなのかと思って。
いや、僕が金井くんからの言葉を、信じたい、受け取りたいと思ったからなのかもしれない、と思い直す。
頷くと、頷きが返されて、でも、と続ける。
「あんなん、見せられて、嫌じゃないの」
もうただの燃えカスになったソレを指す。
火は、もうとっくに消えている。
「別に。本物かどうかも分からないし」
「……それはそう、だけど」
なかなか衝撃的なものだったと思うけどなぁと思って、自分の中での気持ち悪さが消えていることに気付く。
それは燃やしてくれたからかもしれないし、別に、って何でもないように言う、金井くんの反応からかもしれなかった。
僕ってこんな単純だったかな。
胸元を摩って、息を吐く。
「金井くんも嫌いになったら言って」
金井くんの目を見ながら言うと、きょとん、としていて。その発想は無かった、みたいな反応するから、戸惑う。
どこまで、真っ直ぐなんだろうこの人は。
将来自分が心変わりしている可能性なんて、微塵も考えていなかったというのか。
そこで、はた、と気付く。
そもそも金井くんに心はあるのだろうか。
僕に対しての、恋的な、心は。
思い返せば、好きと言われていない。
危なっかしいから、そう言われたさっきのことを思い出して、考える。
これはもしや、ただの人助けなのではないだろうか。
僕を救う為の、一連の行動。
恋なんかより断然そちらの方が有り得そうな気がして、一人納得する。
なんだ。
勘違い、するところだった。

燃えカスはちゃんと回収して、ゴミ箱に捨てた。
それから本当に僕の家まで送ってもらって、そこで解散する。
いいのかな、金井くんは一人で帰ることになるけれど。そう思っていたら、「早く寝ろよ」って、それだけ言い残して、金井くんは帰って行った。
その後ろ姿を見送りながら、まだ夕方だけれど、と思って少し可笑しくなる。
その日は言われた通り、ちゃんと早く寝た。