サボろうと思っていた体育祭が来る。
一年の時は出たけれど、ただ走るばかりのイベントで、物凄く日焼けして、身体中が痛くて、二度と出るかと思ったのだ。
けれど、金井は出ると言うので心が揺れている。
金井が、リレーのアンカーをすると言うのだ。
「生配信とか無いか?」
「無い」
「くそ〜……」
お弁当を食べながら、出たくない気持ちと、走る金井を見たいという気持ちで揺れる。
だって、見たいだろ。
アンカーだぞ、リレーの主役じゃないか。
「あと二人三脚、出ないかって言われてるんだけど」
じっ、と見られて。
金井が、別の人と、組む姿を想像する。
足首を繋がれて、肩を組んで、腰を抱くことも、あるかもしれない。
その密着状態で走って、同じゴールを目指す……。
いや、だめだろ。
「俺と出るって言っとけ」
しっかり金井の目を見て言うと、ちょっと悪い顔をされたので、あれ、と思う。
てっきり嬉しいって顔をされると思った。
けれど、悪い顔ってことは、つまり。
「お前!嵌めたな!!」
「ふふ」
やられた。
まさかの、金井の手によって。
俺も体育祭に出ることが確定した。
まだ梅雨は明けていないし、台風も来ていたりで、中止にならないかなと思っていた、体育祭だが。
謎に当日だけ曇りで耐えたので、開催されることが決まった。
朝からグラウンドは大賑わいである。
家族の参加は一家族につき二人まで、撮影は無しというルールはあったが、それなりにいる生徒の、倍はこの場に居ると思うとかなりの数だった。
俺と金井の家族は仕事の為、不参加。
金井のご家族には会ってみたかったが、いずれ機会はあるだろう、と思うことにする。
そして何より大変だったのは、観光地の如く俺を見に来るご家族の波、だった。
一年の頃は綺麗な子がいるという噂からちらちら見に来られる程度だったが、二年目の今回は様々な男女関係、校外の人でも付き合えるかもという噂、俺を取り合い停学処分となる問題が起きた、等々。
数々の噂が噂を呼び、一目見ようと訪れる人が後を耐えなかった。
そんな俺の隣に金井はずっと居てくれて、大丈夫か、人が多いな、曇りで良かったな、お茶飲めよ、等、ずっと話しかけてくれている。
黙っていたら、『僕』を脱ぎ捨てた俺は、不機嫌を顕に周りを威嚇し始めかねないと思われたのかもしれない。
実際そのくらい、明け透けな視線を寄越して来られて、結構なストレスを感じていた。
開会式が終わると、見兼ねたクラスメイトが周りに立ち、壁役をしてくれるようになった。
いつもニマニマ俺と金井を見ているクラスメイトが、まるで守るかの様な動きをしてくれるとは思わなくて、俺は金井と静かに目を合わせる。
開会式直後は、今年が最後の出番となる三年のリレーからで、その次は一年。
つまり、俺達二年の出番は午後からだった。
競技が始まると周りの波も落ち着き、壁役をしてくれていたクラスメイトが入れ替わる。
「……ありがとう」
誰に、という訳でもないが、近くに帰ってきたクラスメイトに言うと、弱々しく微笑まれた。
「ううん。いつもごめん、見られるのって結構キツいね」
クラスメイトのいつもの視線は、まだ温かみのある方ではあったが。実際に見られる側を擬似体験して、懲りてくれた様だった。
『僕』程ではないが笑顔を作り笑うと、それからは少し離れてそっとしておいてくれる。
出るつもりの無かった体育祭、半ば釣られた形ではあるものの、出たことで得られたものもあると思えた。
俺を釣った当人を見ると、優しく頭にタオルを被せてくる。
金井は朝から俺に付きっきりで、その過保護具合が増幅しており。
コイツこそ暴走しないか心配だったが、クラスメイトの様子を含め、周囲を見守り、今は穏やかな顔をしている。
「……ありがとう」
「うん。良かったな」
小さな声のやり取りに、昼休みが待ち遠しいなと思った。
三年のリレー中、待機している先輩から「こっち向いてー!」だのちょっかいは掛けられたものの、クラスメイトが前にも立ってくれて、同じ部活同士「せんぱーい!」「お前じゃねー!」等と、上手く躱してくれた。
代わる一年のリレーでは俺を知る人が少なく、三年と比べるとまだ小さい体の皆の、必死に走る姿を素直に観戦できた。
その後、障害物競走があり、二年からも数人駆り出されて競技する。
その頃にはクラスメイトの壁の意味を理解して、家族の波も、他クラスのちょっかいも、かなり減っていた。
「辛くないか」
マメに掛かる金井の声に頷く。
思えば、ずっとこうして隣合って座っているのは、今日が初めてだなと思った。
そうか。こういう場面も。
きっと、後の、思い出になっていくんだな。
そう思うと勿体なくて、以降はなるべく、金井を視界に入れていた。
金井は戸惑いながらも、楽しそうにしていた。
漸く昼になり、生徒は一斉に校舎へと引き上げる。代わりに生徒の椅子に家族が座り、それぞれお昼ご飯の時間となる。
俺と金井は教室からお弁当を回収して、いつもの踊り場へ向かった。
「はぁあああ」
「お疲れ」
食べるより、飲むよりも先に踊り場へ倒れ込む。
『僕』になるより疲れないが、『なんでもないフリ』をするのも、なかなかしんどかった。
金井は俺の横にしゃがみ込み、背中を摩ってくれる。
ずっと俺のお守りをしてた金井も疲れているだろうに。
今もこうして面倒を見てくれるから、手を伸ばす。
金井は何も言わずに握ってくれて、暫くそのまま、手を繋ぐ。
今日は朝からずっと傍に居たのに、触れ合ってはいなかったから、漸く満たされる心地だった。
「つかれた」
「だよな」
空いた手でまた背中を摩られて、目を閉じる。
大きく息を吐くと、頭を柔く叩かれた。
「食べよう」
「んん」
起き上がり、お弁当を開く。
金井はいつも通り梅干しをくれて、暫くぼーっと味わった。いつもより染みる、染み渡る。
曇りとはいえ気温が上がってきており、今の今まで外に居たので日にも少々焼けている。
金井も鼻の頭が少し赤くてかわいかった。
お弁当の蓋を差し出されて、ぽろ、とその上に落とす。無事蓋の上に着地して良かった、と思う程に、疲れていた。俺らの出番はこれからなのに。
本当に、疲れていた。
お弁当を差し出すと枝豆が取られて、代わりに大きな唐揚げが来た。
今日の金井のお弁当の一番の主役だろうに、迷わずくれるその優しさと、労りと、温かさが染みる。
いつもなら気が引けるが、今日はありがたく貰う事にした。
「ありがと」
「うん、食べたら休もう」
「ん」
疲れから来る俺の素直さに、金井が目元を緩めているのが分かる。
でも、反撃の元気も残っていない。
寧ろこの後の為に、少しでも蓄えておかなくてはいけないのに。
「来年も同じクラスがいいな」
「っげほ」
「おい」
突然噎せた金井の背中を摩ってやりながら考える。
来年もまた、隣合って座って、同じ競技に出て、こうして共に居たいと思ったのだ。
てかそうだ、三年は修学旅行もある。絶対に同じクラスで、同じ部屋にしてもらわないといけない。
俺の身よりも、離れた時のコイツの過保護っぷりが暴走しそうで不安になった。
「希のデレはいつも唐突だから焦る」
「はぁあ?」
デレってなんだ、と睨むと、優しい顔をされるので調子が狂う。
「来年も同じがいいな」
「……うん」
頷き唐揚げを齧ると、今まで食べたどの唐揚げよりも美味しくて、大事に大事に噛み締めた。
食べ終わると、金井が寝転ぶのでその頭にカバンを押し付ける。それから俺は金井の膝にダイブして、枕替わりにしてやった。
何か言いたげにもぞもぞしていた金井も、暫くすると大人しくなり、そのまま少しだけ目を閉じる。
枕にしては骨を感じて硬いし、体温で暑いし、時々動くので笑ったが、案外、悪くはなかった。
予鈴が鳴ってもそのままでいたら、相変わらずサッと起きた金井が、二回だけ俺の頭を撫でてきて、身も心も擽ったかった。
大事そうに撫でるから。
名残惜しむ様に、撫でるから。
「希」
肩を揺らされて、仕方なく起きる。
金井を見ると、耳が赤くてかわいかった。
そういえば今日は、金井の寝息を聞いていないかもしれなかった。
グラウンドに戻ると、午後から出番の二年だけを見に来たご家族の波がまた押し寄せており脱力する。
またクラスメイトは壁になってくれたが、皆自分の家族が来たりで、その壁も崩れがちで。
昼休み明けなこともあって、全体的に気が緩んでいて、噂話の声も、聞き取ることができる程に、よく届いた。
『あの子が噂の?』『綺麗な子ね〜』『でも取っかえ引っ変えなんでしょ?』『うちの子には近付かないで欲しいわ』『暴力沙汰も起こしたとか』『いいえ流血事件よ』『まあ……』
その度に、クラスメイトの小さな訂正が入ったが、噂好きのお母様方にはあまり届いていないようだった。
慣れていた筈なのに、親世代に言われると若干、ダメージが強い。
数多の経験をして来た大人から見ても、俺の行いはクズなのだと、改めて突き付けられるような、証明されるような、そんな感覚。
何も知らない癖に。
俺の一部しか、知らない癖に。
見えているものだけで、知っている情報だけで、全てを知った気になって、批判するのが当たり前の世の中。
同世代ならまだクソガキが、と思えたが、親世代の、大人までもそうなのか、と絶望する。
『僕』の行いは確かに褒められたものではなかった。
でも今は、一人の人と、初恋を大事に育もうとしていて。
ニマニマとではあるけれど、見守ってくれるクラスメイトと、本意では無いものの、ファンクラブを作って見守ってくれる後輩まで居るのだ。
クラスメイトの訂正を聞きもせず、ただ己の偏った知識だけで堂々と、俺にまで聞こえる声で、気持ち良さそうに噂を続ける大人達に、吐き気がする。
「希」
心が、胸が、思考が、脳が、黒い靄で覆われた時、金井の真っ直ぐな声が聞こえた。
隣を見ると、やっぱり真っ直ぐな目が、こちらを見ていて。
「来年は、お似合いカップルとして噂になってるはず」
「っは」
なんだそれ、って、笑うと同時に。
涙も少し、出るから本当に敵わない。
なんでいつもそんなに自信満々なんだ。
なんでいつも、未来もずっと一緒だと信じて疑わないんだ。
なんでいつも、そう、真っ直ぐなんだ。
俺はいつも、その真っ直ぐさに救われている。
二年のリレーが始まり、グラウンドは一際大きな声援に包まれる。
俺のクラスは陸上部の奴が考えた完璧なプランだとかで、走る順番は背の順でも、名前順でもなく、呼ばれた順で走ることになっていた。
俺は中盤で呼ばれて、スタートラインに立つ。
半周先で待機しているアンカーの金井を見ると、金井も、こちらを見ていて。
ちり、と心臓が反応する。
運動は苦手でも得意でもない。だからそれ程緊張はしていない。
ただ金井のあの真っ直ぐな視線は、鼓舞でもあり、少し気恥ずかしくもあった。
こちら側の声援が大きくなり、後方に目を向ける。
バトンを持ったクラスメイトがコーナーを抜けて、俺の方へと走って来る。
俺は緩やかに走り出して、手を後方へと伸ばして。
やがて掌にぶつかったバトンを握り締め、走るスピードを上げる。
コーナーを走る時、あの後輩の声援が聞こえた気がした。
俺は事件を起こした君を、完全に信用は、できないが。
それでも確かに、一部では救われている。
偏った愛を見せた元彼も、転校した先で、金井の言葉を受けて、愛し方の偏りを正せていたら良いなと思う。
記念に付き合ってと言ってきた人達も、本気で恋心を向けてくれたものの、『僕』から愛が返って来ないからと振って行った人達も。
みんなどこかで今の俺を知って、これからも、俺の一部を見聞きするんだろう。
なら、そうだな、そうだよな。
金井の言う通り、これからもずっと一緒に居て。
お似合いカップルだって、噂になるのも悪くない。
走り抜けた先で次の走者へとバトンを渡して、レーンから逸れると腕を引かれる。
見ると金井で、お疲れ、と嬉しそうに言われて。
「がんばれ」
荒い息の中言うと、金井からはしっかりとした頷きが返ってきて、また走者の列へと戻って行く。
うちのクラスは今三位で、二位と抜いては抜かれてを繰り返していて。
全員が全力を出して、あっという間の終盤。
呼ばれた金井がスタートラインに並ぶ。
後方を見る、その横顔が見える。
声援が近付いて、金井が緩やかに動き出して、バトンを受け取り、走る。
その瞬間から、時の流れが穏やかになったのかと思う程に、金井は軽く、易々と駆け抜けていく。
その先で二位を追い抜いて、一位も余裕で追い抜くから、最早歓声も追い付いておらず、俺は笑う。
お前、そんなに走るの速かったのかよ。
金井は半周を駆け抜けて、更に半周。
そのまま最後の直線も全力で駆け抜け、ゴールテープが切られる。一着のアナウンスと共に歓声と雄叫びが響き渡って、拍手が巻き起こる。
金井は楽しそうに、全力で笑っていて。
楽しめたなら良かったな、と思っていたら、そのままのスピードで俺の元までやって来て、飛び付いてくるから死ぬかと思った。
周囲の歓声は悲鳴に近い絶叫となり、即座に『勝利の熱いハグ!』というファンクラブ通信が、広められたらしい。
金井の飛び付き以降、あれが今の希の彼氏か、と広まりつつあり。
金井にも視線が集まり始めていて、複雑だった。
けれど本人は全く気にせずにこにこしている。久々に全力で走って楽しかったらしい。
「部活やらないのか」
金井に聞いてみると、割とすぐに頷かれる。
「ノリが苦手」
「っふ」
そんな理由で、と思うけれど。
それも大事な理由だよな、と思う。
合わない人や、ものや、環境は、本当に容易く人を腐らせる。
だから無理せす、必要な時に全力で走って、全力で楽しそうな金井を羨ましく思った。誇らしく思った。
また走る姿を見たいと思ったから、ほんの少しだけ残念ではあるけれど。
やがて、最後の競技、二人三脚が始まる。
クラスメイトの声援に送り出され、俺と金井も走者の列に混ざった。
金井と肩を組むと、足首にバンドが巻かれる。
何気に肩を組むの初めてか?と思っていたら、金井も興味深そうにこちらを見ているので笑った。
「コケるなよ」
「うん」
「コケるなら一人でコケろよ」
「うん」
「っふ」
無理だろ共倒れだわ、って笑うと、金井も楽しそうに笑う。
その俺達の笑い声に、周囲の視線が集まるのを感じるが、もう、あまり気にならない。
二人で目立つと金井の顔まで知れ渡る、と若干、怯えていたが。
リレーの後金井が飛び付いてきた瞬間から、もう、どうでも良くなった。
気にして怯えるより、散々見せ付けて笑っていよう。
スタートラインに並ぶと、声援が大きくなる。
「真ん中から出す。大きく行く」
「うん」
打ち合わせは、それだけ。
あれだけ軽やかに走る金井のことだ。きっと俺に合わせるなんて余裕だろう。
スタートの合図と共に、最初から大きく踏み出せば、金井も楽々と付いて来る。
そのままの勢いで駆けると、普通に走れてしまうから笑う。周囲の声に驚きが混ざって、歓声が上がって、声援に押されて、笑う。
ああ、もう。
本当に楽しいな!
そうしてただ笑って、走って。
あっという間に、ゴールまで駆け抜ける。
振り返れば他の走者はまだ遠くに居て。
「楽しかったな」
「うん」
「コケなかったな」
「ふふ、うん」
二人顔を見合わせて、笑う。
そうして、俺達の体育祭が、幕を閉じる。
一年の時は出たけれど、ただ走るばかりのイベントで、物凄く日焼けして、身体中が痛くて、二度と出るかと思ったのだ。
けれど、金井は出ると言うので心が揺れている。
金井が、リレーのアンカーをすると言うのだ。
「生配信とか無いか?」
「無い」
「くそ〜……」
お弁当を食べながら、出たくない気持ちと、走る金井を見たいという気持ちで揺れる。
だって、見たいだろ。
アンカーだぞ、リレーの主役じゃないか。
「あと二人三脚、出ないかって言われてるんだけど」
じっ、と見られて。
金井が、別の人と、組む姿を想像する。
足首を繋がれて、肩を組んで、腰を抱くことも、あるかもしれない。
その密着状態で走って、同じゴールを目指す……。
いや、だめだろ。
「俺と出るって言っとけ」
しっかり金井の目を見て言うと、ちょっと悪い顔をされたので、あれ、と思う。
てっきり嬉しいって顔をされると思った。
けれど、悪い顔ってことは、つまり。
「お前!嵌めたな!!」
「ふふ」
やられた。
まさかの、金井の手によって。
俺も体育祭に出ることが確定した。
まだ梅雨は明けていないし、台風も来ていたりで、中止にならないかなと思っていた、体育祭だが。
謎に当日だけ曇りで耐えたので、開催されることが決まった。
朝からグラウンドは大賑わいである。
家族の参加は一家族につき二人まで、撮影は無しというルールはあったが、それなりにいる生徒の、倍はこの場に居ると思うとかなりの数だった。
俺と金井の家族は仕事の為、不参加。
金井のご家族には会ってみたかったが、いずれ機会はあるだろう、と思うことにする。
そして何より大変だったのは、観光地の如く俺を見に来るご家族の波、だった。
一年の頃は綺麗な子がいるという噂からちらちら見に来られる程度だったが、二年目の今回は様々な男女関係、校外の人でも付き合えるかもという噂、俺を取り合い停学処分となる問題が起きた、等々。
数々の噂が噂を呼び、一目見ようと訪れる人が後を耐えなかった。
そんな俺の隣に金井はずっと居てくれて、大丈夫か、人が多いな、曇りで良かったな、お茶飲めよ、等、ずっと話しかけてくれている。
黙っていたら、『僕』を脱ぎ捨てた俺は、不機嫌を顕に周りを威嚇し始めかねないと思われたのかもしれない。
実際そのくらい、明け透けな視線を寄越して来られて、結構なストレスを感じていた。
開会式が終わると、見兼ねたクラスメイトが周りに立ち、壁役をしてくれるようになった。
いつもニマニマ俺と金井を見ているクラスメイトが、まるで守るかの様な動きをしてくれるとは思わなくて、俺は金井と静かに目を合わせる。
開会式直後は、今年が最後の出番となる三年のリレーからで、その次は一年。
つまり、俺達二年の出番は午後からだった。
競技が始まると周りの波も落ち着き、壁役をしてくれていたクラスメイトが入れ替わる。
「……ありがとう」
誰に、という訳でもないが、近くに帰ってきたクラスメイトに言うと、弱々しく微笑まれた。
「ううん。いつもごめん、見られるのって結構キツいね」
クラスメイトのいつもの視線は、まだ温かみのある方ではあったが。実際に見られる側を擬似体験して、懲りてくれた様だった。
『僕』程ではないが笑顔を作り笑うと、それからは少し離れてそっとしておいてくれる。
出るつもりの無かった体育祭、半ば釣られた形ではあるものの、出たことで得られたものもあると思えた。
俺を釣った当人を見ると、優しく頭にタオルを被せてくる。
金井は朝から俺に付きっきりで、その過保護具合が増幅しており。
コイツこそ暴走しないか心配だったが、クラスメイトの様子を含め、周囲を見守り、今は穏やかな顔をしている。
「……ありがとう」
「うん。良かったな」
小さな声のやり取りに、昼休みが待ち遠しいなと思った。
三年のリレー中、待機している先輩から「こっち向いてー!」だのちょっかいは掛けられたものの、クラスメイトが前にも立ってくれて、同じ部活同士「せんぱーい!」「お前じゃねー!」等と、上手く躱してくれた。
代わる一年のリレーでは俺を知る人が少なく、三年と比べるとまだ小さい体の皆の、必死に走る姿を素直に観戦できた。
その後、障害物競走があり、二年からも数人駆り出されて競技する。
その頃にはクラスメイトの壁の意味を理解して、家族の波も、他クラスのちょっかいも、かなり減っていた。
「辛くないか」
マメに掛かる金井の声に頷く。
思えば、ずっとこうして隣合って座っているのは、今日が初めてだなと思った。
そうか。こういう場面も。
きっと、後の、思い出になっていくんだな。
そう思うと勿体なくて、以降はなるべく、金井を視界に入れていた。
金井は戸惑いながらも、楽しそうにしていた。
漸く昼になり、生徒は一斉に校舎へと引き上げる。代わりに生徒の椅子に家族が座り、それぞれお昼ご飯の時間となる。
俺と金井は教室からお弁当を回収して、いつもの踊り場へ向かった。
「はぁあああ」
「お疲れ」
食べるより、飲むよりも先に踊り場へ倒れ込む。
『僕』になるより疲れないが、『なんでもないフリ』をするのも、なかなかしんどかった。
金井は俺の横にしゃがみ込み、背中を摩ってくれる。
ずっと俺のお守りをしてた金井も疲れているだろうに。
今もこうして面倒を見てくれるから、手を伸ばす。
金井は何も言わずに握ってくれて、暫くそのまま、手を繋ぐ。
今日は朝からずっと傍に居たのに、触れ合ってはいなかったから、漸く満たされる心地だった。
「つかれた」
「だよな」
空いた手でまた背中を摩られて、目を閉じる。
大きく息を吐くと、頭を柔く叩かれた。
「食べよう」
「んん」
起き上がり、お弁当を開く。
金井はいつも通り梅干しをくれて、暫くぼーっと味わった。いつもより染みる、染み渡る。
曇りとはいえ気温が上がってきており、今の今まで外に居たので日にも少々焼けている。
金井も鼻の頭が少し赤くてかわいかった。
お弁当の蓋を差し出されて、ぽろ、とその上に落とす。無事蓋の上に着地して良かった、と思う程に、疲れていた。俺らの出番はこれからなのに。
本当に、疲れていた。
お弁当を差し出すと枝豆が取られて、代わりに大きな唐揚げが来た。
今日の金井のお弁当の一番の主役だろうに、迷わずくれるその優しさと、労りと、温かさが染みる。
いつもなら気が引けるが、今日はありがたく貰う事にした。
「ありがと」
「うん、食べたら休もう」
「ん」
疲れから来る俺の素直さに、金井が目元を緩めているのが分かる。
でも、反撃の元気も残っていない。
寧ろこの後の為に、少しでも蓄えておかなくてはいけないのに。
「来年も同じクラスがいいな」
「っげほ」
「おい」
突然噎せた金井の背中を摩ってやりながら考える。
来年もまた、隣合って座って、同じ競技に出て、こうして共に居たいと思ったのだ。
てかそうだ、三年は修学旅行もある。絶対に同じクラスで、同じ部屋にしてもらわないといけない。
俺の身よりも、離れた時のコイツの過保護っぷりが暴走しそうで不安になった。
「希のデレはいつも唐突だから焦る」
「はぁあ?」
デレってなんだ、と睨むと、優しい顔をされるので調子が狂う。
「来年も同じがいいな」
「……うん」
頷き唐揚げを齧ると、今まで食べたどの唐揚げよりも美味しくて、大事に大事に噛み締めた。
食べ終わると、金井が寝転ぶのでその頭にカバンを押し付ける。それから俺は金井の膝にダイブして、枕替わりにしてやった。
何か言いたげにもぞもぞしていた金井も、暫くすると大人しくなり、そのまま少しだけ目を閉じる。
枕にしては骨を感じて硬いし、体温で暑いし、時々動くので笑ったが、案外、悪くはなかった。
予鈴が鳴ってもそのままでいたら、相変わらずサッと起きた金井が、二回だけ俺の頭を撫でてきて、身も心も擽ったかった。
大事そうに撫でるから。
名残惜しむ様に、撫でるから。
「希」
肩を揺らされて、仕方なく起きる。
金井を見ると、耳が赤くてかわいかった。
そういえば今日は、金井の寝息を聞いていないかもしれなかった。
グラウンドに戻ると、午後から出番の二年だけを見に来たご家族の波がまた押し寄せており脱力する。
またクラスメイトは壁になってくれたが、皆自分の家族が来たりで、その壁も崩れがちで。
昼休み明けなこともあって、全体的に気が緩んでいて、噂話の声も、聞き取ることができる程に、よく届いた。
『あの子が噂の?』『綺麗な子ね〜』『でも取っかえ引っ変えなんでしょ?』『うちの子には近付かないで欲しいわ』『暴力沙汰も起こしたとか』『いいえ流血事件よ』『まあ……』
その度に、クラスメイトの小さな訂正が入ったが、噂好きのお母様方にはあまり届いていないようだった。
慣れていた筈なのに、親世代に言われると若干、ダメージが強い。
数多の経験をして来た大人から見ても、俺の行いはクズなのだと、改めて突き付けられるような、証明されるような、そんな感覚。
何も知らない癖に。
俺の一部しか、知らない癖に。
見えているものだけで、知っている情報だけで、全てを知った気になって、批判するのが当たり前の世の中。
同世代ならまだクソガキが、と思えたが、親世代の、大人までもそうなのか、と絶望する。
『僕』の行いは確かに褒められたものではなかった。
でも今は、一人の人と、初恋を大事に育もうとしていて。
ニマニマとではあるけれど、見守ってくれるクラスメイトと、本意では無いものの、ファンクラブを作って見守ってくれる後輩まで居るのだ。
クラスメイトの訂正を聞きもせず、ただ己の偏った知識だけで堂々と、俺にまで聞こえる声で、気持ち良さそうに噂を続ける大人達に、吐き気がする。
「希」
心が、胸が、思考が、脳が、黒い靄で覆われた時、金井の真っ直ぐな声が聞こえた。
隣を見ると、やっぱり真っ直ぐな目が、こちらを見ていて。
「来年は、お似合いカップルとして噂になってるはず」
「っは」
なんだそれ、って、笑うと同時に。
涙も少し、出るから本当に敵わない。
なんでいつもそんなに自信満々なんだ。
なんでいつも、未来もずっと一緒だと信じて疑わないんだ。
なんでいつも、そう、真っ直ぐなんだ。
俺はいつも、その真っ直ぐさに救われている。
二年のリレーが始まり、グラウンドは一際大きな声援に包まれる。
俺のクラスは陸上部の奴が考えた完璧なプランだとかで、走る順番は背の順でも、名前順でもなく、呼ばれた順で走ることになっていた。
俺は中盤で呼ばれて、スタートラインに立つ。
半周先で待機しているアンカーの金井を見ると、金井も、こちらを見ていて。
ちり、と心臓が反応する。
運動は苦手でも得意でもない。だからそれ程緊張はしていない。
ただ金井のあの真っ直ぐな視線は、鼓舞でもあり、少し気恥ずかしくもあった。
こちら側の声援が大きくなり、後方に目を向ける。
バトンを持ったクラスメイトがコーナーを抜けて、俺の方へと走って来る。
俺は緩やかに走り出して、手を後方へと伸ばして。
やがて掌にぶつかったバトンを握り締め、走るスピードを上げる。
コーナーを走る時、あの後輩の声援が聞こえた気がした。
俺は事件を起こした君を、完全に信用は、できないが。
それでも確かに、一部では救われている。
偏った愛を見せた元彼も、転校した先で、金井の言葉を受けて、愛し方の偏りを正せていたら良いなと思う。
記念に付き合ってと言ってきた人達も、本気で恋心を向けてくれたものの、『僕』から愛が返って来ないからと振って行った人達も。
みんなどこかで今の俺を知って、これからも、俺の一部を見聞きするんだろう。
なら、そうだな、そうだよな。
金井の言う通り、これからもずっと一緒に居て。
お似合いカップルだって、噂になるのも悪くない。
走り抜けた先で次の走者へとバトンを渡して、レーンから逸れると腕を引かれる。
見ると金井で、お疲れ、と嬉しそうに言われて。
「がんばれ」
荒い息の中言うと、金井からはしっかりとした頷きが返ってきて、また走者の列へと戻って行く。
うちのクラスは今三位で、二位と抜いては抜かれてを繰り返していて。
全員が全力を出して、あっという間の終盤。
呼ばれた金井がスタートラインに並ぶ。
後方を見る、その横顔が見える。
声援が近付いて、金井が緩やかに動き出して、バトンを受け取り、走る。
その瞬間から、時の流れが穏やかになったのかと思う程に、金井は軽く、易々と駆け抜けていく。
その先で二位を追い抜いて、一位も余裕で追い抜くから、最早歓声も追い付いておらず、俺は笑う。
お前、そんなに走るの速かったのかよ。
金井は半周を駆け抜けて、更に半周。
そのまま最後の直線も全力で駆け抜け、ゴールテープが切られる。一着のアナウンスと共に歓声と雄叫びが響き渡って、拍手が巻き起こる。
金井は楽しそうに、全力で笑っていて。
楽しめたなら良かったな、と思っていたら、そのままのスピードで俺の元までやって来て、飛び付いてくるから死ぬかと思った。
周囲の歓声は悲鳴に近い絶叫となり、即座に『勝利の熱いハグ!』というファンクラブ通信が、広められたらしい。
金井の飛び付き以降、あれが今の希の彼氏か、と広まりつつあり。
金井にも視線が集まり始めていて、複雑だった。
けれど本人は全く気にせずにこにこしている。久々に全力で走って楽しかったらしい。
「部活やらないのか」
金井に聞いてみると、割とすぐに頷かれる。
「ノリが苦手」
「っふ」
そんな理由で、と思うけれど。
それも大事な理由だよな、と思う。
合わない人や、ものや、環境は、本当に容易く人を腐らせる。
だから無理せす、必要な時に全力で走って、全力で楽しそうな金井を羨ましく思った。誇らしく思った。
また走る姿を見たいと思ったから、ほんの少しだけ残念ではあるけれど。
やがて、最後の競技、二人三脚が始まる。
クラスメイトの声援に送り出され、俺と金井も走者の列に混ざった。
金井と肩を組むと、足首にバンドが巻かれる。
何気に肩を組むの初めてか?と思っていたら、金井も興味深そうにこちらを見ているので笑った。
「コケるなよ」
「うん」
「コケるなら一人でコケろよ」
「うん」
「っふ」
無理だろ共倒れだわ、って笑うと、金井も楽しそうに笑う。
その俺達の笑い声に、周囲の視線が集まるのを感じるが、もう、あまり気にならない。
二人で目立つと金井の顔まで知れ渡る、と若干、怯えていたが。
リレーの後金井が飛び付いてきた瞬間から、もう、どうでも良くなった。
気にして怯えるより、散々見せ付けて笑っていよう。
スタートラインに並ぶと、声援が大きくなる。
「真ん中から出す。大きく行く」
「うん」
打ち合わせは、それだけ。
あれだけ軽やかに走る金井のことだ。きっと俺に合わせるなんて余裕だろう。
スタートの合図と共に、最初から大きく踏み出せば、金井も楽々と付いて来る。
そのままの勢いで駆けると、普通に走れてしまうから笑う。周囲の声に驚きが混ざって、歓声が上がって、声援に押されて、笑う。
ああ、もう。
本当に楽しいな!
そうしてただ笑って、走って。
あっという間に、ゴールまで駆け抜ける。
振り返れば他の走者はまだ遠くに居て。
「楽しかったな」
「うん」
「コケなかったな」
「ふふ、うん」
二人顔を見合わせて、笑う。
そうして、俺達の体育祭が、幕を閉じる。
