いつか幸せになる君へ

どうか幸せでいて、どうか幸せでいて、どうか幸せでいて、どうか幸せにしね。そんな言葉が浮かんだけど、目の前にいるあなたに伝わらないように取り繕った。喫茶店、数日前から喧嘩をしていて、別れるか否かを話している最中。あなたがグラスを手に持ち、ストローを咥えてアイスティを一口だけ飲んだ。ストローを伝って口の中へと入っていく茶色を目で追っていると目が合ってしまい、「ん?」と訊ねてきた。そのときの顔が、付き合う前に恋したときと似ていて、けれど、また燃え上がるような恋が芽生えることはなく。「なんでもない」と素っ気なく返し、同じようにグラスを手に持った。グラスに氷が当たる音がする。

些細な喧嘩だった。どちらかが謝れば収まるような、客観的に見れば「なんで謝らないの」と思ってしまうような。けれど、当事者になれば謝れない理由だって分かるはず。謝りたくても、どんなに言葉が浮かんでも、それを相手に伝える素直さをどちらも持ち合わせてはいなかった。この喫茶店を選んだのは私。喧嘩の終着点にしたかったのだけど、気まずさだけが場を支配している。私たちは同じものを注文していて、喧嘩をしていない恋人同士みたいにも思えるけど、ぶっきらぼうなあなたの表情が現実へと引き戻してくる。考えに耽っていて、あなたが何を言っていたのか聞き逃してしまった。「なんか言った?」と訊ねる。

「別れよう、もう好きになれない」とあなたが言った。確かに、あなたが言った。様々な思い出の中で一緒に笑っているあなたが、私だけに向けて言った。その事実が受け止めきれなくて、情緒を保てなくて「ちょっと待って」と言い、グラスを持ってストローを咥えようとした。なかなかストローを咥えられなくて、呆れてグラスに口をつけて飲んだ。持っていたグラスをテーブルに置くときも音を立ててしまう。「どうしてそうなるの」と言った。「別れることはないんじゃないの」と続けた。けど、あなたは冷静に「好きになれない人と付き合っても悲しいだけだから」と言った。よそ見をせず、私の目を見てあなたは言った。

「また明日、ここで話し合おうよ」と返す。「今、別れを決断するのは違うよ」と続けた。どうか、明日もこの人と恋人でいたい。そんな願いをまだ持ち続けている自分がいることに驚く。グラスを持ち、入っていた茶色をストローで全て飲み切ったあなたは、「他に好きな人がいるからそれはできない」と言った。嘘を吐くとき、この人は顎を触る癖があるからすぐに分かる。でも、それを伝えようとは思わなかった。私に別れを決断させるため、彼なりの優しさなような気もしてきて。「浮気みたいなことじゃん、それ」と腹を立てた素振りをあなたに見せた。「ごめん、ごめん」と謝っている。今は、それを求めていないのに。

私もグラスを持ち、ストローを咥えて全て飲み切った。それをテーブルに置くと、氷がグラスに当たる乾いた音がして、あなたが私から離れていくのを実感した。ふと、「どうか幸せでいて」という言葉が浮かぶ。別れを決断したにも関わらず、まだ相手の幸せを願える自分は余程の阿呆なのかもしれない。「もう行くね。お会計しておくから」と、あなたは伝票を持ってレジへと向かった。デートをしていたとき、あなたがレジで会計を済ましてくれる後ろ姿を幾度となく眺めていた。これが最後になってしまうとは。喫茶店の扉を開け、あなたは出て行ってしまった。ついていくように私も扉を強く開ける。扉についていた鈴が音を鳴らした。あなたが微笑みを向けてくる。私はただ、手を振った。「どうか幸せにしね」と思いながら。

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