物置令嬢の契約結婚 ~旦那様が健康になっていくのが楽しいだけだったのに、いつの間にか溺愛されています〜

「千鶴。どんなにつらいことがあっても、笑っていなさい」

 亡くなった母は昔、よくそう言っていた。

 薬の匂いが薄く立ち込める、薄暗くもどこか温かみのある病室。
 白いシーツに沈み込むように横たわっていた母の、ひどく痩せ細った手が、私の小さな手をぎゅっと握りしめていた。
 その手のひらの心細くなるような冷たさと、微かに震えていた母の優しい声を、私は今でも鮮明に覚えている。

 病床に伏し、一人で起き上がることさえ難しくなってからも、母は朝になれば必ず髪を整え、手鏡を見ながら薄く紅を引いた。
 顔色は青白くても、紅を引いた唇だけは生気を帯びて見えた。
 そして、窓辺の小さな花瓶に生けられた可憐な撫子の花を眺めては、「今日も綺麗ね」と、春の陽だまりのように微笑むのだ。

「どれほど苦しくても、自分にできることが一つくらいはあるものです。どうしても笑えない日は、泣いてもいいの。けれど泣き終えたら、今の自分にできる最大限を尽くしなさい」

「最大限……?」

 首を傾げる幼い私に、母はゆっくりと頷いた。

「ええ。昨日の自分より立派でなくても構いません。周りの人より上手でなくても構いません。その日、そのときの自分にできることを、ただ精いっぱいするのです」

 当時の私には、その言葉の本当の意味は、まだ十分には理解できていなかった。ただ、母の笑顔が好きだったから、私も一緒に笑っていた。