――すると、遠く離れた桜の木の下で、彼女はまだベンチの前に佇んでいた。
その小さな手の中には、俺の顔から取り払った、あの小さくてちっぽけな一枚の葉っぱが握られている。
彼女はそれをまるで宝物でもあるかのように胸の前で大事そうに包み込み、とても優しい笑顔ではにかんでいた。
遠目からでもはっきりと分かる、一点の曇りもない、心から溢れ出た愛らしい笑顔。
その瞬間、俺の胸は、生まれて初めて激しい音をドクドクと奏で始めた。
あぁ、そうだ。
間違いない。
これが、世間一般でいう“一目惚れ”というものなのだろう。
他人の醜い本音や嘘が見えすぎるせいで、これからの人生で自分には絶対に訪れることはないだろうと、どこかで諦め、冷めきっていた感情。
そんな心の壁を、彼女は出会ってわずか数分足らずで、いとも簡単に、そして鮮やかにさらっていってしまった。
「………っ」
じわじわと熱くなっていく自身の頬に、気づかない振りをしながら。
俺はただ、遠ざかる視界の中で、彼女のその愛おしい姿をこれ以上ないほど深く、強く、目に焼き付けた。
これから訪れる、目まぐるしくも輝かしい新しい季節に、これまでにないほど強く期待を弾ませながら。
まだ固いけれど、確実に春の息吹を蓄えている桜の蕾が、俺たちのすぐ傍で、祝福するように優しく、ゆっくりと揺れている気がした。
――観月冬弥編、Fin.



