咲夏の悲鳴のようなSOSを受け取り、西校舎の暗い廊下を大急ぎで駆け抜けてきた怜は、静まり返った空き教室Aの引き戸を勢いよく開けた。
「おい……約束通り、俺しか来てねーぞ。何があった、出てこいよ」
怜はゼェ、と荒い息を吐きながら、室内の奥にある着替えBOXの前へと近づいた。
すると、カーテンの向こうから、消え入りそうな蚊の鳴くような声が響いてくる。
「……あのね。本当に、絶対に笑わないでね?」
「あ?笑うわけねーだろ、早くしろよ」
怜がじりじりとした様子で促すと、意を決したようにカーテンがゆっくりと開いた。
――次の瞬間、怜の思考は完全に停止した。
大きな窓から差し込む、淡い秋の月の光。
それがスポットライトのように反射して、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染めてモジモジしている咲夏の姿を美しく照らし出していた。
ふわりと広がる漆黒のスカートに、白のフリル。
絶対領域をこれでもかと強調する白のニーハイソックスに、頭の上できょんと揺れるレースのカチューシャ。
液晶画面の寝顔の写真を見たときと同じ、あのどこまでもピュアな輝きを放つ、完璧な『メイド姿』の咲夏がそこにいた。
「……は、ぁあああッッッ!?!?!」
怜はポカンと口を開けたまま数秒間フリーズしたあと、グラウンドの後夜祭の爆音を突き破るような大声を荒らげた。
そして、弾かれたようにバッ!!と後ろを向き、自分の顔を片手で覆う。
「おまっ……!!なんつー格好してんだよっっっ!!!!」
「仕方ないじゃん!知華と那智に制服もウサギの着ぐるみも全部持ってかれちゃったんだもん!!これしか置いてなかったんだよぉ!」
顔を真っ赤にして必死に抗議する咲夏。
後ろを向いたまま、怜は激しく動揺して「ちっ……!」と大きく舌打ちをした。
(いや……っ、これは流石にまずいだろ!!色々と!!! あのただでさえ過保護で独占欲の塊な冬弥のやつ、こんな格好の咲夏を見たらまじでどうにかなっちまうぞこれぇええ!!)
男心をこれでもかと破壊してくる咲夏の圧倒的なメイド姿の残像が脳裏から離れず、怜の耳元は、一瞬にして真っ赤に染まっていく。
けれど、怜は深くため息をつくと、上に羽織っていた白のカッターシャツを乱暴に脱ぎ捨てた。
そして、そのシャツを咲夏の頭の上へとバサッと投げかけた。
「え……?」 不意に上から降ってきた、怜の体温が残る少し大きめの白いシャツに、咲夏は驚いて目をパチクリとさせる。
「とりあえず……それ着とけ。……ボタン全部留めれば、少しはマシになんだろ」
怜は相変わらず視線を斜め下へと逸らしたまま、ぶっきらぼうにそう告げた。
スカートの短さや露出を少しでも隠そうとしてくれた、彼なりの不器用で、最大級に優しい気遣い。
「うわぁぁああん!怜くんんん、本当にありがとうーーーっっっ!!!」
絶体絶命のピンチを救ってくれた『救世主』の男前すぎる優しさに感激した咲夏は、嬉しさのあまり怜の背中へと後ろから勢いよく抱きついた。
――ギュッ!!!
咲夏の細い腕が、怜の裸の背中を、カッターシャツを羽織った状態のままがっしりとホールドする。
「ちょ、お前っっっ!?!?この状況で、男に後ろから抱きつくんじゃねーよっ!!!」
背中に伝わる、メイド服のフリルの感触と、咲夏の柔らかくて小さな体温。
怜は心臓が爆発しそうなほどの衝撃を受け、顔を耳元まで真っ赤に染め上げながら、大慌てでジタバタと抵抗した。
冬弥の待つ昇降口の裏側で、さらに甘酸っぱく、激しくもつれ合っていくふたりの距離。
けれど、怜のシャツを必死に掴んで引き留める咲夏も、それにパニックを起こす怜も、まだこれっぽっちも気づいていなかった。
「咲夏遅いなー」と心配した執事姿の冬弥が、スマホを片手に、この西校舎の空き教室Aに向かって、すぐそこまで足音を響かせて近づいてきているという、過去最大の特大の修羅場の足音を――。



