片隅の貧しい村に転生した僕は、魔道具づくりで暮らしを変えます~規格外のモノづくりで大好きな家族を世界一幸せにする~

 吐く息は白く、冬の夜風が制服越しに肌を刺した。

 高校生の僕は、街灯もまばらな帰り道を一人で歩いていた。

 家に帰るだけなのに、心は少しも休まらない。

 むしろ近づくほど、胃の奥が重くなっていく。

 優秀な姉と、誰からも好かれる兄。
 
 それに比べて、平凡な僕は家族にとって邪魔者でしかなかった。

『お前、本当に無能だな』

『あんたが家にいるだけで空気が悪くなるのよ』

 兄と姉の言葉を、両親は止めない。
 
 何か言い返せば余計に傷つくだけだから、僕はいつしか感情を殺して黙ることを覚えた。

 高校を卒業して、働いて、家を出る。
 
 それだけを支えに、僕はこの家で息をしていた。

 ふと立ち止まり、真っ暗な夜空を見上げる。

 そんな人生、本当に幸せなのかな――そう思った瞬間。

「え……?」

 けたたましいクラクションが響いた。

 横を向いた先で、強烈なヘッドライトが視界を白く焼く。
 
 凍結した路面を滑り、大型トラックが一直線に突っ込んできていた。

 逃げる間もなかった。

 鈍い衝撃。宙に浮く体。

 急速に遠のく意識。

 ああ……これで、もう、あの家に帰らなくていいんだ……。

 そんな皮肉な安堵を最後に、僕の意識は完全に途絶えた。

 ◇ ◇ ◇
 
 ふわふわとした、温かいまどろみの中にいた。
 
 永遠にも似た暗闇を漂っていたはずなのに、気づけば背中に柔らかい布の感触がある。
 
 ゆっくりと、重い瞼を押し上げる。
 
「……ぁ、ぅぅ……?」
 
 声を出そうとしたが、喉からは意味を成さない、ひどく高い舌足らずな音しか出なかった。
 
 ぼやけていた視界が、少しずつ焦点を結んでいく。
 
 見慣れた自室の白い天井ではない。

 くすんだ木目が見える、古びて煤けたような天井だった。

 時折、ピシッ、と木が爆ぜるような微かな音が聞こえる。

 暖炉か何かの火だろうか。
 
 ここは病院?

 いや、どう見ても近代的な建物じゃない。
 
 状況を把握しようと体を起こそうとしたが、まったく力が入らない。

 手足が、まるで自分のものじゃないみたいに重くて鈍いのだ。
 
 視界の端に、自分の手が映り込んだ。
 
 な、何これ!?
 
 ぷくぷくと肉付きがよく、もみじのように小さく柔らかい手。

 どう見ても、高校生だった僕の手ではない。

 絵に描いたような、赤ん坊の手だ。
 
 必死に首を動かして自分の体を見下ろすと、小さな体がおくるみのような布に包まれているのがわかった。
 
 もしかして……転生したのか?
 
 漫画で散々読んだ、ファンタジー世界への転生。

 まさか、そんな非現実的なことが自分の身に起きるなんて。
 
 混乱する僕の耳に、バタバタという足音と切羽詰まったような、けれどどこか嬉しそうな声が聞こえてきた。
 
「起きたか!? お、泣いてないな!」
 
「ええ、とても静かで……良い子ね」
 
 僕の顔を覗き込んできたのは、二人の大人だった。
 
 無精髭を生やし、日に焼けた屈強な体つきの男性。

 そして白髪の長髪をした、優しげな水色の目元をした女性。
 
 服装は粗末な麻布のようなもの。
 
 二人は、まるでこの世の宝物でも見つけたかのような、慈愛に満ちた瞳で僕を見つめていた。
 
「元気に育ってちょうだいね、クリス」
 
 母らしき人が、壊れ物に触れるように優しく僕を抱きかかえてくれた。
 
 母の胸の温もりに、僕は思わず目を見開いた。
 
 前世で、僕は両親からこんな風に抱きしめられた記憶がない。

 少なくとも、物心ついてからは一度も。
 
 ただ抱きしめられ、撫でられ、名前を呼ばれる。

 たったそれだけのことが、こんなにも温かく、胸を満たすものだったなんて知らなかった。
 
 だが、安らぐ僕の耳に、両親の潜めた声が届いた。
 
「……それで、今日の食事の分はどうだ、ミレア? 残りは……」
 
「ごめんなさい、ガレス。少し足りないかもしれないわ」
 
「そうか……。俺が明日、森の奥まで行ってもう少し木の実や獣の肉を狩ってくる。それを隣村の商人に売れば、少しは足しになるはずだ」
 
「無理はしないで。私が食べる分を減らすから」
 
「馬鹿を言え、お前が倒れたらどうするんだ。俺がなんとかする。俺たちの可愛い息子に、ひもじい思いだけはさせたくないんだ」
 
 ひそひそと交わされる会話。
 
 そこから察するに、この家はかなり貧しい状況にあるらしい。

 明日の食事さえ欠くような、ギリギリの生活。
 
 それでも、二人は僕を疎むどころか、自分の身を削ってでも僕を育てようとしてくれている。

 前世の家は裕福だったけれど、僕には何も与えられなかった。

 今の家は貧乏だけれど、ありったけの愛情を注ごうとしてくれている。
 
 なんて優しい人たちなんだろう……。
 
 目頭が熱くなるのを感じた、その時。
 
「あーっ! クリス起きてる!」
 
「お母さん、ずるい! 俺にも見せてよ!」
 
 ドタドタと賑やかな足音と共に、二人の子供が部屋に飛び込んできた。
 
 粗末な服を着た、元気いっぱいの少年と少女。
 
 その容姿は目を引くほど整っている。
 
 少年は、まるで太陽の光をそのまま溶かしたような、鮮やかな金髪のショートカット。

 そして、透き通るような青い瞳を持っている。

 一方、少女は夜明け前の澄んだ空のような、美しい青髪のロングヘア。

 そして、宝石のルビーのように輝く赤い瞳だ。

 少しツンとした可愛らしい顔立ちだけれど、僕を見る時のその赤い瞳は、とろけるように優しく、母性すら感じさせるほどに温かい。
 
 歳は二人とも、八歳くらいだろうか。
 
 僕の新しい兄と姉だ。
 
 二人が僕の顔を覗き込もうと、勢いよく顔を近づけてくる。
 
 ビクッ!!!
 
 僕の体は、意思に反して大きく跳ねた。
 
 前世のトラウマが、フラッシュバックしてしまう。
 
『邪魔なんだよ、お前!』
 
『こっち見んな、気持ち悪い!』
 
 怒鳴り声と共に振り下ろされる拳。

 冷たい嘲笑。

 兄と姉という存在は、僕にとって恐怖と暴力の象徴だった。
 
 歳の離れた兄弟が近づいてくる。

 それだけで、僕の心は警鐘を鳴らし、自己防衛本能が働いてしまう。
 
 僕は思わず、小さな両手をぎゅっと固く握りしめ、顔を強張らせて目をギュッと閉じた。

 叩かれる。罵られる。

 無意識に体を縮こまらせて、防御の姿勢をとってしまう。
 
 ……けれど。
 
 待てど暮らせど、痛みも暴言も降ってこなかった。
 
「ヤード、あんたが急に大きな声を出すから、クリスがびっくりしちゃったじゃない!」
 
「ご、ごめん! 違うんだクリス、怖くないよ!」
 
 恐る恐る薄目を開けると、そこには困ったように眉を下げ、慌てふためいている二人の姿があった。
 
 僕が怖がっていることに気づいた二人は、すぐに声を潜め、しゃがみ込んで僕の目線に合わせてくれた。
 
 そして、兄が僕の固く握りしめた小さな手を、指先でツンツンと優しくつつく。
 
「怖くないよー。俺は敵じゃないぞー。えへへ」
 
 姉は両手で自分の顔を覆い、パッと開いてみせた。
 
「いないいない~、ばぁ! ほらクリス、お姉ちゃんだよ!」
 
 二人は必死になって僕を安心させようと、変な顔をしたり、面白いジェスチャーをして敵ではないアピールを繰り返している。
 
 その必死で不器用な優しさに触れた瞬間、僕の中でカチカチに凍りついていた何かが、ふわりと溶けていくのを感じた。
 
ああ……そうか。
 
 この二人は、前世の兄や姉じゃない。
 
 僕をいじめたり、見下したりする存在じゃないんだ。
 
 ただ純粋に、新しく生まれた小さな弟を歓迎し、愛してくれている。
 
 僕の反応一つで一喜一憂してくれる、本当の家族なのだ。
 
 気づけば、僕の強張っていた頬は緩み、自然と笑みがこぼれていた。
 
「あぅ、あー」
 
 歯の生えていない口を開けて、にこりと微笑みかける。
 
「あっ! 笑った!」
 
「クリスが笑ったよ、お父さん! お母さん!」
 
 僕が笑っただけで、二人はまるで世界一の宝物を手に入れたかのように大喜びで飛び跳ねた。
 
「クリス! 俺はヤードだ! 優しいお兄ちゃんだぞ!」
 
「私はマリア! 可愛いお姉ちゃんだからね!」
 
 一生懸命に自己紹介をしてくれる兄と姉。

 僕は二人に向かって笑いかける。
 
「俺、絶対すっげー騎士になるんだ! 強くなって、魔物をいっぱい倒して、いっぱいお金を稼ぐ! そしたら、クリスに美味しい食べ物をお腹いっぱい飲ませてやるんだからな!」
 
「ヤードだけずるい! 私はすごい魔術師になるの! 魔法でいっぱい稼いで、クリスにフカフカのベッドと、新しい服を買ってあげるんだから!」
 
 ヤードも負けじと、見えない杖を振る真似をしながら言い放つ。
 
「ははは。この片隅の辺境の村から、騎士や魔術師になるのは、とんでもなく難しいことだぞ」
 
 父が苦笑いを浮かべながら二人の頭を撫でる。
 
「だが、父さんも母さんも、全力で応援するさ」
 
「ええ。ヤードもマリアも、クリスも、みんな私たちの大切な子供だもの」
 
 母が、僕を抱きしめる力を少しだけ強くした。
 
 木枯らしが吹きすさび、隙間風が入り込むボロ家。
 
 明日の食事にも困るような、辺境の貧しい村。
 
 けれど、僕を囲むこの小さな輪の中だけは、信じられないくらい温かかった。
 
 前世でずっと欲しかったもの。

 どんなに願っても手に入らなかった、無条件の愛情と肯定。

 それが、今の僕にはある。

 この家族に包まれているだけで、満たされている。
 
 僕は小さな手を伸ばし、ヤードとマリアの指をギュッと握り返した。
 
今度は僕が、この優しくて温かい家族を絶対に幸せにしてみせる。
 
 まだ言葉を持たない赤ん坊の僕は、心の中で静かに、強くそう誓ったのだった。