碧斗くんが旅立ったと知らされたのは、その日の夕方のことだった。
私が彼と次に会うことができたのは、病室ではなくて院内にある霊安室だった。
今日の昼頃、碧斗くんから電話が来た時間は運悪く予定が入っていた。
しかもその予定というのが、散髪だった。なぜこの日にしたのか、なぜあの時間にしたのか。
この日ほど、自分の不運さと間の悪さを憎んだ日はない。
夕方に碧斗くんの病院へ着くと、病室には誰の姿もなかった。
嫌な予感がした。心臓が早鐘を打つ。
近くを通りかかった看護師さんに、彼のことを聞く。返ってきた言葉を聞いて、私は絶句した。
碧斗くんは今日の昼過ぎ、呼吸不全を起こし集中治療室へ運ばれたらしい。そしてそのまま意識が戻ることなく、息を引き取ったのだという。しかも彼が亡くなったのは、私が病院へ着く三十分前だった。
院内の霊安室で、ベッドに横たわる彼と対面する。
まるでただ眠っているだけのように、安らかな顔で目を閉じている彼を前にし、多少は覚悟を決めてきたはずなのにいざ目にすると泣き崩れてしまった。
あと三十分、たった三十分早く病院へ来ていれば。たった一日、予定がずれていれば。最後に彼と、直接言葉を交わすことができたのに、
碧斗くんの葬儀は、三日後に行われた。
葬儀はご家族や親戚の方々という少数で行われた。碧斗くんのお母さんが私がよくお見舞いに行っていることを知ってくれていたので招待してくれた。
「あ、陽菜ちゃん…来てくれてありがとうね。あなたが来てくれて…きっとあの子も喜んでるわ。」
「こちらこそ…ご案内いただきありがとうございます。碧斗くんには…とてもお世話になりました。」
碧斗くんのお母さんは、喪服に身を包み、顔も少しやつれているように見える。息子を病で、それも十七歳という年齢で亡くしたのだから、無理もないだろう。
「…一ついいかしら。陽菜ちゃんが碧斗とよく話すようになったのはいつ頃かしら?」
「碧斗くんとですか?確か…半年前、去年の七月くらいだったと思います。」
「そうなのね…陽菜ちゃん、ありがとうね。」
突然の感謝の言葉に、思わず目を丸くする。彼女は少し微笑んで言葉を続けた。
「碧斗はね、病気が分かってからはかなり落ち込んでたのよ。でも、ある時から段々明るくなっていったのよ。それがちょうど半年前、陽菜ちゃんと話すようになってからだったわ。一回また落ち込んでたときもあったけど、最近はむしろ病気になる前より明るかったのよ。」
「そう…なんですか…?」
「ええ、そうよ。あの子はきっと、あなたと過ごせて幸せだったと思うわ。」
碧斗くんは私のお陰で救われたと言ってくれた。それが本当だったと改めてわかって、胸が暖かくなった。堪えようとしたけど、涙がこぼれてしまった。
「私も…碧斗くんと過ごせて幸せでした。」
お通夜の日の納棺のとき、私は棺に写真を入れた。
空を映した、彼が初めて褒めてくれた写真。
夏祭りで撮った、お祭りの風景。
屋上で撮った、彼とのツーショット。
夜の山で撮った、夜空と彼。
クリスマスに撮った、光り輝くイルミネーションの数々。
そんな大切な思い出達。それを碧斗くんが天国で見返せますように。そんな思いを込めて。
お通夜は滞りなく執り行われ、火葬、骨上げを終えて式場へ戻った。
「お母さん、今日はご案内いただいてありがとうございました。私はこれで失礼します。」
「ええ、来てくれてありがとうね。あ、そうだ。ちょっと待ててくれる?」
そう言うと碧斗くんのお母さんは一度奥へ行き、一枚のメッセージカード用の封筒を持ってきた。
「これ、碧斗から頼まれてたの。葬式が終わったら、あなたに渡してって。」
「ええ、そうよ。家に帰ったら開けてあげて。」
「…わかりました。ありがとうございます。」
家に帰り、自分の部屋へ戻る。鞄から、受け取った手紙を取り出す。
碧斗くんが私へ遺してくれたもの。何が入っているんだろうという興味と不安が入り混じっている。
でもあの優しい碧斗くんなら、私が悲しむようなものは入っていないはずだ。
覚悟を決め、私は封筒を開いた。
中には折りたたまれた一枚の紙と、もう一つの少し小さい封筒が入っていた。先に折りたたまれている紙に目を通す。
それは、碧斗くんから私への手紙だった。
『如月へ
この手紙を君が読んでるということは、僕はもうこの世にいないかと思います。
この手紙を残したのは、あなたへいくつかの思いを伝えるためです。生きている内は少し恥ずかしく て伝えられなかった思いを。
まずは何度か言ったけれど、僕を何度も救ってくれてありがとう。
病気が発覚して、僕は絶望に突き落とされた。生きる希望を失い、何もかも投げやりになって生きて きた。
如月と出会うまでは。
君と出会って、僕は絶望から抜け出すことが出来た。如月が僕に話しかけてくれて、お昼に誘ってく れて、遊びに誘ってくれて。そうしている内に、灰色だった毎日に色がついた。
あのまま如月と出会わなかったら、僕はきっと一人寂しく死んでいた。
君は僕を、優しいと言ってくれた。あの一言で、僕はやっと報われた気がしたんだ。
今までずっと一人で生きてきた。学校では話す相手もいなくて、ずっと一人ぼっちだった。だから人 に優しさを向けることも、向けられることもなかった。
君と過ごしていて、初めて優しさを感じることができた。もちろん親からの優しさは感じてきたけ どそれとは違う、温かい優しさを。
僕に優しさを向けてくれて、僕のことを優しいと言ってくれて、初めて自分が優しいと知ることが出 来た。
それでやっと、僕という人間が認められた気がした。
僕に優しさを教えてくれてありがとう。
君が入院して、久しぶりに屋上で話した日。あの時、君を傷つけてしまってごめん。
あの時の僕は、如月のことをまだ分かっていなくて。そして如月を信じられなかった。
残り少ないあなたが、僕といると時間を無駄にしてしまう。僕と過ごす意味はない。如月といるべき じゃない。そんな独りよがりな考えで、君を傷つけた。
如月ならきっと、そんなことはないと言ってくれる。そんなことは分かっていたはずなのに。
でも信じることが出来なくて、君を傷つけた。
あの日は本当にごめん。
そして、僕と過ごしてくれてありがとう。
君と出会えて、君と過ごせて、僕の人生は輝かしいものになった。
如月と過ごした時間は、僕のどんな時間よりも大切で価値がある。そう断言できる。
君のおかげで、僕は一人寂しく終えると思っていた人生を、素晴らしいものにしてくれた。
本当にありがとう。
君を残して逝ってしまうこと。これだけが唯一の心残りだよ。
病気のことをこれほど恨んだことはない。
もっと、如月と過ごしていたかった。
僕が言えたことではないけれど、できるだけ君には長生きして、その世界を楽しんでほしい。
その様子を、天国から見守っているよ。
そしてまたいつか、天国でまた会おう。
それまで待っているから。
最後に、もう一つ伝えたいことがあります。それはもう一つの封筒の中身に書いてあるよ。
如月ならきっと、その意味をわかってくれるはず。
さようなら。そしてありがとう。
碧斗より。』
手紙を読み終え、そっと机に置く。
読んでいる途中から、気づけば涙が頬を伝っていた。
私が碧斗くんを救えていたこと。碧斗くんを認められていたこと。
それを改めて知れて、嬉しかった。
本当は彼が一番辛いはずなのに、私のことを気遣わせてしまったこと。
それが悲しかった。
目を閉じれば、彼と過ごした日々が鮮明に蘇ってくる。
碧斗くん、私も君に救われてきたんだよ。私も君の優しさに、助けられてきたんだよ。君も私を、認めてくれたんだよ。
そんな彼に伝えたい思いが次々と湧いてくるけれど、もう彼はこの世にはいない。
伝えられないことが、何よりも辛かった。
そして、もう一つの封筒を手に取る。この中に、碧斗くんが最後に伝えたかったことが書かれている。
なんとか涙を堪えながら、封を切る。
中に入っていたのは、一枚の写真だった。
その写真には月が収められていた。暗い夜に一つだけ輝く、綺麗な満月の写真。
これが、私に伝えたかったことなのだろうか。
裏を見てみると、そこには文字が書かれていた。『最近ふと気になって、調べてみてようやく意味がわかったよ。
あの時に気づけなくてごめん。
この写真を撮ったのはあの日じゃないけれど、込めている意味は同じ。
今は僕も、君と同じ気持ちだよ。』
写真の裏にはそう書かれていて、右下には「九月二十五日」と書かれていた。
月の写真と、九月二十五日という日付。これが意味することとはなんなのだろうか。
九月二十五日は、中秋の名月で月見の日だ。月見といえば、去年碧斗くんと二人で山へ月を見に行った。
『あの時気づけなくてごめん。』
もう一度文章を読み返して、その一節を読んでハッとした。
月の写真、九月二十五日、そして碧斗くんが気づいてくれなかった言葉。
それに当てはまるのは、たった一つ。私が彼に言った、「月が綺麗ですね。」という言葉。
そして
『今は僕も、同じ気持ちだよ。』
「月が綺麗ですね。」には、「あなたを愛しています。」という意味がある。
彼も私を愛してくれていたのだ。
その事実を知った驚きと嬉しさで、引き始めていた涙が再び溢れ出してきた。
でもこれは、悲しみの涙じゃない。
碧斗くんが私を愛していてくれたこと、それがたまらなく嬉しかった。
「碧斗くん…私もあなたのことが好き…大好きだった。」
もう届かないと分かっていながら、彼への思いを言葉にする。
天国から碧斗くんが聞いていてくれることを願って。
カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚める。
昨日は碧斗くんの手紙を何度も読み返し、そのたびに涙を流していつの間にか眠ってしまったみたいだった。
ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。外を見ると、雪が降っていた。
その雪を見て、私の足は自然と玄関へ向かっていた。
外へ出ると、雪が静かに、穏やかに舞っていた。
空には薄く雲がかかっているけれど、暗くはない。太陽の光も僅かにさしていて、透き通るような空だった。
手のひらを空に向けて、降ってくる雪を手で受ける。
冬の空気は、相変わらず肌を刺すように寒い。でもその雪だけ、なんだか少し温かい気がした。
「そういえば…碧斗くん言ってたっけ。」
『亡くなった人は、大切な人のことを思って雪を降らせられる。』
この雪は、碧斗くんが天国から降らせてくれているのかもしれない。
私を励ますために。
そう思うと、胸の中が暖かくなった。
「もう…こんな時までお節介なんだから。」
一度家の中に戻り、カメラを手に再び外へ出る。
優しく降り注ぐ綺麗な雪を、写真に収める。
寒い冬に降る、少しだけ温かい雪。
きっとこの先、私は何があっても乗り越えられる。この写真が、私を励ましてくれるから。
だから私は、碧斗くんのためにも生きられる限り、精一杯生きる。
私だってあとどのくらい生きられるかわからないけれど、前を向いて歩こう。
天国で碧斗くんに、胸を張って頑張ったよと言えるように。
私は自分の部屋に戻り、学校へ行く準備を始めた。
窓の外では、雪が静かに降り続けていた。
私が彼と次に会うことができたのは、病室ではなくて院内にある霊安室だった。
今日の昼頃、碧斗くんから電話が来た時間は運悪く予定が入っていた。
しかもその予定というのが、散髪だった。なぜこの日にしたのか、なぜあの時間にしたのか。
この日ほど、自分の不運さと間の悪さを憎んだ日はない。
夕方に碧斗くんの病院へ着くと、病室には誰の姿もなかった。
嫌な予感がした。心臓が早鐘を打つ。
近くを通りかかった看護師さんに、彼のことを聞く。返ってきた言葉を聞いて、私は絶句した。
碧斗くんは今日の昼過ぎ、呼吸不全を起こし集中治療室へ運ばれたらしい。そしてそのまま意識が戻ることなく、息を引き取ったのだという。しかも彼が亡くなったのは、私が病院へ着く三十分前だった。
院内の霊安室で、ベッドに横たわる彼と対面する。
まるでただ眠っているだけのように、安らかな顔で目を閉じている彼を前にし、多少は覚悟を決めてきたはずなのにいざ目にすると泣き崩れてしまった。
あと三十分、たった三十分早く病院へ来ていれば。たった一日、予定がずれていれば。最後に彼と、直接言葉を交わすことができたのに、
碧斗くんの葬儀は、三日後に行われた。
葬儀はご家族や親戚の方々という少数で行われた。碧斗くんのお母さんが私がよくお見舞いに行っていることを知ってくれていたので招待してくれた。
「あ、陽菜ちゃん…来てくれてありがとうね。あなたが来てくれて…きっとあの子も喜んでるわ。」
「こちらこそ…ご案内いただきありがとうございます。碧斗くんには…とてもお世話になりました。」
碧斗くんのお母さんは、喪服に身を包み、顔も少しやつれているように見える。息子を病で、それも十七歳という年齢で亡くしたのだから、無理もないだろう。
「…一ついいかしら。陽菜ちゃんが碧斗とよく話すようになったのはいつ頃かしら?」
「碧斗くんとですか?確か…半年前、去年の七月くらいだったと思います。」
「そうなのね…陽菜ちゃん、ありがとうね。」
突然の感謝の言葉に、思わず目を丸くする。彼女は少し微笑んで言葉を続けた。
「碧斗はね、病気が分かってからはかなり落ち込んでたのよ。でも、ある時から段々明るくなっていったのよ。それがちょうど半年前、陽菜ちゃんと話すようになってからだったわ。一回また落ち込んでたときもあったけど、最近はむしろ病気になる前より明るかったのよ。」
「そう…なんですか…?」
「ええ、そうよ。あの子はきっと、あなたと過ごせて幸せだったと思うわ。」
碧斗くんは私のお陰で救われたと言ってくれた。それが本当だったと改めてわかって、胸が暖かくなった。堪えようとしたけど、涙がこぼれてしまった。
「私も…碧斗くんと過ごせて幸せでした。」
お通夜の日の納棺のとき、私は棺に写真を入れた。
空を映した、彼が初めて褒めてくれた写真。
夏祭りで撮った、お祭りの風景。
屋上で撮った、彼とのツーショット。
夜の山で撮った、夜空と彼。
クリスマスに撮った、光り輝くイルミネーションの数々。
そんな大切な思い出達。それを碧斗くんが天国で見返せますように。そんな思いを込めて。
お通夜は滞りなく執り行われ、火葬、骨上げを終えて式場へ戻った。
「お母さん、今日はご案内いただいてありがとうございました。私はこれで失礼します。」
「ええ、来てくれてありがとうね。あ、そうだ。ちょっと待ててくれる?」
そう言うと碧斗くんのお母さんは一度奥へ行き、一枚のメッセージカード用の封筒を持ってきた。
「これ、碧斗から頼まれてたの。葬式が終わったら、あなたに渡してって。」
「ええ、そうよ。家に帰ったら開けてあげて。」
「…わかりました。ありがとうございます。」
家に帰り、自分の部屋へ戻る。鞄から、受け取った手紙を取り出す。
碧斗くんが私へ遺してくれたもの。何が入っているんだろうという興味と不安が入り混じっている。
でもあの優しい碧斗くんなら、私が悲しむようなものは入っていないはずだ。
覚悟を決め、私は封筒を開いた。
中には折りたたまれた一枚の紙と、もう一つの少し小さい封筒が入っていた。先に折りたたまれている紙に目を通す。
それは、碧斗くんから私への手紙だった。
『如月へ
この手紙を君が読んでるということは、僕はもうこの世にいないかと思います。
この手紙を残したのは、あなたへいくつかの思いを伝えるためです。生きている内は少し恥ずかしく て伝えられなかった思いを。
まずは何度か言ったけれど、僕を何度も救ってくれてありがとう。
病気が発覚して、僕は絶望に突き落とされた。生きる希望を失い、何もかも投げやりになって生きて きた。
如月と出会うまでは。
君と出会って、僕は絶望から抜け出すことが出来た。如月が僕に話しかけてくれて、お昼に誘ってく れて、遊びに誘ってくれて。そうしている内に、灰色だった毎日に色がついた。
あのまま如月と出会わなかったら、僕はきっと一人寂しく死んでいた。
君は僕を、優しいと言ってくれた。あの一言で、僕はやっと報われた気がしたんだ。
今までずっと一人で生きてきた。学校では話す相手もいなくて、ずっと一人ぼっちだった。だから人 に優しさを向けることも、向けられることもなかった。
君と過ごしていて、初めて優しさを感じることができた。もちろん親からの優しさは感じてきたけ どそれとは違う、温かい優しさを。
僕に優しさを向けてくれて、僕のことを優しいと言ってくれて、初めて自分が優しいと知ることが出 来た。
それでやっと、僕という人間が認められた気がした。
僕に優しさを教えてくれてありがとう。
君が入院して、久しぶりに屋上で話した日。あの時、君を傷つけてしまってごめん。
あの時の僕は、如月のことをまだ分かっていなくて。そして如月を信じられなかった。
残り少ないあなたが、僕といると時間を無駄にしてしまう。僕と過ごす意味はない。如月といるべき じゃない。そんな独りよがりな考えで、君を傷つけた。
如月ならきっと、そんなことはないと言ってくれる。そんなことは分かっていたはずなのに。
でも信じることが出来なくて、君を傷つけた。
あの日は本当にごめん。
そして、僕と過ごしてくれてありがとう。
君と出会えて、君と過ごせて、僕の人生は輝かしいものになった。
如月と過ごした時間は、僕のどんな時間よりも大切で価値がある。そう断言できる。
君のおかげで、僕は一人寂しく終えると思っていた人生を、素晴らしいものにしてくれた。
本当にありがとう。
君を残して逝ってしまうこと。これだけが唯一の心残りだよ。
病気のことをこれほど恨んだことはない。
もっと、如月と過ごしていたかった。
僕が言えたことではないけれど、できるだけ君には長生きして、その世界を楽しんでほしい。
その様子を、天国から見守っているよ。
そしてまたいつか、天国でまた会おう。
それまで待っているから。
最後に、もう一つ伝えたいことがあります。それはもう一つの封筒の中身に書いてあるよ。
如月ならきっと、その意味をわかってくれるはず。
さようなら。そしてありがとう。
碧斗より。』
手紙を読み終え、そっと机に置く。
読んでいる途中から、気づけば涙が頬を伝っていた。
私が碧斗くんを救えていたこと。碧斗くんを認められていたこと。
それを改めて知れて、嬉しかった。
本当は彼が一番辛いはずなのに、私のことを気遣わせてしまったこと。
それが悲しかった。
目を閉じれば、彼と過ごした日々が鮮明に蘇ってくる。
碧斗くん、私も君に救われてきたんだよ。私も君の優しさに、助けられてきたんだよ。君も私を、認めてくれたんだよ。
そんな彼に伝えたい思いが次々と湧いてくるけれど、もう彼はこの世にはいない。
伝えられないことが、何よりも辛かった。
そして、もう一つの封筒を手に取る。この中に、碧斗くんが最後に伝えたかったことが書かれている。
なんとか涙を堪えながら、封を切る。
中に入っていたのは、一枚の写真だった。
その写真には月が収められていた。暗い夜に一つだけ輝く、綺麗な満月の写真。
これが、私に伝えたかったことなのだろうか。
裏を見てみると、そこには文字が書かれていた。『最近ふと気になって、調べてみてようやく意味がわかったよ。
あの時に気づけなくてごめん。
この写真を撮ったのはあの日じゃないけれど、込めている意味は同じ。
今は僕も、君と同じ気持ちだよ。』
写真の裏にはそう書かれていて、右下には「九月二十五日」と書かれていた。
月の写真と、九月二十五日という日付。これが意味することとはなんなのだろうか。
九月二十五日は、中秋の名月で月見の日だ。月見といえば、去年碧斗くんと二人で山へ月を見に行った。
『あの時気づけなくてごめん。』
もう一度文章を読み返して、その一節を読んでハッとした。
月の写真、九月二十五日、そして碧斗くんが気づいてくれなかった言葉。
それに当てはまるのは、たった一つ。私が彼に言った、「月が綺麗ですね。」という言葉。
そして
『今は僕も、同じ気持ちだよ。』
「月が綺麗ですね。」には、「あなたを愛しています。」という意味がある。
彼も私を愛してくれていたのだ。
その事実を知った驚きと嬉しさで、引き始めていた涙が再び溢れ出してきた。
でもこれは、悲しみの涙じゃない。
碧斗くんが私を愛していてくれたこと、それがたまらなく嬉しかった。
「碧斗くん…私もあなたのことが好き…大好きだった。」
もう届かないと分かっていながら、彼への思いを言葉にする。
天国から碧斗くんが聞いていてくれることを願って。
カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚める。
昨日は碧斗くんの手紙を何度も読み返し、そのたびに涙を流していつの間にか眠ってしまったみたいだった。
ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。外を見ると、雪が降っていた。
その雪を見て、私の足は自然と玄関へ向かっていた。
外へ出ると、雪が静かに、穏やかに舞っていた。
空には薄く雲がかかっているけれど、暗くはない。太陽の光も僅かにさしていて、透き通るような空だった。
手のひらを空に向けて、降ってくる雪を手で受ける。
冬の空気は、相変わらず肌を刺すように寒い。でもその雪だけ、なんだか少し温かい気がした。
「そういえば…碧斗くん言ってたっけ。」
『亡くなった人は、大切な人のことを思って雪を降らせられる。』
この雪は、碧斗くんが天国から降らせてくれているのかもしれない。
私を励ますために。
そう思うと、胸の中が暖かくなった。
「もう…こんな時までお節介なんだから。」
一度家の中に戻り、カメラを手に再び外へ出る。
優しく降り注ぐ綺麗な雪を、写真に収める。
寒い冬に降る、少しだけ温かい雪。
きっとこの先、私は何があっても乗り越えられる。この写真が、私を励ましてくれるから。
だから私は、碧斗くんのためにも生きられる限り、精一杯生きる。
私だってあとどのくらい生きられるかわからないけれど、前を向いて歩こう。
天国で碧斗くんに、胸を張って頑張ったよと言えるように。
私は自分の部屋に戻り、学校へ行く準備を始めた。
窓の外では、雪が静かに降り続けていた。
