寒くて温かいおせっかい

 次に僕が目覚めたのは天国だった、なんてことはなかった。
 ゆっくりと瞼が開き、最初に目に入ったのは見慣れない真っ白な天井だった。だるさが残る体をなんとか起こし、周囲を見渡す。
 見たところ、どうやら病室のようだった。個室のようで、自分以外には誰も居ない。
 ここにいる経緯がわからず、なんとか思い出そうとする。
 しばらく虚空を見つめて、ようやく思い出した。あの夜に起きたことを。
 ナースコールを押して、看護師を呼ぶ。すぐにやってきてくれて、事情を説明してくれた。
 クリスマスの夜、僕は発作で倒れ病院へ搬送された。
 二日間眠っていたらしく、今日は一二月二十七日だった。
 看護師さんが両親に連絡してくれたらしく、目覚めてから三十分も経たずに飛んできてくれた。
 「碧斗...!よかった、目が覚めて…。」
 母さんは病室に入るなり泣き崩れてしまった。父さんはそんな母さんを宥めながら、僕を心配してくれた。
 それから少しして、両親と僕は看護師に呼ばれて診察室へ行った。そこで、医者から話をされた。
 「心臓の腫瘍がかなり肥大化していまして…目が覚めたのが奇跡です。ですが…もう、長くは持たないでしょう…。」
 医者からの、残酷な宣言。もう覚悟はしていたつもりだったが、改めて言われるとショックが大きかった。
 母さんも、涙を流し医者と何か話していた。父さんも涙こそ流していなかったものの、神妙な面持ちだった。
 でも、そんな中でも僕はずっと、如月の事を考えていた。

 病室へ戻り、しばらく親と話をした。面会終了時間がきたので、親は家へ帰り僕は一人になった。
 スマホを確認してみると、如月から何通もメッセージが来ていた。
 『碧斗くん大丈夫なの?目が覚めたら連絡して。』
 『そんなに体の調子が良くないのかな。私は心配だよ。連絡待ってるね。』
 そんな心配のメッセージがいくつも。心配をかけてしまった申し訳なさと、心配してくれていたという嬉しさが同時に込み上げてきた。
 当然目が覚めたのだから、なにか返事を送らないといけない。何と送ろうか、しばらく悩んだ末、電話をかけることにした。
 こういう時は、文字じゃなく言葉で伝えたほうがいいだろう。
 思えば、如月に自分から連絡するのは初めてだ。しかも通話で、自分の病気を知らせるために。
 電話をかけ、コールが病室に響く。数コールが鳴ったところで、如月が電話に出た。
  「如月、明日の午後二時に、明和病院の二一三号室に来てほしい。」

 突然の要求にも、如月は了承してくれた。
 そして約束の時間に、扉がノックされた。返事をし、彼女を迎え入れる。会うのは二日ぶりだが、妙に久しぶりに感じた。
 「碧斗くん…目が覚めたんだね。」
 彼女はほっとしたように、軽く涙ぐみながらそう呟いた。
 「うん。心配かけてごめん。」
 「ううん、大丈夫…それより、体は大丈夫なの…?」
 その問いに、僕は姿勢を正した。
 「それなんだけど…如月に、言わないといけない事がある。」
 僕の変化に気づいたのか、如月も背筋を伸ばし、息を呑んで続く僕の言葉に耳を傾けた。
 「実は…僕は、心臓に、癌があるんだ。」
 「え…?」
 突然の告白に、彼女は理解が追いついていない様子だった。無理もない。僕もそうだったのだから。でも、もう一つ言わないといけないことがある。
 「それで、もういつまで生きられるかわからない。」
 「そんな…嘘、だよね…?」
 絞り出したような、なにか懇願するような声。表情も、みるみるうちに崩れていった。
 「嘘じゃ、ないんだ。」
 「そんな…。」
 如月は、絶望したようにその場にへたり込んでしまった。まだ理解が追いついていない様子だったので、少し落ち着くまで待つ。
 「心臓がんって…いつ分かったの…?」
 「今年の二月だよ。」
 「そっか…そういうことだったんだ…。」
 如月は納得がいったようにそう零した。そういうこと、とはどういうことだろうか。
 「初めて会った日、碧斗くんが何か、私と同じようなものを抱えてたような気がしたのは、そういうことだったんだね…」
 そういえば、夏休み明けのあの日に屋上でそんなことを言っていた。
 「碧斗くん、自分も病気を抱えてて、私と過ごしてくれてたんだね。」
 打って変わって少し嬉しそうにそう言った彼女を、黙って見つめる。
 「自分も辛かったはずなのに、私に時間を使ってくれて。いっぱい気を遣ってくれて、たくさん優しくしてくれて。やっぱり…碧斗くんは優しい。ほんと、ありがとうね。私が何度碧斗くんに救われたことか。」
 「それは違うよ。救われてきたのは、僕の方だ。」
 如月は、僕に救われたと言ってくれた。でも、救われたのは僕の方だ。僕は常に、君に救われ続けてきた。
 「僕が君と過ごしたんじゃない。君が僕と過ごしてくれたんだ。ほとんど他人だった僕に話しかけて、お昼に誘ってくれて、夏祭りに、月見に、イルミネーション。そのどれもが嬉しかったし、楽しかった。そして如月は、僕に何度も優しいと言ってくれた。その言葉に、何度も救われてきたんだ。」    
 これが、僕が如月に言いたかったことの一つだ。彼女の言葉を聞いたときには、口が自然と動いていた。
 僕の言葉を聞いた如月は、目に涙を浮かべながらも微笑んでくれた。いつもの彼女の、優しい笑顔で。
 「そっか…じゃあ私達、お互い様だね。お互いがお互いを救ってきたんだよ。」
 「…そうかもね。きっとそうだ。」
 如月がいなければ、確実に今の僕はいない。もしかしたら、僕がいなければ今の如月もいないのかもしれない。
 でも、一つ聞いておかないといけないことがある。今までに二度聞いた、この問いを。
 「…如月は、僕と過ごしていていいの?」
 「またその話?良いんだって言ってるじゃん。この前も同じことを…」
 「違うんだ。僕は、もう長くはない。明日の保証すらない。だから、きっと君より先に死ぬ。そんな僕に、君の残り少ない時間を使っていいの?」
 もう三回目になる、この質問は、するたびに僕の中では意味合いが違っていた。
 前回までは、純粋に彼女のことを考えての質問だった。でも今度は、少し違う。彼女のため。そして自分のためでもあった。
 「それは、私も変わらないよ。私だって、明日の保証なんて無い。余命一年って言われてるけど、一年生きられるってわけじゃない。そんな私のために、碧斗くんの時間を使っていいの?」
 「…碧斗くんは、その残り短い私のために時間を使ってくれた。それも私よりも短い、貴重な時間を。この半年間ずっと、私のために使ってくれた。だから今度は、私の番。私の時間を、碧斗くんに使わせて?」
 その言葉を聞いて、胸の奥が熱くなった。僕は、如月と過ごして良い自信がなかった。前回とは違う理由で。
でも彼女は、僕のために自分の時間を使うと言ってくれた。それが、たまらなく嬉しかった。
 「だから今度は、私が碧斗くんのもとへ行くよ。碧斗くんがしてくれてたみたいに。」
 「…なら、お言葉に甘えようかな。」
 如月は、やっぱりすごい人だ。何度だって、僕の心に光を灯してくれる。
 彼女には、感謝してもしきれない。
 やっぱり、僕は生きたい。もっと生きて、彼女と過ごしたい。
 再び僕に、そう思わせてくれた。

 それから約一ヶ月、如月は本当に毎日病室へ通ってくれた。
 彼女が来てくれたら、二人でなんてことない会話を交わす。屋上でしていたような、そんな会話を。
 でも、やはり幸せな時間は長くは続かない。
 僕の体調は日に日に悪化していき、せっかく彼女が来てくれたのに上手く話せない日もあった。
 医者の顔は日に日に曇っていき、年を越してからは、何日か眠り続けることもあった。
 なんとか目覚めることができた日は、如月が病室へ飛んできてくれて目が覚めたことを涙ながらに安堵するとともに喜んでくれた。
 「碧斗くん、今日は体調大丈夫?」
 「うん、今日はちょっと落ち着いてる。」
 今日も彼女が来てくれて、いつものように雑談をしていた。
 いつもと違うのは、僕が機会を伺っているということ。
 「…ねぇ、如月。」
 「ん?どうかした?」
 僕は棚に隠していた袋を取り出し、彼女に手渡した。
 「誕生日おめでとう。これ、プレゼント。」
 「え!覚えててくれたんだ!」
 今日は如月の誕生日だ。前に話していたときに、少しだけ話題に上がったのを覚えていたので準備をしていたのだ。
 「開けていい?」
 「もちろん。」
 許しを得た彼女は、それはもうウッキウキで中身を取り出し、丁寧に包装を剥がしていった。
 「わぁ…おしゃれなネックレス…お月さまの飾りも可愛い。」
 僕がプレゼントに選んだのは、月の飾りが着いているシルバーのネックレスだ。
 何か良いものはないかと考えていたときに、あの日のことを思い出したので月の飾りがあるものの中から彼女に似合いそうなものを選んだ。
 「ありがとう。とっても気に入ったよ。大事にするね。」
 「どういたしまして。お気に召したようで何よりだよ。着けてあげようか。」
 ネックレスを受け取り、後ろを向いた彼女の前からチェーンを回す。首の後ろでチェーンの両端を繋いでから、首とネックレスの間に挟まっている髪を出してあげる。最後に月の飾りを前に持っていけば
 「できたよ。」
 「うん、ありがとう。」
 如月は立ち上がると病室の中にある鏡の前に立った。そして、うっとりするような表情で鏡面に映る自分を見つめていた。
 「やっぱり…とっても可愛い。ありがとうね、こんな素敵なプレゼント。」
 とても満足してくれたようだ。自分が選んだものを気に入ってもらえると、やはり嬉しい。
 「ねぇ、なんでお月さまなの?」
 「それは…まだ内緒。」
 今はまだ、伝える必要はない。いつか彼女も理解してくれるだろう。
 
 病室の扉が開く音で、段々と意識が浮上する。ベッドを操作して背中を起こし、扉の方を見ると看護師さんが掃除に来てくれたようだった。
 看護師さんが出ていった後、日付を確認すると、僕が眠り始めた日から三日が過ぎていた。
 胸に自分の手を置き、心臓の鼓動を確かめる。最近は朝、目が覚めると必ずこれをやっていた。胸に手を置き、心臓の鼓動を聞き、今日も生きていると。
 …そろそろ、かな。
 再びスマホを手に取り、如月へ電話をかける。二回目の、これで最後になるであろう電話を。
 病室に、コールの音が響く。数コール後、彼女が電話に出た。
 「もしもし?碧斗くん、目が覚めたんだね。良かったぁ。今日は夕方くらいに行くから、待っててね!」
 「うん、待ってるよ。ねぇ、如月。」
 「ん?どうかした?」
 「ありがとう。」
 それは、僕が如月に言いたかったもう一つのこと。
 「僕は心臓がんで余命半年って言われて、絶望して、毎日を投げやりに生きてきた。そんな中君と出会って、君と過ごす内に、もう一度生きる希望を持てた。君が、沈みきっていた僕の心に光を灯してくれたんだ。」
 ずっと如月に言いたかった、僕のもう一つの思い。僕を絶望から引っ張り出してくれた彼女への、感謝の思い。彼女がいなければ、僕は一人で寂しく死んでいただろう。
 「僕に話しかけてくれて、僕と過ごしてくれて、僕を救ってくれて、僕と出会ってくれて。本当にありがとう、如月。」
 電話の向こうで、息を呑む音が聞こえた。やがて如月は涙声で、でも嬉しそうに、言葉を返してくれた。
 「こっちこそ、ありがとうね。後で行くから、いっぱい話そ。また後で。」
 「うん、ばいばい。」
 電話を切って、ベッドに横になる。
 電話越しではあったが、言いたいことは伝えられた。それに、最後に伝えたいことを伝える準備も、もう済んでいる。
 これでもうやり残したことはない。
 僕は満足げな気持ちで、目を閉じた。