その日を境に、僕と如月は再び屋上で話すようになった。如月は毎日来たわけではなかったが、僕の方は体調が優れない日以外は毎日屋上へ足を運んだ。
いつまで学校へ通えるかもわからないのなら、できるだけ如月といる時間を増やしたいと思ったからだ。
急激に、というわけではないが、やはり症状は日を追うごとに悪化しているのを感じる。今は薬で症状を抑えて登校している状態だ。
それに、病気で不安定な心を落ち着かせるのはやっぱり屋上に限る。
彼女が来ていない日に、一人でぼーっと景色を眺めるのも僕の癒しだった。
如月が来た日は、二人で他愛もない会話をして過ごした。時々昼休みにも屋上へ足を運び、一緒に昼食をとることもあった。
「ねぇ、碧斗くん。碧斗くんって前までお昼どうしてたの?よく私と一緒に食べてるけど、一緒に食べる友達っていないの?」
少々無神経にも聞こえる尋ね方だが、彼女にそういう意図はないはずなので素直に答える。
「いないよ。前にも言った気がするけど、僕友達一人もいないから。」
自嘲気味に、僕はそうつぶやいた。
少し気になったのだ。再び僕が、ネガティブなことを言えば彼女はどう反応するのか。
以前のように、怒るだろうか。悲しむだろうか。少し酷だとは思ったが、気になってしまった。
だが、彼女から返ってきた返事は予想とはだいぶ違った。
「何言ってるの、私がいるじゃん。友達。」
「…そうだったね。」
そうだった。僕にはもう、かけがえのない友達がいるのだ。僕はもう、一人ではない。
少し前に、同じことを言われた。あの時は、そうなのだろうかという薄い感想しか出てこなかった。
でも今ははっきりと思う。僕と彼女は友達であり、その事実が嬉しいと。
「私が碧斗くんの最初の友達かぁ〜なんか嬉しい。特別って感じで。そのうち他にも友達作るんだよ?碧斗くんは優しいんだから、きっとすぐできるよ。」
顔を見なくても分かった。彼女は今、ほんの少しだけ、寂しそうな表情をしているのだろう。
きっと、彼女は自分が僕の前からいなくなると思っている。そしてその後は、自分の他にも友達を作れと、そう言いたかったんだろう。
でも、実際には逆なのだ。
そんなネガティブな思考は、なんとか隠した。まだ彼女には知られたくない。
「私はね、自分で言うけど友達は多い方だと思う。でも、最近思うんだ。碧斗くんは、その中でも、特別なんだなって。」
着々と減っていく僕に残された時間と反比例するように、如月との距離は確実に縮まっていた。
「そろそろ気温も下がってきたね。いよいよ本格的に秋になってきたね。」
時は流れ、今日は九月二十四日。九月も終盤に差し掛かり、夏の暑さも引いてきた過ごしやすい気温になってきた。
「時が過ぎるのは早いものだね。」
ここ最近は、本当に時間の流れが早い。今までは長く退屈に感じられていた授業が、放課後があるからと少しだけ短く感じるようになった。
「あ、そうだ。碧斗くん、明日の夜空いてる?」
「…夜?」
如月からの誘いは珍しくないが、明日は夏祭りのような催しがあるわけでもないのに一体何をするのだろうか。
僕が少し訝しげな視線を向けていると、彼女は苦笑しながら説明を始めた。
「すごい怪しんでる顔してるね。明日は九月二十五日でしょ?だからさ、一緒にお月見しない?」
「月見…」
そういえばそうだった。僕の家は月見に関しては毎年特に何もしていないので、僕の中では月見は影が薄いのだ。
「まぁ夜だし、無理だったら全然…」
「いいよ。」
「え?」
「月見、行こうか。」
断る理由もなかったので、了承したらかなり意外そうな顔をされた。
「意外…お月見だから結構遅い時間になるだろうし…てっきり断るかと。」
「…僕を何だと思ってるの。用事もないし、誘われたら行くさ。何より、楽しそうだし。」
それを聞いた彼女は、またしても意外そうな顔をしたあと、打って変わって嬉しそうな表情を浮かべた。
彼女の表情は、やはりころころ変わる。
「じゃ、約束ね!」
待ち合わせの時間と、それぞれの買ってくるものを決めて解散した。
彼女と遊びの約束をするのは夏休み以来だ。
ただ月見をするだけ。それなのに、前日だと言うのに今から心が弾むような気がした。
午後七時三十分。裏山までは歩いて二十分はかかるので、余裕を持って約束の十分前に着くように家を出る。
九月も終盤に差し掛かり、気温も下がってきた。この時間なら尚更だ。ジャンパーを着てきて正解だった。
いつもは明るい時間に通る道を、慣れないなと思いつつ暗い中を歩く。街頭はあるが、そこまで明るいわけじゃない。
ふと、夜空を見上げれば綺麗な満月が見えた。今日は雲一つない晴天で、月の兎の模様までよく見えた。
いつぶりだろうか。空を見て綺麗だなんて思ったのは。病気になる前から、あまりこんなことを思うような性格ではなかったはずだ。
やっぱりこれも、彼女のおかげだろうか。
待ち合わせ場所に着いたが、まだ如月の姿はなかった。ちょうど十分前に着いたので、じきに来るだろうと思い空に目を向けた。
五分ほど夜空を眺めていると、足音が聞こえてきた。
「お待たせ〜相変わらず早いねぇ。待たせちゃった?」
「いや、大丈夫だよ。さっき来たところだから。」
「はぁ…なら良かった。」
急いできたのか、彼女は少し息を切らしていた。
「あ、ちゃんと持ってきてくれた?」
「もちろん。」
僕は手に持っていたビニール袋を掲げた。中には、ペットボトルに入った温かい緑茶が二本入っている。
月見なので、団子とお茶を持っていこうという如月のアイデアで、各自持ってくることになったのだ。僕がお茶で、彼女が団子だ。
「じゃ、行こっか。いい場所見つけたから楽しみにしててね。」
「…楽しみにしておくよ。」
少し遅れて、山を登り始めた如月に並ぶ。山と言っても舗装はされていて、石階段になっていて幾分登りやすい。
「如月、袋貸して。持つよ。」
「え?でも…。」
「いいから。」
「…わかった、ありがとう。」
嬉しげに微笑む彼女から袋を受け取る。
袋の中は団子なので、そこまで重さはないはずだ。でも、彼女に持たせたままにしておくわけにもいかない。
「今日、体調は大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ。最近は落ち着いてるんだぁ。」
「そっか。でももし何かあったらすぐ言ってよ。」
大病の怖さは、僕もよくわかってるから。なんてのは言えないけれど。
しばらく歩を進めると、如月は舗装された道から外れた道を歩き始めた。一応道っぽくなっているが、舗装されていないので歩きにくそうだ。
「そっち行って大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。それに、こっちから行ったほうが近いから。」
彼女が言うならと、その言葉を信じて同じ道を行く。
さっきまでは階段になっていたからまだ良かったものの、土の道となると流石に堪えた。薬で抑えてるとはいえ、息切れや動悸が出てきた。それに気づかれないように、必死に足を動かす。
如月も、歩きにくい道に手こずり、息を切らしていた。脳腫瘍の影響もあり、歩きにくいのだろう。
五分ほど道なき道を行くと、ようやく開けた場所に出た。
たどり着いた先は、一面にススキが広がっていた。
「は〜疲れた。ちょっと汗かいちゃった。どう?ここ。綺麗でしょ。この前見つけた穴場なんだ〜。」
如月はいつものカメラでススキと月、そして僕を撮影した。
「確かに、綺麗だ。月を見るのにちょうどいい。」
「でしょ〜。さ、食べよ。」
既にるんるんの如月をよそに、僕はレジャーシートを広げた。
「わ、持ってきてくれたんだ。さすが、気が利くね。」
二人並んで地面に座り、一面に広がるススキと満月という町中ではなかなか見られない絶景の中で団子を頬張る。
「ん〜やっぱり月を見ながら食べるお団子は格別だね〜。お茶もよく合うし。」
「そうだね。美味しい。」
でもやっぱり如月はあまり量は食べなかった。あの後調べてみたのだが、脳腫瘍には食欲不振も症状の一つとしてあるらしい。
団子を食べ終え容器を片付け、再び二人で空を見上げようと思ったのだが、ふと隣を見て立ち上がる。着ていたジャンパーを脱いで、座っている如月に羽織らせる。
「わっ、どうしたの?急に。」
「どうもこうも、寒かったんでしょ。」
ここへ来る途中の汗が冷えたのだろう。隣で彼女が若干震えているのが見えたのだ。
「貸してあげるから、しばらく着てて。」
「…うん、ありがとう。」
彼女はジャンパーを羽織り直し、頬を緩めた。寒いのならば、言ってくれればジャンパーくらいすぐに貸したのに。
そんなことを思いながら、今度こそ二人で月を眺めた。静かな夜、降り注ぐ月明かりに照らされ月を眺めるのは特別感があった。レジャーシートに座っているため、距離が近い。
お互いしばらく黙って月を見ていたが、如月が口を開いた。
「碧斗くんってさ。やっぱり優しいよね。」
「…そう?」
あの日に屋上でも言われたことだった。優しさが僕の良さだと。
「そうだよ。もしかして自覚ない?じゃあ素でこれなんだ。流石だね。」
「…優しいって、どこが?」
如月は何度も優しいと言ってくれているが、僕は正直実感がなかった。今まで当たり前だと思ってきたことだから、尚更だ。
「え〜そうだなぁ。今日で言えば、荷物を持ってくれたり、ジャンパーを貸してくれたり。」
「…普通じゃない?」
「普通じゃない。」
曰く、ここまでサラッとできる人はそういないらしい。自然にと言うか、当たり前だと思っていたことなので言われて初めてこれが優しさだと知った。
今まで、特に友達はいなかったので人の優しさに触れる機会があまりなかった。もちろん親からの優しさにはたくさん触れてきたが、友達間や異性間での優しさにはあまり慣れていなかった。だから自分の優しさであろう部分を普通だと思っていたのだろう。そう結論づけた。
「あとやっぱり、碧斗くん結構人のこと見てるよね。私寒いの結構頑張って隠してたのに。よく気づいたよね。」
「それは…まあそうなのかも。」
これも意識しているわけではないが、母さんから何度か言われたことがある。
これも優しさの内なのだろうか。
「そういう如月こそ、優しいよ。」
「え、私?」
「うん、君。」
それはずっと前から思っていたことだった。いい機会だし、言いたかったことも含めて言ってしまおう。
「この前のことだよ。僕は明らかに君を突き放したのに、それでも僕を見捨てずに話しかけてくれた。結構感謝してるんだよ。」
あの時、如月が僕を屋上へ引っ張って行ってくれなかったら僕は未だに闇に沈んでいただろう。
「だから、如月も優しいよ。今日だって誘ってくれたし。ほんと、ありがとうね。」
「…ふふ、どういたしまして。こちらこそ、ありがとうね。」
珍しく、照れたようにそう呟いた。いつもは天真爛漫といった彼女のこんな様子は、少し新鮮だった。
「…月が、綺麗ですね。」
「うん、綺麗だね。」
「…綺麗ですね…!」
彼女は再び、やけになったように語気を強めてそう言った。
「うん、綺麗だけど。どうしたの、急に。」
「えぇ…もしかして、このことばの意味知らないの?」
「意味って?」
そこまで言うと、如月は呆れたように息を吐いた。
確かに月は綺麗だが、そこまで強調するほどのことだろうか。
「あ〜あ、せっかくロマンチックだったのに。なんか白けちゃったなぁ……お詫びに碧斗くん、なんかロマンチックな話ししてよ。」
「えぇ…。」
よくわからないまま白けたと言われ、ロマンチックな話をしろという無茶振りに苦笑する。でもこういうのも良いなと思い、いつか見た夢の話をすることにした。
「…小さい頃。」
「あ、ほんとにしてくれるんだ。」
「…しろと言ったのは誰かな。」
「ふふ、ごめんごめん。続けて?」
可笑しそうに微笑む様子を見て、責める気にもなれなかったので話を続ける。
「小さい頃、じいちゃんが亡くなったときに、ショックでしばらく泣き続けてたんだ。その時に、ばあちゃんが教えてくれたんだ。亡くなった人は、大切な人のことを思って雪を降らせられるって。今思えば、小さかった僕を慰めるための子供だましだったんだろうけど。でも、それを聞いたときちょうど雪が降っててさ。だからそれを信じちゃって。でも、それで元気になったんだよ。」
「ふ〜ん、思ったよりロマンチックだった。碧斗くんってそんな話できたんだね。」
如月はからかうように、でも楽しそうにそう言った。自分が知っているロマンチックな話がこれくらいしか無いとはいえ、そこまで言われるのは少し心外だ。
「じゃ〜あ〜私が死んだ時は碧斗くんに雪を降らせてあげるね。」
「縁起でもないこと、言わないで。」
思わず口を割って出た言葉は、思っていたより強い口調になってしまった。
如月も、少し慌てたような様子を見せた。
「ご、ごめんごめん。もう言わないよ。してほしかった話とはちょっと違ったけど、今日はそれで許してあげる。」
身に覚えのないことを許されて、今日の月見はお開きとなった。
如月と別れ、二度目でも見慣れない暗い道を歩く。でも、一回目と比べて足取りは軽かった。
家に帰り、裏山でのことを思い出す。
一面に広がるススキや、透き通った空に浮かぶ満月。綺麗な景色は何度も見たが、頭に浮かんでくるのは彼女のことだけだった。
肌を刺すような風が吹き抜け、本格的に寒くなってきた。
今日から12月。余命半年と言われ、もうすぐ半年が経とうとしている。
体調の方はというと、最近は不思議と安定していた。しかし心臓がんの症状は波があり、今は安定していようと油断はできない。
それに、安定しているとはいえ症状も徐々にひどくなっている。階段を上がるだけでも、少し歩いただけで息が切れる、なんて日もある。
僕の命は、確実に終わりに近づいている。
「碧斗くん、どうかした?」
「…ごめん、なんでもない。」
彼女と会話中だと言うのに、すっかり考え込んでしまっていた。彼女といる時は、あまり考えないようにしよう。
うっかりボロが出たら大変だ。
その時、突然屋上を冷たい風が吹き抜けた。
「さっむ…凍える…。」
「…カイロあるけど、使う?」
「さすが碧斗くん、抜かり無いね。ありがたく使わせてもらうね。」
ポケットカイロを一つ取り出し、彼女に手渡す。受け取った如月は早速、カイロを擦って温めた。
「は〜あったかい。ありがと、助かったよ。」
最近如月がやたら寒い凍えると嘆くので、持ってきてよかった。
「あ、そうだ。」
唐突に呟いた後、ポケットから一枚のチラシを取り出して僕に見せてきた。
「じゃーん、クリスマスイルミネーション。もし良かったら一緒に行かない?」
「………」
クリスマス。つまり十二月二五日だ。その頃には、余命宣告から半年が過ぎている。僕はその時まで、命を保っていられるだろうか。
「…あ、もしかして予定あった?なら大丈夫だよ。私は…」
「いや、行くよ。一緒に行こう。」
今からそんなに弱気になっていては、本当に病気に負けてしまう。如月に心配をかけないためにも。
それに僕が黙ると明らかに悲しそうな表情をするので断れるわけもない。
だからといって、同情で行くわけでもないけれど。
首を縦に振ると、みるみるうちに表情が明るくなっていった。
「いいの?やった!約束ね。」
久しぶりに見る、心から嬉しそうな表情に、自然と頬がゆるむ。
「あれ、どうしたの?」
「…いいや、なんでもない。」
上手いこと濁しつつ、その日の予定を立てる。
ある一日が、こんなに待ち遠しいと思ったのは初めてだ。
そこからあっという間に時は流れ、なんてことはなかった。
約束をしてから、一日一日がやたら長く感じられた。これも初めての経験だった。
その長い長い約三週間をなんとか乗り越え、二学期が終わって無事に迎えたクリスマス。
朝、いつもの時間に起きて、リビングに降りる。
「あら、今日は早いのね。ということは、おでかけ?」
「…そうだけど。なに。」
「ふふ、いいえ。なんでもないわ。」
妙に含みのある言い方を怪訝に思いつつも、さっさと顔を洗い歯を磨いてリビングのドアに手をかけた。
「…母さん。」
「ん?なに?」
「…メリークリスマス。」
「…ふふ、急にどうしたのよ。」
「別に…」
さっと廊下に出て、階段を上がる。これで少しは、向き合えたことになるだろうか。
今日はイルミネーションなので、午後八時に待ち合わせだ。
いつも通り十分前に待ち合わせ場所に着き、如月を待つ。つもりだった。
今回は珍しく、如月が先にいた。
「今日は早いんだね。」
「わっ!?も〜後ろからはやめてってば〜。」
「ごめんごめん。」
軽くデジャブを感じつつ、如月と合流する。
「…今日、なんか服装いつもと違うね。」
「あ、わかる?クリスマスだからね〜気合い入れてきたんだ。」
嬉しそうにひらひらとその場で回る如月。
「…そのくらいにしときな。また倒れるよ。今日は体調どう?」
「うん、大丈夫だよ。今日は健康です。」
「…本当に?」
「も〜大丈夫だって。お節介なんだから。でも、心配ありがとうね。」
確かに、少し心配しすぎたか。いくら如月でも、自己管理くらいは自分でもある程度できるだろう。
「さ、行こっか。待ちに待ったクリスマス、目一杯楽しむよ〜。」
二人並んで、彩られた夜の街を歩く。
もう夜だが、今から始まるのだ。
明日の保証がない僕らに訪れた、奇跡の聖なる夜が。
もう何度目かの、二人で歩く夜。でも、何度目かでも特別感が薄れることはなかった。
町はクリスマスの飾りに彩られ、電飾や建物の明かりで夜とは思えないほど明るかった。あちこちにサンタやトナカイの飾りがあり、店の入口には小さいクリスマスツリーが飾ってあったりもする。
「どこも綺麗だね〜。今日はしっかり目に焼き付けないと。来年も、クリスマスまで生きてられるかわからないからね。」
「…そうだね。」
如月は、やはりこういうことをサラッと言ってのける。言いたいことを言えるのは良いところでもあるが、こちらとしては反応しにくいし悲しくなる。それに僕は、来年のクリスマスには確実にこの世には居ないだろう。
暗い思考を振り払い、現実へ意識を向ける。今は、今だけは。光へ目を向けていよう。
しばらく歩き、クリスマスイルミネーションの会場へ到着した。受付を済ませ会場内へ進む。
まず僕らを出迎えたのは道の両脇に植えられた木々が、イルミネーションに鮮やかに照らされた光の一本道だった。
来場した客を最初に迎え入れるにはうってつけだ。流れているBGMも、落ち着いた曲調で会場の雰囲気とよく合っている。
「わぁ…すごい。綺麗だね。」
「そうだね…綺麗だ。」
「これを見れただけでも、来た甲斐があったね。」
「…でも来たばかりだよ。まだまだこれからだよ。」
「…そうだね。思いっきり楽しまないとね。」
如月は目の前の光景をデジカメで写真に収め、笑顔を見せた。
その笑顔はイルミネーションの灯りに照らされ、いつもより綺麗に見えた。
会場内には、それは多くのイルミネーションがあった。チラシで見ただけでもかなりの数があったが、想像以上だった。
クリスマスらしい、サンタやトナカイの立体的なイルミネーション。
他にも球体や星などいろいろなイルミネーションがあった。
売店も綺麗にライトアップされていた。
会場内に植えてある木々の間には電飾が張り巡らされ、まるで満天の星空のようだった。
その一つ一つを噛みしめるように、じっくりと見て回り、如月は写真に収めていった。
そして会場の最奥。このクリスマスイルミネーションのメイン。巨大クリスマスツリーへやってきた。
「大きい…それに綺麗。私これが一番好きかも。」
「確かに、わかるかも。」
二人で並んで、巨大なクリスマスツリーを見上げる。ツリーのあちこちに飾りや電飾が吊るされ、根本にはプレゼントボックスが山のように飾ってあった。そして頂上には、大きな星が輝いている。
少し横を向くと、ツリーを見上げる如月の顔が目に入った。夢中でツリーを見上げる彼女の表情。吐いた息が白くなり儚く消えていく。その様子が、同じように輝いて見えた。
二人とも、しばらく言葉も忘れて魅入っていた。
沈黙を破ったのは如月だった。
「…ねぇ、碧斗くん。今日は付き合ってくれてありがとうね。今日が今までで一番楽しいクリスマスになった。」
「こちらこそ、今日は楽しかったよ。」
「本当?ならよかったぁ。でも来年は違う人と来ることになるかもね?例えば…彼女、とか?多分私と来るより、ソッチのほうが楽しいよね。」
そんなことはない。そんなわけがない。僕が今日、こんなに楽しかったのは一緒にいたのが如月だったからだ。
もし他の誰かだったら、そもそもイルミネーションにすら行っていないはずだ。
それに、僕に次はない。
それも相まって、すぐにそんなことはないと否定したかったが言葉が出てこなかった。
一通りイルミネーションを見た後、如月の提案でベンチで休むことにした。長い事歩いたから疲れたのだろう。ベンチでぐったりしている如月へ、すぐ横にあった自販機でホットココアを買って渡す。
「ほらこれ、飲んで温まって。」
「いいの!?ありがと〜温かい…生き返る〜。」
ココア一つで大げさにリアクションする如月に苦笑しつつ、自分用に買ったコーヒーを口に含む。長い時間冬の気温にさらされ続けた体に温かい飲み物は、確かに良く染み渡る。
「それにしても、本当に今日は楽しかったなぁ〜。」
「そうだね。ここ最近で一番。」
「私、こんな幸せな時間を過ごせたんだから、もう死んじゃっても後悔はないかな〜。」
そう言った彼女の表情は、いつもの軽口の表情ではなかった。
恐らく、本気でそう言っているのだろう。
悲観ではなく、後悔はないという意味だろうが。
「……そんなこと言わないでよ。もっと生きて、思い出でも作ろうよ。」
軽口じゃなくて、だからこそ悲しそうな顔をする彼女を見ると、そう言わずにはいられなかった。
「今は、症状も安定してるんでしょ?なら、まだ大丈夫だよ。それに諦めなければ、もっと素敵な思い出もできるかもしれない。」
「……そうだね…そうかも。ちょっと、私らしくなかったね。」
ふっと息を吐き、自嘲するように彼女は呟いた。
「確かにそうだね。余命宣告ってだけで、本当に一年しか生きれないわけじゃないもんね。」
どうやら吹っ切れたようだった。立ち上がって僕を見下ろした如月の表情は、晴れ晴れしていた。
「そうと分かれば、まだまだ楽しむよ!二周目行こ〜。」
「…はいはい、無理しないでね。」
ベンチから立ち上がる。しかし軽くめまいがしたので、自販機に手をつく。朝に薬は飲んだが、流石にこれだけ動き回ると体に響いたようだ。
だが、なにかおかしい。
息が苦しい。普段の息切れとは比べ物にならないほど。動悸も尋常じゃないほど激しく、心臓が胸の中で暴れまわっているのがはっきりとわかる。視界の端が段々と暗くなっていくのがわかる。
「碧斗くん?」
如月が声をかけてくれたが、上手く声が出せない。
さっきまでは静かだった周囲が、今は自分の心臓の鼓動しか聞こえない。
すぐに分かった。あの時と、同じだ。
あの時の死を覚悟するような、あの感覚。
すぐに体に力が入らなくなり、地面に倒れる。
僕の異変に気づいたのか、如月が駆け寄ってくる。
「碧斗くん…!?どうしたの…!」
他にも何人か、僕が倒れたのに気づいて人が駆け寄ってきた。
そのあたりから、意識が遠のき始めた。
最近症状があまりなかったから甘く見ていた。余命半年と宣告されて、もう既に半年が過ぎているのに。
でも、なにもこのタイミングじゃなくていいじゃないかと自分の運命を憎んだ。
せめてイルミネーションが終わって、家に帰った時。帰り道でも良かった。今この瞬間にはきてほしくなかった。
目に涙を浮かべ、必死に僕の名前を呼びかける如月の顔が見えたところで、僕は意識を失った。
いつまで学校へ通えるかもわからないのなら、できるだけ如月といる時間を増やしたいと思ったからだ。
急激に、というわけではないが、やはり症状は日を追うごとに悪化しているのを感じる。今は薬で症状を抑えて登校している状態だ。
それに、病気で不安定な心を落ち着かせるのはやっぱり屋上に限る。
彼女が来ていない日に、一人でぼーっと景色を眺めるのも僕の癒しだった。
如月が来た日は、二人で他愛もない会話をして過ごした。時々昼休みにも屋上へ足を運び、一緒に昼食をとることもあった。
「ねぇ、碧斗くん。碧斗くんって前までお昼どうしてたの?よく私と一緒に食べてるけど、一緒に食べる友達っていないの?」
少々無神経にも聞こえる尋ね方だが、彼女にそういう意図はないはずなので素直に答える。
「いないよ。前にも言った気がするけど、僕友達一人もいないから。」
自嘲気味に、僕はそうつぶやいた。
少し気になったのだ。再び僕が、ネガティブなことを言えば彼女はどう反応するのか。
以前のように、怒るだろうか。悲しむだろうか。少し酷だとは思ったが、気になってしまった。
だが、彼女から返ってきた返事は予想とはだいぶ違った。
「何言ってるの、私がいるじゃん。友達。」
「…そうだったね。」
そうだった。僕にはもう、かけがえのない友達がいるのだ。僕はもう、一人ではない。
少し前に、同じことを言われた。あの時は、そうなのだろうかという薄い感想しか出てこなかった。
でも今ははっきりと思う。僕と彼女は友達であり、その事実が嬉しいと。
「私が碧斗くんの最初の友達かぁ〜なんか嬉しい。特別って感じで。そのうち他にも友達作るんだよ?碧斗くんは優しいんだから、きっとすぐできるよ。」
顔を見なくても分かった。彼女は今、ほんの少しだけ、寂しそうな表情をしているのだろう。
きっと、彼女は自分が僕の前からいなくなると思っている。そしてその後は、自分の他にも友達を作れと、そう言いたかったんだろう。
でも、実際には逆なのだ。
そんなネガティブな思考は、なんとか隠した。まだ彼女には知られたくない。
「私はね、自分で言うけど友達は多い方だと思う。でも、最近思うんだ。碧斗くんは、その中でも、特別なんだなって。」
着々と減っていく僕に残された時間と反比例するように、如月との距離は確実に縮まっていた。
「そろそろ気温も下がってきたね。いよいよ本格的に秋になってきたね。」
時は流れ、今日は九月二十四日。九月も終盤に差し掛かり、夏の暑さも引いてきた過ごしやすい気温になってきた。
「時が過ぎるのは早いものだね。」
ここ最近は、本当に時間の流れが早い。今までは長く退屈に感じられていた授業が、放課後があるからと少しだけ短く感じるようになった。
「あ、そうだ。碧斗くん、明日の夜空いてる?」
「…夜?」
如月からの誘いは珍しくないが、明日は夏祭りのような催しがあるわけでもないのに一体何をするのだろうか。
僕が少し訝しげな視線を向けていると、彼女は苦笑しながら説明を始めた。
「すごい怪しんでる顔してるね。明日は九月二十五日でしょ?だからさ、一緒にお月見しない?」
「月見…」
そういえばそうだった。僕の家は月見に関しては毎年特に何もしていないので、僕の中では月見は影が薄いのだ。
「まぁ夜だし、無理だったら全然…」
「いいよ。」
「え?」
「月見、行こうか。」
断る理由もなかったので、了承したらかなり意外そうな顔をされた。
「意外…お月見だから結構遅い時間になるだろうし…てっきり断るかと。」
「…僕を何だと思ってるの。用事もないし、誘われたら行くさ。何より、楽しそうだし。」
それを聞いた彼女は、またしても意外そうな顔をしたあと、打って変わって嬉しそうな表情を浮かべた。
彼女の表情は、やはりころころ変わる。
「じゃ、約束ね!」
待ち合わせの時間と、それぞれの買ってくるものを決めて解散した。
彼女と遊びの約束をするのは夏休み以来だ。
ただ月見をするだけ。それなのに、前日だと言うのに今から心が弾むような気がした。
午後七時三十分。裏山までは歩いて二十分はかかるので、余裕を持って約束の十分前に着くように家を出る。
九月も終盤に差し掛かり、気温も下がってきた。この時間なら尚更だ。ジャンパーを着てきて正解だった。
いつもは明るい時間に通る道を、慣れないなと思いつつ暗い中を歩く。街頭はあるが、そこまで明るいわけじゃない。
ふと、夜空を見上げれば綺麗な満月が見えた。今日は雲一つない晴天で、月の兎の模様までよく見えた。
いつぶりだろうか。空を見て綺麗だなんて思ったのは。病気になる前から、あまりこんなことを思うような性格ではなかったはずだ。
やっぱりこれも、彼女のおかげだろうか。
待ち合わせ場所に着いたが、まだ如月の姿はなかった。ちょうど十分前に着いたので、じきに来るだろうと思い空に目を向けた。
五分ほど夜空を眺めていると、足音が聞こえてきた。
「お待たせ〜相変わらず早いねぇ。待たせちゃった?」
「いや、大丈夫だよ。さっき来たところだから。」
「はぁ…なら良かった。」
急いできたのか、彼女は少し息を切らしていた。
「あ、ちゃんと持ってきてくれた?」
「もちろん。」
僕は手に持っていたビニール袋を掲げた。中には、ペットボトルに入った温かい緑茶が二本入っている。
月見なので、団子とお茶を持っていこうという如月のアイデアで、各自持ってくることになったのだ。僕がお茶で、彼女が団子だ。
「じゃ、行こっか。いい場所見つけたから楽しみにしててね。」
「…楽しみにしておくよ。」
少し遅れて、山を登り始めた如月に並ぶ。山と言っても舗装はされていて、石階段になっていて幾分登りやすい。
「如月、袋貸して。持つよ。」
「え?でも…。」
「いいから。」
「…わかった、ありがとう。」
嬉しげに微笑む彼女から袋を受け取る。
袋の中は団子なので、そこまで重さはないはずだ。でも、彼女に持たせたままにしておくわけにもいかない。
「今日、体調は大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ。最近は落ち着いてるんだぁ。」
「そっか。でももし何かあったらすぐ言ってよ。」
大病の怖さは、僕もよくわかってるから。なんてのは言えないけれど。
しばらく歩を進めると、如月は舗装された道から外れた道を歩き始めた。一応道っぽくなっているが、舗装されていないので歩きにくそうだ。
「そっち行って大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。それに、こっちから行ったほうが近いから。」
彼女が言うならと、その言葉を信じて同じ道を行く。
さっきまでは階段になっていたからまだ良かったものの、土の道となると流石に堪えた。薬で抑えてるとはいえ、息切れや動悸が出てきた。それに気づかれないように、必死に足を動かす。
如月も、歩きにくい道に手こずり、息を切らしていた。脳腫瘍の影響もあり、歩きにくいのだろう。
五分ほど道なき道を行くと、ようやく開けた場所に出た。
たどり着いた先は、一面にススキが広がっていた。
「は〜疲れた。ちょっと汗かいちゃった。どう?ここ。綺麗でしょ。この前見つけた穴場なんだ〜。」
如月はいつものカメラでススキと月、そして僕を撮影した。
「確かに、綺麗だ。月を見るのにちょうどいい。」
「でしょ〜。さ、食べよ。」
既にるんるんの如月をよそに、僕はレジャーシートを広げた。
「わ、持ってきてくれたんだ。さすが、気が利くね。」
二人並んで地面に座り、一面に広がるススキと満月という町中ではなかなか見られない絶景の中で団子を頬張る。
「ん〜やっぱり月を見ながら食べるお団子は格別だね〜。お茶もよく合うし。」
「そうだね。美味しい。」
でもやっぱり如月はあまり量は食べなかった。あの後調べてみたのだが、脳腫瘍には食欲不振も症状の一つとしてあるらしい。
団子を食べ終え容器を片付け、再び二人で空を見上げようと思ったのだが、ふと隣を見て立ち上がる。着ていたジャンパーを脱いで、座っている如月に羽織らせる。
「わっ、どうしたの?急に。」
「どうもこうも、寒かったんでしょ。」
ここへ来る途中の汗が冷えたのだろう。隣で彼女が若干震えているのが見えたのだ。
「貸してあげるから、しばらく着てて。」
「…うん、ありがとう。」
彼女はジャンパーを羽織り直し、頬を緩めた。寒いのならば、言ってくれればジャンパーくらいすぐに貸したのに。
そんなことを思いながら、今度こそ二人で月を眺めた。静かな夜、降り注ぐ月明かりに照らされ月を眺めるのは特別感があった。レジャーシートに座っているため、距離が近い。
お互いしばらく黙って月を見ていたが、如月が口を開いた。
「碧斗くんってさ。やっぱり優しいよね。」
「…そう?」
あの日に屋上でも言われたことだった。優しさが僕の良さだと。
「そうだよ。もしかして自覚ない?じゃあ素でこれなんだ。流石だね。」
「…優しいって、どこが?」
如月は何度も優しいと言ってくれているが、僕は正直実感がなかった。今まで当たり前だと思ってきたことだから、尚更だ。
「え〜そうだなぁ。今日で言えば、荷物を持ってくれたり、ジャンパーを貸してくれたり。」
「…普通じゃない?」
「普通じゃない。」
曰く、ここまでサラッとできる人はそういないらしい。自然にと言うか、当たり前だと思っていたことなので言われて初めてこれが優しさだと知った。
今まで、特に友達はいなかったので人の優しさに触れる機会があまりなかった。もちろん親からの優しさにはたくさん触れてきたが、友達間や異性間での優しさにはあまり慣れていなかった。だから自分の優しさであろう部分を普通だと思っていたのだろう。そう結論づけた。
「あとやっぱり、碧斗くん結構人のこと見てるよね。私寒いの結構頑張って隠してたのに。よく気づいたよね。」
「それは…まあそうなのかも。」
これも意識しているわけではないが、母さんから何度か言われたことがある。
これも優しさの内なのだろうか。
「そういう如月こそ、優しいよ。」
「え、私?」
「うん、君。」
それはずっと前から思っていたことだった。いい機会だし、言いたかったことも含めて言ってしまおう。
「この前のことだよ。僕は明らかに君を突き放したのに、それでも僕を見捨てずに話しかけてくれた。結構感謝してるんだよ。」
あの時、如月が僕を屋上へ引っ張って行ってくれなかったら僕は未だに闇に沈んでいただろう。
「だから、如月も優しいよ。今日だって誘ってくれたし。ほんと、ありがとうね。」
「…ふふ、どういたしまして。こちらこそ、ありがとうね。」
珍しく、照れたようにそう呟いた。いつもは天真爛漫といった彼女のこんな様子は、少し新鮮だった。
「…月が、綺麗ですね。」
「うん、綺麗だね。」
「…綺麗ですね…!」
彼女は再び、やけになったように語気を強めてそう言った。
「うん、綺麗だけど。どうしたの、急に。」
「えぇ…もしかして、このことばの意味知らないの?」
「意味って?」
そこまで言うと、如月は呆れたように息を吐いた。
確かに月は綺麗だが、そこまで強調するほどのことだろうか。
「あ〜あ、せっかくロマンチックだったのに。なんか白けちゃったなぁ……お詫びに碧斗くん、なんかロマンチックな話ししてよ。」
「えぇ…。」
よくわからないまま白けたと言われ、ロマンチックな話をしろという無茶振りに苦笑する。でもこういうのも良いなと思い、いつか見た夢の話をすることにした。
「…小さい頃。」
「あ、ほんとにしてくれるんだ。」
「…しろと言ったのは誰かな。」
「ふふ、ごめんごめん。続けて?」
可笑しそうに微笑む様子を見て、責める気にもなれなかったので話を続ける。
「小さい頃、じいちゃんが亡くなったときに、ショックでしばらく泣き続けてたんだ。その時に、ばあちゃんが教えてくれたんだ。亡くなった人は、大切な人のことを思って雪を降らせられるって。今思えば、小さかった僕を慰めるための子供だましだったんだろうけど。でも、それを聞いたときちょうど雪が降っててさ。だからそれを信じちゃって。でも、それで元気になったんだよ。」
「ふ〜ん、思ったよりロマンチックだった。碧斗くんってそんな話できたんだね。」
如月はからかうように、でも楽しそうにそう言った。自分が知っているロマンチックな話がこれくらいしか無いとはいえ、そこまで言われるのは少し心外だ。
「じゃ〜あ〜私が死んだ時は碧斗くんに雪を降らせてあげるね。」
「縁起でもないこと、言わないで。」
思わず口を割って出た言葉は、思っていたより強い口調になってしまった。
如月も、少し慌てたような様子を見せた。
「ご、ごめんごめん。もう言わないよ。してほしかった話とはちょっと違ったけど、今日はそれで許してあげる。」
身に覚えのないことを許されて、今日の月見はお開きとなった。
如月と別れ、二度目でも見慣れない暗い道を歩く。でも、一回目と比べて足取りは軽かった。
家に帰り、裏山でのことを思い出す。
一面に広がるススキや、透き通った空に浮かぶ満月。綺麗な景色は何度も見たが、頭に浮かんでくるのは彼女のことだけだった。
肌を刺すような風が吹き抜け、本格的に寒くなってきた。
今日から12月。余命半年と言われ、もうすぐ半年が経とうとしている。
体調の方はというと、最近は不思議と安定していた。しかし心臓がんの症状は波があり、今は安定していようと油断はできない。
それに、安定しているとはいえ症状も徐々にひどくなっている。階段を上がるだけでも、少し歩いただけで息が切れる、なんて日もある。
僕の命は、確実に終わりに近づいている。
「碧斗くん、どうかした?」
「…ごめん、なんでもない。」
彼女と会話中だと言うのに、すっかり考え込んでしまっていた。彼女といる時は、あまり考えないようにしよう。
うっかりボロが出たら大変だ。
その時、突然屋上を冷たい風が吹き抜けた。
「さっむ…凍える…。」
「…カイロあるけど、使う?」
「さすが碧斗くん、抜かり無いね。ありがたく使わせてもらうね。」
ポケットカイロを一つ取り出し、彼女に手渡す。受け取った如月は早速、カイロを擦って温めた。
「は〜あったかい。ありがと、助かったよ。」
最近如月がやたら寒い凍えると嘆くので、持ってきてよかった。
「あ、そうだ。」
唐突に呟いた後、ポケットから一枚のチラシを取り出して僕に見せてきた。
「じゃーん、クリスマスイルミネーション。もし良かったら一緒に行かない?」
「………」
クリスマス。つまり十二月二五日だ。その頃には、余命宣告から半年が過ぎている。僕はその時まで、命を保っていられるだろうか。
「…あ、もしかして予定あった?なら大丈夫だよ。私は…」
「いや、行くよ。一緒に行こう。」
今からそんなに弱気になっていては、本当に病気に負けてしまう。如月に心配をかけないためにも。
それに僕が黙ると明らかに悲しそうな表情をするので断れるわけもない。
だからといって、同情で行くわけでもないけれど。
首を縦に振ると、みるみるうちに表情が明るくなっていった。
「いいの?やった!約束ね。」
久しぶりに見る、心から嬉しそうな表情に、自然と頬がゆるむ。
「あれ、どうしたの?」
「…いいや、なんでもない。」
上手いこと濁しつつ、その日の予定を立てる。
ある一日が、こんなに待ち遠しいと思ったのは初めてだ。
そこからあっという間に時は流れ、なんてことはなかった。
約束をしてから、一日一日がやたら長く感じられた。これも初めての経験だった。
その長い長い約三週間をなんとか乗り越え、二学期が終わって無事に迎えたクリスマス。
朝、いつもの時間に起きて、リビングに降りる。
「あら、今日は早いのね。ということは、おでかけ?」
「…そうだけど。なに。」
「ふふ、いいえ。なんでもないわ。」
妙に含みのある言い方を怪訝に思いつつも、さっさと顔を洗い歯を磨いてリビングのドアに手をかけた。
「…母さん。」
「ん?なに?」
「…メリークリスマス。」
「…ふふ、急にどうしたのよ。」
「別に…」
さっと廊下に出て、階段を上がる。これで少しは、向き合えたことになるだろうか。
今日はイルミネーションなので、午後八時に待ち合わせだ。
いつも通り十分前に待ち合わせ場所に着き、如月を待つ。つもりだった。
今回は珍しく、如月が先にいた。
「今日は早いんだね。」
「わっ!?も〜後ろからはやめてってば〜。」
「ごめんごめん。」
軽くデジャブを感じつつ、如月と合流する。
「…今日、なんか服装いつもと違うね。」
「あ、わかる?クリスマスだからね〜気合い入れてきたんだ。」
嬉しそうにひらひらとその場で回る如月。
「…そのくらいにしときな。また倒れるよ。今日は体調どう?」
「うん、大丈夫だよ。今日は健康です。」
「…本当に?」
「も〜大丈夫だって。お節介なんだから。でも、心配ありがとうね。」
確かに、少し心配しすぎたか。いくら如月でも、自己管理くらいは自分でもある程度できるだろう。
「さ、行こっか。待ちに待ったクリスマス、目一杯楽しむよ〜。」
二人並んで、彩られた夜の街を歩く。
もう夜だが、今から始まるのだ。
明日の保証がない僕らに訪れた、奇跡の聖なる夜が。
もう何度目かの、二人で歩く夜。でも、何度目かでも特別感が薄れることはなかった。
町はクリスマスの飾りに彩られ、電飾や建物の明かりで夜とは思えないほど明るかった。あちこちにサンタやトナカイの飾りがあり、店の入口には小さいクリスマスツリーが飾ってあったりもする。
「どこも綺麗だね〜。今日はしっかり目に焼き付けないと。来年も、クリスマスまで生きてられるかわからないからね。」
「…そうだね。」
如月は、やはりこういうことをサラッと言ってのける。言いたいことを言えるのは良いところでもあるが、こちらとしては反応しにくいし悲しくなる。それに僕は、来年のクリスマスには確実にこの世には居ないだろう。
暗い思考を振り払い、現実へ意識を向ける。今は、今だけは。光へ目を向けていよう。
しばらく歩き、クリスマスイルミネーションの会場へ到着した。受付を済ませ会場内へ進む。
まず僕らを出迎えたのは道の両脇に植えられた木々が、イルミネーションに鮮やかに照らされた光の一本道だった。
来場した客を最初に迎え入れるにはうってつけだ。流れているBGMも、落ち着いた曲調で会場の雰囲気とよく合っている。
「わぁ…すごい。綺麗だね。」
「そうだね…綺麗だ。」
「これを見れただけでも、来た甲斐があったね。」
「…でも来たばかりだよ。まだまだこれからだよ。」
「…そうだね。思いっきり楽しまないとね。」
如月は目の前の光景をデジカメで写真に収め、笑顔を見せた。
その笑顔はイルミネーションの灯りに照らされ、いつもより綺麗に見えた。
会場内には、それは多くのイルミネーションがあった。チラシで見ただけでもかなりの数があったが、想像以上だった。
クリスマスらしい、サンタやトナカイの立体的なイルミネーション。
他にも球体や星などいろいろなイルミネーションがあった。
売店も綺麗にライトアップされていた。
会場内に植えてある木々の間には電飾が張り巡らされ、まるで満天の星空のようだった。
その一つ一つを噛みしめるように、じっくりと見て回り、如月は写真に収めていった。
そして会場の最奥。このクリスマスイルミネーションのメイン。巨大クリスマスツリーへやってきた。
「大きい…それに綺麗。私これが一番好きかも。」
「確かに、わかるかも。」
二人で並んで、巨大なクリスマスツリーを見上げる。ツリーのあちこちに飾りや電飾が吊るされ、根本にはプレゼントボックスが山のように飾ってあった。そして頂上には、大きな星が輝いている。
少し横を向くと、ツリーを見上げる如月の顔が目に入った。夢中でツリーを見上げる彼女の表情。吐いた息が白くなり儚く消えていく。その様子が、同じように輝いて見えた。
二人とも、しばらく言葉も忘れて魅入っていた。
沈黙を破ったのは如月だった。
「…ねぇ、碧斗くん。今日は付き合ってくれてありがとうね。今日が今までで一番楽しいクリスマスになった。」
「こちらこそ、今日は楽しかったよ。」
「本当?ならよかったぁ。でも来年は違う人と来ることになるかもね?例えば…彼女、とか?多分私と来るより、ソッチのほうが楽しいよね。」
そんなことはない。そんなわけがない。僕が今日、こんなに楽しかったのは一緒にいたのが如月だったからだ。
もし他の誰かだったら、そもそもイルミネーションにすら行っていないはずだ。
それに、僕に次はない。
それも相まって、すぐにそんなことはないと否定したかったが言葉が出てこなかった。
一通りイルミネーションを見た後、如月の提案でベンチで休むことにした。長い事歩いたから疲れたのだろう。ベンチでぐったりしている如月へ、すぐ横にあった自販機でホットココアを買って渡す。
「ほらこれ、飲んで温まって。」
「いいの!?ありがと〜温かい…生き返る〜。」
ココア一つで大げさにリアクションする如月に苦笑しつつ、自分用に買ったコーヒーを口に含む。長い時間冬の気温にさらされ続けた体に温かい飲み物は、確かに良く染み渡る。
「それにしても、本当に今日は楽しかったなぁ〜。」
「そうだね。ここ最近で一番。」
「私、こんな幸せな時間を過ごせたんだから、もう死んじゃっても後悔はないかな〜。」
そう言った彼女の表情は、いつもの軽口の表情ではなかった。
恐らく、本気でそう言っているのだろう。
悲観ではなく、後悔はないという意味だろうが。
「……そんなこと言わないでよ。もっと生きて、思い出でも作ろうよ。」
軽口じゃなくて、だからこそ悲しそうな顔をする彼女を見ると、そう言わずにはいられなかった。
「今は、症状も安定してるんでしょ?なら、まだ大丈夫だよ。それに諦めなければ、もっと素敵な思い出もできるかもしれない。」
「……そうだね…そうかも。ちょっと、私らしくなかったね。」
ふっと息を吐き、自嘲するように彼女は呟いた。
「確かにそうだね。余命宣告ってだけで、本当に一年しか生きれないわけじゃないもんね。」
どうやら吹っ切れたようだった。立ち上がって僕を見下ろした如月の表情は、晴れ晴れしていた。
「そうと分かれば、まだまだ楽しむよ!二周目行こ〜。」
「…はいはい、無理しないでね。」
ベンチから立ち上がる。しかし軽くめまいがしたので、自販機に手をつく。朝に薬は飲んだが、流石にこれだけ動き回ると体に響いたようだ。
だが、なにかおかしい。
息が苦しい。普段の息切れとは比べ物にならないほど。動悸も尋常じゃないほど激しく、心臓が胸の中で暴れまわっているのがはっきりとわかる。視界の端が段々と暗くなっていくのがわかる。
「碧斗くん?」
如月が声をかけてくれたが、上手く声が出せない。
さっきまでは静かだった周囲が、今は自分の心臓の鼓動しか聞こえない。
すぐに分かった。あの時と、同じだ。
あの時の死を覚悟するような、あの感覚。
すぐに体に力が入らなくなり、地面に倒れる。
僕の異変に気づいたのか、如月が駆け寄ってくる。
「碧斗くん…!?どうしたの…!」
他にも何人か、僕が倒れたのに気づいて人が駆け寄ってきた。
そのあたりから、意識が遠のき始めた。
最近症状があまりなかったから甘く見ていた。余命半年と宣告されて、もう既に半年が過ぎているのに。
でも、なにもこのタイミングじゃなくていいじゃないかと自分の運命を憎んだ。
せめてイルミネーションが終わって、家に帰った時。帰り道でも良かった。今この瞬間にはきてほしくなかった。
目に涙を浮かべ、必死に僕の名前を呼びかける如月の顔が見えたところで、僕は意識を失った。
