寒くて温かいおせっかい

 この二日間、僕は気が気じゃなかった。
 つい最近まで普通に過ごしていた彼女が、突然倒れて意識を失い、救急車で運ばれていったのだ。そんなことが起こればこうなるのも無理はない。
 今は夏休みで、彼女が運ばれた病院を知る術がない。何度もメッセージを送ったが、返信はない。だから、如月が連絡してくれるのを祈るしかなかった。
 何度も、最悪の想像が頭をよぎった。
 僕は昔倒れたことがあるから、如月のあの様子が一大事だとすぐに分かった。だから、このままもう会えないかもしれない。そんな考えが何度も頭に浮かんだ。
 生きた心地のしないまま連絡を待ち、やっと連絡が来たのが夏祭り二日後の夜だった。
 
 『明日の二時に、明和病院に来てほしい。』

 待ち望んだ彼女からのメッセージ。それが彼女らしくないこんなシンプルな文面で来たのだから、安堵と同時に不安が押し寄せたのは仕方のないことだろう。
 翌日、指定された病室の前にやってきた。なんとも言えない心境の中、扉をノックする。返事が来たので扉を開けると、彼女はいつもと変わらぬ様子でベッドに腰掛けていた。
 「来た来た、久しぶり。ごめんね、この前はあんなことになっちゃって。」
 如月は、あの日倒れたとは思えないほどケロッとしていた。あのメッセージの文面以外は、いつもの彼女のままだった。
 「…本当だよ、心配したんだから。」
 「心配してくれたんだ。ふふ、ありがとね。」
 彼女はからかうように微笑んで、でも嬉しそうにそうつぶやいた。
 「…そんなことが言えるのなら、大丈夫そうだね。」
 そう言った僕の心には、彼女が無事だったという安堵と嬉しさが確かにあった。
 でも、僕の言葉を聞いた彼女の反応で、僕の感情に一瞬でヒビを入れた。
 「…うん、私は大丈夫だよ。心配ありがとうね。」
 彼女の話し始めに間があるときは、何かを隠しているか後ろめたい時だ。今までに何度か、その癖が見受けられる場面があった。
 「…それで、なんであの日倒れたの?
 「…大したことないから大丈夫だよ。あのときはちょっとね、貧血で。」
 彼女は、自分の両手の動きを止めてそう言った。いつもひっきりなしに動かしているあの両手を。
 「…嘘でしょ。」
 「え?嘘じゃないよ?」
 僕は彼女が嘘をついていると確信していた。言い訳があからさますぎるのもだが、もう一つ。
 「君は嘘が下手だよね。言い訳が下手だ。それに、君は嘘を付くときに、手が止まる。いつも常に動かしている、その両手を。」
 如月は一瞬目を見開いた後、俯いてバツが悪そうに口を開いた。
 「…さすが、よく見てるね。本当はまだ言うつもりはなかったんだけど…」
 そして彼女の表情が変わった。今までに二度見た、あの顔に。
 その変化に、思わず身構える。心臓が嫌な鼓動を打った。
 「…実は私、脳腫瘍なの。」
 「……は?」
 理解が追いつかなかった。二日前にあんなふうに倒れたとはいえ、それ以前まではあれほど元気そうだった彼女が脳腫瘍など、すぐに呑み込めるはずもなかった。
 そんな僕の混乱など露知らず、彼女はさらに信じられない、信じたくないことを口にした。
 「それでね…余命、一年なの。」
 頭を、ガツンと後ろから殴られたような気がした。
 世界が音を失うような、世界が色を失うような、そんな感覚がした。
 めまいがしてふらつきそうになるのを必死に堪える。
 「それは…嘘なんだよね…?」 
 「違うよ。これは…嘘じゃない。」
 さっきの嘘の時のように、彼女の両手は止まっていた。
 でもその声が、表情が、雰囲気が、彼女の語る言葉が真実だと裏付けた。
 信じられない。いや、信じたくない。
 動揺して、呼吸の仕方を忘れたかのように息がしにくい。
 いろいろな感情が、心のなかで渦巻いて、ぐちゃぐちゃになった。
 「……そっか…なら長居しちゃ悪いし、僕帰るね…。」
 いたたまれなくなって、そのまま病室を出た。あれ以上あの場にいると、混乱と絶望と、悲しみでどうにかなってしまいそうだったから。
 彼女の声が後ろから聞こえた気がしたが、無視して病院の廊下を歩く。
 気づけば、いつの間にか自宅の前に立っていた。どうやって家に帰ったのか覚えていない。来た道を戻ったといえばそうなのだろうが、その間の記憶が一切ないという意味だ。
 
 無心で階段を上がり、ベッドに倒れ込む。
  彼女の言葉が、何度も脳内に反響する。
 「それでね…余命、一年なの。」

 あの、できるだけ明るく振る舞おうと取り繕うような。それでいて、悲しみや寂しさを隠しきれていない、あの声が。  
 あの言葉が脳内に響くたびに、どうしようもない虚無感が湧き上がってくる。
 それくらい僕は如月の言葉を、全く受け止められていなかった。
 当然だ。つい最近まで元気にしていた友達が、突然倒れた挙げ句脳腫瘍で余命一年など。
 数時間そこらで受け止められる話ではない。

 …いや、突然ではなかったかもしれない。

 彼女は、もしかしたら普段からその兆候を見せていたのだろうか。
 あるときは箸を落としたり、あるときは射的が苦手だったり。それに、常に両手が忙しなく動いていたり。
 すぐにスマホで調べてみると、手を動かし続けることは脳腫瘍に対してある程度効果があるらしい。完治したりは当然しないが、進行を遅らせる、という意味ではかなり有効らしい。
 如月なりに、必死に病気に抗っていたのだ。
 僕とは違って。
 その兆候は、彼女の病気に気付ける程のものではなかった。でもそれに気づかなかった自分に無性に腹が立った。
 もし気付けていれば、もっと違っていたのではないか。祭りに誘われたときに、如月を気遣えていればあんな風に倒れることはなかったはずだ。
 気づけば、なぜか頬には涙が伝っていた。だが拭う気にもなれずにそのまま一人静かに泣き続けた。
 窓から差し込む光で目が覚めた。泣いていたらそのまま寝てしまっていたようで、時計の針は午前四時を指していた。完全に目が覚めてしまったのでそのまま立ち上がるが、今日は特にめまいが酷く、熱っぽくて体も熱かった。
 再びベッドに横になりなんとか眠ろうとするが、完全に目が覚めてしまい寝付けない。
 そのまま横になっていると、昨日のことが脳裏に浮かんできて気分が沈む。
 僕は昨日まで、病気の事も忘れてそれなりに楽しく。むしろ病気になる前よりも楽しく過ごしていた。
 それも全て、如月のおかげだ。
 でもそんな日々が、今まで自分が思っていた以上に脆いものだったとは。誰が予想できただろうか。彼女は大病を抱え、余命幾ばくもない。
 そんな彼女の時間を、僕のために使わせてしまっていた。それが苦しかった。
 そして、もう僕は彼女といるべきではない。
 そんな事を考えていると涙まで流れてきて、僕は再び布団にくるまった。
 気づけば時刻は午後一時。遅くまで起きてこないからと心配した母さんが部屋の扉をノックして声をかけに来てくれたが、答える気も起きず寝たふりをしてやり過ごした。
 少しの間声が聞こえたが、何かを察してくれたのか母さんは一階へ降りていった。

 夏祭りが八月終盤だったため、三日後には二学期が始まった。
 僕はあれからずっと体調が優れず欠席していた。
 少し前までは穏やかだった症状が、あの日から一気に現れ始めたのだ。めまいに発熱、胸の苦しさなんかも出てきた。
 如月と過ごす内に病気のことを考える時間は減っていた。そんな僕の心情に引っ張られていたのか、症状もそこまで酷くはなかった。
 でも、今も病魔は自分の心臓に巣食っているのだと改めて思い知らされた。
 その日も学校を休み、どうにか寝ようとベッドで横になっていると、スマホから通知音が鳴った。僕が休んでいるのを心配するような友達もいないので、仕事に行っている母さんからかなと思いスマホを開くと、送信者は如月だった。
 『最近屋上来てくれないね。私と話すの嫌になっちゃった?もしかして、私の病気のこと気にしてるのかな。だったら大丈夫だよ。私はまだ元気だから。また話したいな。』
 どうやらいつの間にか退院していたようで、今日は学校に行っていたらしかった。
 私と話すの嫌になっちゃった?か。もちろんそんな訳はない。どちらかといえば病気のことを気にしている方が大きい。
 いや、これは僕の問題だ。彼女は、僕と話すのが楽しいと言ってくれたのに、友達だと言ってくれたのに。それなのに僕はまた思ってしまった。
 残り僅かな人生を、僕なんかと過ごしていて良いのかと。
 これを聞かれれば如月は再び笑って良いんだと言ってくれるだろう。
 でも僕は気になってしまう。一度そんな思いが芽生えてしまうと、一気に根を伸ばして僕の心を縛り上げてしまう。
 彼女も、僕も、長くはないのだ。そんな貴重な時間を、僕と過ごしても何にもならない。
 そんな思いが膨らんでしまって、例え学校に行けても屋上へ行こうという気持ちは全く起きない。
 それどころか、如月の病気と余命を知ったショックと、それに引っ張られたのか最近ひどくなっている病気の症状でまともに登校すら出来ていない。
 考えていればそんなネガティブなことばかり頭に浮かんできてしまって、嫌になった。
せめて何か如月へ返信しようと思ったが、画面に伸ばした指先は、なんと送れば良いのかわからず宙で止まった。結局、何も打ち込めないまま、逃げるようにスマホを閉じた。
 寝て時間を潰そうと目を閉じるも、やっぱり眠れなかった。
 
 夏休みが終わり、二学期が始まって一週間。
 いい加減学校に行かなければと思い、比較的症状の軽い日に登校することにした。処方されていた解熱剤とめまいを抑える薬を服用して。
 なんとか制服に着替え、一階へ降りる。今では階段を降りるだけで一苦労だ。
 リビングに入ると母さんが驚きと心配が混ざったような声を上げた。
 「碧斗?もう学校へ行くの?体調はどうなの?」
 相変わらず、お節介な母さんを適当に返事をして凌ぎ、朝食を取る。その後は部屋に戻り、鞄を持って学校へ向かった。
 最近は色づいて見えるようになっていたこの道も、なんだか以前より灰色な気がした。
 ふと、僕はあと何回この道を歩けるのだろうと思った。病状は悪化の一途を辿っている。余命半年と言われて約三ヶ月。それはあと三ヶ月の猶予があるという意味ではない。余命半年だからといって、半年生きれるとは限らないのだ。
 そう考えると、途端に寂しい気がしてきた。
 学校へ着き教室へ上がり、荷物をしまい席につく。二学期開始から一週間も休んでいて、登校してきた僕を見て、クラスメイトは物珍しそうな視線を向けた。でもすぐに目を逸らし、各々の会話へ戻る。クラスで少し浮いていた僕への扱いは、こんなものだろう。
 その日は薬のおかげか、症状がひどくなることもなく一日の授業が終わった。授業でなにを習ったか、先生が何を話していたか。そんなことは一切記憶にない。
 鞄へ荷物を詰め、教室へ出て帰ろうとした矢先
 「碧斗くん。」
 その聞き馴染みのある声に、思わず振り返る。僕を呼び止めたのは如月だった。
 振り返った僕の顔を見た彼女は一瞬、目を見開いた。そして表情を戻し、言葉を続けた。
 「久しぶり。ずっと休んでるって聞いて、心配したんだよ?」
 約一週間ぶりに会った彼女は、メールで言っていた通り元気そうだった。
 僕は、彼女の呼びかけに答えずに再び歩き出した。後ろからさらに彼女の声が聞こえたが、無視した。そのまま学校を出て、いつもの帰路を歩く。
 僕はもう、彼女と過ごしていい理由はないのだ。そうやって、自分に言い聞かせた。
 彼女の元気そうな様子を見れたのだ。元気と入っても、脳腫瘍であることには変わりないので元気そうにしている、という意味だ。実際どうなのかは、僕にはわからないが。
 そんな彼女の様子が見れただけで、十分だった。
 如月は、これから自分の友だちや大切な人と残りの時間を過ごすだろう。そこに、僕がいる必要はない。
 翌日、放課後になり教室を出るとまた如月に呼び止められた。
 「碧斗くん、昨日は…」
 彼女の言葉を無視して、早足で廊下を進む。再び彼女と話してしまえば、欲が出てしまいそうだったから。
 同じようなやり取りが、数日繰り返された。如月が声をかけ、僕は無視して歩き去る。
 その繰り返しだった。
 転機が訪れたのは、同じやり取りを三日繰り返した翌日。
 「碧斗くん。」
 その日もまた、如月は僕に声をかけた。いつも通り、無視して歩き出したその時、後ろから走ってくるような足音が聞こえた。そして、彼女は僕の腕を掴んだ。
 「待って。久しぶりに、屋上で話そう。」
 いつになく真剣で、有無を言わせないような言葉に、僕は断ることが出来なかった。

 屋上に来るのは、一学期の終業式以来だ。久しぶりに来た屋上は、まだまだ暑かったがどこか懐かしい気がした。
 屋上に来たあと、如月はしばらく無言だった。少しだけ振り返り様子を伺うと、なにか思い悩んでいる、そんな表情だった。
 彼女の表情が切り替わると、ようやく口を開いた。
 「ごめんね、無理に引っ張ってきちゃって。どうしても、話がしたくて。」
 「……別に、大丈夫。」
 今の彼女の表情は、やはり真剣そのものだった。あの日病院で見たそれとはまた違う、初めて見る表情。
 「碧斗くん、なんで最近屋上に来てくれないの?」
 「……」
 「もしかして、私と話すのは…嫌だった?」
 「……それは、違う。」
 そう言った彼女の表情は、とても寂しそうだった。それを見て咄嗟に、そこだけは否定しておきたかった。
 僕が如月と話すのが嫌だなんて、それはありえない。これまでも、これからも。
 それに、彼女にあんな顔をさせたくなかった。
 「じゃあ、なんで…。」
 「……僕が、もう君といるべきじゃないと思ったからだよ。」
 「…え?それって。どういう…。」
 僕の言葉を聞いた彼女の顔には、明らかに困惑の色が浮かんだ。
 「……こんなことを言うのは良くないかもしれないけど、僕はもう君と過ごすべきじゃない。君はもう、残り少ないんだ。残された時間を、僕で浪費するべきじゃない。」
 これが今の、僕の本心だった。
 正直に言うと、こんな形で人を、ましてや彼女を突き放すのは良くないとは思っている。でも、これ以外の方法が思いつかなかった。 
 残り少ない、というのは僕にも当てはまる。むしろ僕のほうが短い。
 でも、彼女は僕とは違う。残された時間を、精一杯楽しんでいる。
 「前にも言ったけど僕は、地味で暗くて友達なんか一人も居ない。そんな僕より、君を大事に思ってくれる友達や家族と過ごしたほうが良い。」
 苦虫を噛み潰すような思いで、言葉を終える。本当は僕だって、こんなことを言いたくはない。できるなら、僕も残りを彼女と過ごしたい。でも彼女のためを思い、こう結論を出した。
 彼女は、僕の言葉を聞いて俯いてしまった。そのせいで今の表情を伺う事はできなかった。でも、両手でスカートをぎゅっと握りしめているのが見えた。
 「……そういうことだから、僕はもう屋上へは来ないよ。君は残りの時間を…」
 「…………で。」
 「……え?」
 踵を返して屋上から去ろうとした時、彼女はようやく声を発した。振り返り、彼女の方を見る。
 「自分と過ごすべきじゃないなんて…そんな悲しいこと言わないでよ…!」
 悲痛な叫びのように僕へ訴えかける声と表情は、とても悲しそうだった。目には涙が薄っすら溜まっていた。
 「自分は地味で、暗くて、友達がいない?そんなの関係ないよ...!例えそうだとしても、碧斗くんには良いところがいっぱいあるんだから…!」
 「……ないでしょ。」
 「そんなことない…!」
 そう言った彼女の瞳には、迷いはなかった。嘘でも、取り繕いでもない、本心からの言葉だと、そう感じた。
 「碧斗くんはわかってないかもしれないけど、碧斗くんはとっても優しいんだよ?それに備えも良くて、視野が広くて、私のこともよく見てくれてるじゃん…。」
 そんなこと、自分で思ったことはなかったし、もちろん言われたこともなかった。
 「一緒にお昼を食べた日、お箸を落としちゃった私に紙おしぼりをくれた。お祭りの日、ぶつかりそうだった私を助けてくれた。靴擦れをしてた私に気づいて、手当してくれた。」
 「…そんなの、当たり前だよ。特別なことじゃない。」
 別に謙遜したわけじゃなかった。ウェットティッシュや絆創膏は念の為常に持ち歩いているし、靴擦れに気づいたのも偶然だ。
 でも彼女の思いは違った。
 「そんな事ないよ...!あの日病院で、私が嘘を付いてるのに気づいてくれたでしょ?あれはよく私のことを見てないと気づかないよ。」
 「…………」
 そうなのだろうか。僕が彼女の嘘に気づいたのは、以前に同じようなことがあったから。ただの偶然だ。
 彼女が、必死に僕を肯定してくれているのは伝わってくる。それは
 「それに、碧斗くんは自分と過ごすべきじゃないって言うけど…それも私のためを思ってなんでしょ…?」
 その言葉が、僕の胸に突き刺さった。まさか、そこまで見破られていたとは。
 僕が、如月のために突き放したと彼女は気づいて、こんな思いをさせてしまった。その事実に、胸が張り裂けそうだった。
 自分のせいで、彼女を苦しめてしまった。
 「私のため。私のために、こんなに悩んで、考えてくれて。自分を下げてまでこんな事を言うなんて、きっとすごく苦しいはずなのに…。」 
「……なんで、そう、思うのさ。」
 最後には声が震えてしまった。
 「思うに決まってるじゃん…だって、今もそう。この前久しぶりにあった日からずっと、すごく辛そうな顔をしてたから。」
 辛そうな顔…?
僕はそんな顔をしていたのか。如月に言われて、初めて気付かされた。どんな顔をしているかはわからないが、彼女がそう言うのならきっとそんな顔をしているのだろう。
 確かにそうだ。僕は如月のために、彼女を突き放し自分も傷ついた。
 優しさだとかは思っていなかったが、如月に言われて、これも優しさなのかもしれないと思った。
 でも、まだ僕の葛藤は拭えていなかった。
 「…でも、僕と過ごす理由はないでしょ…」
 いくら、彼女が僕が優しいと思ってくれていようと、それだけでは僕といる理由にはならないだろう。でも、やはり彼女の思いは違うらしい。
 「あるよ...!理由は…私が碧斗くんと一緒に居たいから。」
 なんだそれは。そんなの理由になっていないし、そもそもなぜそんなことを思うのか。
 「私は、碧斗くんと過ごしたいよ。私はね、今までずっと誰かと一緒に過ごしてきたんだ。家族とか友達と。今まではそれで良かったし、そのほうが良いと思ってた。でも、病気のことがあって、ずっと誰かと一緒にいるってなると、疲れたりすることがあったんだ。賑やかなのは好きだし楽しいけど、今の私にはちょっと騒がしい。でも碧斗くんは、静かで落ち着いてて。今の私には、そんな碧斗くんといる時間が気楽で、ちょうどよかった。」
 僕といる時間が心地良い。まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。そんな予想外な言葉が、僕の今までの葛藤を一瞬で打ち砕いた気がした。
 「それだけじゃないよ。私は碧斗くんの優しさに何度も助けられたし、ちゃんと私のことを見てくれてるのが嬉しかった。これが、私が碧斗くんと過ごす理由。」
 そんなにはっきりと言われると、もう僕からは何も言えないではないか。
 彼女のため、如月のために、自分から距離を置こうと決めたのに。その決意も如月にあっという間に絆されてしまった。
 「私は何度も碧斗くんに救われてる。そんな碧斗くんだからこそ、一緒に居たいと思うの。だからもう自分のことを卑下したりしないで…?」
救われているのは、むしろ僕の方だ。余命宣告され、絶望のど真ん中にいた僕。そんなときに君と出会った。
 出会った頃はまだ知らなかったが、脳腫瘍に余命一年と僕と似た境遇にもかかわらず、明るく振る舞い僕を絶望の中から引っ張り出してくれた。
 そして、またしても闇に沈んだ僕に、再び光を灯してくれた。
 でも、僕も少なからず彼女を救えているのだと思うと嬉しかった。
 「だから…また屋上に来てくれる…?」
 彼女の切実で願うような一言。それにようやく、僕は首を縦に振った。
 「…わかった。また屋上に来るよ。ごめん、勝手に突き放したりして。」
 それを聞いた彼女の表情は、みるみるうちに明るくなった。
 「ううん、いいの。それじゃあ、約束ね。」
 彼女が差し出した小指に、自分の小指を絡め指切りをした。
 その瞬間、計ったようなタイミングで下校時間を告げるチャイムが鳴った。
 「もうこんな時間だし、帰ろうか。」
 彼女は恥ずかしくなったのか、チャイムが鳴り終えたあと慌てて手を離した。
 「…そうだね。」
 その姿に思わず笑みがこぼれた。
 塔屋へ向かう彼女。その背中に、ふと思い出したことを聞いてみた。あの日から疑問に思っていた、もう一つのこと。
 「…如月はさ、なんであの日、僕に声をかけてくれたの?それまで僕らは、ほとんど接点もなかったのに。」
 僕の問いに、足を止めて振り返った如月は、きょとんとした表情を浮かべていた。
 「あの日?」
 「屋上で初めて話した日だよ。」
 「ああ、あの日ね。なんでって言われてもなぁ〜。」
 如月は少し考えた後、こう答えた。
 「あの日の碧斗くんが、私と似てた気がしたから。」
 「似てた?」
 返ってきた答えは、想像の斜め上を行くものだった。
 僕と彼女なんか、それこそ正反対だろうに。
 「あの日の碧斗くんの表情が私と同じ、何かを抱えていそうな悲しそうな表情だったから。それだけだよ。でも、今の碧斗くんを見てると杞憂だったみたいだけどね。」
 「…そっか。」
 次に返ってきた答えに驚かされた。僕も彼女を初めて屋上で見た日、如月の横顔は何かを抱えていそうな表情に見えた。本当に同じようなものを抱えているとは思ってもいなかったが。
 同じことを、如月も思っていたのだ。
 でも、一つ違うのは、それが杞憂ではないということ。僕は心臓がんに侵され、おそらく如月より先にこの世を去るだろう。
 彼女はまだ、僕を健康な人間だと思っている。でも、そうではないし、彼女より早くこの世を去るだろう。
 そのことに、胸が痛んだ。
 「碧斗くん?どうかした?」
 「…考え事してただけ。行こうか。」
 いつの間にか考え込んでしまっていた。でも、今は考えないでおこう。
 「あ、そうだ。碧斗くん、写真撮ろうよ。」
 「写真?いいけど、なんで?」
 如月は、いつものデジカメを取り出し答えた。
 「仲直り?記念ってことで。ほら、撮るよ。はい、チーズ。」
 仲直り記念か。彼女らしいな。
 見せてもらった写真は、綺麗に撮れていた。そこに写っていた僕の表情は、前より明るいはずだ。
 初めて二人で写真を取り、屋上を出た。靴箱で靴を履き替え学校を出て、如月と別れいつもの帰路につく。
 如月は、一度のみならず二度僕を救ってくれた。そんな如月に、なにかできることはないかと考えた。でも、特に良い案は思い浮かばなかった。
だからとりあえず、彼女が僕といっしょに過ごしたいと思うなら、できる限り如月と過ごそうと決めた。
 これは僕のためでもある。今日のことで僕も、如月と残りの時間を過ごしたいと心から思った。
 今日の朝までは灰色だったこの道も、再び色づいて鮮やかに見えた。