寒くて温かいおせっかい


 最初に話した日の翌日、僕は屋上へ足を運んだ。どうせこないだろうと思っていたが、意外にも如月が本当に来たので驚いた。
 あの日以来、僕と如月は時々屋上で話すようになった。僕は今まで通り、二日か三日に一回くらい屋上に行っている。変わったのは、時々如月が先に屋上にいる日ができたということだ。
 そういった日は、二人で何気ない会話をして過ごした。
 その日学校であった出来事、家でのこと、勉強のことなど、如月はいくら話しても止まることを知らなかった。
 やはり話している間は手が動いていたが。
 「ねぇ、明日はお昼休みに屋上に来てよ。一緒にお昼食べない?」
 もはや日常となった、二人で屋上で話しているときのことだった。突然の提案に少し驚きつつも、平然を装って答える。
 「…別に僕は良いんだけど…そっちはいいの?」
 「ん?何が?」
 「…僕なんかといても良いのかってこと。」
 僕なんかといてもいいのか、それは少し前から思い始めていたことだ。
 如月は、少し大人びていて話しやすい雰囲気で、生徒からかなり人気がある。さらに成績は優秀で、顔も整っていて男子人気も高い。まさに才色兼備な人間だ。
 故に常に人に囲まれている、僕とは正反対の人物だ。
 そんな如月が、僕なんかと過ごしていて良いのかと、純粋に疑問に思っていた。
 「…ふふ、なんだそんなこと?」
 如月はまるでおかしなことのように笑ってみせた。
 「いいんだよ。誰と過ごそうが、私の勝手。私が楽しければいいの。そうでしょ?」
 「…じゃあ尚更だ。僕なんかと話しても、楽しくないだろうに。」
 僕みたいな地味で暗いやつと話すよりは、仲の良い友達なんかと話したほうが楽しいだろうに。自分から話しかけることもしない、そっけない返事しか返さない僕よりは。
 「え?」
 如月はまるで鳩が豆鉄砲を食ったかのようにぽつんと止まって、不思議そうに聞き返してきた。
 「どういう意味?」
 「…どうもこうも、僕なんかより友達と話すほうが楽しいでしょ。」
 如月はまたぽつんと動きを止めて、やがておかしそうに口元を抑えて笑った。
 「ふふっ、碧斗くんそんなこと考えてたの?私は碧斗くんと話すの、楽しいよ?それにもう私達、友達じゃん。」
 何の恥ずかしげもなく、そんな照れくさい言葉を口にした。もう友達だから、ましてや自分と話していて楽しいなんて初めて言われた。
 「碧斗くんと話してると、なんか落ち着くんだよね。だから私は碧斗くんと話すのが楽しい。」
 今まで自分をただ地味で暗いやつくらいに思っていた。それが話していると落ち着くなんて。初めて言われた言葉に戸惑いつつも、満更でもなかった。なんだか照れくさくなって、思わず目を逸らした。
 「あれ、もしかして照れてる?」
 「…うるさい。明日、昼休みに来るから。」
 如月のからかうような言い方に、居ても立ってもいられなくなって扉の方へ足を向けた。
 「また明日ね〜。」
 「……また明日。」
 背後から聞こえた声に、一瞬立ち止まって振り返らずに答えて屋上を出た。
 人と会話して、こんな気持ちになったのは初めてだった。

 翌日の昼休み、約束通り弁当を持って屋上へ向かった。
 屋上に出ると、鋭い夏の日差しが肌に突き刺さり、早々に汗が滲み出す。少しでも日差しを避けるため、影になっている屋上の塔屋に寄りかかり如月を待った。
 少しして、屋上の扉が開いた。
 「…あれ、碧斗くんいないなぁ。まだ来てないのかな。もしかしてすっぽかされた?」
 僕は扉を出てからじゃ見えない場所に立っていた、なんてわけじゃなかった。ただ扉の横に寄りかかっていただけだ。
 なのに僕に気づかず通り過ぎていく如月。それがなんだか可笑しくて、声を抑えて笑った。
 いつ気づくのだろうかとそのまま立っていると、少しして如月が振り向いてようやく僕の存在に気づいた。
 「わっ!?いたなら言ってよ〜。」
 「…気付かないほうが悪い。」
 「はぁ…びっくりした。でも良かった〜ちゃんと来てくれて。」
 如月は胸を撫で下ろすと、安心したように破顔した。そのままこちらに歩いてきて、塔屋の影に腰掛けた。
 「さ、お昼食べよ。今日のおかずなにかな〜」
 楽しげに鼻を鳴らしながら、弁当箱の包みを開く。遅れて人一人分空けて腰を下ろす。横目で見えた弁当の中身は、食べ盛りの高校生のものとは思えないほど少なかった。
 僕も弁当を取り出し、弁当箱の蓋を開いた。
 「わ、すごい。お弁当すっごい綺麗だね。もしかして自作?」
 「…そうだけど。」
 「へ〜、すごいね。私料理は全然出来なくてさ〜。自分でお弁当作ってるなんて偉いね。」
 両親は昔から仕事の関係で家を出るのが早かったから、毎朝の朝食と弁当を作るのが僕の日常だった。その事に対しては特になんとも思っていなかったが、すごいだ偉いだ言われると少し嬉しい。
 褒め言葉に対してどう返そうか悩んだが、返答に窮したため誤魔化すように冷めきった米を口に運んだ。
 特に何も返さずに食事を続けると、如月も気にしていないようにまた話し始めた。
 少しして、弁当を食べていた如月がうっかり箸を落とした。
 「ありゃ、やっちゃった。どうしよ、箸は一本しか無いし…。」
 僕は弁当袋から紙おしぼりを取り出し、彼女に手渡した。
 「…これ使って。除菌だから、これで拭けば使える。」
 「ありがとう。」
 如月は少し驚いたように目を開いたが素直に受け取り、箸を拭いて食事を再開した。
 その後はしばらくは何気ない会話が続いた。その間も、相変わらず箸を持っていない手は動き続けていた。
互いに弁当を食べ終わると、不意に如月はスマホを空に向けて写真を撮った。
 「急にどうした」とでも言いたげな僕の視線に気づいたのか、彼女は微笑んで答えた。
 「なんだか空が綺麗だなって思ったから。思わず撮っちゃった。」
 そう言って撮影した写真を見せてきた。
 なんてことのない空と映り込む町並みの写真。それなのに妙にきれいに見えるのは気のせいだろうか。
 「綺麗じゃない?」
 「…うん、綺麗だし…写真撮るの上手いね。光の写し方っていうか。」
 僕が画面を見つめて言うと、如月は照れくさそうに、でもどこか寂しそうに視線を落とした。
 「…そうかな?ありがとう。私ね、前まではスマホじゃなくて、デジカメとかでよく写真撮ってたんだよね。」
 少し意外な話に驚きつつも、少し引っかかる言い方に僕は追って質問をした。
 「…今はなんで撮らないの?」
 そう問いかけると、彼女は失言だったかのように口を噤んだ。そして少し顔を引きつらせながら答えた。
 「えぇっと…あはは、なんでかな。そんなことよりさ、八月の最初に夏祭りがあるでしょ?良かったら一緒に行かない?」
 彼女は珍しく手を動かさずにそう言った。誤魔化すような言い方を怪しく思ったが、踏み込まないほうが良いかと思ってそのまま流すことにした。
 「…夏祭り、ね…僕でいいの?友達と行かなくて。」
 いつか同じようなセリフを言ったような気がしたが、すぐにまた同じような言葉が返ってきた。
 「いいんだってば。碧斗くんといるのは楽しいし、もう友達だって。」
 「…そういうことにしとこう。」
 照れ隠しと、初めての感情にそう返すしかなかった。
 詳しいことは後ほど決めようと、連絡先を交換した。そのタイミングでチャイムが鳴った。弁当をしまって立ち上がり扉を開ける。
振り返ると、如月はそのまま屋上の中心で立ち尽くしていた。
 「…授業、始まるよ。」
 「…今日はサボっちゃおうかな。先行ってて。」
 そんなわけにもいかないだろう、そう言いかけて口を噤んだ。あの日見た、何かを抱えていそうな憂いを帯びた表情が一瞬だけ見えたから。
それ以上は何も言わず。いや、何も言えず屋上を出た。その日は放課後になって家に帰ってもあの顔が頭から離れなかった。

 その日以降、あの日如月が見せた表情を目にすることはなかった。あれからはまた放課後に屋上でなんてことのない会話をし、たまに昼食をともにし、なんてことのない日常を送った。
 最近はたまに息切れやめまいがあるだけで、体調も安定していた。それに如月と過ごしていると、不思議と病気や余命のことを忘れられた。
 余命宣告されて約二ヶ月、僕はあと四ヶ月で本当に死ぬのか疑うくらいだった。
 「いや〜今日で一学期も終わりかぁ。早いねほんと。一瞬だった。」
 今日は一学期の終業式。しばらく来れなくなると思い、屋上へ足を運ぶと如月が先に来ていた。
 「…そうだね。確かに短かった気がする。」
 今までは、一日を空虚に過ごし、ただ流れ行く毎日を消費していくだけだった。そんな日々は退屈で、長く感じた。
 だが最近、如月と話すようになってからは少しだけ、日々の流れが早い気がしなくもなかった。
 「夏休みに入ったらしばらく会えなくなっちゃうね。次は夏祭りかぁ〜。」
 二人で行く約束をしている夏祭りは、八月末。つまり夏休み終盤に開催される。 
 今までの僕だったら、しばらく会えないことに対して僕は何も思わなかっただろう。でも、会えないことを少しだけ残念に思っている自分もいた。
 「まぁ、会えない時間がある方が久しぶりにあったときの喜びが大きいかもね。」
 「…それは一理あるかもね。」
 恐らく如月が言っているのは、好物を久しぶりに食べたら以前よりも美味しく感じた。そんなニュアンスだろう。そんな経験は僕にもあったので、素直に共感した。
 「あれ、珍しいね。素直に共感してくれるなんて。」
 「…そう?」
 「うん。最初の方は…まあいいや。」
 言いかけて、如月は途中で言葉を止めた。きっと、最初の方は共感なんかしてくれなかった。そんな言葉が出てくるのがなんとなく分かったので追求はしなかった。
 「は〜暑いしもう私行くね。じゃあまた夏祭りに…会えると良いね。」
 「…そうだね。」
 会えると良いね。その言葉に違和感を覚えたのは、不自然なことではないだろう。まるで、会えない可能性があるかのような言い方。
 でも、僕だって会える保証はないのだ。もしかしたら、明日にだって僕は命を落とすかも知れない。だから、そんな意味を込めて言葉を返した。
 そうして僕らは一学期を終え、それぞれの帰路についた。

 時は流れ、ついに夏祭りの日になった。普段から夏休みは暇で、僕にとっては長いものだった。でも今年の夏休みは少しだけ長く感じたような気がした。
 普段の休日より早く起きてリビングで朝食を取っていると、母さんが物珍しそうに話しかけてきた。
 「あら、珍しいわね。長期休みはいつも昼ごろまで寝てるのに。ひょっとして、出かけるの?もしかして、夏祭りかしら?」
 「…そうだけど、なに?」
 そう言うと母さんは、わかりやすく嬉しそうに表情を緩めた。
 最近ずっと塞ぎ込んでいたから、僕が自分から外出することが嬉しいのだろう。
 その後なにか思い出したのか、すぐ押し入れへ向かった。戻ってきたかと思えば、少しくたびれた箱を取り出してきた。
 「ねえ、せっかくなんだからこれ、着ていったら?」
 「…やめとく。」
 それは、中学生の頃に着て以来着ていない代物だった。かなり大きめのを買っていたためサイズは合うはずだが、なんとなく着る気にならなかった。
 「いいじゃないの、せっかくなんだから。ほら、今日だけでも。」
 でも母さんはなかなか折れず、五分ほど押し問答をした挙げ句僕が折れ、それを着ていくことになった。やけに嬉しそうな母さんの姿を見ていると断れなかった。
 今日も母さんにはぶっきらぼうな態度を取ってしまった。
 本来、余命わずかとなれば親孝行を考えるべきなのだろう。でもなんだか、素直になれないでいた。
 
 待ち合わせ時間十五分前に待ち合わせ場所に到着した。待ち合わせ場所が祭りの会場の近くなので、既に多くの人で賑わっている。皆が楽しそうに、これから始まる祭りに心を躍らせているようだった。
することがないので、スマホのメッセージアプリを開く。昨晩如月から確認のためのメッセージが来ていたので確認だ。
『明日の六時に、駅前に集合ね〜。お祭り楽しみだね!遅れちゃだめだよ。』
 スマホをしまい、再び彼女を待つ。人々の賑やかな声を聞いていると、不思議とこの待ち時間も暇ではなかった。
それから十五分後、如月が待ち合わせ場所にやってきた。
 「おまたせ〜。わ、甚平だ。」
 「母親が妙に張り切っちゃって。着せられた。」
 母さんが押し入れの奥から引っ張り出してきたのは、昔着ていた甚平だった。これを着て行ったら、下手したら自分だけ張り切ってるとか言われそうだと思って着てくるのを躊躇ったが
 「そうなんだ。でも夏っぽくて良いね。似合ってるよ。」
 どうやら気にしすぎだったようだ。やっぱり如月はこういうセリフをサラッと言ってのける。反応に困ったので「行こうか」と如月に背を向け、強引に話を終わらせた。
 先に歩き出すと、後ろからカメラのシャッター音が聞こえてきた。咄嗟に振り向くと、彼女の手にはデジカメが握られていた。そして振り向いた僕をもう一度撮影した。
 「ふふ、甚平姿なんてレアだからね。残しておかないと。」
 「写真、最近撮ってなかったんじゃ?」
 「そうだったんだけどね。でも、最近また撮ろうって思うようになったんだ。」
 そう語る如月の顔は、とても嬉しそうだった。
 なにか心境の変化があったのだろうか。そうだとしたら、きっと良い変化なのだろう。
 そうしてようやく僕らは祭り会場へ向かい始めた。

 祭り会場へ着くと、既に多くの人で賑わっていた。
 夏の夕暮れのむせ返るような暑さとは裏腹に、皆が祭りの喧騒に身を委ね、思い思いに楽しんでいた。家族連れや、グループで来ている学生、カップルらしき男女など、色んな人が居た。
 中には浴衣を着ている人も見受けられた。如月は白のロゴTシャツに黒のハーフパンツというシンプルな格好で来ていた。シンプルと言えど、落ち着いている彼女の雰囲気によく合っている。ちなみに如月曰く
 「本当は浴衣が着たかったんだけどね〜。でも親が、脱ぎ着しやすいほうが良いだろって浴衣着せてくれなかったんだ〜。」
だそうだ。
 「すごい人だね。お祭りなんて久しぶりだな〜。」
 「そうなの?」
 「うん、去年は用事があって行けなかったから。だから今日は去年の分まで楽しむつもりだから、覚悟してね?」
 まだ会場に入っただけなのに、如月は既に楽しそうな表情で僕の顔を覗き込んだ。
 「…覚悟しておくよ。」
 「そうこなくっちゃ。」と喜んでいる如月を尻目に、足を進める。今歩いているのは、会場となっている公園の園路だ。その端にずらっと屋台が立ち並ぶ形になっている。
 かき氷や焼きそば、お面屋に射的とパッと見ただけでもかなりの数がありそうだ。そこかしこから美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、食欲をそそる。
 二人で話し、興味のある屋台に寄りながら回ることにした。
 「いろんな屋台があるね。何から食べる?」
 射的や輪投げなんかもあるのに、最初から食べる前提で案外食い意地の張ってることにツッコむのを抑え、会話を続ける。
 「…同じ屋台はいくつかあるだろうし、最初から色々食べると後半食べれないかも。」
 「確かに。どうしよっか。」
 二人で悩みながら、歩いて屋台を見ていく。歩いている内に、周囲に漂う匂いと肉が焼ける音なんかにつられ、かなり空腹だ。
 「あ、チョコバナナだ。あそこから…わっ!?」
 僕は咄嗟に、如月の肩を抱きぐっと引き寄せた。如月はチョコバナナの屋台を見つけ、小走りで向かった。僕が彼女を抱き寄せると、如月が通っていたであろう場所を、走っていた男性が勢い良く通り過ぎた。あのまま立っていればぶつかっていただろう。
 「大丈夫?ごめん、急に掴んで」
 「う、うん…大丈夫。ありがとう。」
 「そっか、良かった。」
 安心したように顔を綻ばせた如月の肩をそっと離した。
 「じゃ、気を取り直してチョコバナナから〜。」
 屋台に行き、チョコバナナを購入した。それを如月は、祭りで売っている簡単なものとは思えないほど美味しそうに食べた。
 「美味し〜お祭りの食べ物って何でも美味しく感じるよね。」
 僕も口にしたが、食べた感じは至って普通のチョコバナナだった。でも確かに、祭りの雰囲気につられてか美味しい気がした。
 チョコバナナを食べ終えて、たまに屋台に寄りながら足を進めた。
 その間如月は
 「あ、リンゴ飴。美味しそ〜。」
 「たい焼きも売ってる。珍しいね。」
 「クレープ売ってる。食べない?」
 甘いものが売ってる屋台しか見ていなかった。輪投げや射的はもちろん、焼きそばや串焼きなんかの他の食べ物には一切目もくれていなかった。やはり食い意地が張っている。本人には言わないけれど。
 やっぱり彼女は、使っていない方の手をいつも動かしていた。今でもクレープ片手に、持っていない方の手は動いている。
 最近思ったが、これは彼女の感情の表れなのかもしれない。そう思うと、いつも変なクセだと思っていた仕草も、少し良く見えてきた。
 でも、興味を向ける割に実際に購入したのはチョコバナナと今食べているクレープだけだった。前に屋上で昼を一緒に食べた時見たように、多く食べるタイプではないのだろう。
 「…ねぇ、あれやってみない?」
 「え?どれどれ?」
 僕が提案したのは、ちょくちょく見かけていた射的だった。今のところ如月が食べる以外何もしていないので、こういうのもありだと思い声をかけた。
 「射的ねぇ。いいじゃん。やろうやろう!」
 射的の屋台に行き、店主に料金を払い銃とコルクの弾を五つ受け取った。
 射的は景品を直接倒すのではなく、小あたりや大当たり、特賞といった位のある的を倒せばそれに値する景品が得られるというものだった。特賞の景品を見ると、それなりに豪華だった。
 「結構良い景品あるね。あ、あの人形可愛い。あれ狙おうかな。」
 「あの猫のか。頑張って。」
 如月が狙っているのは、大当たりの猫の人形だった。
 的は小あたりほど大きく、特賞に近づくにつれ小さい。大当たりもかなり小さく、当たるのはそれなりに大変そうだ。
 如月はさっそく銃を構え、狙いを定めた。真剣そうな彼女の様子を固唾を呑んで見守った。
 「よ〜し…ここ!」
 自信満々な声とは裏腹に、弾は見事に的の横を通り過ぎていった。
 残り四発全て撃ち尽くすも、大当たりどころか途中に狙った小あたりすら当たらなかった。
 全弾外し、残念賞の飴を手に如月は項垂れていた。
 その横で、僕は銃を構え的に狙いを定めた。最初の二発は外したが――
 「大当たり〜!兄ちゃんやるねぇ。景品はどれにする?」
 なんとか大当たりを当てることができた。
 「わ、碧斗くんすごいね。景品何にするの?」
 「…おじさん、景品あれで。」
 僕が選んだのは、もちろんあの猫の人形だ。
 「これ、あげるよ。」
 「…いいの?せっかく碧斗くんが当てたのに…。」
 「いいんだよ。他に特に欲しいのもなかったし。」
 「そう?なら…もらうね。ありがとう。」
 如月は満面の笑みで人形を受け取った。
 彼女が全外ししたのを見て、あの猫の人形を狙うと決めていた。
 この笑顔を見れたならやはり人形を選んで良かった。
 如月はカメラを取り出し、人形を撮影した。
 その後も食べて遊んでを繰り返しながら、屋台を回っていった。
 その間彼女は、持参したデジカメで写真を何枚も撮っていた。
 食べ物や、祭りの風景、自分や僕、いろいろなものを写真に収めては笑みを浮かべていた。
 その笑顔の中に、何度か悲しさが混ざっていたように見えたのは気のせいだろうか。 
 自分の病気が発覚してから、全てに絶望して何もかも投げやりになって過ごしていた。
 もう二度と、心から笑える日は来ないと思っていた。
 でも如月が、闇に沈みきっていた僕に光を灯してくれた。
 彼女には感謝してもしきれない。
 図々しくも、できるなら残された時間を如月と過ごしたいと思ってしまうほどに。

 気づけば時刻は八時をまわり、あたりはすっかり暗くなっていた。祭りも終わりに近づいている。
 集まったのは六時で、いつの間にか二時間も経っていたことに驚いた。
 今は会場をだいたい一周したところだ。
 「もうすっかり暗いね。お祭りもあとちょっとで終わっちゃうし、どうする?」
 「…疲れたでしょ。少し休憩しよう。」
 「え?私は大丈夫だよ?もうお祭りも終わっちゃうし…。」
 「…いいから、行くよ。」
 如月の手を引き、半ば強引にベンチへ行って彼女を座らせた。
 「ちょっと触るよ。」
 「え、ちょっ。」
 如月の困惑を無視し、地面に膝をついてから彼女の靴を脱がせる。かかとには、薄っすら血が滲んでいた。
 「…やっぱり。」
 「…靴擦れしてたの、気づいてたんだ。」 
 予想通り、彼女は靴擦れを起こしていた。
 少し前から歩き方がおかしいと薄っすら思っていた。なんだかおぼつかない感じがしたから。それが、ふと如月の足元が目に入った時にかかとあたりに薄っすら赤い部分が見えて確信に変わった。
 「ウェットティッシュがあるから、それで傷拭いて。絆創膏もあるから貼ろう。」
 「そうだね、ありがとう。」
 簡単な処置を済ませ、再び彼女は靴を履いて立ち上がった。
 立ち上がった彼女の表情は、手当てをしたからか少し明るかった。
 「もうあんまり時間無いね。急ごうか。」
 「もう足は大丈夫?まだ痛むなら休んでおこう。」
 いくら手当てをしたといえど、痛みがすぐに治るわけではない。
 「もう大丈夫だよ。手当てしてくれたおかげでね。そんなことより、お祭りも残りの時間少ないんだから、最後まで楽しまないとね。
 「…そうだね。それなら、行こうか。」
 僕は歩き出した。楽しそうな彼女に押されて、残り少ない夏祭りを最後まで満喫するために。
 「碧斗くんってさ――」
 僕より少し遅れて歩き出した如月の声が、背後から耳に響いた。続く言葉を待ちつつ、足を進める。
 しかし、いくら経っても何も聞こえてこなかった。不思議に思い、足を止めて振り返る。
 「………如月…?」
 如月は、俯いて少し離れた場所に立っていた。
 その直後だった。
 彼女の体が、突然糸の切れた凧のように崩れ落ちた。
 一瞬何が起こったか理解できなかった。
 けれどそんな場合じゃないとすぐに如月に駆け寄った。慌てて抱き起こすと、彼女はびっしょりと汗をかいていた。
 さっき顔を見たときは、夏の暑さで少し汗をかいている程度だった。でもいまは、それとは比較にならない量の汗をびっしょりとかいている。この一瞬でかいたとは思えない程の量だ。
 呼吸も全力で走った後のように、むしろそれ以上に荒かった。まるで首を絞められて、必死に空気を求めるように激しく。
 すぐに悟った。
 これはただごとではないと。
 僕があの日倒れたように、なにかただ事ではないことが如月の身に起きていると確信した。
 僕が慌てふためいていると、彼女と目があった。一瞬、ほんの少しだけ安心したような表情を見せた後、眠りに落ちるかのように目を閉じた。
 「如月…?如月…!」
 必死に彼女の名前を呼んだ。でも反応はない。最悪の想像が脳裏をよぎった。
 何人かの人が事態に気づいて、何か話しかけてきているが全く耳に入らない。祭りの喧騒も、人々のざわめきも、ついさっきまで嫌でも耳に入った如月の荒い呼吸も、何も聞こえない。
 何人もの人間がひしめく喧騒の真ん中で、まるで僕たちの周りだけが、ぽっかりと分厚いガラスのドームに覆われてしまったかのような、そんな静寂に感じた。
 焦りと混乱で頭が真っ白になった。何かしなければと必死に考えを巡らせたが、何も浮かんでこない。
 程なくして誰かが呼んだか救急車が来て、如月は運ばれていった。その様子を、僕はただ見ていることしか出来なかった。
 救急車が去った後、ようやく周囲の音が耳に入り始めた。 
 その時にやっと、自分の心臓も激しく暴れていたことに気づいた。病気のせいではない。純粋な焦りと恐怖だった。
 僕はどうすれば良いかもわからず、しばらくその場に立ち尽くした。
 直ぐ側には、猫の人形が地面に転がっていた。
 
結局、如月と再会できたのはそれから二日経ってからだった。