寒くて温かいおせっかい

 僕は昔、ある言葉に救われたことがある。小さい頃、大好きだった祖父を病気で亡くした。
 まだ幼く、病気のことを伝えられていなかったこともあり突然の別れだった。感情の整理がつかず、数日塞ぎ込んで過ごした。
 そうしていると、数日後に祖母が僕の家を訪ねてきた。あまりに落ち込んでいる僕を心配してか、母が祖母に相談したのだろう。
 僕は祖母を見て、思わず泣いてしまった。祖母と、亡くなった祖父との思い出が蘇ってきて。祖母はそんな僕を抱きしめ、泣き止むまでずっとそばにいてくれた。祖母の温かい腕で抑えていたものが一気に溢れてきて、わんわんと泣き続けた。
 一時間くらい経って、ようやく僕は泣き止んだ。祖母は窓の外を指さしてこんな話をした。窓の外に目をやると、雪が降っていた。
「ほら、見てごらん。雪が降ってるよ。死んでしまった人はね、一回だけ、雪を降らせられるんだよ。大切な人のことを想ってね。」
 今思えば、僕を慰めるための子供だましだったのだろう。でも幼かった僕はそれを本気で信じ、確かに救われた。
 祖父が応援してくれた気がして、その日から僕は立ち直ることが出来た。



 鬱陶しいアラームの音が聞こえ、ゆっくりとスマホに手を伸ばす。
 なんだか懐かしい夢を見た気がする。眠い目を擦りながら着替えをしようと立ち上がるが、めまいがしてもう一度ベッドに横になる。最近頻発するようになってきためまいを朝から感じて憂鬱な気分になる。
 今日もまた、なんの意味もない一日が始まるのだ。
 めまいが引いてきたところで体を起こし、緩慢な動きで制服に着替えて一階へ降りる。リビングでは母さんが朝食を作って待っていた。
 「碧斗、おはよう。体調はどう?」
 母さんはこのところ、毎朝こうやって聞いてくるようになった。今はまだ普通に暮らせている。なのに、毎日毎日聞いてこられると正直鬱陶しい。
 「…大丈夫だって。そんなに聞かなくても大丈夫だから。」
 「そう?でも…。」
 あしらうように言い放ち、朝食を口に運ぶ。最近は何を食べても、特に味を感じない。
 母さんは何か言いたそうにしていたが、僕を気遣ってかそれ以上は何も言ってこなかった。
 「碧斗、おはよう。」
 「…おはよう。」
 遅れてリビングに来た父さんとも数語言葉を交わしてそっけなく終わった。
 無言で朝食を済ませ、部屋に戻る。あと数分で家をでなければ学校に間に合わないが、急ぐ気にもならない。どうせ行っても無駄なのだから。しかし遅刻して説教される方が面倒なので、リュックを背負い家を出る。
 最近までは、勉強がどうとか、暑いとか寒いとか考えながら歩いていたこの道も、今では何も感じない。無心でペダルを漕いで学校へ向かう。
 学校についたら教室へ上がり、鞄から荷物を机に移して席につき窓の外を眺める。そのまま授業が始まるが、ノートを取る気にもならないので窓の外を眺めて過ごす。
 そうしているといつの間にか授業が終わり、また一日が終わる。このまま僕は、今日のような無駄な一日を死ぬまで過ごすのだろう。かといってなにか特別なことをする気も起きない。

僕はもう、長くはないというのに。

 きっかけは些細なことだった。高校一年も終わりに近づいた二月のある日。
 体育の授業で短距離走を行った。たった五十m走っただけだった。
 それなのに、マラソンをしたかのごとく呼吸が苦しかった。それ以降、少しの階段や坂を登っただけでも、息が切れるようになっていった。
 それに加え、続く微熱や時々来るめまいに悩まされた。
 最初は特に気にしていなく、病院へ行くこともしなかった。
 きっと、その日はたまたま体の調子が悪かったのだろう。
 だが僕の予想と期待は悪い意味で裏切られた。
 ある日の下校中、いつもの帰り道を一人で歩いていた。
 その時、突然体に異常を感じた。 心臓が異常に速く、強く脈打つ音が聞こえる。呼吸の仕方を忘れたかのように息が苦しい。体に力が入らなくなり、膝をついて倒れた。視界が徐々に狭まり暗くなっていく。
 その時は、死ぬのではないかというくらいとにかく体がおかしかった。
 僕はそのまま意識を失った。
 どうやら近くを歩いていた人が救急車を呼んでくれたらしく、病院へ運び込まれ目が覚めたら病室のベッドの上だった。
 看護師に聞いたが、僕は二日間意識がなく一時は危なかったらしい。
 意識がない間にした検査で心臓に影が見えたらしく、即入院して本格的な検査をすることになった。
「心臓に腫瘍ができていますね。かなり進行していますし、悪性のようなので取り除くのは難しいかと。」
 検査の結果が出た日、医者は何食わぬ顔で、淡々とそう告げた。心臓に腫瘍、悪性――
 聞き馴染みのない言葉が次々と並べられ、理解が追いつかなかった。
その後も難しい言葉が多く出てくる話をされたが、正直頭が真っ白でほとんど覚えていない。
 その後も何度か検査をし、様子を見ていた。だが腫瘍の状態は悪化の一途を辿っていった。
 「もって、半年ほどでしょう。」
 六月半ばにした検査の結果で、とうとう余命宣告をされた。医者はやはり、淡々とそう告げた。医者として、こういう場面には慣れているのだろう。だけどそんな真顔で言うこともないじゃないかと、余命宣告をされているのに呑気にそんなことを考えていた。
 そんなことを考えていられたのも、実感がなかったからだ。当たり前だ。高校生がいきなり余命半年だと言われてもすぐに呑み込めるはずもない。
 でも、頻度の増えるめまいに、下がらない微熱、息切れを感じる内に病気を自覚していき、同時に心も絶望に蝕まれていった。

 そんなこんながあり、七月初めの今に至る。
 ある日の放課後、僕は高校の屋上へ向かっていた。この高校は普段から屋上が開放されている。
 屋上に行って、ぼんやりと景色を眺めているとなんだか落ち着く。
 病気になる前から友達なんかいなかった僕は、放課後はいつも暇しているので気兼ねなく足を運ぶことが出来たし、人もめったにいないため、病気が発覚する前からよく訪れていた。
 その日も屋上へ行こうと、階段を登る。屋上へ出る扉の前に立ってふと、違和感に気づく。
 扉が少し開いていた。前回来たときはしっかり閉めた覚えがあるし。そもそも人がほとんど来ないため、開いているなんてありえない。
 違和感を持ちながらも、特段気にせず扉を開けると、やはりと言うべきか先客がいた。柵のそばに立ち、景色を眺めているようだった。長い黒髪が風でなびいている。
 屋上で自分以外の人間を見かけたのは初めてだった。珍しいなと思いつつも、わざわざ人がいるのに留まる必要もないと踵を返した。
 階段を降りながら、あの少女のことが気になっていた。それは異性としてなんかではなく、ちらりと見えた横顔が、妙に憂いを帯びているように見えたからだ。
 なにか、まるで僕と同じように何かを抱えているような。
 らしくないなと思いつつも、あの少しだけ見えた顔がしばらく忘れられなかった。

 数日後、あの日のことも忘れかけた頃。屋上へ行き扉を出ると、またあの少女がいた。
 しかも今回は、扉を開けた時点で気付かれていた。階段の時点で足音が聞こえていたのか、扉を開けた音で気づかれたのか。
 さり気なく去ろうとすると
 「あれ、人が来るなんて珍しいねぇ。」
 謎の少女がこちらへ歩いてきた。謎の少女、とは言ったものの、彼女には見覚えがあった。確か去年同じクラスだった…
 「………如月 陽菜(きさらぎ ひな)」
 「え?あぁ、そうだよ。如月陽菜です。君は確か…伊藤 碧斗(いとう あおと)くん、だったよね。」
 僕は内心驚きながらも、無言で頷く。如月はいつもクラスの中心にいるような人間だ。そんな彼女と、いつも教室の端でボッチの僕が話したことなんかせいぜい数回程度だ。
 それなのに名前を覚えているなんて、驚いた。一体何人僕の名前を覚えているかわからないのに。よりにもよってなぜ如月陽菜が覚えているのだろうか。
 「…僕の名前、よく覚えてたね。」
 「え?あぁ、よく教室で真剣そうに本読んでるのを見たから、覚えちゃった。」
 確かに話し相手もいないので、よく本を読んではいたが、それで覚えられていたとは。
 「いや〜ここで人を見たのは初めてだよ。来るの初めて?」
 「…いや、よく来るけど。こっちこそ、人を見るのは初めて。」
 「あれ〜おかしいなぁ。私だってよく来るのに…あ、そっか。私がよく行くのは昼休みだ。碧斗くんがよく来るのは放課後でしょ?」
 「…そうだけど。」
 そう答えると、謎の少女もとい如月は満足気に「やっぱり。」と呟いた。
 「たまにはって思って放課後に来てみたんだ。ねぇ、なんで碧斗くんは屋上に来たの?しょっちゅう来てる私が言うのもあれだけど、なにもないじゃん?」
 確かに、この屋上にはなにもない。景色も普通の町並みが広がるだけだし、あるものといえば夏の焼け付くような日差しと、冬の凍えるような風だけだ。
 「…確かにね。特に理由はないよ。ただの暇つぶし。」
 「あ〜暇つぶしね。気持ちはわかるよ。ここなんとなく落ち着くもんね。」
 またも自己完結しながらその後も一人で話していた。会話しているときも、一人で話しているときも、身振り手振りを加えていたり、黙っていても常に手が動いていた。
 正直変わった人だと思った。
 その後も如月が僕に話題を振り、それにぶっきらぼうに答える。そして如月が自己完結して終わる。その繰り返しだった。それが気づけば三十分ほど続いた時。
 「あっ、やば。私もう帰らないと。じゃあね碧斗くん。また会ったら話そ〜。」
 そう言って如月は急いで屋上を出ていった。
 家族以外でこんなに人と話したのは久しぶりで、軽く疲労感を感じた。一人残された屋上に立っていると、さっきまでは騒がしかったのに一人取り残されたように感じてなんだか虚しい気がしてきた。

 少し遅れて屋上を出て、一人で通学路を歩く。家に帰り、部屋のベッドにダイブする。如月と少々長く話していたせいか、普段より幾分疲れている。
 しばらく枕に顔を突っ込んでぼんやりとしていると、数日前のことを思い出した。
 前に屋上へ行ったときも如月はそこにいた。顔は少ししか見えなかったが、如月で間違いないはずだ。
 そのときに少しだけ見えた憂いを帯びた顔。今日の如月の落ち着いている様子を見ている限り、あれは杞憂だったようだ。
 同じようなものを抱えているかもと、なんの根拠もなく思ったが的外れだったため、これからも自分一人で向き合うのかと一人でなぜか落ち込んだ。