スカートを履きたい僕とズボンを履きたい君

俺には気になる人がいる。



×××



「それ、持つよ」

「え、あ、ありがとう。ねぇねぇ戸部、姫野くん何かあったの?なんか機嫌良さげじゃない?」

「いや、それな。朝からなんか変だよな。俺もなんでか知りたいよ。あ、姫野さすがにこの量はおまえ1人じゃ無理だろ!俺も行く」

数学係の女子が課題を職員室に運ぼうとしているのを見かけ声をかけた。

浮かれている自覚はある。

なぜなら。

教室の端にいる3人組に目を向ける。

「シュイシュイシュイシュイ……」

「原田どんどんセミの真似上手くなってるじゃん」

「暑いからやめろっつってんだろ」

「痛っ!糸部、俺はサンドバッグじゃないんだぞ。泉谷助けて」

「っははは!」

楽しそうに笑う横顔。

ーーーーー……可愛いな。

泉谷千景(いずみや ちかげ)。

俺はこいつと、しかも普段とは違う姿の泉谷とツーショットを撮った。
これが俺であることを知っているのは俺だけ。

「なに、ニヤニヤしてんの。普段真顔のマイナスイオンで有名な姫野の口が緩むなんてよっぽどのことがおありで?」

「戸部には関係ねぇよ」

「おまえはそれでいいだろうけど、俺が困るんだよ。女子たちがギャーギャーうるさいんだから。上手くまくの大変なんだからな」

「いいじゃん、女子と絡めて」

「全員俺じゃなくておまえの話ばっかだから嫌なんだよ!」

「あ、トイレ行ってくるわ」

「逃げんな!おい!」

ギャーギャーうるさいのは戸部も大概じゃない。
個室に駆け込んで鍵を閉める。
ドアにもたれ掛かりスマホを取り出すと1枚の写真を表示する。

まさかあんなことが起こるなんて。

「可愛い」

心の奥底から溢れ出すこの感情を抑え込むことは出来なかった。

言っても言っても言い足りない。
自分でも呆れてしまいそうなほどに。

「……はぁ」

頭を抱え壁にもたれたまま、崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

「だって、あれは反則だろ」



×××



泉谷とは高3で初めて同じクラスになった。

その頃から泉谷は原田と糸部とつるんでて、まぁ平和な3人組だなと思っていた。

「それでは二人組になってデッサンしてください」

なんで高校にもなって美術の授業なんてやらなきゃならないんだろう。

「糸部、泉谷どうする?グッパー?あ、ご指名制であれば受付致しま……」

「「グーとパーで分かれましょ」」

「しょ。って二人とも無視かい」

「あ、僕パーだ」

「俺らグーだ」

「んじゃ俺と糸部がペアな」

3人こそこそ集まってグッパーして、ホント仲いいなこいつら。
それより、泉谷1人か。
まぁ、俺はどうせ戸部とでも組むんだ……。

「姫野。俺、せなちゃんと組むわ!せなちゃんあそこ座ろ」

「……は?」

他のクラスメイトが次々とペアを組みイーゼルの前に座っていく中の俺はポツリと教室の真ん中に立つ。

そしてそれはもう1人、泉谷も同じで。
と、いうことは。

「泉谷、組まないか?」

「あー、うん。よろしくお願いします」

お互い目を合わさず、たどたどしい会話。

はぁ、クロッキー帳がいつもより重たい気がする。

「日差し、眩しかったら言って」

「うん、ありがとうございます」

泉谷が敬語なのは多分俺が一軍に属しているからだ。

イーゼルにクロッキー帳を立て掛け、ページを開く。
筆箱から2Bの鉛筆を取り出し紙の上に落とす。

使うのは小学生以来だった鉛筆。
六角のゴツゴツした形と塗料の独特な感触、走らせたときの音と掠れる線が懐かしく思えた。

ーーーーーサッサッサッ。

教室に響き渡る鉛筆の音。

視線を目の前にいる人物に向ける。

可愛い顔してんな。
その言葉に意味はなかった。

男にしては男らしくない、反対に女っぽいっていうには違う顔立ちに華奢な体。

ただ他の男とは違った雰囲気を持つ泉谷がなんとなく気になっていた。

日は想像以上に早く傾いていた。
さっきまで陰に隠れていた瞳へ陽射しが差し込み、星を閉じ込めたように輝く。
できる影の凹凸すらもが美しく思えて。

ーーーーードクンッ。

鉛筆の芯が折れる。
たった一度、大きく跳ねた心臓は喉を締め付け全身の細胞を震わせた。

「なんだ、今のは……」

「大丈夫ですか。芯折れてますけど」

「あー、大丈夫。削ってくる」

まだ痺れが収まらず覚束ない足で歩く。
差し込み口に鉛筆を差し込む。

ーーーーーガリガリガリガリ……。

俺の脳が、心が、心臓が、容赦なく削られ、傷ついた表面を覆い隠すようにあの瞳が埋めていく。

傷はいつかは瘡蓋になって元に戻ると思っていた。

けど実際は。

「悪い」

「全然」

新しく作り替えられてしまうものだというのを知った。



×××



『気になる』という言葉が意味を持った日から3ヶ月が過ぎた日。

まさかこんなことが起きるなんて思ってもみなかった。
いや、こんなこと誰が予想できたと言うんだ。

「大丈夫です……か」

「ふぇっ!?」

ーーーーードキンッ。

咄嗟に顔を背ける。
バレたか。
訪れる静寂。
俺の心臓は様々な感情に揺さぶられ大きく脈を打つ。

流し目でその表情を伺うと、薄茶色の瞳はうっすら潤み照明の光に反射してハイライトが滲んでいた。

クリーム色のニットに薄いYシャツにチェックのスラックスの制服風コーデ。

髪は軽くセットされていてメイクもしている。
だからだろうか目元がより大きく、そして輝いて見える。

気付けば吸い込まれるようにその瞳を見つめていた。
ふと手が温かいなと目線を下に向けるとそういえば手を握っていたことに気付く。

俺はSORAだ、俺はSORAだ、俺はSORAだ……。
呪文のように唱えていると。

「あ、ごめんなさい。ぼ、僕、ずっとSORAさんに憧れてて。嫌いなところがあるんです、自分の。人とは違うなって部分、日々生活するなかで生まれる違和感が苦しくて。でもSORAさんに出会って、そんな自分を肯定できるような、SORAさんを見ているときだけは自分を好きになれる気がするんです。SORAさん大好きです。これからも応援しています!」

ーーーーー……。

勝手に舞い上がってた自分が馬鹿みたいだ。

一滴の水が心臓に落ちる。
それは脳を揺さぶるほどうるさく鳴る鼓動を一瞬にして止めた。

俺はこいつが、泉谷千景が好きだ。

握られた両手が離れていく。
重なっていた視線が静かに離れていく。
距離が、離れていく。

「……待って!」

考えるより先に動いた口から出た言葉を叫ぶ。

今は蒼空を出してはいけないのに。

田中さんやスタッフさん、今まだ待っているファンの人達にも迷惑かけるのを承知の上でわがままを言って泉谷を引き留めいわゆる職権乱用をした。

「わかりました」、「調整します」。
カーテンレールの外からは「長時間1人1人と向き合ってくれてるんだから仕方ない!私たちのことなんて気にしないでちゃんと休んで!」という声が聞こえた。

俺のわがままを受け入れてくれた。

「良かったら一緒に写真撮らない?」

「な、なんで僕となんて……」

おまえだから、撮りたいんだ。
泉谷は俺に気付いていない、知っているのは俺だけ。
その都合の良さを利用した。

きっと今日撮った写真を後から見返してもSORAとの写真としか思わないだろう。

「嬉しくてつい。特別大サービスってことで。付き合ってくれてありがとう、またね」

ぎこちない笑顔の中にある瞳の奥には抑えきれない興奮の色が滲んでいた。

お互いに特別な写真。
でも、その意味は違う。
それが良いような悪いような、心の中に渦巻く感情に奥歯を噛み締める。

あいつが好きなのは蒼空じゃない。
あいつが好きなのはSORAだ。



×××



頭が上手く働かない。
右手に握るシャーペンが全く動かなかった。
頬杖を着き、目線だけを横に向ける。

これは暑さのせいなのか、それとも……。

「あ、あくびした」


ーーーーーキーンコーンカーンコーン……。

「おーい」

「……。」

「おい、姫野!」

「あ゛ぁ?何」

「うわっ、怖。ずっと上の空って感じだけどなに?」

「別に、なんもないけど」

戸部曰く、俺の様子がなんかおかしくなった日から普段よりも絡んでくる。
それが結構うざかったりする。
バレてはいけないとかけるブレーキが想像以上に身体にストレスを与えているらしい。

顔でも洗って来るか。

眠、くわなかったんだが立ち上がったとき、視界がぼやけ体が傾く。

ーーーーードンッ。

「すいません」

「わ、わる……い」

背中に当たったのは少し柔らかくて、でも少し力を加えれば折れてしまいそうなほどの腕だった。

咄嗟に振り替えると少し上目遣いをした泉谷がいた。

あのときと同じ。
俺を見つめるその瞳はメデューサのように音を、呼吸を、思考を停止させる。
周りの音は全く聞こえないのに、泉谷が駆けていく足音だけが脳を殴るように耳に入ってきた。

「おーい、姫野大丈夫か?」

「あー、ちょっと目覚ましに行くわ」

「それ、俺もついていっていい?」

「何でだよ、まじで最近うざいんだけど」

「ちょっとした世間話みたいな?」

そう言って歯を出して笑う戸部。
その笑顔がただの笑顔ではないことはこの3年間で理解していた。

「泉谷ってさ、女装似合いそうじゃね?」

「は?」

流し場着いた途端、戸部はそう切り出した。
戸部の口から出たその名前に今までになかった感情が腹の奥底から沸き立った。

手に握るフェイスタオルがぐしゃりと音をたてるように皺を寄せる。

「だってさ男子の中では小柄な方だろ?それに肩幅とか狭いしちょっとなで肩ってのもポイントの一つじゃね?顔も中性的寄りだし、まぁ可愛い系じゃん。スカート似合いそう」

「それ以上言うな」

なんだ、この感情は。
この抑えきれない何かに駆られ戸部の胸ぐらを掴み今にも殺しにかかる獣のような目を向ける。

「なにそんな怒ってんだよ」

「悪い。夏バテ入ってんのかも」

「気をつけろよ」

あれは完全にオタクによる人間観察から生まれた結論だということは理解している。
俺だってこの柄そういう癖みたいなのは着いてきている気がする。
それでもあいつのことを見ているのが俺だけじゃないという事実に無性にムカついたんだ。

「そろそろ時間じゃん、戻ろうぜ」

「あぁ」

今度こそと握るシャーペン。
黒板に書かれた文字を同時並行で書き写していく。
最初こそ順調だったものの、段々とそのスピードから遅れていく。
前を向く度に視界の片隅に見えるあいつにどうしても意識が向いてしまう。

泉谷は可愛いと思っている。
これはこの世にある言葉の中で泉谷に向ける俺の気持ちに一番近いのがそれだからって理由だ。
しかし、泉谷だって男だ。

『可愛い』、『スカート似合いそう』

あいつはそう言われることをどう思うのだろう。

自分には嫌いなところがあるとあいつは言った。
SORAを見ているときはそんな自分を好きでいられる気がするとあいつは言った。

初めて言われた言葉だった。
自分の活動が誰かの助けになっていることが、ましてやそれが泉谷だってことが。

嬉しかった、嬉しかったけどその反面、悔しい。

本当の俺で、蒼空で泉谷の背中を押してやりたかった。

影が伸びる。
窓から差し込む陽射しが、淡い横顔の輪郭を浮かび上がらせる。

ーーーーーパキンッ



×××



「姫野、帰ろうぜ」

「おう」

戸部に声をかけられてそれに返事をする。
机にかかった鞄を肩に掛け教室をでる戸部の後ろを追おうとしたときだった。

「そういや泉谷今日なんか鞄の中パンパンじゃね?何入ってるか見せ……痛ッ!?」

「おまえはデリカシーというのがないのか」

「糸部ありがとう。実はこの前持って帰るの忘れてたみたいで……」

「え、それって開けたら汗臭やばいやつじゃん。助かった……」

「おまえの方が何倍も臭ぇよ」

「糸部、おまえも大概じゃねぇぞ」

「泉谷、俺はおまえの味方だからな」

「っははは、糸部ありがとう。でも今のはなんのフォローにもなってないかな。それじゃ、僕は帰るね」

そう言って原田と糸部に手を振りながら教室を出ていった。

誰もがそれを不思議に思わなかった。
たった1人俺を除いて。

「そっち、下駄箱とは反対方向だよな」

見えなくなるまでその姿を目で追う。
すると一番端の階段を上にあがっていった。
その上は屋上だ。

「なに立ち止まってんの。行こうぜ」

気になる。
しかし、たった一度ペアを組んだだけ、それにクラスの一軍にいる、そんなやつに後を追ってこられて話しかけられまでしたって言ったら恐怖でしかないし嫌われ兼ねない。
そもそも手遅れ感もなくはないが。

泉谷が歩いていった廊下に背を向けて戸部の後ろをついていった。

俺ってこんなに諦めの悪いやつだったか。
そう頭の中で自問自答を繰り返す。

さっきの決断が蚊に刺されたように膨らみ脳内をすべて支配するほどの痒みを引き起こす。

頭をかきむしっても引かない痒み。
そこは赤みを増す一方だった。

「戸部、悪い。ちょっと用事思い出した。先帰って」

「は?今日も?」

「今度の土曜埋め合わせすっから」

「絶対だぞ」

「おう」

上履きは皺を寄せて回る。
代え買えてからまだ3ヶ月ほどだと言うのにもう生地がへたれてきていた。

元来た道を戻り、階段を駆け登っていく。
自分とは似合わない汗が背中に、首筋に、額にじんわりと滲む。

屋上の踊り場には誰もいなかった。
まさかと思い目の前にある扉のドアノブを捻る。

ーーーーーガチャッ。

開いている。
普段は施錠されているのになぜ。

恐る恐る開けた扉の先。
目の前に映るその光景に、1人の人物の姿に息を飲んだ。

都会の喧騒は消え、雲一つない晴天の青が一面に広がっていた。
汚れているはずの空気も澄んでいるように錯覚してしまいそうになる。

風に靡くスカートが暑ささえも消し去る。

「…泉谷」

「…ひめ、の」

そこにいたのはスカートを履いた泉谷だった。