スカートを履きたい僕とズボンを履きたい君

僕には秘密がある。



×××



ーーーーーミーン、ミンミン……。
ーーーーージリジリジリジリ…。

「暑い暑い暑い暑い」

ーーーーーミーン、ミンミン……。
ーーーーージリジリジリジリ……。

「暑い暑い暑いあつ……」

「うるさい、余計暑いわ」

ーーーーーグハッ

糸部が原田の脇腹に一発喰らわせる。
悶絶する原田は命が尽きた蝉が地面に落ちるときのように脇腹を抱えて床に倒れた。
ピクリとも動かないその姿は本当に蝉にそっくりだった。

1秒、2秒、3秒……、ボクシングに習ってとりあえず10カウント取って動かなければ声をかけよう。

「なーな、はーち、きゅーう、じゅー……」

「なんでエアコン直らねぇんだよ!」

実は本当にボクシングの試合をしていたのだろうか。
最後のカウントを口にしようとしたとき体をムクッと起こすと急に飛び上がってそう叫んだ。

「そんなの古からの話だろ」

原田の放つ言葉すべてに絶妙なツッコミを入れる糸部。
よくそんな言葉が出てくるよな。
そう思いながら机に頬杖をついて二人を眺める。

「まぁ、うちはお金ないからね」

公立校は私立と違って設備が悪いってわけではないけど自治体の予算で運営されているから型は古いし修理するにも時間がかかる。

実際、後ろの天井に取り付けられたエアコンを見てみると故障中と書かれたA4のコピー用紙が無造作にテープで貼り付けられている。
そしてそのテープは経年劣化で黄ばんでいた。

「来年の春休みだって、修理入るの」

「え、じゃあ俺たちクーラーの中で夏を凌ぐこともできなければ暖房の中で冬を越すこともできないで卒業するってこと!?」

「「はい」」

「……終わった」

あまりにも揃って、しかも二人とも原田に真顔で言うもんだから原田はこの世の終わりみたいな顔して机に倒れ込んだ。

うなだれる原田の背後で南風に布を揺らすカーテンが目に入る。

夏南風(かなみ)は高い湿気を含んでいて蒸し暑いはずなのに、カーテンはどこか涼しさを感じさせるほど爽やかに靡いていた。

乾いた唾を呑み込む。
首筋に汗が伝う。

「スカートっていいよな」

ーーーーー……っ。

原田から放たれた一言。

刹那、心臓が一回、大きく跳ねる。

たった一回だけなのに息が苦しくなる。

原田のことだからその言葉には深い意味はないんだろうけど。
縮まった心臓はすぐには元に戻らなくて段々と呼吸が荒くなっていく。

それに比例して心拍数も上昇する。

「え、なに急に」

先にツッコミを入れたのは糸部だった。

原田を見る目はそりゃあまあドン引きって感じ。
その一方、僕の頭の中では原田の言葉が繰り返され。

「まてまて、そんな生理的に無理ですみたいな顔すんなよ、冗談だって!」

「僕もそう思う」

「「え?」」

あ、しまった。

「あ、いやスカートを履きたいかは別としてさ。スカートって涼しそうじゃん」

ーーーーー……。

沈黙ほど恐ろしいものはない。

ドキンッドキンッ。
自分の周りは静かなのに自分の心臓の鼓動だけがうるさくて。

「そー、俺が言いたかったことそれ」

「確かに、一理あるな」

「てかお前が俺のこと変な目で見るからだろうが!」

「だって、想像するだけで背筋が凍る」

「想像する方がキモいって」

あれっと気づいた頃には耳を支配する鼓動は鳴り止み、原田と糸部の漫才が始まっていた。

「背筋が凍る」、「キモい」。

やっぱりそうだよね。
わかってる、理解してる、肯定もする、だけどなぜか生まれる違和感がむず痒くて仕方ない。

いっそのこと言ってしまえば楽なのか。
でも、それで原田と糸部との関係に亀裂が入ってしまうのなら、今までと同じように話せなくなるとしたら、この感情は隠していかなきゃならない。

「でも、泉谷なら似合いそう」

ーーーーーガタンッ

糸部が放ったその一言に驚き、頬杖をついた手から頬が滑り落ちた。

「それ、俺も思った。って大丈夫?泉谷」

「あ、うん。急に言ってくるもんだから」

原田が言うのはまだしも糸部に言われると糸部解釈違い過ぎて心臓に悪い。
原田に対して向けた怪訝な表情は結構本気だったし。

「もしかして、俺にそんな癖があるとでも思ったか?」

「糸部、ポーカーフェイスすぎて冗談ってわかってても冗談に聞こえないんだよ」

「そうか?変な誤解されても困るし、うん。冗談だ、安心しろ」

そう言って僕にグッドポーズを向ける糸部。
それに俺は苦笑いをして応える。

原田と糸部は端から見れば対照的に思えるが根本的な性格は結構似てたりする。

そんな雑談をしながら暑さを紛らわしていると、

「ん、なんか涼しくね」

「……姫野」

「さすが歩くマイナスイオン」

「お前が言うと余計おもろいな」

「もう一発喰らわせてやろうか?」

もう勘弁と白旗をあげる原田。
相変わらずの二人の世界にふっと鼻をならしながら僕たちの横を通りすぎたその姿を目で追う。

姫野蒼空(ひめの そら)。
雪のように白い肌、綺麗な天使の輪をつくる漆黒の髪。
真っ直ぐだけど柔らかさを感じる眉毛に切れ長のように見えて目尻が少し下がった目。
透き通った瞳。

男でも惚れてしまうほどの容姿をもつその人はいつもクラスの中心にいる。

その爽やかさ故に姫野の周りにはマイナスイオンが満ちているとして歩くマイナスイオンとも言われている。

「ほんとかっこいいよな」

「……うん」

この人には絶対にバレたくないな。

ーーーーーキーンコーンカーンコーン……。

授業の開始を告げるチャイムが鳴る。
後1限、下校時間まで後少し。



×××



ーーーーーキーンコーンカーンコーン……。

6限の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

「じゃ、二人とも部活頑張ってね」

「相変わらず支度速いよな、流石帰宅部」

「頑張る~、バイバイ泉谷」

振られる手に、振り返す手。
教室が放課後の騒がしさで溢れる中、僕は鞄を握りしめ足早にその場を後にした。

ーーーーーミーン、ミンミン……。
ーーーーージリジリジリジリ……。

蝉は休むことなく鳴き続けている。

少し先に見える煮えたぎる陽炎とじわじわを脳を侵食する蝉の音は脳を刺激し余計に暑さを感じさせる。
物理的にも心理的にも刺激を受ける体の体温は上昇していき汗が滝のように流れ出す。

スラックスの中には熱が籠り逃げ場を失っている。
生地が肌に擦れるとき、ペタッとひっつく感触が胸をざわつかせる。

「気持ち悪いな。早く帰ろ」

小学生の笑い声が響く街中を1人、小学生の倍の歩幅で横を通りすぎて行った。

ーーーーーガチャ。

扉を開けるとそこには薄暗い世界が広がっている。

ーーーーー……。

音がない。
この世界から音が消えたのかと錯覚してしまいそうなほどに。

でもそれが僕にとって安心できて心地いい。
誰もいないここは僕だけのテリトリー。

この家で僕は一人暮らしと変わらない生活を送っている。
父親は単身赴任、母親は有名な旅行雑誌のライターとして働き、取材をしに各地を飛び回っている。
そんなバラバラの家族が集まれる場所が欲しくてこのマンションの一室を借りている。

バラバラでもそれぞれが自分の好きなことをしてやりたいことをやって利害も一致してるからこの生活も全く苦ではない。

たまに家族で集まるときは食卓を囲み団欒を楽しむ。
父親や母親が持ってくるお土産がいつもの楽しみだ。

そんな家族仲が悪い訳じゃない家族3人。

でもこれだけは、言えない。

ーーーーーピッ。

エアコンの電源を入れる。
無機質で薄暗い、だけど蒸し暑さだけはいっちょまえにあるんだから。

汗に濡れた服を乱暴に洗濯機に放り込んでシャワーを浴びる。

露になった足は布に擦れた箇所がまだら模様に赤みを帯びていた。

「はぁ」

この家に洗濯機とシャワーの音だけが響く。

パンツを履いてTシャツを着て。
そっと引き出しを開け中から一着の服を取り出す。

股のない大きな輪っかにヒラヒラとした裾。

ウエスト部分の輪っかの中に両足を入れ地面についたそれをスッと腰の位置まで上げる。

さっきまでの纏わりつくような湿気や熱気とは違って爽やかな空気が肌に触れる。

軽い。

履くものが変わっただけ、ただそれだけなのに心に絡まっていた糸がほどけていく。

鏡に映る自分の姿に自然と頬が緩む。

スカートを履いた自分の姿に。

「あ、薬塗らないと」



×××



ーーーーーなんかダサくない?

そう思ったのは中2のときだった。

その日も猛暑を通り越して酷暑のような日だった。

アスファルトは煮えたぎり白い湯気がゆらゆらと立ち上がっていた。
陽炎はすぐそこまで迫ってきて僕の体を飲み込まんとする。

教室に入るとジャージとナップザックを持ち、トイレに行ってジャージに着替える。

学校では大体梅雨が終わるとクールビズがはじまり体操着やジャージで授業を受けることが許可されていた。

このとき、靴下が指定だったことが良くなかったかもしれない。

ふと鏡に映った自分の姿をみたとき、心の中になんとも言えない違和感みたいなものが生まれた。

中途半端な長さの丈と指定の中途半端な長さの白い靴下のせいで中途半端に露になる素肌。
中学になって中途半端に出現してきた足の毛。

ムダ毛を剃ればなんて思い立って慣れないカミソリを使ってみたけど変わらないどころか元々肌が弱いさいで皮膚負けして脚が真っ赤になった。

スラックスなら足全体を覆い隠せる。
けど、暑くて仕方ないし纏わりつく布が気持ち悪い。
それに股の間は汗蒸れが酷くて不快。

今まではなんの躊躇もなく履いていたのに、あるいは半袖短パンが男の正義のような風潮すらあったのに。

このときから男はズボンという固定概念に疑問を持つようになった。

始めて脚を通したのは、それからしばらく経ったある日。

意識していないと言ったら嘘になるけど、クラスの女子をじっと見つめていた。
正確には女子のスカート。

そのどこまでも広がっていきそうで、制限のあるスラックスとは違い自由に動く布、それが僕の心に一滴の雫を落とした。

無垢な子供の好奇心と思ってくれた方が助かる。

その日の放課後、家に帰った僕は家に誰もいないのを確認して母親の部屋に忍び込んだ。

バレないように片付けるのは大変だったけれどタンスの中を漁り、目的の一着を見つけた。

クラスの女子が履いているようなひざたけの短いプリーツスカートはさすがになかったけど七分丈のシックなスカート。

履いていたズボンを脱ぎ、脚を通す。

ーーーーー軽い。

今までと縛られていたなにかから解き放たれたかのような感覚。

もちろん似合ってるわけないし股を吹き抜ける空気の違和感はあるけど、喉に詰まっていた飴が取れたような、自分の中でなにかが変わった瞬間だった。

誰にも言えない、僕だけの秘密。



×××



「やっぱ快適だな」

満ちる開放感に心を弾ませながらベッドにうつ伏せになって脚をバタバタさせる。

膝を曲げたとき普段なら裏ももとふくらはぎの間には布があるのに今は肌同士が密着する。
その普段感じられない感覚に心が踊る。

素足をさらけ出すのはまだ抵抗感が残る。
でもこのなんともいえない感覚を一度知ってしまったら癖になってしまった。

自分ってどういう分類に入るのかな。

女になりたい訳じゃない。
男が好きな訳でもない。

ただ自由に自分の着たい服装を、服が着たいだけ。
冬になったら厚着をするように、夏になったら薄着をするように、そのとき快適だと感じられる服が着たいだけ。

けど、僕は多分みんなの普通とは少し違うんだよね、きっと。

言ってしまえば楽なのか。
今日も今までもなんどもそう思った。
でも、やっぱり怖いんだ。

『男の子なんだから』

ふと母親の口癖が脳裏に響く。

「そうなんだけどそうじゃないんだよな……」

自分の何にも当てはまらない中途半端な気持ち。
でもそのなかには曲げられないものが確かにあって。

「なんで男はズボンしか履いちゃいけないんだろうな」

スマホの画面をスクロールしながら誰にも届かない小さな嘆きを無機質なこの空気に投げつけた。

ーーーーーピコンッ。

画面の上に一通の通知が届いた。

時刻は18時、更新の時間だ。

がっつくようにスマホの画面を凝視し、通知欄の一番上にある通知をタップする。

「あ゛ぁぁ、今日もかっこいいな」

履いているのはヒラリと揺れるスカート。

僕は今日もこの人に釘付けだ。

そして明日はこの人に会いに行く日。