見た目はきらびやかな白ギャルでも、その内側はボロボロだった。
咲夏の背中を、冷たい汗がとめどなく伝い落ちていく。
これまで数々の学園恋愛小説を読み漁り、陽キャらしい振る舞いや言葉遣いも勉強してきたはずだった。
けれど、いざ実践となると自分のアイデンティティすらまだ掴めていないことに気づかされる。
最初のクラスの自己紹介よりも、はるかに高度なアドリブ力を求められている今の状況は、ただの生き地獄でしかなかった。
一足先に教室に入った知華と那智が、心配そうにこちらを振り返っている。
けれど、今の咲夏の心の中は、凍てつく冬のように激しい吹雪が吹き荒れていた。
(知華は元気いっぱいの女の子、那智はクールビューティ……。じゃあ、私は?私って一体、今までどんなキャラで通してたっけ?自然体って何?上手くこの場を切り抜けられる、無難なキャラってなんだっけ……っ!?)
吐き気を覚えるほどの自己嫌悪と焦燥感が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
咲夏の頭上には、どんどん分厚い暗雲が立ち込めていった。
「えっと……私は……」
絞り出した声が、情けなく小さく震える。
(あれ……今まで、どうやって人と話してたっけ?高校生活って、こんなに緊張するものだっけ?人と話すって、こんなに怖いことだったっけ……?)
何もかもが分からなくなり、視界がじんわりと滲んでいく。
今にも泣き出してしまいそうな咲夏の頭上から、そのとき、思いがけない音が響いた。
――バシッ、バシッ。
「おーい、お前ら。ふざけすぎだっての」
おちゃらけていたチャラ男二人の頭に、綺麗に丸められた一冊の本が容赦なく振り下ろされる。
耳に届いたのは、少し低めで爽やかな声だった。
咲夏が弾かれたように顔を上げると、目の前には、自分より頭一つ分背の高い男子生徒が立っていた。
春の光を浴びてキラキラと輝くその姿は、咲夏がこの1年間、ずっと心の中で恋焦がれていた人――観月冬弥、その人だった。
「いってーな!観月!」
「なんだよー、今超いいとこだったのにー!」
頭を押さえてブーブーと文句を言う男子たちを、冬弥は呆れたように見下ろす。
咲夏は、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ彼の姿に目を奪われて固まっていた。
「あのなー、お前らのせいで廊下が渋滞してんだよ」
冬弥に言われ、咲夏ははっとして後ろを振り返った。
そこには、三人の足止めによって教室に入り込めなくなった生徒たちが、不満げな顔で列を作っていた。
「ねー、まだー?」
「早く入りたいんだけど……」
「ここ、本当に2組であってる?」
ざわざわと困惑する周囲の様子に、咲夏は顔から火が出るほど恥ずかしくなる。
「あ、ごめんっ……!」
慌てて謝りながら、咲夏はゆっくりと教室の中へとんっと一歩を踏み出した。
すると、冬弥がそんな咲夏の様子を優しく見つめ、ふっと柔らかく微笑みかけてきた。
「ごめんね、安達さん。こいつら、すぐ調子に乗ってふざけるからさ」
――トクン。
咲夏の胸の奥で、確かな音が鳴った。
それは、風ひとつない静かな水面に、一滴の透明なしずくがぽとりと落ちて、綺麗な波紋をどこまでも広げていくような感覚。
張り詰めていた心の吹雪が、彼のその一言だけで、一瞬にして融かされていく。
名前を覚えていてくれた嬉しさと、至近距離で見つめられた気恥ずかしさで、一気に顔が赤くなっていくのが分かった。
咲夏はそれを必死に誤魔化すように、少し俯きながら答える。
「……ううん、ありがとう」
小さなお礼の言葉と共に、咲夏の新しい春が、本当の意味で動き出そうとしていた。



