Ω軍人とα幼妻

「そこまでにしておけ、獅子王」
「黙れ鷹島! 何のつもりでここに居る!?」

 私と獅子王大尉の間に現れた男性は、まるで異国の王子様のようだった。
 長身の獅子王大尉と同じくらい背が高く、丁寧に撫でつけられている髪は夏の日の陽光のように眩い金色。スッと通った鼻筋、長いまつ毛の下にある瞳は翡翠のように輝いている。

(綺麗な人……)

 思わず見とれている間にも、獅子王大尉と鷹島さんの言い合いは熱狂していく。言い合い、というよりは獅子王大尉が怒り狂っているだけに見えるけれど。
 
「異人の血が混じった出来損ないが、私の見合いに口を出すな!」

 獅子王大尉の怒声が、静かなサロンに響き渡った。
 彼はα特有の威圧感をむき出しにして、鷹島と呼ばれた男性を睨みつける。けれど、鷹島さんはその強烈な覇気を当てられても、涼やかな顔のまま微動だにしない。

「ここは将校クラブだぞ、獅子王。公爵令嬢に力ずくで印をつけようとするなど、帝国軍人の恥ではないのか」
「貴様……ッ!」

 図星を突かれたのか、獅子王大尉の顔が朱に染まる。
 激昂した彼が、乱暴に鷹島さんに腕を振り上げた。
 バチン、という鈍い音が響く。

「あっ……」

 思わず短い悲鳴が漏れた。
 獅子王大尉の手が、鷹島さんの白い頬を強く打っていたのだ。爪が掠ったのか、鷹島さんの頬に、すうっと一筋の赤い線が走る。
 そこから、じわりと血が滲む。その赤い血を見て、ぐらりと眩暈がした。
 暴力に足が震えたのか、血を見るのが怖かったのか、理由はわからない。ただ目の前が真っ白になって、腹の底に別の生き物がいるような不快感に足がもつれる。
 
「ご令嬢、大丈夫か」
「あっ……」

 倒れる前に大きな手が抱きしめてくれた。
 膝をついて着物を汚さない様、私の体重を受け止めてくれる大きな体。私よりも一回りも大きいその体は少しひんやりとしていて、触れていると心地よい。

「す、すみません! もう大丈夫です!」
「こちらこそすまない。血を見て不愉快にさせたのだろう」
「いえ……それよりも、私のせいでごめんなさい」 
 
 私は震える足で立ち上がり、鷹島さんの前に進み出た。
 見上げると、やはり背が高い。濃紺の肋骨服が、彼のしなやかで逞しい身体にひどく似合っていた。

「お怪我を……私のために、申し訳ありません」

 私は袂から、白い絹の手巾(ハンカチ)を取り出した。
 震える手でそれを差し出すと、翡翠の瞳がゆっくりと私を見下ろす。

「いつものことだ。この程度はすぐに治る」

 低く、落ち着いた声だった。
 先ほどの獅子王大尉の息苦しい威圧感とは全く違う、静かで、どこかひんやりとした湖畔を思わせるような空気。
 鷹島さんは私の手からそっと手巾を受け取ると、頬の血を拭った。
 彼の大きな手が私の指先にふわりと触れた瞬間、心臓がトクン、と小さく跳ねる。

「あなたこそ、怪我はないか」
「は、はい……。助けていただいて、ありがとうございます」
「血で汚してしまった。洗って返す——それでいいな、獅子王」

 鷹島さんが獅子王大尉の名を呼ぶと、はっと我に返る。そうだ、私は獅子王大尉とお見合い中だったのだ。

「鷹島ァ……!」

 振り返ると、憎々し気に鷹島さんを睨みつける獅子王大尉が立っていた。びりびりと纏う覇気はα特有のものだ。その覇気にあてられたのか、厄介ごとに巻き込まれたくないのか、周りの将校たちは足早に去っていく。

「も、申し訳ございません……!」
「女は黙っていろ!」

 獅子王大尉を悪者にしていたことに気づいて慌てて謝るも、彼の中にもう私の存在はいないようだった。琥珀色の瞳には鷹島さんだけが映っている。

「伊津名少将だけでは飽き足らず、私の婚約者まで……! この泥棒猫が!」
「何を言っているんだ、お前は」

 怒りで我を忘れた獅子王大尉が、再び鷹島さんへと掴みかかろうと腕を振り上げる。今度は鷹島さんも臨戦態勢で、構えを取って獅子王大尉を迎えている。
 乱闘になってしまう。私が悲鳴を上げるよりも早く、凛とした声がサロンに響いた。

「そこまでにしなさい、司」

 声の主は、サロンの奥にある両開きの扉から現れた。
 思わず息を呑む。そこにいたのは、目も眩むような美しい男性だった。黒い短髪を後ろに撫で付け、太い眉は意志の強さを感じさせる。それでありながらたおやかな魅力がある、不思議な人だった。彼は二人の副官を控えさせており、彼らもまた整った容姿の美青年たちだ。屈強な男性たちの中で彼は異様な存在感を帯びており、皆が自然と道を開ける。
 濃紺の軍服、その肩には大尉よりもずっと格上の証である星が輝いている。
 おそらく彼が伊津名少将——獅子王大尉より、おそらくは鷹島さんよりも上官にあたるお方だろう。

「閣下!」

 先ほどまで荒れ狂っていた獅子王大尉が、一転して直立不動で敬礼をした。喜びに満ちて伊津名少将を迎える姿は、まるで子犬の尻尾の幻覚が見えるようだ。
 そのあまりの豹変ぶりに私は目を丸くする。伊津名少将は薄く微笑みながら、静かに告げた。

「ご令嬢が怖がっているだろう。今日はお開きとしなさい」
「……はっ。申し訳ございません」

 獅子王大尉は悔しげに鷹島さんを一度だけ睨みつけると、伊津名少将に深く頭を下げ、軍靴の音を荒く響かせて足早にサロンを去っていった。
 嵐が去ったような静寂の中、伊津名少将と、彼に付き従う若き将校たちが残される。鷹島さんもまた、静かに彼らの横に並んだ。

「申し訳ございません、小夜子嬢。うちの司は激情家でして」
「い、いえ」
「しかし、良い出会いもあったようで何より」
「それは……」

 鷹島さんとのことを言っているのだろうか。
 くすりとほほ笑む姿は蠱惑的で、思わず見とれてしまう。色素の薄い瞳をのぞき込むと吸い込まれてしまいそうで、慌てて目を逸らした。

「次にお会いできる時には、別の子を紹介しますね」

 そう言うと、伊津名少将も踵を返して去っていく。目くばせをするだけで配下の兵と鷹島さんも彼に続いた。
 眩いばかりの軍服に身を包んだ、若きエリートたち。
 彼らが放つ気配は、みな一様に恐ろしいほど研ぎ澄まされていて——けれど、どこか異様だった。誰もが圧倒的なαの覇気を纏っているのに、鷹島さんを中心に、見えない糸で縛られているような不気味なほどの統率感がある。

(彼らは、どういう集まりなんだろう……)

 美しい将官の元に集う、特異な集団。
 私の抱いた純粋な疑問の答えを知るのは、皮肉にもここから数ヶ月後のこと。
 極寒の地で日露戦争が激化し、あの『二〇三高地』の激戦の報を新聞で目にした時のことだった。