体育館。
淡いグリーンのマットが敷き詰められている。柔道着に着替えた男子生徒たちが集まってくる。
ゴールデンウィーク明け早々、柔道の授業が始まった。
昨日、オレは慌てて道着を買いに購買に走った。Mサイズは売り切れでーー自分の将来性を見込んでLを購入。
毎日牛乳飲むからよろしく頼む!
各自ストレッチをして体をほぐしはじめる。オレも肩を回そうと立ち上がったところで、
「レーン、ストレッチ完了?」
後ろから明るい声とともにわしゃ、と頭を掴まれた。
広川だ。
毎度、人の頭を触んじゃねえええ! 犬かよ!
背の高い広川から見て丁度いい位置にあるんだろう。
キッと鋭い目を作って振り向くと、ガッチリとした体躯の広川が、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべている。
「……」
デカい。柔道着を着ると迫力が増す。
到底勝てなそうに見えるがーー。
広川とは、出会った初日のお泊り以来、なんだかんだと毎日つるんでいる。なんせ席が隣だ。昨日野菜炒めを作ったと話したら、大きな手で頬杖をついたまま笑った。
「へー、オレのおかげ? ウェイパー持ってくから家入れてよ」
相変わらず押しが強い。ウェイパーが何だか知らないが。
授業開始のチャイムが鳴った。
「お願いします!!」
挨拶のあと、すぐに受身の練習が始まる。
個人練習だ。後ろ受身。横受身。ごろり、ごろりとマットに転がる。マットを手で叩く音が体育館に響く。
教師が間を回り指導する。オレの横は素通り。
「レンって今日が初回だよね。経験者?」
ゴロンと転がり、起き上がったところで広川に話しかけられた。広川はまだマットに腰を下ろして足首を回している。
「なんか慣れてるっポイよね」
「オレさー」
ちょうど、教師の声が割って入った。
「よし、ここから寝技に入る。前回練習した袈裟固めだ。二人一組、体格が近い者同士で組め」
体育館がざわつく。オレも慌てて周りを見回す。
「また寝技かよ」
「なんで男女混合じゃないんだよ」
半笑いの声。柔道初心者あるあるの反応だ。
似たような背格好、特に小柄なもの同士はあっという間にペアになっていく。
「あのさ……」
声をかけようとした目の前でカップル、じゃなかった、ペアが成立。
「オレと……」
また、目の前でペアが成立。切なっ!
ーーあ、もしや、余った!?
気づいたら余っていた。中学生だったらちょっと病むやつ。残りたくないやつ。
「せんせえ……」
先生、オレ、余りました……。言いかけて、ふと気づく。
広川も余ってる!
誰も、クラスで一番デカい、180センチを超えるガッチリ体形の広川と組みたくなかったらしい。
オレも進んで組みたいとは思わない。オレは167センチ。普通に考えれば、ペアは無理だ。
でも、オレはーー実は経験者だ。
小6まで町の柔道場に通い、中学の部活も柔道部だった。黒帯寸前まで進んでいる。
もちろん柔道は体格がモノを言うので歯がたたない可能性もあるけれど。
ーーでも、もし、これでオレが広川を組み伏せたら?
女子に
「真野くん、あの広川くんに勝ったらしいよ」
「すごーい、かっこいい」
なんて言われちゃうかもしれない。……なんてな!!
しまった、頬が緩んでしまった。
「じゃ、よろしく!」
オレはにっこり笑って広川の前に立った。少し見上げる。
「あー……手加減しとくね」
広川が困ったように笑う。
なんだそれ! 勝負前から手加減宣言かよ。
ムカついて言い返す。
「や、手加減なしで来いよ! オレ、中学で柔道やってた」
「……へえ。じゃ、オレが勝ったらうち行っていい?」
その手でいつも、女の子口説いてんのかよ! でもオレは女子じゃない。柔道の素人でもない。
「いーよ。手料理ふるまってやんよ! デザートのプリンもつけてな!!」
「その言葉忘れんなよ」
いざ、実戦!
「小柄な方が先に寝転がれ。開始!」
教師の号令で、オレは仰向けに寝転がった。
背中にマットの懐かしい感触。体育館の高い天井。
広川が横に膝を落とした。
ーー来る。
ギクッとした。
見たことがないような鋭い眼差し。確実に勝とうとしている表情にゾワッと震えが走る。
広川の腕があおむけのオレの首の下に差し込まれた。頭を抱え込むように胸元に引き寄せる。
空いた方の手でオレの腕を掴んで、脇に抱え込んだ。昔はなにも思わなかったけど、息を止めなければかかってしまうほどに顔が近い。
広川がぐっと体重をかけてくる。
「っ——」
重い!
当たり前だ。でかいんだから。
小中学時代の柔道とは比較にならない。
上から胸が押しつけられて苦しい。
悔しさで頭に血がのぼる。でかいとはいえ、初心者に負けてたまるか!
逃げてやる!
逃げ方は知っている。体を丸めて横にずらすんだ。
体を丸めて……
動けない!?
オレが腰を使って逃げようとした瞬間、広川の腰がついてくる。横に移動しようとするたび、広川が重心を微調整して、逃げ道を塞いで押さえ込んでくる。
くそ! なんだよ、初心者の動きじゃねえ!
目を見開いた。
広川と目が合った。
「……っ」
笑ってる?! オレの体を固定したまま、ニヤニヤしている!
「かわいーね」
「!」
オレの頭を完全にホールドしたまま、顔を近づけてくる。
前髪が落ちる。
ちくしょう、バカにしてんのか?!
力いっぱいあらがっているのに。離せ……!!
「あ、そこ! 技あり。交代!」
教師が指さしてきて、ふっと体を解放される。
オレは寝転んだままゼェゼェと息をついた。悔し紛れに広川を睨みつける。
「勝負あったな!」
広川が得意げにパチンと指を鳴らした。
瞬間、教師の「やめなさい!」の声が飛んだ。
オレも体を起こした。
広川、ぜってー初心者じゃねえ!
額の汗を拭う。体が火照るのがうざくて道着の前を少し引き、手で扇いで風を入れる。
「あのさ、広川、経験者だろ」
広川は、足の指先を摑んでストレッチをしている。
「ん?」
涼しい顔でこちらを向く。
「いや、広川が柔道経験者かなって」
オレが苛立ちながら繰り返すと、
「うん。黒帯」
と、にっこり。
あまりにあっさりした返事に、オレは思わず叫ぶ。
「先に言えよーー!! でかくて黒帯って、誰も勝てねえだろーがああ!!」
周りのクラスメイトがざわつく。笑い声も混ざる。
「真野、知らなかったんだ。よく突っ込んだなーと思ってた」
「前んとき教師が相手してたもんな」
「それ先に言ってくれ!」
言い返すが、半笑いの声が戻る。
「ちょっと、真野がやられんの見たかったし」
オレは見たくねえ! ちっくしょー!!
広川に勝ったら女子にキャーキャー言われるかも、と思った自分が恥ずかしい。
更衣室で着替えていると、広川が話しかけてきた。
「じゃ、今日はレンが料理当番な」
すこぶる機嫌が良さそうだ。良かったな。
ってか「当番」ってなんだよ。次もあんのかよ! 嫌じゃないけど。
「あ、歯ブラシ、捨ててないよな?」
「排水溝の掃除に使っただけだから、まだ使えるよ!」
オレは帯をバシッと床に叩きつける。
「ひでー。オレ、きれい好きなのに」
広川は、はは、と笑いながら上半身裸で汗を拭いている。……厚い胸板。かなうわけがない。広川の開けっ放しのロッカーをバシンと閉めると
「邪魔だった? ゴメンゴメン」
屈託なく笑っている。
ああ、なんでこんなにむしゃくしゃするんだ。
ぐっと目をつぶる。
別に、勝てるなんて思っていなかった。ただ、ワンチャンあると思っていたんだ。広川を焦らせることくらいは出来ると思ったのに。
それが、あんなに簡単に組み敷かれて!
つーか、いまさらだけど「かわいーね」ってなんだよ!
男に言われても嬉しくねーー!
オレは火照った顔をタオルで拭く。
……嬉しくはないけど、ドキドキはする。くそっ。
淡いグリーンのマットが敷き詰められている。柔道着に着替えた男子生徒たちが集まってくる。
ゴールデンウィーク明け早々、柔道の授業が始まった。
昨日、オレは慌てて道着を買いに購買に走った。Mサイズは売り切れでーー自分の将来性を見込んでLを購入。
毎日牛乳飲むからよろしく頼む!
各自ストレッチをして体をほぐしはじめる。オレも肩を回そうと立ち上がったところで、
「レーン、ストレッチ完了?」
後ろから明るい声とともにわしゃ、と頭を掴まれた。
広川だ。
毎度、人の頭を触んじゃねえええ! 犬かよ!
背の高い広川から見て丁度いい位置にあるんだろう。
キッと鋭い目を作って振り向くと、ガッチリとした体躯の広川が、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべている。
「……」
デカい。柔道着を着ると迫力が増す。
到底勝てなそうに見えるがーー。
広川とは、出会った初日のお泊り以来、なんだかんだと毎日つるんでいる。なんせ席が隣だ。昨日野菜炒めを作ったと話したら、大きな手で頬杖をついたまま笑った。
「へー、オレのおかげ? ウェイパー持ってくから家入れてよ」
相変わらず押しが強い。ウェイパーが何だか知らないが。
授業開始のチャイムが鳴った。
「お願いします!!」
挨拶のあと、すぐに受身の練習が始まる。
個人練習だ。後ろ受身。横受身。ごろり、ごろりとマットに転がる。マットを手で叩く音が体育館に響く。
教師が間を回り指導する。オレの横は素通り。
「レンって今日が初回だよね。経験者?」
ゴロンと転がり、起き上がったところで広川に話しかけられた。広川はまだマットに腰を下ろして足首を回している。
「なんか慣れてるっポイよね」
「オレさー」
ちょうど、教師の声が割って入った。
「よし、ここから寝技に入る。前回練習した袈裟固めだ。二人一組、体格が近い者同士で組め」
体育館がざわつく。オレも慌てて周りを見回す。
「また寝技かよ」
「なんで男女混合じゃないんだよ」
半笑いの声。柔道初心者あるあるの反応だ。
似たような背格好、特に小柄なもの同士はあっという間にペアになっていく。
「あのさ……」
声をかけようとした目の前でカップル、じゃなかった、ペアが成立。
「オレと……」
また、目の前でペアが成立。切なっ!
ーーあ、もしや、余った!?
気づいたら余っていた。中学生だったらちょっと病むやつ。残りたくないやつ。
「せんせえ……」
先生、オレ、余りました……。言いかけて、ふと気づく。
広川も余ってる!
誰も、クラスで一番デカい、180センチを超えるガッチリ体形の広川と組みたくなかったらしい。
オレも進んで組みたいとは思わない。オレは167センチ。普通に考えれば、ペアは無理だ。
でも、オレはーー実は経験者だ。
小6まで町の柔道場に通い、中学の部活も柔道部だった。黒帯寸前まで進んでいる。
もちろん柔道は体格がモノを言うので歯がたたない可能性もあるけれど。
ーーでも、もし、これでオレが広川を組み伏せたら?
女子に
「真野くん、あの広川くんに勝ったらしいよ」
「すごーい、かっこいい」
なんて言われちゃうかもしれない。……なんてな!!
しまった、頬が緩んでしまった。
「じゃ、よろしく!」
オレはにっこり笑って広川の前に立った。少し見上げる。
「あー……手加減しとくね」
広川が困ったように笑う。
なんだそれ! 勝負前から手加減宣言かよ。
ムカついて言い返す。
「や、手加減なしで来いよ! オレ、中学で柔道やってた」
「……へえ。じゃ、オレが勝ったらうち行っていい?」
その手でいつも、女の子口説いてんのかよ! でもオレは女子じゃない。柔道の素人でもない。
「いーよ。手料理ふるまってやんよ! デザートのプリンもつけてな!!」
「その言葉忘れんなよ」
いざ、実戦!
「小柄な方が先に寝転がれ。開始!」
教師の号令で、オレは仰向けに寝転がった。
背中にマットの懐かしい感触。体育館の高い天井。
広川が横に膝を落とした。
ーー来る。
ギクッとした。
見たことがないような鋭い眼差し。確実に勝とうとしている表情にゾワッと震えが走る。
広川の腕があおむけのオレの首の下に差し込まれた。頭を抱え込むように胸元に引き寄せる。
空いた方の手でオレの腕を掴んで、脇に抱え込んだ。昔はなにも思わなかったけど、息を止めなければかかってしまうほどに顔が近い。
広川がぐっと体重をかけてくる。
「っ——」
重い!
当たり前だ。でかいんだから。
小中学時代の柔道とは比較にならない。
上から胸が押しつけられて苦しい。
悔しさで頭に血がのぼる。でかいとはいえ、初心者に負けてたまるか!
逃げてやる!
逃げ方は知っている。体を丸めて横にずらすんだ。
体を丸めて……
動けない!?
オレが腰を使って逃げようとした瞬間、広川の腰がついてくる。横に移動しようとするたび、広川が重心を微調整して、逃げ道を塞いで押さえ込んでくる。
くそ! なんだよ、初心者の動きじゃねえ!
目を見開いた。
広川と目が合った。
「……っ」
笑ってる?! オレの体を固定したまま、ニヤニヤしている!
「かわいーね」
「!」
オレの頭を完全にホールドしたまま、顔を近づけてくる。
前髪が落ちる。
ちくしょう、バカにしてんのか?!
力いっぱいあらがっているのに。離せ……!!
「あ、そこ! 技あり。交代!」
教師が指さしてきて、ふっと体を解放される。
オレは寝転んだままゼェゼェと息をついた。悔し紛れに広川を睨みつける。
「勝負あったな!」
広川が得意げにパチンと指を鳴らした。
瞬間、教師の「やめなさい!」の声が飛んだ。
オレも体を起こした。
広川、ぜってー初心者じゃねえ!
額の汗を拭う。体が火照るのがうざくて道着の前を少し引き、手で扇いで風を入れる。
「あのさ、広川、経験者だろ」
広川は、足の指先を摑んでストレッチをしている。
「ん?」
涼しい顔でこちらを向く。
「いや、広川が柔道経験者かなって」
オレが苛立ちながら繰り返すと、
「うん。黒帯」
と、にっこり。
あまりにあっさりした返事に、オレは思わず叫ぶ。
「先に言えよーー!! でかくて黒帯って、誰も勝てねえだろーがああ!!」
周りのクラスメイトがざわつく。笑い声も混ざる。
「真野、知らなかったんだ。よく突っ込んだなーと思ってた」
「前んとき教師が相手してたもんな」
「それ先に言ってくれ!」
言い返すが、半笑いの声が戻る。
「ちょっと、真野がやられんの見たかったし」
オレは見たくねえ! ちっくしょー!!
広川に勝ったら女子にキャーキャー言われるかも、と思った自分が恥ずかしい。
更衣室で着替えていると、広川が話しかけてきた。
「じゃ、今日はレンが料理当番な」
すこぶる機嫌が良さそうだ。良かったな。
ってか「当番」ってなんだよ。次もあんのかよ! 嫌じゃないけど。
「あ、歯ブラシ、捨ててないよな?」
「排水溝の掃除に使っただけだから、まだ使えるよ!」
オレは帯をバシッと床に叩きつける。
「ひでー。オレ、きれい好きなのに」
広川は、はは、と笑いながら上半身裸で汗を拭いている。……厚い胸板。かなうわけがない。広川の開けっ放しのロッカーをバシンと閉めると
「邪魔だった? ゴメンゴメン」
屈託なく笑っている。
ああ、なんでこんなにむしゃくしゃするんだ。
ぐっと目をつぶる。
別に、勝てるなんて思っていなかった。ただ、ワンチャンあると思っていたんだ。広川を焦らせることくらいは出来ると思ったのに。
それが、あんなに簡単に組み敷かれて!
つーか、いまさらだけど「かわいーね」ってなんだよ!
男に言われても嬉しくねーー!
オレは火照った顔をタオルで拭く。
……嬉しくはないけど、ドキドキはする。くそっ。

