隣の席の大型犬みたいな男がぐいぐいくる

手を洗い、エプロンを外した。
ダイニングテーブルに置いたカラフルな食器の上に、焼き上げたトルティーヤを乗せる。
それから、具材のアボカド、ひき肉、キャベツに玉ねぎ、トマト。

「うまそー!」

一人で口に出し、テンションを上げてみる。

西向きのキッチンの窓からブラインド越しにオレンジ色の光が入る。キャンプのときのような夕焼け。

椅子に座る。誰もいない。
トルティーヤは4人前の分量で作った。大食いのオレが2人前、大柄な広川が2人前……。
広川、来ないけど。
デートがあるから。そもそも来るなんて言ってなかったけど。

胸が詰まる。さっき、焼きたてのトルティーヤの写真を送った。

うまく焼けたよ。

自慢したかっただけ。……水無瀬ちゃんとデート中の広川が「あ、レンからだ」って、ちょっと気づいてくれたらいいなって。
テーブルに伏せたスマホがブルッと震えた。慌てて見たら、コンタクトレンズの公式LINEだった。

トルティーヤを手に取る。
一人ってこんなに静かだったっけ?

パリパリに焼けてる! キャベツとトマト載せるよ。

笑い返してくれる人もいないから、口には出さない。

こんなの、しゃべりながら食べるもんなのにな。
桐山呼んでみる? 新井は?
呼べば来てくれるかもしれない。でも……。

オレがいま、会いたいのは。
こっち向けよ!って言いたいのは。

じわっと目頭が熱くなった。
トルティーヤを半分に折ってチリソースをかける。

ぱり、と一口目をかじったときに、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
カメラをのぞいて、心臓が跳ね上がる。

広川?!

すぐマンション入口のオートロックを解錠する。


※  ※  ※


広川が来た!

オレは急いで玄関に向かう。

嬉しい!
胸の中のもやもやも寂しい気持ちも、爆発したみたいに全部吹っ飛んだ。
広川が来たんだ!

なんで? 写真を見て?
ドキドキが止まらない。
来てなんて言ってないのに。来てくれるとも思っていなかったのに。全身の血が逆流して頭にのぼる。

玄関の靴を踏んで、待ちきれなくてドアを開けて、外をのぞくと、エレベーターホールから走ってくるーー走ってくる?! 学校のネクタイをぶら下げたデカい制服姿。

「広川?!」

あっという間に目の前に来た。
少し体を曲げて荒い息をしている。顔を上げ、こちらをまっすぐに見た。
笑ってない。

「どうしたの?」

つられてオレも真顔になる。

「オレ、レンに用が……」

絞り出すように言って、広川は詰まった。
体をよけて招き入れると

「サンキュー」

家に入る。でも、玄関からあがろうとしない。広川は玄関で顔をドアの方に向けたまま息を整えている。

「オレ、今日、レンに言いたいことあって」

「えっ?」

「オレ、オレさ……」

ばさばさの前髪の間からの、すがるような視線。
なに? なに言われんだよ。
剥き出しの感情に体がすくむ。

「オレ、レンが好きだ! 好きなんだ。友だちとしてって意味じゃなくて、恋愛の意味で」

頭が真っ白になった。いま、なんて?

「だからさ、オレ、あ……こんな風に伝えるだけ伝えるのわがままだってわかってる。自分のなかで解決したらいいんだ。でも、ちょっとでも振り向いてくれるかもって思ったら、いてもたってもいられなくて」

広川は一息に言って、はあっと息を切らした。

こんな広川を見たのは初めてだ。
いや、見たことはないけど、知ってる。
いつだったろうか。寝ているときにごめんねって言われたとき……こんな切なげな声だった。

「嫌ならはっきり振ってほしいんだ。そしたら友達に戻れる。オレ、どうしたらいいかわかんなくて、ただ……ただレンが好きで」

なにも考えられなかった。
オレは広川の胸に飛びついた。

「えっ?」

広川の体がびくっと揺れた。
オレは広川のシャツに顔を埋めて、ポロポロと溢れる涙を広川のシャツで拭った。
体中が熱くて沸き立つようで、それなのに涙が出るんだ。
広川も動かない。デカくて厚くて鋼みたいだ。

好き。

オレも広川が好きだよ。
一緒にいたいんだ。

広川もオレのことが好きなんだなんて信じられない。

……でも、今日は水無瀬と一緒だったんじゃ?
急に息が詰まる。

顔を隠したまま訊いてみる。

「み、水無瀬ちゃんは? 今日、デート、って」

「水無瀬ちゃんは友達。相談にのってもらってた」

「中学のとき好きだった子、引きずってるって。新井が」

「新井の勘違い。今はレンだけ」

「……わかった」

広川の手がオレの背中に回った。

そして、オレをぎゅっと抱きしめた。
最初は軽く、すぐに息がつまるほど強く。

「このまま、抱きしめていいの?」

オレは広川の胸の中でこくんとうなずく。
広川の心臓の音が、どくんどくんとオレに伝わる。早い鼓動。

「それって、レン、嫌じゃないってこと?」

「ん……」

「じゃオレ、レン口説いてもいいの? チャンスある?」

小さくうなずくと頭を撫でられた。

「…き」

「え?」

勇気を振り絞ってもう一度言ってみる。

「オレも好き」

広川の吐息が頭の上から聞こえる。厚い胸板がふわっと動き、広川に包まれるよう。

「じゃあさ……」

頭を撫でていた広川の手が、頭から首に滑った。優しくささやくような声。

「……キス、してもいい?」

「?!」

んん?!

オレはうなずけなかった。
だって、キスって?
肝試しの時にしちゃったけど、あれは事故。
第一、ど、どうやって? キスの仕方なんて知らねえし!

「こ、こんど」

オレがやっとのことで言うと、広川は「だめかぁ」と茶化すように笑った。そして

「ロマンチックなのがいいかなぁ」

楽しそうにつぶやいていた。

涙が止まって、だんだん落ち着いてきた。
玄関先でずっとこうしているわけにもいかない。
思い切って

「そろそろトルティーヤ食わねえと」

と言ったら、広川はぷっと吹き出して、オレを離してくれた。

「レンはレンだよな」

恥ずかしさが湧き上がってくる。
だ、だって、焼きたてを食ってもらいたいし。オレも腹減ってるし。
恋愛経験ねえんだから、抱き合ったところからどう戻ればいいかなんて、知るかよ!!


トルティーヤ4人前は、あっという間に平らげた。
プリンを持ってリビングに移動したら、広川がコンクリート壁に飾ったキャンプの夕焼け写真に気がついた。

「どう? いい感じじゃね?」

「オシャレだな。天窓から見た夕焼けも綺麗だったよなぁ……」

一緒の写真を見て一緒の気持ちになれるのが、嬉しい。