隣の席の大型犬みたいな男がぐいぐいくる

広川には中学時代、すんげー惚れてる女の子がいたらしい。
その女の子のことを今でも引きずっているらしい。

新井は『彼女』とは言わなかったから、広川の片思いだったんだろうか?
桐山に頼めないのはどうしてだろう。

朝の教室。
担任が来る前に、オレはスマホでポチポチと新井にLINEを打つ。

『昨日のこと、後で電話していい?』

駅のホームで話したときは、なんだか動揺していて聞きたいことも聞けなかった。
だから電話で聞こうと思ったんだけど……昼になっても既読もつかなかった。

ランチタイムの教室。
広川、桐山と窓際に陣取る。
ふたりに聞いてみたら、

「あいつ、テスト前2週間はスマホ断ちするから」

広川に、サンドイッチをかじりながら言われた。

……そうか。
オレも購買で買ってきたドーナツをかじる。

「あれ、真野、もしかそれだけっ?!」

焼きそばパンを食べていた桐山がもぐもぐと口を動かしながら目を丸くしている。
まあ、言われるかなとは思った。
オレは体格のわりに大食いなのだ。
普段なら、焼きそばパンとソーセージパンを食べて、ドーナツはデザートだ。
でも、新井から聞いた話がなんとなく胸にひっかかってしまい、食欲がない。
目の前に元凶ふたりがいるのに、どちらにも聞けないとは。

「オレにも悩みあんだよね……」

つぶやくと、広川と桐山が顔を見合わせる。

「ふられた?」「笑ってやるから相談してみ?」

大きなお世話だっつーの!!

※  ※  ※

5時間目、英語の授業中。
先生が黒板を書き、みんなが写している静かなタイミングで、鼻がなんだかむずむずして……

ぶしゃん!!

変なくしゃみをしてしまった。誰も振り向かないけど、気付かれた気配に恥ずかしくなる。隣の席の広川がポケットティッシュを差し出してくる。
オレはそれを貰って鼻を拭った。
なんだろ、花粉症の季節でもないのに。
でも、頭がぼんやりするような。風邪か?

授業が終わったとたん、広川がオレの机の方に身を乗り出してきた。オレの額にさっと手を当てる。
……急に安心する。

「やっぱ熱あんじゃん。食欲ねーし、なんか顔赤いと思ったんだよな」

広川が言うと、近くの席の女子たちが寄ってくる。

「真野くん大丈夫? 風邪?」
「一人暮らしだよね?」

「うん……」

女子に囲まれて嬉しいはずのシチュエーションなのに体が辛くてテンションがあがらない。回らない頭で考える。
一人暮らしで風邪をひいたら、どうすればいいんだっけ。
寝てれば治るかな。
家に食べる物あったっけな……。

ぼんやり考えていると、広川の声。

「オレ家まで付き添うからさ、だいじょーぶ。ヤバかったら泊まれるし。泊まったことあるし」

目が潤んでしまう。ガラじゃないのに。

「それなら安心だね」と、女子。

オレは、熱のせいで目が潤んだことにしたくて、頭を抱えながらうつむいて顔を手で覆った。

「うん……ありがとう」

ようやく言えた。

学校を出る前に広川と保健室に寄った。広川が事情を話し、解熱薬と冷却シートを貰ってくれた。
カバンも持ってくれた。

新井は、面倒見が良くて女子が勘違いする、なんて言ってたけど、べつに勘違いはしない。

広川は、ただただ、いいヤツだ。

校庭の横を広川と黙って歩く。ふらつく気がして、いつもより広川のそばを歩いた。校門の目の前のマンションに入るころには、頭がずきずきしてきた。
玄関で靴を揃えるのも億劫で、脱いだままにしたら広川が揃えてくれた。

オレがシャワーを浴びているとき、外から「食いたいものとか、買ってきて欲しいものある?」と聞かれた。アイスをリクエストしたら何種類か買ってきてくれた。

リビングのソファに寝転がる。

「ちゃんとベッドで寝たら?」
「いや、テレビ見たくて……」

リビングと別にある寝室には、ベッドしか置いていない。広川が座る場所もないから。心細いから。

広川は、リビングのソファの背もたれを倒して、ソファベッドにしてくれた。寝室からケットをはがしてきて、オレに渡してくれた。

「寝ときな」

オレがアイスを食べたいと言ったら、冷凍庫から持ってきてくれた。
体を少し起こしてアイスを食べながら、また、涙が出そうになる。広川は優しい。
こんなに優しい広川に「すげー惚れてた」と言われるくらい好かれた女子が羨ましい。広川の想いが届かなかったのだとしたら、贅沢な女子だよな、と思う。

「広川はさ……」

オレは食べ終わったアイスをテーブルに置き、ソファに寝転がった。話しながら目をつぶる。
熱のせいか頭がちょっとふわふわする。

「広川優しいね。いつもこんなに優しいの? 面倒見いいって、桐山も新井も言ってた」

「だってレン、一人暮らしだし。そこはさ」

照れたような声。オレはぼんやりと天井を見ながら続ける。

「今日だけじゃなくてさ……高校入ったばっかのときもさ。広川が隣の席でラッキーだった。友達紹介してくれて、すぐみんなと仲良くなれた」

「仲良くなれたのはレンの性格だろ」

広川は笑った。

「……けど、オレも小学校ん時、親の都合で三回転校してんだよね。あ、父親、新聞記者なんだけど。キツさが分かる分さ。レンは転校ではないけどさ」

オレは新井の言葉を思いだす。広川の惚れてた女の子は転校生だ。新井は『だから真野っちに癒やされてるのかも』とも言っていた。

「転校かあ」

「……新井からなんか聞いたん?」

「ん……」

聞いたと言えば、話すつもりだろうか。好きな女の子のこと。
聞いてないと言えば、オレが新井から聞く前に話すつもりだろうか。それとも話さないのか。

どう転んでも嬉しくないような気がして、曖昧に濁す。

オレは目をつぶったまま、体の向きを変えながらケットをひいた。ケットに半分潜ると、広川に顔を見られずに済む安心感があった。

広川が立ち上がる気配がした。キッチンで水音がし、また戻ってきた気配。
額に冷たいタオルを置かれた。

「寝な」

すぐそばから優しい声。多分、近くに屈んでいる。
触れられているわけではないのに、広川の体温を感じる。
枕元がギシ、と少し歪んだ。

「うん……」

「レンに、早く元気になってほしいしさ」

広川が額のタオルを直した。
頬にそっと手を当てられたのは、熱があるか確かめるため……。