短編集

ーーーーー……きて。


霧の立ち込めた視界の先から微かに聞こえる声。

「藤澤(ふじさわ)、起きろ」

うわぁ、眩しぃな。

「んー……」

「ほら、前見て」

ぼやける意識と視界の中で黒い炎を纏った鬼の形相がはっきりと映っていた。


×××


「毎回悪い……」

「いや、大丈夫」

別に寝たくて寝てる訳じゃない。

『睡眠障害ですね』

そう医師から診断を受けたのは高1の秋だった。
その中でも俺はナルコレプシーという病気に分類されるらしい。
症状は夜間睡眠を十分にとっていても日中耐え難い眠気が襲ってきて睡眠発作を繰り返してしまうというものだ。

起きようとすればするほど眠くなる。

診断を受けたのが中途半端な時期だったこともあり、教員やクラスメイトには俺の障害についてあまり浸透していない。

どちらかといえば「やる気がないやつ」とか「怠けたやつ」という印象の方が浸透しつつある。

知っているのは担任と前の席のこいつ、鞘場秋人(さやば あきひと)。
担任も言ってはくれているようだが古い思想が強いじいちゃん先生や熱血教師は許しちゃくれない。

「めんど……」

「その割には偉いじゃん」

え?と顔をあげようとしたとき、秋人のでっかい手が俺の頭を撫でた。

「ちゃんと学校来てんの偉い偉い」

ーーーーー...…ガクンッ。

「まだ寝ぼけてるのか」

「そうみたい」

なんて言うのは嘘。
突然、頬杖をついていた腕の力が抜けバランスを崩した。

情動脱力発作、カタプレキシー。
笑ったり、驚いたり、強く心が動いたときに全身が脱力してしまう発作。

それも俺の障害、ナルコレプシーの症状の一つだった。


×××


「藤澤、起きろ。次、体育だぞ」

「んー……、ありがとぅ……っ!?」

目が覚めたら俺の視界の全てを秋人の顔が埋めていた。
まっすぐと向けられた眼差し。
その輝く瞳の中に自分が映っているのが見えたとき、思わず大きな声を出してしまった。

「目、覚めた?」

「……お、お陰様で」

赤くなった顔を必死に覆い隠す。
脳が覚醒した代わりに足の力が全く入らない。
こんなんで体育なんてできるわけない。

「おーい、さやばっち!グラウンド行こうぜぇ」

「おー。んじゃ、藤澤も遅れない気を付けろよ」

ーーーーーポンッ

去り際、それは当たり前のように自然に。
俺の頭を優しく撫でて仲間のところへと向かって行った。

俺と秋人では住む世界が違う。

秋人はクラスの男でも惚れてしまうような容姿と性格をあわせ持ち、みんなから慕われるクラスの中心的な人物だ。

それとはものの見事に対照的な自分。
ずっと寝ていて人見知り、クラスでどこか浮いた存在。

誰も干渉してこないという気楽さがある反面、秋人をどこか羨ましく思う自分もいる。

秋人との関係はこのときだけ。
俺が一方的に面倒を押し付けているだけ。
秋人の優しさに甘えてしまっているだけ。

「あー、しんどい」

結局、体育は見学することにした。

俺と秋人では住む世界が違う。

太陽の下で汗を流しながらサッカーをしている秋人は太陽のようにキラキラと輝いていた。
それを俺は木陰の下で月のように静かにその姿を眺めていた。

この障害がなければみんなと、秋人ともっと話、できていたのか。

一点に集中していた意識のせいで周りがぼやけていると突然遠くの方から丸い物体が飛んでくるのが見えた。

「藤澤っ!」

その声が俺に届いた頃にはもう手遅れだった。


ーーーーー...…さわ。

声の聞こえる方へ手を伸ばす。

「……藤澤」

「鞘場……」

左手から感じる熱を目で追っていくとそこには俺の手を握る鞘場の姿があった。

「俺、そんなやばかった?」

「やばいもなにも、ぴくりともしないんじゃ焦るだろ」

なんかむず痒くて鼻に手を当ててみるとティッシュが鼻の穴に敷き詰められていた。

「ダサいな、俺」

恥ずかしさを誤魔化すように笑みを浮かべる。

「ごめん、ほんとうに」

その顔を見て秋人は表情を曇らす。
友達でもないやつにまでこんな表情をするのか。
本当に優しいやつだな。

握られた左手が温かい。

「ふわぁ……」

「今起きたばかりじゃん」

「俺が一番呆れてるよ」

「また、起こしに来るから。寝てな」

秋人はそう言ってまた俺の頭を撫でる。

俺のことは猫とでも思っているんだろう。

少しムカつく。
けど、トントンと刻む一定のリズムが心地よくていつしかまた眠りに落ちていた。

何か頬に触れたのを感じたのは気のせいだったのか。


×××


「藤澤!おーきーろー!」

「……うるさい」

「んだと、こっちは起こしてやってんのに」

席替えをした。
結果、秋人とは離れ物理的な距離と共に会話も一切なくなった。

本当にただ、起こし起こされるだけの関係。
それ以外はなにもない。

ガツンと脳に響く声にこめかみに鈍い痛みを覚える。
そういえばこの感覚は久しぶりな気がする。
あの秋と同じ痛み。
それがいつしかなくなっていたことに気づく。

机にだらりともたれかかり、目線の先にいる人物を見つめる。

『藤澤、起きろ』

その声が頭の中で木霊する。


×××


放課後の静けさが心地いい。

誰もいなくなった教室で窓から入り込む風に髪を揺らしながら1人席に座っていた。

暑くも寒くもない温度、少し赤みがかった空の色、優しく吹く風。

「鞘場がいい……」

俺は机の上でうつ伏せになり眠りに落ちた。


×××


「……さわ」

「んー……」

「藤澤、起きろ」

「……鞘場」

俺を呼ぶ声はすんなりと耳に流れてくる。
目の前には前の席に寄りかかった鞘場の姿があった。

「もうすぐ下校時間」

ぼやけて見えない目を擦り黒板の上にある時計を見る。
その時計の針は5時30分を指していた。

「俺、そんな寝てたのか」

「うん、ぐっすり」

「……悪い」

「全然……」

優しく微笑む鞘場。

完全下校ギリギリまでここで寝ていたことは今までに少なくはない。
そのときは大体校内を巡回する教員に起こされていた。

そういえばこの時間に鞘場がいたことは一度もない。
なのになぜ、今ここにいるのだろうか。

「なんで鞘場がこんな時間にここにいるんだ?」

「それは、えーと」

口に手を当て考えている様子を見せる。
でもそれはフェイントだった。

体を机から離すと顔を近づけてきて、耳元へ。

「藤澤が好きだから」

刹那、心臓が全身を揺らすほど大きく跳ね、雷に打たれたような衝撃が駆け抜ける。
身体が燃えるように熱く、その衝撃にバランスを崩し椅子ごと後ろに倒れそうにな……。

ーーーーーガタンッ。

「っぶっねぇ、大丈夫?」

「あ、あぁ」

髪と髪が、鼻先と鼻先が触れるほどの近い距離。
鞘場の瞳に俺が映っているのが見える距離。

俺の体は斜めっていて、鞘場は机に足を乗り上げて片手で俺の座る椅子を掴んでいる。

なんだこの体勢は。
それになんで鞘場笑ってんだ。

「情動脱力発作、カタプレキシー」

「……は?」

「笑ったり、驚いたり、強く心が動いたときに全身が脱力する」

「なんでそれを」

確かに鞘場には俺の睡眠障害のことは話した。
でもカタプレキシーのことは言っていない。

「気付いてないと思った?」

「まさか、今までわざと……」

「うん」

その優しげな音とは裏腹に目尻が下がり口角の上げて密かに微笑む顔。

「発作だってわかってる。けどさ、あんな顔向けられたらさ。意識しないでって言われても意識しちゃうよ」

その表情が急に曇り出す。
なんだか余裕がなさそうな苦しそうな。

時計の針は刻々と時間を刻んでいく。
グラウンドからは野球部が挨拶をする声がした。
カラスが鳴きながら家路に帰っているのが窓の外に見えた。

それぞれが1日を終える身支度をし始める中で俺たちは二人、教室の一角で向かい合う。

影は段々と形を変えていき、教室を薄暗い色で満たす。

「藤澤の寝起き見るの、……俺だけが、いい」

暗くて、髪で隠れて見えづらい顔。
でもうっすら見える耳が赤面しているのがわかる。

ーーーーー……俺も。

「……がいい」

「起こしてもらうの、鞘場がいい」

ーーーーーキーンコーンカーンコーン。

完全下校の時間を告げるチャイムがなる。

「俺たちも帰らないとか」

「あぁ」


×××


帰り道。
肩を並べて歩く二人。
なにか話した方がいいかと思ったけど、さっきのことを思い出すとなにも言えなくて言葉が詰まる。
気まずい。

太陽はもう半分くらい地平線の先に消え、俺の縋る気持ちもガン無視状態。
近くで鳴くカラスの声もカーカーとなんだか馬鹿にされてる感じがあってムカつく。

この先に見える大きな交差点。
そこで俺たちはさよならだ。

今度はいつ話せるのか。

また、話したい。

クラスメイトが鞘場と話しているときと同じように俺も自然に鞘場と話したい。

起こしてくれるのは鞘場がいい。

ーーーーーアラームは君で。

「なぁ、鞘場」

「ん?」

自分勝手な。

「……わがまま、言っていいか?」

「なに?」

「また明日、俺のこと起こしてくれないか」

「寝る前提なんだ」

「うるさい、仕方ないだろ」

「っははは!……もちろん、いいよ」

撫でられる頭。
ぐしゃぐしゃになる髪。
向けられる笑顔。

ずっとこの顔を隣で見ていたい。