彼氏には言わなくてもいいこと

 夏休みが終わりに近づいた頃、サークルの展示会が開催された。
 展示会は盛況のうちに終わった。
 私たちが準備した子ども向けコーナーも人気で、真っ赤な折り紙の唇を何個も折った。
 展示にも参加した。私は夏らしく、割とリアルなカブトムシとクワガタムシを折った。ネットで注文した、ちょっと難しい折り紙の本に載っていたものだ。
 酒井くんは洋服の平面作品を創作して、小さな服屋さんみたいなレイアウトを作り上げた。とても酒井くんらしい。
 ただし、折り紙の展示は、多くの先輩は学園祭が本番らしく、過去の作品を持ってきただけの人も多かった。
 団長はとんでもないガチ勢で、パソコンで展開図を作り、精巧な作品を創作する。今回はリアルなタツノオトシゴだった。尾がくるんと丸まっているところがポイントだ。
 彼の作品にはファンも多く、来場者との写真撮影に応じる場面もあった。
 かくいう私も、このサークルに入る前から団長のSNSのフォロワーだ。しかし、サークルでの団長は口うるさいうえに後輩への当たりが強い人で、私は幻滅してしまった。目をキラキラさせて、ファンです、などと言いながら入会した過去の自分を殴りたい。
 
「でも、作品はいいよな。俺にはできない」
 展示会の打ち上げで、酒井くんは団長のタツノオトシゴを思い描きながら熱心に言った。
「おなかの丸みがリアルでよかった。団長は動物の造形に対する理解がある」
 うんうん、と頷く酒井くんを見て、私は奥歯を噛んだ。そう、作品はいいんだよ。問題は作者の人格なんだよ。
 ふん! と鼻息を荒くして、私はコーラを飲み干した。
「いい飲みっぷりだ」と笑う酒井くん。
「ソフトドリンクは物足りないよ」
「未成年がバカ言うな」
 そう言って、二十歳の酒井くんは平然とビールを飲んだ。
「くそー。私は十九歳だぞ。割合的には九十五パーセントは二十歳。もうほぼセーフでしょ」
「おお、さすが数学専攻」
 酒井くんはケラケラと笑った。この人はいくら飲んでも顔色が変わらない。
「ムギちゃんのカブトムシもよかったよ。あれ、大変だったでしょ」
「大変だった。折り目を付けてから、既に折ってあったところを広げて、付けた折り目に沿って立体に折りなおすの。意味わかんない」
「でも、裏面が見えるようなこともなく、綺麗に折れてたよ」
 その理解のある褒め言葉に、私は笑顔になった。
「えへへ、ありがとう」
 
 酒井くんがトイレに行ったとき、私は何気なくスマホでSNSを見た。
 そこには、大勢のマッチョたちに囲まれて筋トレをしている竜太の姿があった。
 竜太は相変わらずかっこいいな、と思いつつ、違う世界の人のように感じて寂しさを覚えた。
 酒井くんが戻ってきたので、私はスマホをさっと閉じた。
「なあ、この後、二次会行く?」と酒井くん。
「酒井くんは行くの?」
「せっかくだし、行こうかな」
「うーん、私はパス。どうせまた団長の目を気にしてソフトドリンクを飲むんだ。アホらしい」
 そう言ったところで、わたしは一つの思いつきを口にした。
「ねえ、サークルと関係のない、個人的なところなら飲んでも平気だよね?」
 酒井くんは変な顔をした。
「平気ではないでしょ。まあ、うるさく言う人はいないけど」
「こっそり、一年生だけで二次会しようよ」
 そう、あのたこ焼きパーティの再現だ。私はお酒を飲みたい気分だし、酒井くんとはもう少し話をしたい。
「はあ? 悪いやつだな」
「いいじゃん酒井くーん」
 酒井くんは諦めたような顔をした。
「俺はいいけど、あいつらは行きたがらないと思うよ」
 あいつら、とは他の男子のことだ。今日は唯がいないから、一年生は私と酒井くんと、あと男子二人。
「そんなのわかんないよ。聞いてみる!」
 私は立ち上がった。先輩と二次会に行くよりも、同期だけで集まった方が楽しいでしょ!
 
「なんでなの……」
 私はしょんぼりとうなだれた。
「だから言っただろ」
 酒井くんは冷たく言った。
 同期の男子二人には、あっさりと断られてしまったのだ。
「あいつらは、先輩の目を気にするタイプなんだよ」
「じゃあ、また酒井くんと二人だけか。しょうがないな」
「え」
 酒井くんが変な声を出したので、私は顔を上げた。
「二人だけで行くの?」
「え、うん……ダメかな?」
「んー……」
 酒井くんは迷っているみたいだった。
「またいろいろ話したいよ」
「ああ……まあ、いいよ」
「そう来なくっちゃ」
 
 打ち上げが終わった後、私と酒井くんは帰るふりをしてすぐにその場を去った。
 そして、適当な居酒屋に入り直した。
「じゃ、乾杯」
 私はカルアミルクを、酒井くんはハイボールを注文した。
「ムギちゃんは家では飲むの?」
「飲まない。年齢確認されたら困るから、買えないよ。だから、こういうときじゃないと」
「なるほど、俺は共犯者にさせられているわけだ」
「たこパのときだってそうじゃん。しかも現場は酒井くんの家だし」
「確かに」
 そして、私たちはいろんな話に花を咲かせた。
 団長への愚痴から始まり、地元のこと、好きなアニメなど、折り紙以外の話題でいつになく盛り上がった。
 でも、やっぱり折り紙の話題も。
「いやー、酒井くんは折り紙の話をしっかり聞いてくれるから嬉しいよ」
 いい具合にほろ酔いになった私は、とろけるような気分で言った。
「ムギちゃんの彼氏は聞いてくれないの。確か、いたよね」
「聞いてくれるけど、バリバリの体育会系でさ、折り紙のことわかんないんだよ」
 私はそう言って、ふう、とアルコール混じりの息を吐いた。
「多分、谷折りと山折りの区別もつかない」
「あはは。でも、高校の頃から付き合ってたんでしょ?」
「私の折り紙愛が再燃したのは大学に入ってからだから。当時はそういうグループじゃなかったし」
「まあ、わかるよ。高校時代って、なんとなく周りに合わせるよな」
 酒井くんは私の目を見て言った。
「俺も、こうやって本気で折り紙の話ができる相手がいて、嬉しいよ」
 私も酒井くんの目を見た。
 共鳴している。
 直感的にそう思った。それは、今までに経験のない感覚だった。
 視線が釘付けになり、動かすことができない。
 私たちは互いの目を見つめたまま、しばらく沈黙していた。
 沈黙を破ったのは酒井くんだった。
「……じゃあ、そろそろいい時間だし、出ようか」
 その言葉で現実に引き戻された私は、頷いてから氷の溶けたグラスをあおって喉を潤した。
 
 夏の夜の空気は蒸していた。汗ばみながら、ふわふわした足取りで駅に向かう。今日は飲み過ぎないように注意したんだけど。
 家の方向が一緒だから、私たちは同じ電車に乗り込んだ。車内の冷房が、アルコールで火照った私たちを冷ましてくれる。
 二人とも、なんとなく黙っていた。電車の走る音だけが耳に入る。
 窓ガラスに映った酒井くんがスマホを操作している姿が見えた。
 細身の酒井くんの隣に私が立っているのを見たら、何だか不思議な安心感に包まれた。
 すると、急に酒井くんが顔を上げたので、私は慌てて目を逸らした。
「じゃ、また今度」
 そこは彼の最寄り駅だった。
「あ、うん。またね」
 私は電車のドアから去っていく彼の背中を見送った。
 一人で、今日の出来事を振り返る。
 居酒屋での、酒井くんの視線。今までに感じたことのない感覚。
 車内の冷房をいくら浴びても、胸の中の熱は消えることがなかった。