彼氏には言わなくてもいいこと

『今度の土曜日、そっちに行こうかなって思ってるんだけど、いいかな?』
 ある日、竜太からの思いがけない一言に、私は驚いて飛び上がった。
「ええ⁉ 水泳の練習は?」
『その日は休む。もう話はしてあるから』
 やった! 竜太に会える!
 そして、わざわざ時間を取ってくれた理由を察して、思わず顔がにやける。
「でも、いいの?」
『大丈夫。だって、麦子の誕生日じゃん。これは外せないよ』
 やっぱり!
 竜太が私の誕生日をしっかり覚えていてくれたことが嬉しくて、胸がキュンとした。
「うふふ……ありがとう。また竜太よりお姉さんになっちゃうね」
『あはは、数か月だけな』
 ああ、なんて幸せ。もし鏡で自分の顔を見たら、目がハートになっているかもしれない。
『それで、どっか行きたいところとかある?』
「うーん」
 私は考えるような声を出した。でも、本当は決まってた。
「あの……どこにも行かないで、うちで、ゆっくり過ごすって、どうかな?」
 たまにしか会えない竜太との時間だ。誰にも邪魔されずに、二人きりで過ごしたい。
『おお。うん、いいよ』
 アクティブな竜太にとっては想定外の提案だったかもしれないけど、彼は快く受け入れてくれた。
「ようし。ああ、今から楽しみだなあ」
『おう、俺も楽しみだ。じゃ、また今度ね』
 通話を終えた私は、しばらくふわふわした気分だった。
 ああ、久しぶりに竜太に会えるぞ!
 私は鏡を見た。目はハートじゃなかったけど、緩みきった笑顔をしていた。我ながら、キモいな……。
 
 *

 竜太とは駅で待ち合わせた。
 私を見るなり、よっ、と手を挙げる竜太。それに呼応して私の心臓も跳ねる。
 ここは外なので、目がハートにならないように注意しながら並んで歩いた。
 今日のために、私は髪も整えたし、ネイルも塗り直した。まるで付き合い始めたころみたいに、気合は十分だ。
「マジで昼飯作ってくれるの?」
 竜太は嬉しそうに聞いた。今日はおうちデートなので、私の家でお昼ご飯をふるまうつもりなのだ。
「もちろん。ときどき自炊してるんだよ」
「すげー。高校のときじゃ考えられなかったな。ちなみに何を作るの?」
「アクアパッツァ」
「おお? 何だっけそれ」
「ふっふっふー。楽しみにしててよ」
 スーパーで買い物を済ませてから、私の家に向かった。大学で一人暮らしを始めてから、竜太をこの家に上げるのは初めてのことだ。
 私はドキドキしながらドアを開けた。
 竜太からも緊張感が伝わってくる。
 ここは六畳のワンルーム。竜太をテーブルに着かせると、私はさっそくエプロンを身につけてキッチンに立つ。
「おお……」
 エプロン姿の私を見て、感嘆の声を上げる竜太。
「何?」
「あの……いや、何でもない。近くで見ててもいい?」
「ええ、嫌かも。プレッシャーになる。座って待ってて」
 私は笑いながら言った。
 スマホを操作して、ブックマークしておいたレシピを開く。前にも作ったことがあるから、迷わずに手が動いた。
 スーパーで買った鯛の切り身を焼き、そこにミニトマト、シーフードミックス、調味料を入れる。
 それらを煮込んだら完成だ。
「はい、お待たせ」
「うおっ、すげえ!」
 テーブルに運ばれたアクアパッツァを見て、大喜びの竜太。それを見て私も嬉しくなる。
「めっちゃ本格的じゃん!」
「そう?」
 ネットのレシピを真似しただけだから、何が正解なのかはよくわからない。
 ちなみにニンニクは入れなかった。一人だったら入れてもいいけど、今日はおうちデートだからね。
 主食としてパックご飯も出してあげると、竜太はうまいうまいと言ってあっという間に平らげた。
 うーん、いい食べっぷり。作りがいがあっていいねえ。
 食器を片付けながら、私はふとした疑問を口にした。
「ねえ、料理をする前に、何か言いかけたでしょ」
 すると、竜太は照れた顔をした。
「いや、なんか……新婚みたいだなって思って」
 その言葉を聞いて、私も顔が赤くなった。
「……もう」
「そうだ、これ。料理がうますぎて忘れるところだったよ」
 竜太はそう言って包みを取り出した。
「十九歳の誕生日おめでとう」
 私は嬉しすぎて、思わず両手で口を押さえた。
「ありがとう! 開けてもいい?」
「もちろん」
 中から出てきたのは、私の好きなブランドの財布だった。
「わあ……」
 喜びが高まりすぎて声が出ない。竜太が、私のことを考えて選んでくれたプレゼント。
 固まった私を見て、竜太は少しだけ心配そうな顔をした。
「あの、どうかな」
「……めっちゃ嬉しい!」
 その後、私たちは会えない時間にたまった気持ちを晴らすかのように互いを愛し合った。
 二人でまったりとしていると、竜太はタンスの上に飾られた折り紙に目を止めた。
「折り紙、よくやってるんだ?」
 竜太から折り紙の話題が出たことが嬉しく、私は思わず鼻息が荒くなる。
「うん! 竜太もやる?」
「ああ……そうね、また今度」
 その返事に、肩透かしを食らった気分になる。
 それでも竜太は作品が気になったらしく、ベッドから立ち上がって私の作品を手に取った。
「手先が器用なんだな」
 それが褒め言葉なのかは微妙だったけど、私の胸の中は温かくなった。
 ああ、本当はもっと折り紙の話をしたい。いくらでも教えてあげるのにな。
「これ、可愛いな。……『いつもサンキュー』?」
 竜太の口からその言葉が出たとき、私の心臓がキュッと縮こまった。
 見ると、紫色の折り紙のワンピースを手にして、裏に書かれたメッセージを読んでいた。
 酒井くんのだ。
 そう思うと、なぜか私は胸がざわついた。
「ああ、それ、友達が折ったやつ」
「メッセージカードってことか。いいね。ファンシーなのが好きな子なんだ」
 どうやら、竜太はそれを女子が折ったと思っているらしい。無理もないことだろう。
 実はそれ、サークルの男子が折ったんだよ。意外でしょう? その人が知識も情熱もすごくてね……。いつもの私なら、そんな話をしていたはずだ。
 でも私は、それ以上何も言えなかった。
 何も悪いことはしていないのに。
 ただの友達が折った折り紙なのに。
 私は体育座りをして目を伏せると、自分の足先が視界に入った。
 塗り直したばかりのネイルが、なぜか朝よりもくすんで見えた。