『夜は学園祭の打ち上げなんだ』
だから電話できない、という意図を込めて、私は前日のうちに竜太に予定を知らせた。
しばらくして、『了解』と書かれたスタンプが返ってきていた。高校時代から使い続けているスタンプに安心感を覚える。
学園祭も無事に終わり、今日は打ち上げだ。
「いやあお疲れさま!」
ウーロン茶を手にした唯が楽しそうに言った。
彼女は大作を仕上げられたことが嬉しかったらしく、学園祭の間も終始機嫌がよかった。
酒井くんはにやりと笑って言った。
「唯ちゃんも、とうとう折り紙に目覚めたか」
「でも、しばらくは簡単なやつしか折りたくないよ」
「いいんじゃない、人それぞれで。俺もああいうのはめったに折らないよ」
私は二人の様子を見ながら、学園祭のことを思い出していた。
竜太といくつかの企画を見て回った。愛する竜太と過ごす時間は、とても楽しいものだった。
ところが、ふとした瞬間、心の隙間に彼の言葉が滑り込んできた。
――これは完璧だよ。
酒井くんは私の目を見て言った。彼の言葉は、いつだって私の心をつかんで離さない。
そんな気持ちを振り払うように、私は人目を気にせずに竜太へすり寄った。
「なあ、二次会行く?」
その声で、私の意識は現在に引き戻された。
「行かないつもり」
酒井くんからの質問に答えた私は、唯が席を外していることに気が付いた。
「あのさ、もしよかったら……前みたいに飲みなおさない?」
少し緊張した様子の酒井くんが、私と微妙に目を合わせずに聞いた。
前みたいに。
夏の展示会の打ち上げを思い出す。それはきっと、私と酒井くん、二人だけで、という意味だ。
すぐに心臓がドキドキと鳴り始めた。
私は少しだけ目をきょろきょろさせて、考えるふりをしてから答えた。
「……うん、いいよ」
打ち上げが終わった時、私は唯と一緒にいた。
唯になんて言ってごまかそう。私が悩んでいると、唯は、
「じゃ、彼氏が寂しがってるから、もう行くわ。じゃあねー」
と言って早々に帰っていった。
ほっと胸をなでおろした私は、すぐに酒井くんと合流した。
その後、二人で適当な居酒屋に入ると、私はジンジャーエールを注文した。
「今日はお酒を飲まないの?」
「うん。今日はいいや」
だって、飲んだら理性を保てる自信がなかったから。
私たちはしばらく他愛のない話をしていた。
先に踏み込んできたのは酒井くんの方だった。
「そういえば、ムギちゃんの彼氏、かっこよくていい人そうだったね」
私は固まった。絞り出すように返事をする。
「……うん」
「だから、ムギちゃんがあの人のことを好きだっていうのは、まあ、よくわかるっていうか」
私は何も言えず、グラスについた水滴を眺めた。
「ああ、この人には敵わないなって。ムギちゃんの横にいるのは、この人なんだって。それで、俺は諦めようって思ったの」
胸の中がざわざわする。私はさらにうつむいた。
「でも無理だった」
私の胸の中の違和感は、鼓動に変わった。耳の奥に、脈打つ音が聞こえてくる。
次に来る言葉を期待して、私は顔を上げた。
「俺はムギちゃんのことしか考えられない」
酒井くんは、私の目をまっすぐ見ながらそう言った。
彼の気持ちを真正面から受け止めて、私は黙り込んだ。
竜太の姿が頭に浮かぶ。
高校時代の帰り道。
誕生日のプレゼント。
学園祭で過ごした時間。
それらは、私にとって全て大切な出来事だ。
「私って、最低だよね」
「そんなことないよ」
「いや、最低だよ。だって彼氏がいるのに、こうやって酒井くんと楽しく過ごして」
私がそう言うと、酒井くんは黙った。
「でもね……」
自分でも、本当に最低だと思ってるんだけど。
私は意を決した。
「私も、酒井くんのことが、その、すごく気になってる」
「……マジ?」
「マジだよ」
私たちは、そのまま視線を重ねた。何も言わずに、お互いの顔をじっと見つめ合った。
気持ちを確かめ合った二人の間に、甘い空気が漂う。
お互いの吐息が熱い。
視線を通じて、酒井くんの心臓の音が聞こえてくる気がした。私に負けないくらいドキドキしている。
先に根負けしたのは酒井くんの方だった。
彼は目を逸らすと、ハイボールのグラスを飲み干し、ああ、と声を上げた。
酒井くんは、照れた笑顔をしていた。
「はっ、ははっ。ヤバい、どうしよう、嬉しい」
「うん、私も嬉しい」
言葉にすると途端に恥ずかしくなってしまい、私は顔を赤らめた。
照れっぱなしの酒井くんは言った。
「ところで、俺たちって、その……どうなるのかな」
その言葉に、一瞬だけ忘れかけていた現実が返ってくる。私の恋人は竜太だ。
「ごめん、ちょっと、わかんない。どうしよう……」
「うん、まあ、いいよ。これから考えよう」
酒井くんは笑顔で私を許してくれた。その優しさに胸が痛んだ。
お店を出て、二人で並んで駅に向かった。
こういうことはこれまでも何回かあったけど、今日はいつもよりも距離が近かった。
ふと、酒井くんの手が目に入った。細長い指の付いた、少し骨ばった手。
私はその手をしばらく見つめてから、そっと握った。
すると、酒井くんはびっくりして少しだけこっちを見た。そして正面を向き直すと、私の手を握り返してくれた。
「ムギちゃん」
呼びかけられた私は、酒井くんを見た。
「あのさ、この後、うち来る?」
甘美な誘いに、少しだけ脳がとろけそうになった。
でも、私は深呼吸してから答えた。
「……それはダメ」
「……そっか」
やっぱり、今日は飲まなくて正解だった。
もし酔ってたら、きっと抗えなかったな……。
*
翌日、竜太からメッセージが来た。
『打ち上げどうだった?』
私はすぐに返信した。
『楽しかったよ』
送信した後、しばらく画面を見つめた。
本当に楽しかった。それは嘘じゃない。
でも……。
彼に送った返信は、私の胸の中にトゲのように突き刺さった。
だから電話できない、という意図を込めて、私は前日のうちに竜太に予定を知らせた。
しばらくして、『了解』と書かれたスタンプが返ってきていた。高校時代から使い続けているスタンプに安心感を覚える。
学園祭も無事に終わり、今日は打ち上げだ。
「いやあお疲れさま!」
ウーロン茶を手にした唯が楽しそうに言った。
彼女は大作を仕上げられたことが嬉しかったらしく、学園祭の間も終始機嫌がよかった。
酒井くんはにやりと笑って言った。
「唯ちゃんも、とうとう折り紙に目覚めたか」
「でも、しばらくは簡単なやつしか折りたくないよ」
「いいんじゃない、人それぞれで。俺もああいうのはめったに折らないよ」
私は二人の様子を見ながら、学園祭のことを思い出していた。
竜太といくつかの企画を見て回った。愛する竜太と過ごす時間は、とても楽しいものだった。
ところが、ふとした瞬間、心の隙間に彼の言葉が滑り込んできた。
――これは完璧だよ。
酒井くんは私の目を見て言った。彼の言葉は、いつだって私の心をつかんで離さない。
そんな気持ちを振り払うように、私は人目を気にせずに竜太へすり寄った。
「なあ、二次会行く?」
その声で、私の意識は現在に引き戻された。
「行かないつもり」
酒井くんからの質問に答えた私は、唯が席を外していることに気が付いた。
「あのさ、もしよかったら……前みたいに飲みなおさない?」
少し緊張した様子の酒井くんが、私と微妙に目を合わせずに聞いた。
前みたいに。
夏の展示会の打ち上げを思い出す。それはきっと、私と酒井くん、二人だけで、という意味だ。
すぐに心臓がドキドキと鳴り始めた。
私は少しだけ目をきょろきょろさせて、考えるふりをしてから答えた。
「……うん、いいよ」
打ち上げが終わった時、私は唯と一緒にいた。
唯になんて言ってごまかそう。私が悩んでいると、唯は、
「じゃ、彼氏が寂しがってるから、もう行くわ。じゃあねー」
と言って早々に帰っていった。
ほっと胸をなでおろした私は、すぐに酒井くんと合流した。
その後、二人で適当な居酒屋に入ると、私はジンジャーエールを注文した。
「今日はお酒を飲まないの?」
「うん。今日はいいや」
だって、飲んだら理性を保てる自信がなかったから。
私たちはしばらく他愛のない話をしていた。
先に踏み込んできたのは酒井くんの方だった。
「そういえば、ムギちゃんの彼氏、かっこよくていい人そうだったね」
私は固まった。絞り出すように返事をする。
「……うん」
「だから、ムギちゃんがあの人のことを好きだっていうのは、まあ、よくわかるっていうか」
私は何も言えず、グラスについた水滴を眺めた。
「ああ、この人には敵わないなって。ムギちゃんの横にいるのは、この人なんだって。それで、俺は諦めようって思ったの」
胸の中がざわざわする。私はさらにうつむいた。
「でも無理だった」
私の胸の中の違和感は、鼓動に変わった。耳の奥に、脈打つ音が聞こえてくる。
次に来る言葉を期待して、私は顔を上げた。
「俺はムギちゃんのことしか考えられない」
酒井くんは、私の目をまっすぐ見ながらそう言った。
彼の気持ちを真正面から受け止めて、私は黙り込んだ。
竜太の姿が頭に浮かぶ。
高校時代の帰り道。
誕生日のプレゼント。
学園祭で過ごした時間。
それらは、私にとって全て大切な出来事だ。
「私って、最低だよね」
「そんなことないよ」
「いや、最低だよ。だって彼氏がいるのに、こうやって酒井くんと楽しく過ごして」
私がそう言うと、酒井くんは黙った。
「でもね……」
自分でも、本当に最低だと思ってるんだけど。
私は意を決した。
「私も、酒井くんのことが、その、すごく気になってる」
「……マジ?」
「マジだよ」
私たちは、そのまま視線を重ねた。何も言わずに、お互いの顔をじっと見つめ合った。
気持ちを確かめ合った二人の間に、甘い空気が漂う。
お互いの吐息が熱い。
視線を通じて、酒井くんの心臓の音が聞こえてくる気がした。私に負けないくらいドキドキしている。
先に根負けしたのは酒井くんの方だった。
彼は目を逸らすと、ハイボールのグラスを飲み干し、ああ、と声を上げた。
酒井くんは、照れた笑顔をしていた。
「はっ、ははっ。ヤバい、どうしよう、嬉しい」
「うん、私も嬉しい」
言葉にすると途端に恥ずかしくなってしまい、私は顔を赤らめた。
照れっぱなしの酒井くんは言った。
「ところで、俺たちって、その……どうなるのかな」
その言葉に、一瞬だけ忘れかけていた現実が返ってくる。私の恋人は竜太だ。
「ごめん、ちょっと、わかんない。どうしよう……」
「うん、まあ、いいよ。これから考えよう」
酒井くんは笑顔で私を許してくれた。その優しさに胸が痛んだ。
お店を出て、二人で並んで駅に向かった。
こういうことはこれまでも何回かあったけど、今日はいつもよりも距離が近かった。
ふと、酒井くんの手が目に入った。細長い指の付いた、少し骨ばった手。
私はその手をしばらく見つめてから、そっと握った。
すると、酒井くんはびっくりして少しだけこっちを見た。そして正面を向き直すと、私の手を握り返してくれた。
「ムギちゃん」
呼びかけられた私は、酒井くんを見た。
「あのさ、この後、うち来る?」
甘美な誘いに、少しだけ脳がとろけそうになった。
でも、私は深呼吸してから答えた。
「……それはダメ」
「……そっか」
やっぱり、今日は飲まなくて正解だった。
もし酔ってたら、きっと抗えなかったな……。
*
翌日、竜太からメッセージが来た。
『打ち上げどうだった?』
私はすぐに返信した。
『楽しかったよ』
送信した後、しばらく画面を見つめた。
本当に楽しかった。それは嘘じゃない。
でも……。
彼に送った返信は、私の胸の中にトゲのように突き刺さった。



