彼氏には言わなくてもいいこと

 酒井(さかい)くんに初めて会った日のことを、私は今でもよく覚えている。
 最初は、ちょっと変わった人、という印象だった。
「キミも一年?」
「あ、はい」
 中高一貫の高校を卒業した私にとって、大学は六年ぶりに新しい人間関係が始まる場所だった。
 加入したサークルに、高校からの友人の磯村(いそむら)(ゆい)と一緒に初めて顔を出したとき、彼は気さくに話しかけてくれた。
「俺も一年だよ。よろしく。俺は酒井(さかい)孝和(たかかず)
 茶髪を無造作に遊ばせた彼は垢抜けていて、まるで同じ新入生ではないような雰囲気があった。
「私は西山(にしやま)麦子(むぎこ)です」
「へえ、麦子。いい名前だね。じゃあムギちゃんって呼ぶよ」
 酒井くんはにっこりと笑ってそう言った。私は思わず言葉に詰まった。
 ム、ムギちゃん? いきなりそんな呼び方? どうも、この人は距離感がおかしい。
「ちなみに俺、一浪してて、もうハタチ。ヤバいでしょ」
「ええっ! そう……なんですか」
「敬語はやめてよ。同学年だぜ」
 そう言って、いたずらそうに笑う彼を見ていたら、私もつられて笑った。
 すると、一緒にいた男子の先輩が口を挟んだ。
「おい酒井、何さっそく女子を口説いてんだよ」
「口説いてないっすよ。新入生同士で親睦を深めてるだけ」
 酒井くんは笑いながら反論した。
 もうハタチってことは、もしかして先輩より年上だったりするのかも。そう思ったら、なんだかすごい人と同級生になってしまったと感じた。
 
 ここは、この大学で唯一の折り紙サークルだ。
 活動内容は緩い。週に一度、サークルで予約してある空き教室に集まって、自由に折り紙をしたり、ただ駄弁ったりする。
 私は折り紙が好きだ。高校に上がってからは全くやらなくなったけど、子どもの頃は熱中していた。
 小学生のとき、入院した子のためにクラスで千羽鶴を折ったことがある。私は夢中になって折った結果、そのうちのおよそ半分は私の折り鶴だった。
 当時、折り鶴なんて誰でも折れるものだと思い込んでいたけど、クラスのみんなが折った折り鶴を見て、どれもこれも下手くそで驚いた。でも、今ならわかる。みんなが下手なんじゃなくて、私が上手だっただけだ。
 そんな私にとって、このサークルはちょっと緩すぎる。折り紙そっちのけでお喋りやスマホゲームをしている人も多い。
 それでも、私が折った折り紙に、対面の人からリアクションをもらえるだけでも参加した甲斐があったと思った。
 私は、お手本動画をスマホで見ながら作品を折った。
 初参加の私が選んだ作品は、幽霊の折り紙だ。だらんと下げた両手を前に突き出したポーズ。その手は、細くとがらせた部分にかぶせ折りをすることで表現する。
「うまいじゃん。細いとこも綺麗に折れてる」
 そう言ったのは酒井くんだった。彼も自身の作品を折りながら、私が折った幽霊をじっと見つめていた。
 私は褒められて思わず笑みがこぼれた。
「俺さあ、子どものころ、かぶせ折りが理解できなかったよ。中割り折りはすぐできたんだけどな」
「あー、わかるかも」
 私は酒井くんの発言に共感した。かぶせ折りは比較的出番が少ないから、身につきにくい。一方の中割り折りは折り鶴で使うから、自然とできるようになる。まあ、今ではどっちも余裕でできるけど。
 そんな酒井くんは、折り紙の本を見ながら作品を折っている。
「できた」
 紫色と黄色の紙を数枚重ねて作られたそれは、平面のさつまいもだった。とても丁寧で、綺麗に折られている。酒井くんも折り紙が上手だ。
 それは本物のさつまいもを割ったときのように、紫の紙を一枚をずらすと、中から黄色い部分が出てきた。
「意外とリアルだね」
「な。思ったより良かった」
 酒井くんは嬉しそうだ。
 唯はそんな私たちを静かに見ていた。
「麦子、あんたが折り紙うまいなんて知らなかったよ」
「高校では折らなかったからねえ」
 唯は私に付き合ってこのサークルに入った。折り紙に興味はあるみたいだけど、初心者だ。
「ねえ、唯も何か折ってみたら」
 私はそう言って、酒井くんの持っていた本を唯に渡した。
「二人みたいにうまくないよ?」
「そんなのいいんだよ。楽しくやれれば」
 唯が本をパラパラめくって眺めていると、男の先輩が声をかけてきた。
「おお、何折るの? 何でも教えてあげるよ」
 先輩はそう言って唯の横に座った。マンツーマンレッスンでもやるつもりなのかな。肘をついて少しカッコつけた姿からは、唯とお近づきになろうという気持ちが透けて見えた。
 唯は可愛くてモテるから、こんな感じでよくアプローチをかけられる。私は高校時代から、その様子を近くで見ていた。
 下心を隠そうとしない先輩の態度に、私は思わず苦笑いして酒井くんを見た。すると、酒井くんも苦笑いをしていた。
「じゃあこれ。せっかくなんで、先輩が折ってみてもらえますか?」
 唯がにっこりと笑ってそう言うと、先輩は張り切って折り紙を広げた。どうやら、マンツーマンレッスンはうまく回避できたみたい。
 先輩は黙々と折り紙を折っている。折りながらトークで場をつなぐようなスキルはないのか。私はそんな生意気なことを思って、心の中だけで笑った。