80年越しの君とあの蛍を忘れない

 やがて車でやってきた婆ちゃんに、改めて事情を説明しようとした。

 だけど、婆ちゃんは難しい顔で「まずは家に来ないか」と美花に尋ね、彼女――美花が(うなず)いたことで話が変わった。

 無言の車内。

 美花は髪から(したた)る雨も気にせず、家に着くまで車や街を力ない瞳で眺めていた。

 そのまま美花が婆ちゃんに風呂へ連れて行かれている間に、俺は汗と雨をタオルで拭う。

 「……とりあえず、冷たいお茶でも用意するか」

 汚れを洗い流した風呂上がりなら、お茶をが更に美味(おい)しく感じてくれるだろう。

 美花は麦茶と緑茶、どっちが好きなのかな……。

 「護流、お風呂上がったよ」

 「ああ、うん。冷たい麦茶と緑茶、美花は――……。あ、あの、どっちがいい?」

 キッチンで氷を入れたガラスコップを持ちながら美花に見せる。

 汚れを落とし母さんの服を借りて着替えた美花は――信じられない程に美しかった。

 思わず言葉を失いかけるぐらいに。

 コップを(かか)げる手を見た美花は、(はかな)げに笑いながら。

 「溢れる程のお水に、お湯。選べる程の……お茶に、氷。本当に、ここは八十年後なのですね」

 そう、沈痛な声で(ささや)いた。

 「選べないなら、両方とも飲んでいいよ。残してもいいからさ」

 「残すなどと……。その様に勿体(もったい)ないことは、できません」

 「そっか。はい、お菓子も適当に()まんで、くつろいでてよ」

 美花が座れるように椅子を引き、テーブルの上にお茶と菓子を置く。

 「婆ちゃん、ちょっと二人で話いい?」

 「ああ、もちろんだよ」

 言われなくとも分かってるとばかりに、俺の部屋へ移動する。

 「お風呂場で世話しながら、何となくだけど事情は聞いたよ。あの子は戦時中――八十年前の日本から、タイムスリップしてきたんだって?」

 「本人の主張だとね。家出とか事件……だと思う?」

 「普通なら、そう思うんだけど。そうも見えないんだよねぇ……。シャワーに本気で驚いたり、道具の使い方も分からないみたいだ。それと、あの子が着てた服だけどね。あれは、私の母さんが戦時中に着ていたっていう服と同じだったよ」

 本物を見たことのある婆ちゃんが言うと説得力がある。

 当時の服装を素材から再現した、というのもな……。

 彼女が考えた設定を貫くにしても、やりすぎな気がする。

 「混乱してるみたいだから、事件の可能性はあるかもねぇ。護流は、どうしたい?」

 「……俺は、落ち着いた美花の気持ちを確認したいかな」

 俺の言葉を聞いて、婆ちゃんは少し考える様に額に手を当てる。

 「分かったよ。難しいことは大人が動けばいい。児童相談所やら警察やら、手段は(いく)らでもあるんだ。あの子の話を聞いて、まずは護流が判断しな」

 頼りになる言葉だけど、それでいいのか?

 だけど、俺にも選択権をくれたのは素直に嬉しい。

 「分かった。じゃあ、美花のところに戻ろう」

 まずは美花の本音、本心を聞かせて欲しい。

 そんなことを考えながらリビングに行くと――美花は椅子(いす)に座ることもせず、硬いフローリングの上で正座してた。

 テーブルに置いたお菓子やお茶も手つかずのままだ。

 チラチラと目線を上げては、ギュッと手を握り視線を床に戻すのを繰り返してる。

 「『敵より怖い心のゆるみ』。『日本人なら贅沢(ぜいたく)はできないはずだ』。『欲しがりません勝つまでは』。……耐えている家族に申し訳が……っ」

 ぶつぶつ言い聞かせるような言葉を繰り返しては瞳を(うる)ませ続ける美花の姿が、妙にリアリティのある悲痛さを漂わせている……。

 「美花、どうした? 何を言ってるんだ?」

 「それ、国民精神総動員運動の標語だね? 戦争を続ける為に使われたスローガンさ」

 「はい……。お婆様の(おっしゃ)る通りです。破れば禁令違反……。非国民として刑罰が科されます。……甘い物や贅沢を求めるのは、恥ですから。特に、国民の模範となるべき軍人の家族が破るわけには参りません……」

 何も言葉が出てこない。

 とても嘘とは思えない重々しい姿だ。

 こんな綺麗な正座で涙を(こら)える十四歳が、存在するのか?

 ぐぅと美花の腹から音が鳴ると、恥ずかしそうに「ごめんなさいごめんなさい」と謝り始めた。

 ダメだ……。俺には、何を謝ってるのかすら理解できない。

 どう生きてきたら、十四歳で、こんな子になるんだ?

 「はい、手を握って。とりあえず立とうか」

 「ぇ……。は、はい」

 しゃがんだ俺が手を差し出すと、美花は握り返す。

 そのまま、美花が立てる様に手を引いた。

 「正座してたら足が(しび)れちゃうよ。ほら、俺も椅子に座ったから。美花も座って?」

 「わ、分かりました。失礼します」

 微笑(ほほえ)みながら婆ちゃんも椅子に座るのを見て、俺は菓子を摘まむ。

 また、美花の腹が鳴った。

 「自分の腹は何て言ってる? 本音を押し殺して嘘を吐くより、美花の本音や本心を見せくれた方が俺は嬉しいな」

 「いい、のですか?」

 「美花を責める人は、ここには誰もいないよ」

 俺と婆ちゃんがお茶と菓子を飲み食いする姿を見て、美花はゴクリと(つば)を飲んだ。

 そろりと、何かに(おび)える様に菓子へと手を伸ばし――。

 「――甘い……。美味(おい)しい、です。ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……っ」

 ボロボロと涙を流して、お礼を言い始めた。

 長年耐えていた状態から解放された様に、次々と口に運んでいく。

 「あの、こちら少しだけ家族の為に持ち帰っても――……ぁ。もう、私は帰れない? いえ、あの時代に帰るのは……。ううん、家族を連れてきたい。でも、過去と行き来する(すべ)なんて……。私は、これから一人でどうすれば……っ」

 ああ……。もうダメだ。この湧き上がる不思議な感情は、庇護欲なのかな?

 たとえ言動が演技や嘘だったとしても、この子を放り出したくない。

 婆ちゃんに視線を向けると、俺の心が伝わったのか微笑み頷いた。

 婆ちゃんの許可も出そうなら、年齢が近い俺が言うべきだろう。

 「もし行く当てがないなら、ここに住まない?」

 「……ぇ」

 「両親が別のところに住んでるからさ。俺と婆ちゃんだけじゃ掃除が行き届かないんだよね。もちろん、美花が帰りたくなったら止めないから」

 「私は……。これ以上、ご迷惑を掛けるわけには――」

 「――遠慮とかいらないから、本心だけで話して欲しいんだ。最終決定権は婆ちゃんにあるんだけどさ」

 俺は本心を言った。あとは美花次第だ。

 止めてこないところを見るに、婆ちゃんも賛成なんだろう。

 スッと、美花が椅子を立った。

 これで彼女が去っても、それが本人のやりたいことなら俺は応援しよう。

 しかし、美花は再び正座をすると……。

 まるで旅館の女将(おかみ)の様に綺麗に三つ指ついて頭を下げる。

 「ご厄介をおかけしてしまい恐縮ですが、家事炊事など何でもいたします。どうか、行き場のない私を、ここに置いてくださいませんか? 何卒(なにとぞ)、お願いいたします」

 不安に揺れる声で、そう願いを口にしてくれた。

 「頭を下げないでよ。そんな大げさなことじゃないんだから」

 「誠に嬉しいお言葉ですが、ご厄介になる上での礼節は学んでおります。貴重な学習の機会を与えてくださった方々の名誉を汚し恩を(あだ)で返すわけには参りません」

 戦時中の教育ってのは、そんなに厳しく教え込むものだったのか?

 話していることが真実かも分からない、身元不詳の子だけど……。

 美花が良い子なことだけは理解ができる。

 どうしてか俺は、美花が本心から頼ってくれてると感じる言葉が嬉しい。

 家主である婆ちゃんは、「よっこいしょ」と美花の前に座り、そっと美花の両肩に触れた。

 「礼儀正しい子だねぇ。ほら、顔を上げてごらん」

 恐る恐る顔を上げる美花に、婆ちゃんは微笑む。

 「もっと楽に喋りな。これから一緒に暮らすんだから、肩が()っちまうよ」

 そう言って美花の肩を何度か()みほぐし、美花を抱き締めた。

 「ありがとうございます……っ。ごめん、ごめんなさい……っ」

 涙で顔を(ゆが)めながらも「ごめん」と口にする美花の言葉が、誰に向けられたものかは分からない。

 いや、話の前後から予想することはできるけど……。信じ(がた)いんだ。

 とにかく、これだけは間違いない。

 終戦前……。八十年前からタイムスリップしてきたと主張する十四歳の女の子と、俺は一つ屋根の下でともに暮らすことになったんだ――。