80年越しの君とあの蛍を忘れない

 第二次世界大戦下の日本から来た――らしき様子で振る舞う女性。

 これが演技なら、彼女は俳優になった方がいい。

 雷にでも打たれたか。落雷の音に驚いて木にでも頭を打ったんじゃないか。

 それで記憶が混乱してるか、変になってるに違いない。

 タイムスリップが起きるなんて、物語の中だけだろう。

 お互いに状況が受け入れられず、混乱することばかりだけど……。

 まずは、俺が兄じゃないと必死に説明するところから始めた。

 「し、失礼をいたしました。兄と勘違いしてしまい、お見苦しい姿を……。よく見れば、兄とはお顔の作りが少々異なっているのに……。大変な御迷惑を、お掛けいたしました」

 「いやいや、……大丈夫ですよ。俺は柴崎(しばざき)護流。気軽に護流と呼んでもらっていいんで」

 身を小さくしながらペコペコと頭を下げる彼女を慌てて止める。

 「まも、る……。兄さんと同じ名前……」

 「え? お兄さんの名前も、護流っていうんですか?」

 「は、はい。あ、自己紹介を(さえぎ)ってしまい、申し訳ございません」

 まるでゲームの運営メールみたいに丁寧(ていねい)な言葉遣いだな。

 同年代のテンションと違いすぎて戸惑う。

 俺も丁寧な言葉遣いで返した方が良いのかな?

 「あ、ああ……。えっと、埼玉県立熊谷学園総合高校の一年生で十六歳になります」

 「埼玉……学んだことあります。あ、私は高等女学校三年生――もうじき、四年生へ進級する(あら)(がき)()()と申します」

 県外の女子校から来たのか。

 いや、高等学校――高校の四年生? 

 高校は、三年間だろうに。もしかして、留年するって話か?

 「年齢は、あと数ヶ月で十五になります」

 「高等学校三年生で十五歳なの? なん、ですか?」

 「はい。あの、護流……さんは、私を助けて下さったのですよね?」

 「俺は君を……。美花さんを、ちょっと運んだだけだよ……。ですよ?」

 ダメだ。混乱して上手く話せない。

 先輩に敬語を使うイメージで会話をしても、目の前の小さく可愛い子に使う言葉にしては違和感が凄い。

 「私に丁寧(ていねい)な言葉遣いは不要ですよ。美花と呼び捨てで構いません」

 俺の顔に感情が出ていたのか、少し頭を下げながら彼女が気を遣ってくれた。

 お言葉に甘えて、素で話させてもらおうかな。

 「……気遣いありがとう」

 「いえ、とんでもございません」

 お互いにペコペコと頭を下げ合う異様な時間が終わり彼女は不安そうに視線を彷徨(さまよ)わせた。

 「……これから私はどうすれば。どうして、こんな」

 弱々しい独り言が雨音に混じり聞こえた。

 「う~ん。……。ちょっと、ごめんね」

 とにかく情報量が多すぎる……。

 不審者、家出、事件。

 タイムスリップより俺の中で現実的に受け入れられそうなのは、その三つだ。

 ポケットからスマホを取り出し、警察へ電話をかけようとする。

 「そ、その電気で光る板は一体? 何をなさっているのですか?」

 「スマホで電話をかけるんだよ。本当は知ってるんでしょ? ごめんね、君の事情は分からないけどさ……。警察に相談してみた方がいいよ。きっと助けになってくれる」

 「警察へ通信!? 私が標準語励行を破った件で通報するのですか!? ど、どうか、お見逃しください! 拘束されて怖い目に遭うのは……っ」

 彼女は早口に言い切り、バチャッと濡れた芝に額をつけた。

 「ちょっと!? 土下座なんて止めてくれ!」

 「お願いします、お願いします……っ」

 必死に頭を下げ小刻みに震えてる彼女――美花の姿を見るに、()(ほど)の事情があるんだな。補導されるのは、絶対に嫌なんだろう。

 もしかして、複雑な家庭の事情とかが絡んでるんだろうか……。

 「分かった。警察に通報は止める。だけど、せめて婆ちゃんに電話させてくれない?」

 片膝を突いて彼女の肩に手を当てる。

 ビクッと震えた華奢(きゃしゃ)な身体を起こし土下座を止めさせる。

 「ありがとうございます、ありがとうございます……っ!」

 同じ高さで綺麗な瞳を見つめると、心が妙にざわついた。

 心の底から安心と感謝を言う姿に悲痛なものを感じるのは、何でだろうか……。

 雨を弾く様な笑みを浮かべた美花を見ていられず、婆ちゃんに電話を繋ぐ。

 通話に出た婆ちゃんは「話は理解できないけど、すぐ車で向かう」と言ってくれた。

 理解できないのは当然だな。

 俺だって状況が理解できてないんだから、上手く説明しようもない。

 「……そのスマホという板で、本当に会話ができるんですか? 通信線も繋がっていない様ですが」

 「そりゃ、まぁ。固定電話じゃないからね」

 「き、貴重な無線機ということですね」

 婆ちゃんの家には固定電話が置いてあるけど、スマホに通話機能があるなんて当然だろう。

 婆ちゃんの持ってる、らくらくスマホにだって当然ある。

 「ここは……本当に、日本なのですか? 空高く伸びる巨大な建物、貴重な車が()(れい)な道を覆う様に(あふ)れて……。『石油の一滴は血の一滴』と教えられたのに」

 しばらく遠くを眺めていた美花が、(ぼう)(ぜん)とした様な声で(つぶや)いた。

 「もし戦時中からタイムスリップした人なら、本当に、そう思うのかもな」

 「血の方が貴重だよ。ガソリンスタンドとかコンクリートは大量にあるから」

 「にいさ――護流さん!? (てき)(せい)()を使っては憲兵に連れて行かれますよ!?」

 「て、敵性語?」

 「そうですよ! 英語を学び(しゃべ)るのは、今では禁止されているじゃないですか!」

 設定を貫きたいのかな?

 本気で心配して慌てている彼女を見てると、「まさか本当にタイムスリップを……?」という気持ちも少しだけ出てくるけれど。まさか、な。

 「今は令和七年だよ。英語が禁止されてるわけないだろう?」

 「れ、令和? 今日は昭和二十年一月四日では、ないのですか?」

 「いやいや……。昭和二十年って、何年前だ?」

 西暦じゃないと分からないよ。

 (あき)れながら、スマホで何年前かを調べる。

 「……昭和二十年は、八十年前? それって……」

 「は、八十年前? そうすると私は、まさか八十年後の日本にいる……? い、いえ。その様なことが起こるはず……。でも、この文明の差は、まさか本当に?」

 どう考えても信じがたいよな。

 うん、俺も同じ気持ちだよ。

 挙動不審の彼女を置いておいて、スマホの文章を読み続ける。

 「それと、終戦の年? あ……戦後八十年。そっか」

 「終戦!? 私が物心ついた頃から続いていた戦争が終わるのですか!?」

 「うおっ!?」

 「日本は勝ったのですよね!? 皆の奉仕は報われたんですよね!?」

 「お、落ち着いて。……はい、俺と一緒に深呼吸しよっか」

 ガッと肩を掴んでくる美花の腕を(つか)み、目を見つめながら大きく息をする。

 恥ずかしそうに目線を()らす美花も、地面を見つめて深呼吸をした。

 そして――()()ぐな瞳で見つめ返してくる。

 嘘偽りが感じられない程、真剣な色を帯びた迫力に戸惑うけど……。

 「日本は負けたよ。でも、今は平和で――」

 「――負けるはずがありません! そんなこと誰かに聞かれたら死刑……ぁ。ここは八十年後? いや、でも……っ!」

 美花は、(ひど)く取り乱し始めた。

 「いいから落ち着いて。今は一回、ゆっくり息して落ち着こうか」

 掴んでた美花の腕を離さない。

 せめて、雨で濡れるのだけでも防ごうと思い――美花を覆う様に立つ。