生まれ持った顔立ちを褒められることが多い。
「努力しなくてもいいねが貰えるなんて恵まれているわよね」なんて皮肉を言われても、私は傷つかない。だって私は、ちゃんと努力していいねを貰っているから。
昨日の夜にした入念なスキンケアのお陰で、今日も肌の調子はいい。
家を出る一時間半前には起きて、顔の浮腫みをとり、しっかりと土台からメイクをする。
濃くなりすぎないように調節して、あくまでナチュラルに盛れていると思わせる。
髪の毛はふんわりと大きく巻いて、前髪は巻きすぎないように注意。
「よし、今日もカンペキ」
鏡の前で自信をつけて、自分にもいいねをする。
毎日のルーティーンである写真を撮って、SNSに投稿。
こうすると、朝ご飯を食べている最中に沢山のいいねの通知が届く。
「ねーちゃん、また数字増えてるじゃん」
生意気な弟が、手首の数字を見て私に関心を向けた。
「すごいっしょ、昨日から213増えたんだよ」
「へー、さすがフォロワー3万人のインフルエンサーだね」
「3万なんてまだまだだけどね」
「いや、こんな田舎でそんだけフォロワーいたら十分でしょ」
「うーん…まあねー」
いいね残高を確認するのも、増やすことも、当たり前の日常で。
気が付くと、学校一のインフルエンサーになっていた。
「やば、時間だ。行ってきます!」
「ねーちゃん、今日夕飯カレーがいいー!」
「はーい!佑、ちゃんと遅れないように学校いくんだよ」
「分かってるって~」
海沿いにある無人駅。ここも今日は私しか使わない。
大人は大抵車で出勤するし、学生達も親に送迎してもらっているんだと思う。
古びた「夕凪駅」の看板を、ぼーっと眺める。こんなにも色褪せているのに、誰も新しいものに変えようとはしないのはなぜだろう。そんなことを考えていると、目の前の砂浜に男の子が立っているのが見えた。
…見たことない制服。
こんな田舎町には似合わない、なんだか窮屈そうな人。
海なんか見て、何してるんだろう。
もうすぐ電車来ちゃうけど、乗らないのかな。
そんなことを思っていると、アナウンスが鳴った。
『まもなく電車が到着します。線路から離れてお待ちください』
私は暑さに負けて、水筒を取り出して一口飲む。
その時だった。
浜辺にいる男の子が、海に向かって何かを投げたのが見えた。
「ケホッケホッ…え、何?何か投げた?」
驚いていると電車が到着し、流れるように乗り込む。
窓から見える彼の姿から、電車が動き出した後も、私は目が離せなかった。
…泣いてたよね。
遠くてうまく見えなかったけれど、あれはきっと泣いていたと思う。
朝からきれいな海を見て、涙が出るなんて。
どうしたんだろう。
私は、名前も知らない彼のことを、電車に揺られながら何度も考えた。
「結衣ちゃんおはよう!今日もかわいいね!」
「西野さん、今日もきれい…」
学校へ登校すると、勝手にいいね残高は増える。
これこそ、私が今まで少しずつ努力した結果。
中には、陰口を溢す人がいるみたいだけれど、そんな風に、いいね残高が減るようなことがあっても、笑っていられるようにと、努力していいねを貰ってきた。
写真を撮る女子や、互いに高めあう言葉を掛け合う男子。
教室に入ると、夏服への衣替えを終えた生徒たちで、なんだかキラキラしていた。
「結衣おはよ~」
「日和、おはよ~」
席が前後の小坂日和とは、一年生の頃から仲良しで、何でも話せる数少ない友達。
彼女のSNSのフォロワーは1万人。私の助言で、SNSを頑張るようになった。
「日和、今日も髪型可愛い!」
「結衣も、相変わらず肌ツヤよくて最高!」
私達は同時に自分の手首を見る。
これも、毎日のルーティーン。
「おおー、今日も1増えた~」
「大切な1いいねありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます。って、ほんと毎日おもうけどさ、そんなに数字あるのに、毎日この儀式してるの面白いよね」
日和は、私の手首を掴んで数字の桁を数える。
「えーっと、128,491LIKE。ほんとすごいよね、結衣って。私がこんな残高持ってたら、なーんにも気にせずに過ごすのに」
「言ったでしょ、いつ、何が起こるかわかんないんだから、私たちは毎日お互いにいいねを送ろうって!これは同盟だからね、毎日やらないと怒るから」
「分かってるって~、私は結衣のお陰でいいね残高稼いでるから、感謝してますよ!」
この数字は、自分の存在価値を表す。
左隣の席の陽キャな男子は、53、564LIKE。
端の席の静かな女子は、29,678LIKE。
話が長くて鬱陶しがられている担任でも、19,989LIKE。
人々はだいたい1万LIKE以上は常に持っていて、それ以下の人は見たことがない。
もし、以下の人がいたとしたら、それはもうとんでもない悪人か、生きることを諦めている人だ。
「よーし、じゃあみんな聞いてくれ。転校生を紹介する」
担任の唐突な言葉に、クラスはざわつく。
え、なに転校生…?
そんな噂あった?
聞いてない、聞いてない!
男子?女子?どっち!
俺、女がいいなー
そんな言葉が飛び交う中、転校生は静かに教室のドアを開けた。
あれさっき海にいた…泣いていた子、だよね…?
みんなと違う制服を着て、恥ずかしそうに俯いている。
今日から夏服なのに、ジャケットを着ているし、微妙に袖丈も体に合っていない。
前髪が長くて、目もよく見えないし、よそ者という言葉がよく似合う感じ。
「じゃあ、自己紹介して」
「瀬尾律です。よろしくお願いします」
短すぎる自己紹介に、担任も、私達も戸惑う。
「瀬尾くん、ほら、どこから来たとか、何が好きとか」
担任が声をかけると、彼は周りを静かに見渡した。
「…東京から来ました。好きなものは…海です」
「はい、拍手!」
担任の無理やりの拍手を誘う言葉に、クラスはまばらに応える。
私も、流れに沿って音にならない拍手を送った。
「西野!」
「はい?!」
突然名前を呼ばれ、動揺した声で返事をした。
「瀬尾くんの事、宜しくな」
「え…?」
「てことで、瀬尾くんの席は西野の隣。窓際の方でいいかな」
「はい」
「え、先生じゃあ俺は?」
「ひとつ後ろにズレるんだよ、ほら、移動しろ~」
「っちぇ、めんどくせ」
私の左隣の席が、陽キャな男子から、根暗な男子に替わった。
日和が小さなメモを私の机に置く。
——先生、結衣が人気者だから押し付けたんじゃない?
返事を書いてメモを渡す。
——どゆこと?何のために?
——お世話係。みんなの輪に入れろってことなんじゃない?瀬尾くん、なんか暗くて怖いから。
担任の話をまっすぐ聞いている瀬尾くんを、私は横目で見た。
確かに暗い。そもそも顔よく見えないし。
でも怖いというか…寂しそう?
そう思うのは、彼が唐突に現れたよそ者だからだろうか。
それとも、今朝の姿を見たからかな。
泣いていたことは、聞かない方がいいよね。
1限目の国語で、私は瀬尾くんに教科書を見せてあげることになった。
机をくっつけて授業をするなんて中学生ぶり。なんか、変な感じ。
「47ページ開いてください」
先生の声掛けで、ふたりの間にある教科書をめくる。
…!しまった
教科書の隅に書かれた犬の絵の落書き。
よりにもよって瀬尾くん側にある落書きを、私は慌てて隠す。
前回の授業中、つまらなくてひとりで遊んでいたんだった。
「…み、みた?」
「うん」
「ごめん、すぐ消す…!あ、でもこれ、パラパラ漫画…」
次も、その次のページにも犬の絵。
特別上手なわけでもないのに、恥ずかしい。
「消さなくていいよ」
「え」
「西野さんの教科書でしょ、別に消さなくていい」
「でも、下手くそだし、気が散るでしょ?」
私がそう言うと、瀬尾くんは教科書を私の手からするりと取り上げ、ページを素早くめくって見せた。
「上手だよ。ほら、ちゃんと動いてるように見える」
「…っ」
その姿がなんだかおかしくて、私は笑ってしまった。
「じゃあ、いっか。ごめんね」
「ううん」
瀬尾くんは、そのまま教科書をふたりの間に置いて、板書を始めた。
やっぱり、怖い人ではなさそう。
この出来事をきっかけに、私は瀬尾くんがどんな人か知りたいと思うようになった。
***
「あれ、瀬尾くん髪の毛切った?」
「うん、さすがに暑くて」
「いいね、すっきりした!それに夏服、制服やっと届いたんだ!」
「うん、昨日届いてた」
瀬尾くんが転校してきて1週間。
お世話係に任命された私がやったことと言えば、移動教室のついでに校内を案内したり、昼休みに話しかけるくらい。瀬尾くんはあまり人と群れるタイプではないみたいで、話していてもどことなく壁があるから、私も深くは踏み込まないようにしている。
「西野さん!呼ばれてるよ」
クラスの女子から声をかけられ、廊下を見てみると、複数人の女子生徒の姿があった。
「あ、あの私、西野さんのファンなんです!西野さんがいるから、この高校選びました!これ、受け取ってください!」
差し出されたものを受け取り、笑顔で応える。
「わーありがとう!うれしい!」
「写真とかって…」
「もちろん!撮ろ撮ろ」
「わーいありがとうございます!」
自分の席に戻って、貰ったものを開けてみると、ピンク色に煌めいたマニキュアと、星形のピン止めが入っていた。以前、SNSでピンクと星が好きだと書いたから、これを選んでくれたんだと思う。
「すっかり、ファンがついたよね」
日和は、私が貰ったマニキュアを手にしながらつぶやく。
「有難いよね、ほら、また増えたもん」
手首の数字を見ると、今朝確認した時よりも20LIKE増えている。
「結衣って本当にLIKEの数字に貪欲だよね~私も頑張らないとだ」
「…日和はそのままでいいよ」
SNSで有名になればなるほど、数字の変動は大きくなるもの。
芸能人やスポーツ選手などの常に人の目に触れている人たちは、いいねをする人が多い分、反対に、嫌う人も多い。些細な事で炎上している人もいるし、その一つの出来事が引き金になって0LIKEになる人もいる。
そんな危険な事するなんて間違っているって?
有名になんてならなくても、平凡に毎日友達と褒め合えばいいのにって?
確かに、以前の私はそう思っていた。
毎日自分で自分にいいねをして、限られた友達に優しくして、ありがとうと言われれば、何不自由なく一生を生きられるって。
——あんなところを見るまでは、本気でそう思っていた。
「ねえ、瀬尾くん!」
日和の声で、私はハッと我に返った。
本と向かい合っていた瀬尾くんは、突然話しかけられてとても驚いている。
「結衣、インフルエンサーなんだよ、知ってた?」
「知らなかった」
「しかも学校一のフォロワーの持ち主でさ、ほら、LIKEだってこんなにあるんだよ」
「ちょっと、日和いいって」
日和は私の手首を、瀬尾くんに見せる。
その瞬間、瀬尾くんはギョッと驚いた顔をした。
今まで誰にも向けられたことのない、拒絶の表情。
「…え?」
その表情に、どうやら日和も気が付いている様子。
「あれ、何でそんな顔するの?…なんかひどくない?」
「いいよ、日和。読書の邪魔してごめんね、瀬尾くん」
「…」
この数字を見ると、誰もが目を輝かせるものだと思っていた。
どうやったらそんなにいいねが貰えるのかと聞いてきたり、アドバイスを欲しがることが普通で。でも、瀬尾くんは、正反対の反応だった。
…どうして?
なんであんな表情するんだろう。
あの朝の浜辺で、何を海に向かって投げたのか、何で泣いていたのか。
瀬尾くんには聞きたいことがいくつかある。
お世話係として、一度ちゃんと話そう。
私は放課後、瀬尾くんに一緒に帰ろうと声をかけることにした。
***
ふとした瞬間に、思い出す風景がある。
授業を受けているとき、ご飯を食べているとき、本を読んでいるとき、スマホを触っているとき。その風景は、いつも突然私の頭に浮かんでくる。
とても怖くて、恐ろしくて、悲しくて、苦しい。何も出来ない自分の無力さに情けなくなって、手を伸ばせない自分に失望する。目の前に誰がいるかは分からない。けれど無性にいつも泣きたくなる。
「西野さん?」
「あっ…ごめん。えっと、なんだっけ」
「東京は窮屈だよって話」
「ああ、そうだ。私、憧れてるのにな、東京」
「なんで憧れるの?」
「だって、有名人が集まる場所でしょ。こんな田舎にいるよりも何にでもなれそうだし、それこそ、仕事の数も多そう。ほら、進路聞かれたでしょ担任に」
「ああ、確か提出、来週までだっけ」
「そう。私さ、自分が何したいのか分からないからさ、東京みたいに刺激的な街にでも行ったら、何か見つかるのかなって」
駅までの道のりを、ゆっくり歩く。
瀬尾くんは左手をポケットに入れて、右手でカバンを持っている。
自分の左側にいる私に当たらないように、そうしてくれているのかな、なんて思ったり。
夕凪駅で降りて、海沿いに腰を掛ける。
「瀬尾くんも、ここが最寄りなんだ」
「うん、ここから歩いて5分くらい」
「へ―、じゃあ家近いね、私は7分くらい」
「うん、知ってる。何度か見かけたから」
「え!話しかけてよ!恥ずかしいじゃん」
「西野さん、1人でいるの好きそうだからさ」
「なにそれ、初めて言われたよ」
「そう?じゃあ間違ってる?」
「…ま、間違ってはないけど」
「教室にいる時より、いい顔してたよ」
「みんなと居るの好きじゃないみたいな言い方やめてよ、どっちも好きだから!」
「ごめんごめん」
瀬尾くんは、靴と靴下を脱いで、カバンからビーチサンダルを取り出した。
「すごい、すっかりこの町の人じゃん」
私もカバンからビーチサンダルを出して見せた。
「海好きだからさ」
「自己紹介の時、言ってたよねそれ。なんで好きなの?」
海に向かって、ふたりで歩き出す。
折りあげられた制服の裾から見える足首が、細長くてきれい。
「海は、世界は広いっていう事実が可視化されている場所でしょ。だから、息詰まった時に見ると、ホッとするんだ」
「へえ。海にそんなこと思ったことなかったな。小さい頃から見ているからかな」
「それはあるかもね、僕は生まれは岐阜で、海がない街で育ったからさ、東京に引っ越して橋から見る海に驚いたよ」
「生まれは岐阜なんだ!いいな~温泉とかあるよね」
「あるよ、いい街だった」
瀬尾くんは何かを思い出しているように笑った。
大好きな海に、あの日、何を投げたのか。何で泣いていたのか。
…聞いてもいいのかな。
「あ、あのさ…ッうわ!!」
目の前にはいたずらっ子の顔をした瀬尾くん。
海の水を、私に向かって飛ばしてきた。
「ちょ、ちょっと!濡れたんだけど!」
「はは、こういうのやってみたかったんだよね」
「なにそれ、ほれ!」
初めて見る、瀬尾くんの笑顔。
目尻が垂れて、三日月みたいな目。
こんな風に笑うんだ。なんだか力が抜けそうになる。
瀬尾くんが髪の毛をかき上げた瞬間だった。
…え?
見えた手首の数字。『87LIKE』
…87?いや、見間違い?
私は思わず、瀬尾くんの左手首を掴んだ。
「え、ちょッ…」
「だめ、見せて」
瀬尾くんは、諦めたように、突然掴まれて強張った手の力を抜く。
「87…たった、これだけ…?」
嘘、嘘だ。
生徒から好かれていない担任だって、1万以上のLIKEは持っているこの世界で、こんな数字はありえない。瀬尾くんの顔を見上げると、居心地の悪そうな表情を浮かべて目を逸らす。
「…見られないようにしてたのに、油断した」
「暑くていつもより腕まくりしちゃってたからか、いや、海につかないようにしたせいかな。しまったな…」
瀬尾くんはぶつぶつと、私が聞きたいことではない話をする。
「そ、そんなのどうでもよくて…!なに、この数字。なんでこんなに少ないの…」
腕を掴んでいる手に力が入る。
そんな私の手を離しながら、瀬尾くんは低く冷たい声で応えた。
「逆に聞くけど、西野さんはどうしてそんなにLIKEが欲しいの?」
「え…?」
そんなの、決まっているじゃない。
それが、当たり前の世界で私たちは生きているんだから。
「そんなの、生きていたいからでしょ。だって、LIKEがゼロになったら、世界から消えちゃうんだよ?!」
「知ってるよ、そんなこと。でも、死ぬわけじゃない。肉体がなくなるわけじゃないよ」
「それは、そうだけど。でも、みんなから忘れられちゃうんだよ。今まで生きていた証が無くなっちゃう。それってすごく怖いことでしょう?」
「…そうかな。僕からしたら、大勢の人に愛されたいと思う方が、怖いよ」
「…?」
こんなにもLIKEが少ないのに、どうしてそんなことが言えるの?
存在が消失するまで、もうどれだけもないと言うのに、どうしてそんなに、余裕そうなの?
「全然分かんない。瀬尾くんが言ってること、全く分かんないよ」
「うん、僕も君には分からないと思う。僕と西野さんじゃ、たぶん見ているものが違うんだよ」
瀬尾くんは、左手首を隠しながら、砂浜に向かって歩き出した。
くるぶしまで浸かっている夏の海が、急に冷たく感じて、私はスカートの裾をギュッと握りしめる。寂しそうに見える瀬尾くんの背中に、手は伸ばせなかった。
***
いくら考えたって、瀬尾くんの言葉の意味が分からない。
大勢の人に愛されたいと思うことが怖い…?
だって、大勢の人に愛されて、認めてもらい続けないと、安心した明日は来ないじゃない。
何があってもいいように、LIKEを貯めておく。それは、存在の消失を怖がる毎日を過ごさないため。あんな風にならないための、当たり前の自己防衛よ。
小学6年生の冬。
家族旅行で訪れたスキー場で、目の前で人が消えていった。社会的存在の消失。目の当たりにしたのはその時が初めてだった。
いや、正確に言えば、見たはずなのに覚えてはいない。覚えているのは、怖くて恐ろしくて、悲しくて苦しい感情だけで。その人の姿形も、誰だったかも思い出せない。
その日を堺に私は、あんな風にはなりたくないという強い反抗心を抱くようになった。
だから、LIKEをより多く稼ぐ方法を学んで、実践して、努力して、インフルエンサーになった。誰かの記憶に、毎日残るように。みんなに、忘れられないように。
それらはすべて、安心して生きていくためで、存在価値を維持するためだ。
だから私は今日も、変わらず写真を撮って、SNSに投稿をする。いいねをもらって、LIKEを増やす。もちろん、自分にもいいねを忘れない。
「あれ、お父さん、今日仕事休みなの?」
「ああ、言ってなかったっけ?有給~」
「そっか、いいね!ゆっくりしてよね、毎日遅くまで頑張ってるんだから」
「結衣~、おまえはなんていい子に育ったんだ…父さん感動だよ」
「大げさ。あれ、佑は?」
「腹痛いってトイレ籠もってる」
「わ、朝から可哀想」
お父さんがいる朝は、少しソワソワする。
いつも仕事が忙しくて、私たちが起きる前にはもう仕事へ出かけているから、一緒に朝ご飯を食べるなんて滅多にない。
「佑…大丈夫?」
「うん…せっかく父ちゃんいるのに…くそ…」
トイレから出てきた佑に声をかけると、小声でそんなことを言うから、私は頭を撫でた。
小学4年生の佑は、小さい頃からお父さんが大好きで、仕事で帰りの遅いお父さんを起きて待っていようとする日がほとんどだった。そんな佑を寝かせることに、私はいつも必死で。全然寝てくれなくてイライラしたり、でも寝顔が可愛くてまあいいかと思えたり。
うちにはお母さんがいないから、私が佑のお母さん代わり。7歳離れているから、本当に子供みたいに思う時もある。
こんな、普通の家庭とは違ううちの家族が、私はとても大好きで、支え合える関係が心地いい。
「結衣、今日は父さんが夕飯作るから」
「えー、別にいいのに」
「いや、今日は休みだし!というかたまには、結衣も遊んできてもいいんだぞ?あんまり遅くなると心配だけどさ」
「うーん、分かった!放課後遊ぶことになったら、連絡するね」
「うん、行ってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
お父さんに見送られながら家を出るのは久しぶりで、やっぱりソワソワして、心がふわふわした。
「87…87かあ…」
夕凪駅に向かう道中、私は瀬尾くんの87LIKEの文字を思い出さずにはいられなかった。
「あ…」
少し前の角を、曲がってくる瀬尾くんの姿が見えた。思わず電柱に隠れる。
だって今会ったとしても、何話していいか分からない。頭の中、整理出来ていない。
結局教室で会うのに、私は色んな言い訳を頭で考えた。
夕凪駅は無人駅。この時間、利用する人はいつも私だけだったはずで。
そこに、今は瀬尾くんがいる。ほんと、なんか変な感じ。
私は駅から少し離れたところで、様子を伺った。
駅のアナウンスが流れる。
しばらくすると、赤い電車が近づいてくるのが見えた。電車が駅に到着し、ドアが開いた瞬間に走り出す。瀬尾くんとは別の車両に乗り込んだ。
「はあ…はあ…」
運動不足で息切れが早い。
まだ17歳なのに、すでに体力の衰えを感じる。
車両を繋ぐドアから瀬尾くんを探すと、空席が多いはずなのに、海側のドアに向かい合って立っていた。
本当に海が好きなんだな。
あ、イヤフォンしてる。
しかももう廃盤になっているコードタイプ。
瀬尾くん、音楽とか聞くんだ。
…何を聴いているんだろう。
そんなことを考えながら瀬尾くんの姿を見ていると、ふと自分があまりにも瀬尾くんを意識しすぎていることに気が付き、思わず首を振る。
今まで、恋愛なんて特に興味なんてなかったはずなのに、どうしてこんなに瀬尾くんのことが気になるんだろう。ただの転校生で、私はそのお世話係で。どこか壁があって、唯一無二の存在感で。ひとりでいることを好む一匹狼は、LIKEを87しか持っていなくて。
そうだ、あれだ。瀬尾くんが転校してきた日の1限目。私の落書きをみても、瀬尾くんは笑わなかった。ダサくて下手くそなのに、馬鹿にしなかった。そんなところが、優しくて、他の人とは違うと思った。そんな些細な優しさで、どんな人なんだろうって、この人を知りたいって思ったんだ。
瀬尾くんは優しい人。忘れられてもいいなんて思う、冷たい人じゃない。
もっと知りたい。
どうして、87LIKEしかないのに、余裕で居られるのか。
大勢の人に愛される方が怖いと言っていたけれど、瀬尾くんは、何を、どう感じる人なのか。
瀬尾くんのすべてを、知りたい。
もし、生きることに執着していなくて、LIKEがゼロになることを簡単に受け入れてしまえる人なら、私が手を繋いで、引き止めていられないだろうか。
私は自分の手のひらを見て、昨日掴んだ瀬尾くんの左手首を思い出した。
色づいていない爪をなぞって、手を握り締めた。
「日和、ちょっと来て」
「え、なに」
教室に向かっている途中で、日和の後ろ姿が見えた。私は肩を叩き、半ば強引に日和を空き教室に連れていく。
「どうしたどうした」
「これ…」
「お、1年から貰ったマニキュアじゃん、どうしたの」
「その…塗ってほしくて」
「え!結衣、ネイル苦手だったじゃん!ほら、普段料理するからとか言って頑なにしなかったのに。急にどうしたの」
「んー、ちょっとでも可愛く?勝率上げたくて」
「ん?なんの勝率?あ、LIKEの話?いいよ、結衣はもう十分人気者なんだから~」
「…」
恋愛で好きと分かったわけではないのに、「好き」と言葉にするのは違うし…と困っていると、日和は私の腕を引っ張って、席に座らせた。
ピンクのキラキラしたネイルを開けて、ゆっくり私の爪に塗っていく。
「なーに、なんかあったの」
爪に視線を落としながら、日和は優しい声を出した。
日和のその声で聞かれると、私はいつも素直になりたくなる。
「…瀬尾くんのLIKE残高を見ちゃって」
「ほうほう…え、それの何に悩んでるの?」
「その残高がね」
「残高が…?」
「…87LIKEだったの」
私の言葉に、日和はピタリと動きを止める。ゆっくりと顔を上げる日和は、ありえないと言った疑いの表情を浮かべていた。
「見間違い?」
「ううん、確認した。ちゃんと87だった」
「え、え、それって、もうやばいじゃん、時間ないってことだよね」
「そう。LIKEを稼いで、残高増やしてそうな素振りもないしさ、てかきっと増やしてないと思うし」
「87ってことは…約2か月か。今からだと9月入るころにはもう…」
「うん、そういう事になるよね」
「え、どういうことだ。本人には?聞いたの?」
「うん、そうしたらね、逆にどうして西野さんはそんなにLIKEが欲しいのかって聞かれて」
「はー?なにそれ、質問返しだる」
日和は私の爪の続きを塗り始める。
どことなく感じていたけれど、日和は瀬尾くんをよく思っていない。日和は自由気ままで表裏のない性格だから、瀬尾くんのように何を考えているか分からない人が嫌いなんだと思う。
「それで、生きた証が消えるのは怖いことでしょって言ったら、大勢の人に愛されたいと思う方が怖いって言われたの」
「…なにそれ、全然意味わかんないんだけど」
「そうなの、意味わかんないの」
「なにあいつ…いけ好かんなー」
「それでさ、」
塗り終わった左手の爪を見ると、細かい粒子が光に反射してキラキラしている。
こんな風に私が輝いていたら、瀬尾くんは私と出会った今の人生を、手放したくないと思ってくれるだろうか。
「瀬尾くんのLIKEを増やすことに協力してほしくて」
「…え?」
日和はまた、ありえないと言う疑問の表情を浮かべて私を見つめた。
教室に入ると、瀬尾くんはいつものように読書をしていた。誰とも群れずにたったひとりで。
「瀬尾くん!」
「西野さん…おはよう」
「おはよう!」
昨日の出来事で、流石の瀬尾くんも少し気まずそう。
でも、そんなこと言っていられないの。
だってじゃないと、瀬尾くんと一緒に夏が過ごせないんだから。
「ねえ、見て!ネイルしたんだ!」
キラキラ光る爪。これをかわいいと褒めない人はいないはず。
さあ、可愛いと褒めてみて。そうしたら、ありがとうって感謝を込めて言葉にするから。
これで、1LIKE貯まるはずよ。
「…うん、ほんとだ」
「…え」
…それだけ?!
瀬尾くんは自分の手元に視線を戻して、読書を続けた。
私は日和に回収され、前を向いて席に座る。すると、日和からメモが回ってきた。
——なにあいつ。相手を褒めないようにしてるとか?褒めたら、ありがとうって返ってくるから。どんだけLIKE貯めたくないんだろ。
何を思っているか、何を感じているのかなんて、私には分からない。
けれど、もう少しでLIKEがゼロになるって知っているのに、何もしないでいるなんてこと、できるわけないじゃない。私は君と、この夏を越えたいの。
***
・英語の時間。
「瀬尾くん、先生がプリント配っておいてってさ。手伝ってくれる?」
「いいよ」
「あ、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「うん」
しばらく廊下で時間を潰して、教室に入る。
「みんな!瀬尾くんがプリント配ってくれたよー!」
少し大きい声を出す。すると、日和がすかさず便乗する。
「おー瀬尾くんありがとう!りょう~英語あんたの担当でしょ、ほらありがとう言いな!」
「え、あ、ありがとう」
「瀬尾くん、ありがとー!」
「ありがとー!」
「え…いや…はい」
瀬尾くんは戸惑いながらも、ぺこりと会釈をした。
・ホームルームの時間。
「えー、誰か週末のボランティア活動参加してくれる奴いないか?」
「えー、めんどくせー」
「むり、予定ありますー」
担任が困っている。私はすっと手を上げた。
「はい!私と、瀬尾くんが参加します!」
「え、ちょ、西野さん…?」
戸惑っている瀬尾くんなんてお構いなしに、日和がすかさず発言する。
「結衣は言うまでもないけど、瀬尾くんならおばあちゃんたちにも好かれそうじゃない?クラスを代表してボランティア活動しても、恥ずかしくないって言うか!」
すると、担任やクラスメイト達は共感の言葉を発した。
「確かに!瀬尾くんなら優しいしね!」
「うるさい奴が行ってもかえって失礼になるし、瀬尾くんいいと思う!」
「確かにそうだな…瀬尾、どうだ」
クラス中から注目を集めた瀬尾くんは、少し俯いて、小さく「やります」と答えた。
・ボランティア活動の日。
「今日は本当にありがとうございました。皆さんに来ていただいて、利用者のみなさんもとても嬉しそうで、特に瀬尾くん。山口さんは来週も君に来てほしいと言っていましたよ」
ホームヘルパーの職員の言葉に、拍手が起こる。
隣の瀬尾くんは、少し照れていて、恥ずかしそうだった。
「山口さん、瀬尾くんにだけなんだって、あんなに笑顔になるの。山口さんには瀬尾くんがひつようなんだね。すごいよ」
帰り道、私がそう言うと、瀬尾くんは少し困った表情を浮かべていた。
夕凪駅の自販機でオレンジジュースを買って、慣れた手つきでビーチサンダルに履き替え、夕日が沈む海をふたりで見つめる。
お父さんに連絡をすると、「今日は早く帰れそうだから、ご飯は父さんが作るよ」と返事が来た。だから私は今日、初めて夕日が沈むまで外に居られる。
「西野さんさ」
「なに?」
「そろそろやめてくれる?僕のLIKEが増えるようにするの」
「…やっぱ気づいてた?」
「うん、普通に気が付くよ。それに、ほら。おかげさまでこんなに増えた」
瀬尾くんは左手首を、私に見せる。
『126LIKE』
…あれ、もっといっていると思っていたのに。
まあでも、一旦、9月は一緒に越せることが確定したってことだよね。
こうやって増やしていけば、瀬尾くんが消えちゃうなんてことは防げるんだ。
「ねえ、そういえば、ずっと聞きたかったことがあるの」
「なに?」
「瀬尾くんが転校してきた日の朝、ここで海を見てる瀬尾くんのこと、駅のホームから見かけたの。あの時、海に何を投げたの?」
「…」
「言いたくないことだったら無理に言わなくてもいいんだけどさ。瀬尾くんって、LIKEを稼ぐことを嫌っているでしょう?私にはどうしてもその理由が分からなくて。大勢に愛されたいと思うことの方が怖いって言った意味も、やっぱり私には分からなくてさ。…その、知りたくて。瀬尾くんが考えていること」
瀬尾くんは、私の言葉を静かに聞いて、カバンから何かを取り出した。
それを、手のひらに出して見せてくれる。
「イチゴのヘアピン…?」
「うん。これを、あの日投げようとした。でも出来なくて、結局ここにある」
「これは…」
「妹がいつも付けてるやつ」
「妹居たんだ」
「うん。いる。でも僕らは、異母兄弟なんだ。僕が小3の頃に、母親になるって紹介された人の足に引っ付いてる妹と会ったのが最初。7つ離れてるから、ちっちゃくて可愛くてさ。でも性格はすごく大人びてて、いつもおとなしくて。なのにこのヘアピンがお気に入りなところは年相応で。ほんと、可愛くて」
「ふふ、可愛いね。うちも7つ離れてる弟いるから、なんか分かるかも。生意気だけど、可愛いんだよね」
「うん、すごく、大事な存在だった」
「だった…?」
瀬尾くんがこれからいう言葉が、なんだか分かる気がして。喉の奥が熱くなりそう。
「消えたんだ。LIKE残高がゼロになったから」
「え…」
「西野さんが今思ったこと、僕分かるよ。『どうして妹が消えたって分かるの』だよね。LIKE制度の基本ルールには、LIKE不足になった人は人々の記憶から消えて、最初から存在しなかったことになるって記載されてるし、実際にさ、両親は妹のこと何も覚えていなんだ」
「…」
「でも、兄の僕は覚えてる。両親に言われたことあるよ、夢でもみたんじゃない?って。でもそんなわけがないんだ。ふたりで留守番した日も分け合ったアイスも、作ってあげたオムライスも、結ってあげたポニーテールもちゃんと、鮮明に覚えているから」
「そ…そんなことってあるの…だって…」
あの冬のスキー場で感じた感情が一気に押し寄せてくる。
何もできなかった無力さと、手を伸ばせなかった情けなさ。
覚えていられる方法があるっていうの…?
私は出来なかったのに、瀬尾くんは覚えていられるの?
「どうやらあるみたいだ。僕がその証人。これも、妹から届いたものだし」
瀬尾くんはイチゴのヘアピンをもう一度私に見せる。
「届いたって…」
「正確に言えば、政府からなんだけどね。妹が消えてからしばらくした時、手紙が来たんだ。どうやら世界で数人、僕みたいな人がいるみたいで、まだ研究段階だって書いてあった。だから、今僕も協力してる。その代わりに、妹との文通を許してもらった」
「文通って、あのLIKEを失った人が集まる『再出発地区』とってこと?」
「その通り。妹は今そこで暮らしてるからね。形見って言ったらあれだけど、覚えているからって会えるわけではないから、これ貰ったんだ。たまに、全部僕の夢で、ほんとは妹なんていないんじゃないかって気持ちに苛まれることがあってさ、その度にこれを見て、現実に戻るんだ」
「じゃあなんで、海に投げようと…」
夕日が、今にも沈みそうで、だんだんと辺りが暗くなってきた。
私が見つめる瀬尾くんの目には、オレンジの光がきれいに見える。
「再出発、するんだってさ。僕が覚えていたことで、他の人より早く、新しい環境で暮らせるみたいで。『覚えていてなんて言わない。忘れてもいいからね』だってさ。最後に来た手紙にそう書かれてたから、ムカついちゃって。妹が大好きだった海に捨ててやろうって思った。…まあ結局、出来なかったんだけど」
瀬尾くんがあまりに苦しそうに話すから、喉の奥の熱さに耐え切れなくなってしまった。
私は気づかれないように、静かに涙を流す。
あの朝の日、やっぱり瀬尾くんは泣いていたんだ。
大好きな妹さんを想って。
「妹さんの名前は?」
「莉音(りおん)」
「瀬尾莉音ちゃん…いい名前だね」
「うん、可愛い奴だよ」
その日、私たちは夕日が沈む瞬間をふたりで見届けた。
瀬尾くんの右手に重ねた左手は、同情か慰めか、自分でも分からない。
ただ、君までいなくならないでと、願わずにはいられなかった。
「努力しなくてもいいねが貰えるなんて恵まれているわよね」なんて皮肉を言われても、私は傷つかない。だって私は、ちゃんと努力していいねを貰っているから。
昨日の夜にした入念なスキンケアのお陰で、今日も肌の調子はいい。
家を出る一時間半前には起きて、顔の浮腫みをとり、しっかりと土台からメイクをする。
濃くなりすぎないように調節して、あくまでナチュラルに盛れていると思わせる。
髪の毛はふんわりと大きく巻いて、前髪は巻きすぎないように注意。
「よし、今日もカンペキ」
鏡の前で自信をつけて、自分にもいいねをする。
毎日のルーティーンである写真を撮って、SNSに投稿。
こうすると、朝ご飯を食べている最中に沢山のいいねの通知が届く。
「ねーちゃん、また数字増えてるじゃん」
生意気な弟が、手首の数字を見て私に関心を向けた。
「すごいっしょ、昨日から213増えたんだよ」
「へー、さすがフォロワー3万人のインフルエンサーだね」
「3万なんてまだまだだけどね」
「いや、こんな田舎でそんだけフォロワーいたら十分でしょ」
「うーん…まあねー」
いいね残高を確認するのも、増やすことも、当たり前の日常で。
気が付くと、学校一のインフルエンサーになっていた。
「やば、時間だ。行ってきます!」
「ねーちゃん、今日夕飯カレーがいいー!」
「はーい!佑、ちゃんと遅れないように学校いくんだよ」
「分かってるって~」
海沿いにある無人駅。ここも今日は私しか使わない。
大人は大抵車で出勤するし、学生達も親に送迎してもらっているんだと思う。
古びた「夕凪駅」の看板を、ぼーっと眺める。こんなにも色褪せているのに、誰も新しいものに変えようとはしないのはなぜだろう。そんなことを考えていると、目の前の砂浜に男の子が立っているのが見えた。
…見たことない制服。
こんな田舎町には似合わない、なんだか窮屈そうな人。
海なんか見て、何してるんだろう。
もうすぐ電車来ちゃうけど、乗らないのかな。
そんなことを思っていると、アナウンスが鳴った。
『まもなく電車が到着します。線路から離れてお待ちください』
私は暑さに負けて、水筒を取り出して一口飲む。
その時だった。
浜辺にいる男の子が、海に向かって何かを投げたのが見えた。
「ケホッケホッ…え、何?何か投げた?」
驚いていると電車が到着し、流れるように乗り込む。
窓から見える彼の姿から、電車が動き出した後も、私は目が離せなかった。
…泣いてたよね。
遠くてうまく見えなかったけれど、あれはきっと泣いていたと思う。
朝からきれいな海を見て、涙が出るなんて。
どうしたんだろう。
私は、名前も知らない彼のことを、電車に揺られながら何度も考えた。
「結衣ちゃんおはよう!今日もかわいいね!」
「西野さん、今日もきれい…」
学校へ登校すると、勝手にいいね残高は増える。
これこそ、私が今まで少しずつ努力した結果。
中には、陰口を溢す人がいるみたいだけれど、そんな風に、いいね残高が減るようなことがあっても、笑っていられるようにと、努力していいねを貰ってきた。
写真を撮る女子や、互いに高めあう言葉を掛け合う男子。
教室に入ると、夏服への衣替えを終えた生徒たちで、なんだかキラキラしていた。
「結衣おはよ~」
「日和、おはよ~」
席が前後の小坂日和とは、一年生の頃から仲良しで、何でも話せる数少ない友達。
彼女のSNSのフォロワーは1万人。私の助言で、SNSを頑張るようになった。
「日和、今日も髪型可愛い!」
「結衣も、相変わらず肌ツヤよくて最高!」
私達は同時に自分の手首を見る。
これも、毎日のルーティーン。
「おおー、今日も1増えた~」
「大切な1いいねありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます。って、ほんと毎日おもうけどさ、そんなに数字あるのに、毎日この儀式してるの面白いよね」
日和は、私の手首を掴んで数字の桁を数える。
「えーっと、128,491LIKE。ほんとすごいよね、結衣って。私がこんな残高持ってたら、なーんにも気にせずに過ごすのに」
「言ったでしょ、いつ、何が起こるかわかんないんだから、私たちは毎日お互いにいいねを送ろうって!これは同盟だからね、毎日やらないと怒るから」
「分かってるって~、私は結衣のお陰でいいね残高稼いでるから、感謝してますよ!」
この数字は、自分の存在価値を表す。
左隣の席の陽キャな男子は、53、564LIKE。
端の席の静かな女子は、29,678LIKE。
話が長くて鬱陶しがられている担任でも、19,989LIKE。
人々はだいたい1万LIKE以上は常に持っていて、それ以下の人は見たことがない。
もし、以下の人がいたとしたら、それはもうとんでもない悪人か、生きることを諦めている人だ。
「よーし、じゃあみんな聞いてくれ。転校生を紹介する」
担任の唐突な言葉に、クラスはざわつく。
え、なに転校生…?
そんな噂あった?
聞いてない、聞いてない!
男子?女子?どっち!
俺、女がいいなー
そんな言葉が飛び交う中、転校生は静かに教室のドアを開けた。
あれさっき海にいた…泣いていた子、だよね…?
みんなと違う制服を着て、恥ずかしそうに俯いている。
今日から夏服なのに、ジャケットを着ているし、微妙に袖丈も体に合っていない。
前髪が長くて、目もよく見えないし、よそ者という言葉がよく似合う感じ。
「じゃあ、自己紹介して」
「瀬尾律です。よろしくお願いします」
短すぎる自己紹介に、担任も、私達も戸惑う。
「瀬尾くん、ほら、どこから来たとか、何が好きとか」
担任が声をかけると、彼は周りを静かに見渡した。
「…東京から来ました。好きなものは…海です」
「はい、拍手!」
担任の無理やりの拍手を誘う言葉に、クラスはまばらに応える。
私も、流れに沿って音にならない拍手を送った。
「西野!」
「はい?!」
突然名前を呼ばれ、動揺した声で返事をした。
「瀬尾くんの事、宜しくな」
「え…?」
「てことで、瀬尾くんの席は西野の隣。窓際の方でいいかな」
「はい」
「え、先生じゃあ俺は?」
「ひとつ後ろにズレるんだよ、ほら、移動しろ~」
「っちぇ、めんどくせ」
私の左隣の席が、陽キャな男子から、根暗な男子に替わった。
日和が小さなメモを私の机に置く。
——先生、結衣が人気者だから押し付けたんじゃない?
返事を書いてメモを渡す。
——どゆこと?何のために?
——お世話係。みんなの輪に入れろってことなんじゃない?瀬尾くん、なんか暗くて怖いから。
担任の話をまっすぐ聞いている瀬尾くんを、私は横目で見た。
確かに暗い。そもそも顔よく見えないし。
でも怖いというか…寂しそう?
そう思うのは、彼が唐突に現れたよそ者だからだろうか。
それとも、今朝の姿を見たからかな。
泣いていたことは、聞かない方がいいよね。
1限目の国語で、私は瀬尾くんに教科書を見せてあげることになった。
机をくっつけて授業をするなんて中学生ぶり。なんか、変な感じ。
「47ページ開いてください」
先生の声掛けで、ふたりの間にある教科書をめくる。
…!しまった
教科書の隅に書かれた犬の絵の落書き。
よりにもよって瀬尾くん側にある落書きを、私は慌てて隠す。
前回の授業中、つまらなくてひとりで遊んでいたんだった。
「…み、みた?」
「うん」
「ごめん、すぐ消す…!あ、でもこれ、パラパラ漫画…」
次も、その次のページにも犬の絵。
特別上手なわけでもないのに、恥ずかしい。
「消さなくていいよ」
「え」
「西野さんの教科書でしょ、別に消さなくていい」
「でも、下手くそだし、気が散るでしょ?」
私がそう言うと、瀬尾くんは教科書を私の手からするりと取り上げ、ページを素早くめくって見せた。
「上手だよ。ほら、ちゃんと動いてるように見える」
「…っ」
その姿がなんだかおかしくて、私は笑ってしまった。
「じゃあ、いっか。ごめんね」
「ううん」
瀬尾くんは、そのまま教科書をふたりの間に置いて、板書を始めた。
やっぱり、怖い人ではなさそう。
この出来事をきっかけに、私は瀬尾くんがどんな人か知りたいと思うようになった。
***
「あれ、瀬尾くん髪の毛切った?」
「うん、さすがに暑くて」
「いいね、すっきりした!それに夏服、制服やっと届いたんだ!」
「うん、昨日届いてた」
瀬尾くんが転校してきて1週間。
お世話係に任命された私がやったことと言えば、移動教室のついでに校内を案内したり、昼休みに話しかけるくらい。瀬尾くんはあまり人と群れるタイプではないみたいで、話していてもどことなく壁があるから、私も深くは踏み込まないようにしている。
「西野さん!呼ばれてるよ」
クラスの女子から声をかけられ、廊下を見てみると、複数人の女子生徒の姿があった。
「あ、あの私、西野さんのファンなんです!西野さんがいるから、この高校選びました!これ、受け取ってください!」
差し出されたものを受け取り、笑顔で応える。
「わーありがとう!うれしい!」
「写真とかって…」
「もちろん!撮ろ撮ろ」
「わーいありがとうございます!」
自分の席に戻って、貰ったものを開けてみると、ピンク色に煌めいたマニキュアと、星形のピン止めが入っていた。以前、SNSでピンクと星が好きだと書いたから、これを選んでくれたんだと思う。
「すっかり、ファンがついたよね」
日和は、私が貰ったマニキュアを手にしながらつぶやく。
「有難いよね、ほら、また増えたもん」
手首の数字を見ると、今朝確認した時よりも20LIKE増えている。
「結衣って本当にLIKEの数字に貪欲だよね~私も頑張らないとだ」
「…日和はそのままでいいよ」
SNSで有名になればなるほど、数字の変動は大きくなるもの。
芸能人やスポーツ選手などの常に人の目に触れている人たちは、いいねをする人が多い分、反対に、嫌う人も多い。些細な事で炎上している人もいるし、その一つの出来事が引き金になって0LIKEになる人もいる。
そんな危険な事するなんて間違っているって?
有名になんてならなくても、平凡に毎日友達と褒め合えばいいのにって?
確かに、以前の私はそう思っていた。
毎日自分で自分にいいねをして、限られた友達に優しくして、ありがとうと言われれば、何不自由なく一生を生きられるって。
——あんなところを見るまでは、本気でそう思っていた。
「ねえ、瀬尾くん!」
日和の声で、私はハッと我に返った。
本と向かい合っていた瀬尾くんは、突然話しかけられてとても驚いている。
「結衣、インフルエンサーなんだよ、知ってた?」
「知らなかった」
「しかも学校一のフォロワーの持ち主でさ、ほら、LIKEだってこんなにあるんだよ」
「ちょっと、日和いいって」
日和は私の手首を、瀬尾くんに見せる。
その瞬間、瀬尾くんはギョッと驚いた顔をした。
今まで誰にも向けられたことのない、拒絶の表情。
「…え?」
その表情に、どうやら日和も気が付いている様子。
「あれ、何でそんな顔するの?…なんかひどくない?」
「いいよ、日和。読書の邪魔してごめんね、瀬尾くん」
「…」
この数字を見ると、誰もが目を輝かせるものだと思っていた。
どうやったらそんなにいいねが貰えるのかと聞いてきたり、アドバイスを欲しがることが普通で。でも、瀬尾くんは、正反対の反応だった。
…どうして?
なんであんな表情するんだろう。
あの朝の浜辺で、何を海に向かって投げたのか、何で泣いていたのか。
瀬尾くんには聞きたいことがいくつかある。
お世話係として、一度ちゃんと話そう。
私は放課後、瀬尾くんに一緒に帰ろうと声をかけることにした。
***
ふとした瞬間に、思い出す風景がある。
授業を受けているとき、ご飯を食べているとき、本を読んでいるとき、スマホを触っているとき。その風景は、いつも突然私の頭に浮かんでくる。
とても怖くて、恐ろしくて、悲しくて、苦しい。何も出来ない自分の無力さに情けなくなって、手を伸ばせない自分に失望する。目の前に誰がいるかは分からない。けれど無性にいつも泣きたくなる。
「西野さん?」
「あっ…ごめん。えっと、なんだっけ」
「東京は窮屈だよって話」
「ああ、そうだ。私、憧れてるのにな、東京」
「なんで憧れるの?」
「だって、有名人が集まる場所でしょ。こんな田舎にいるよりも何にでもなれそうだし、それこそ、仕事の数も多そう。ほら、進路聞かれたでしょ担任に」
「ああ、確か提出、来週までだっけ」
「そう。私さ、自分が何したいのか分からないからさ、東京みたいに刺激的な街にでも行ったら、何か見つかるのかなって」
駅までの道のりを、ゆっくり歩く。
瀬尾くんは左手をポケットに入れて、右手でカバンを持っている。
自分の左側にいる私に当たらないように、そうしてくれているのかな、なんて思ったり。
夕凪駅で降りて、海沿いに腰を掛ける。
「瀬尾くんも、ここが最寄りなんだ」
「うん、ここから歩いて5分くらい」
「へ―、じゃあ家近いね、私は7分くらい」
「うん、知ってる。何度か見かけたから」
「え!話しかけてよ!恥ずかしいじゃん」
「西野さん、1人でいるの好きそうだからさ」
「なにそれ、初めて言われたよ」
「そう?じゃあ間違ってる?」
「…ま、間違ってはないけど」
「教室にいる時より、いい顔してたよ」
「みんなと居るの好きじゃないみたいな言い方やめてよ、どっちも好きだから!」
「ごめんごめん」
瀬尾くんは、靴と靴下を脱いで、カバンからビーチサンダルを取り出した。
「すごい、すっかりこの町の人じゃん」
私もカバンからビーチサンダルを出して見せた。
「海好きだからさ」
「自己紹介の時、言ってたよねそれ。なんで好きなの?」
海に向かって、ふたりで歩き出す。
折りあげられた制服の裾から見える足首が、細長くてきれい。
「海は、世界は広いっていう事実が可視化されている場所でしょ。だから、息詰まった時に見ると、ホッとするんだ」
「へえ。海にそんなこと思ったことなかったな。小さい頃から見ているからかな」
「それはあるかもね、僕は生まれは岐阜で、海がない街で育ったからさ、東京に引っ越して橋から見る海に驚いたよ」
「生まれは岐阜なんだ!いいな~温泉とかあるよね」
「あるよ、いい街だった」
瀬尾くんは何かを思い出しているように笑った。
大好きな海に、あの日、何を投げたのか。何で泣いていたのか。
…聞いてもいいのかな。
「あ、あのさ…ッうわ!!」
目の前にはいたずらっ子の顔をした瀬尾くん。
海の水を、私に向かって飛ばしてきた。
「ちょ、ちょっと!濡れたんだけど!」
「はは、こういうのやってみたかったんだよね」
「なにそれ、ほれ!」
初めて見る、瀬尾くんの笑顔。
目尻が垂れて、三日月みたいな目。
こんな風に笑うんだ。なんだか力が抜けそうになる。
瀬尾くんが髪の毛をかき上げた瞬間だった。
…え?
見えた手首の数字。『87LIKE』
…87?いや、見間違い?
私は思わず、瀬尾くんの左手首を掴んだ。
「え、ちょッ…」
「だめ、見せて」
瀬尾くんは、諦めたように、突然掴まれて強張った手の力を抜く。
「87…たった、これだけ…?」
嘘、嘘だ。
生徒から好かれていない担任だって、1万以上のLIKEは持っているこの世界で、こんな数字はありえない。瀬尾くんの顔を見上げると、居心地の悪そうな表情を浮かべて目を逸らす。
「…見られないようにしてたのに、油断した」
「暑くていつもより腕まくりしちゃってたからか、いや、海につかないようにしたせいかな。しまったな…」
瀬尾くんはぶつぶつと、私が聞きたいことではない話をする。
「そ、そんなのどうでもよくて…!なに、この数字。なんでこんなに少ないの…」
腕を掴んでいる手に力が入る。
そんな私の手を離しながら、瀬尾くんは低く冷たい声で応えた。
「逆に聞くけど、西野さんはどうしてそんなにLIKEが欲しいの?」
「え…?」
そんなの、決まっているじゃない。
それが、当たり前の世界で私たちは生きているんだから。
「そんなの、生きていたいからでしょ。だって、LIKEがゼロになったら、世界から消えちゃうんだよ?!」
「知ってるよ、そんなこと。でも、死ぬわけじゃない。肉体がなくなるわけじゃないよ」
「それは、そうだけど。でも、みんなから忘れられちゃうんだよ。今まで生きていた証が無くなっちゃう。それってすごく怖いことでしょう?」
「…そうかな。僕からしたら、大勢の人に愛されたいと思う方が、怖いよ」
「…?」
こんなにもLIKEが少ないのに、どうしてそんなことが言えるの?
存在が消失するまで、もうどれだけもないと言うのに、どうしてそんなに、余裕そうなの?
「全然分かんない。瀬尾くんが言ってること、全く分かんないよ」
「うん、僕も君には分からないと思う。僕と西野さんじゃ、たぶん見ているものが違うんだよ」
瀬尾くんは、左手首を隠しながら、砂浜に向かって歩き出した。
くるぶしまで浸かっている夏の海が、急に冷たく感じて、私はスカートの裾をギュッと握りしめる。寂しそうに見える瀬尾くんの背中に、手は伸ばせなかった。
***
いくら考えたって、瀬尾くんの言葉の意味が分からない。
大勢の人に愛されたいと思うことが怖い…?
だって、大勢の人に愛されて、認めてもらい続けないと、安心した明日は来ないじゃない。
何があってもいいように、LIKEを貯めておく。それは、存在の消失を怖がる毎日を過ごさないため。あんな風にならないための、当たり前の自己防衛よ。
小学6年生の冬。
家族旅行で訪れたスキー場で、目の前で人が消えていった。社会的存在の消失。目の当たりにしたのはその時が初めてだった。
いや、正確に言えば、見たはずなのに覚えてはいない。覚えているのは、怖くて恐ろしくて、悲しくて苦しい感情だけで。その人の姿形も、誰だったかも思い出せない。
その日を堺に私は、あんな風にはなりたくないという強い反抗心を抱くようになった。
だから、LIKEをより多く稼ぐ方法を学んで、実践して、努力して、インフルエンサーになった。誰かの記憶に、毎日残るように。みんなに、忘れられないように。
それらはすべて、安心して生きていくためで、存在価値を維持するためだ。
だから私は今日も、変わらず写真を撮って、SNSに投稿をする。いいねをもらって、LIKEを増やす。もちろん、自分にもいいねを忘れない。
「あれ、お父さん、今日仕事休みなの?」
「ああ、言ってなかったっけ?有給~」
「そっか、いいね!ゆっくりしてよね、毎日遅くまで頑張ってるんだから」
「結衣~、おまえはなんていい子に育ったんだ…父さん感動だよ」
「大げさ。あれ、佑は?」
「腹痛いってトイレ籠もってる」
「わ、朝から可哀想」
お父さんがいる朝は、少しソワソワする。
いつも仕事が忙しくて、私たちが起きる前にはもう仕事へ出かけているから、一緒に朝ご飯を食べるなんて滅多にない。
「佑…大丈夫?」
「うん…せっかく父ちゃんいるのに…くそ…」
トイレから出てきた佑に声をかけると、小声でそんなことを言うから、私は頭を撫でた。
小学4年生の佑は、小さい頃からお父さんが大好きで、仕事で帰りの遅いお父さんを起きて待っていようとする日がほとんどだった。そんな佑を寝かせることに、私はいつも必死で。全然寝てくれなくてイライラしたり、でも寝顔が可愛くてまあいいかと思えたり。
うちにはお母さんがいないから、私が佑のお母さん代わり。7歳離れているから、本当に子供みたいに思う時もある。
こんな、普通の家庭とは違ううちの家族が、私はとても大好きで、支え合える関係が心地いい。
「結衣、今日は父さんが夕飯作るから」
「えー、別にいいのに」
「いや、今日は休みだし!というかたまには、結衣も遊んできてもいいんだぞ?あんまり遅くなると心配だけどさ」
「うーん、分かった!放課後遊ぶことになったら、連絡するね」
「うん、行ってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
お父さんに見送られながら家を出るのは久しぶりで、やっぱりソワソワして、心がふわふわした。
「87…87かあ…」
夕凪駅に向かう道中、私は瀬尾くんの87LIKEの文字を思い出さずにはいられなかった。
「あ…」
少し前の角を、曲がってくる瀬尾くんの姿が見えた。思わず電柱に隠れる。
だって今会ったとしても、何話していいか分からない。頭の中、整理出来ていない。
結局教室で会うのに、私は色んな言い訳を頭で考えた。
夕凪駅は無人駅。この時間、利用する人はいつも私だけだったはずで。
そこに、今は瀬尾くんがいる。ほんと、なんか変な感じ。
私は駅から少し離れたところで、様子を伺った。
駅のアナウンスが流れる。
しばらくすると、赤い電車が近づいてくるのが見えた。電車が駅に到着し、ドアが開いた瞬間に走り出す。瀬尾くんとは別の車両に乗り込んだ。
「はあ…はあ…」
運動不足で息切れが早い。
まだ17歳なのに、すでに体力の衰えを感じる。
車両を繋ぐドアから瀬尾くんを探すと、空席が多いはずなのに、海側のドアに向かい合って立っていた。
本当に海が好きなんだな。
あ、イヤフォンしてる。
しかももう廃盤になっているコードタイプ。
瀬尾くん、音楽とか聞くんだ。
…何を聴いているんだろう。
そんなことを考えながら瀬尾くんの姿を見ていると、ふと自分があまりにも瀬尾くんを意識しすぎていることに気が付き、思わず首を振る。
今まで、恋愛なんて特に興味なんてなかったはずなのに、どうしてこんなに瀬尾くんのことが気になるんだろう。ただの転校生で、私はそのお世話係で。どこか壁があって、唯一無二の存在感で。ひとりでいることを好む一匹狼は、LIKEを87しか持っていなくて。
そうだ、あれだ。瀬尾くんが転校してきた日の1限目。私の落書きをみても、瀬尾くんは笑わなかった。ダサくて下手くそなのに、馬鹿にしなかった。そんなところが、優しくて、他の人とは違うと思った。そんな些細な優しさで、どんな人なんだろうって、この人を知りたいって思ったんだ。
瀬尾くんは優しい人。忘れられてもいいなんて思う、冷たい人じゃない。
もっと知りたい。
どうして、87LIKEしかないのに、余裕で居られるのか。
大勢の人に愛される方が怖いと言っていたけれど、瀬尾くんは、何を、どう感じる人なのか。
瀬尾くんのすべてを、知りたい。
もし、生きることに執着していなくて、LIKEがゼロになることを簡単に受け入れてしまえる人なら、私が手を繋いで、引き止めていられないだろうか。
私は自分の手のひらを見て、昨日掴んだ瀬尾くんの左手首を思い出した。
色づいていない爪をなぞって、手を握り締めた。
「日和、ちょっと来て」
「え、なに」
教室に向かっている途中で、日和の後ろ姿が見えた。私は肩を叩き、半ば強引に日和を空き教室に連れていく。
「どうしたどうした」
「これ…」
「お、1年から貰ったマニキュアじゃん、どうしたの」
「その…塗ってほしくて」
「え!結衣、ネイル苦手だったじゃん!ほら、普段料理するからとか言って頑なにしなかったのに。急にどうしたの」
「んー、ちょっとでも可愛く?勝率上げたくて」
「ん?なんの勝率?あ、LIKEの話?いいよ、結衣はもう十分人気者なんだから~」
「…」
恋愛で好きと分かったわけではないのに、「好き」と言葉にするのは違うし…と困っていると、日和は私の腕を引っ張って、席に座らせた。
ピンクのキラキラしたネイルを開けて、ゆっくり私の爪に塗っていく。
「なーに、なんかあったの」
爪に視線を落としながら、日和は優しい声を出した。
日和のその声で聞かれると、私はいつも素直になりたくなる。
「…瀬尾くんのLIKE残高を見ちゃって」
「ほうほう…え、それの何に悩んでるの?」
「その残高がね」
「残高が…?」
「…87LIKEだったの」
私の言葉に、日和はピタリと動きを止める。ゆっくりと顔を上げる日和は、ありえないと言った疑いの表情を浮かべていた。
「見間違い?」
「ううん、確認した。ちゃんと87だった」
「え、え、それって、もうやばいじゃん、時間ないってことだよね」
「そう。LIKEを稼いで、残高増やしてそうな素振りもないしさ、てかきっと増やしてないと思うし」
「87ってことは…約2か月か。今からだと9月入るころにはもう…」
「うん、そういう事になるよね」
「え、どういうことだ。本人には?聞いたの?」
「うん、そうしたらね、逆にどうして西野さんはそんなにLIKEが欲しいのかって聞かれて」
「はー?なにそれ、質問返しだる」
日和は私の爪の続きを塗り始める。
どことなく感じていたけれど、日和は瀬尾くんをよく思っていない。日和は自由気ままで表裏のない性格だから、瀬尾くんのように何を考えているか分からない人が嫌いなんだと思う。
「それで、生きた証が消えるのは怖いことでしょって言ったら、大勢の人に愛されたいと思う方が怖いって言われたの」
「…なにそれ、全然意味わかんないんだけど」
「そうなの、意味わかんないの」
「なにあいつ…いけ好かんなー」
「それでさ、」
塗り終わった左手の爪を見ると、細かい粒子が光に反射してキラキラしている。
こんな風に私が輝いていたら、瀬尾くんは私と出会った今の人生を、手放したくないと思ってくれるだろうか。
「瀬尾くんのLIKEを増やすことに協力してほしくて」
「…え?」
日和はまた、ありえないと言う疑問の表情を浮かべて私を見つめた。
教室に入ると、瀬尾くんはいつものように読書をしていた。誰とも群れずにたったひとりで。
「瀬尾くん!」
「西野さん…おはよう」
「おはよう!」
昨日の出来事で、流石の瀬尾くんも少し気まずそう。
でも、そんなこと言っていられないの。
だってじゃないと、瀬尾くんと一緒に夏が過ごせないんだから。
「ねえ、見て!ネイルしたんだ!」
キラキラ光る爪。これをかわいいと褒めない人はいないはず。
さあ、可愛いと褒めてみて。そうしたら、ありがとうって感謝を込めて言葉にするから。
これで、1LIKE貯まるはずよ。
「…うん、ほんとだ」
「…え」
…それだけ?!
瀬尾くんは自分の手元に視線を戻して、読書を続けた。
私は日和に回収され、前を向いて席に座る。すると、日和からメモが回ってきた。
——なにあいつ。相手を褒めないようにしてるとか?褒めたら、ありがとうって返ってくるから。どんだけLIKE貯めたくないんだろ。
何を思っているか、何を感じているのかなんて、私には分からない。
けれど、もう少しでLIKEがゼロになるって知っているのに、何もしないでいるなんてこと、できるわけないじゃない。私は君と、この夏を越えたいの。
***
・英語の時間。
「瀬尾くん、先生がプリント配っておいてってさ。手伝ってくれる?」
「いいよ」
「あ、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「うん」
しばらく廊下で時間を潰して、教室に入る。
「みんな!瀬尾くんがプリント配ってくれたよー!」
少し大きい声を出す。すると、日和がすかさず便乗する。
「おー瀬尾くんありがとう!りょう~英語あんたの担当でしょ、ほらありがとう言いな!」
「え、あ、ありがとう」
「瀬尾くん、ありがとー!」
「ありがとー!」
「え…いや…はい」
瀬尾くんは戸惑いながらも、ぺこりと会釈をした。
・ホームルームの時間。
「えー、誰か週末のボランティア活動参加してくれる奴いないか?」
「えー、めんどくせー」
「むり、予定ありますー」
担任が困っている。私はすっと手を上げた。
「はい!私と、瀬尾くんが参加します!」
「え、ちょ、西野さん…?」
戸惑っている瀬尾くんなんてお構いなしに、日和がすかさず発言する。
「結衣は言うまでもないけど、瀬尾くんならおばあちゃんたちにも好かれそうじゃない?クラスを代表してボランティア活動しても、恥ずかしくないって言うか!」
すると、担任やクラスメイト達は共感の言葉を発した。
「確かに!瀬尾くんなら優しいしね!」
「うるさい奴が行ってもかえって失礼になるし、瀬尾くんいいと思う!」
「確かにそうだな…瀬尾、どうだ」
クラス中から注目を集めた瀬尾くんは、少し俯いて、小さく「やります」と答えた。
・ボランティア活動の日。
「今日は本当にありがとうございました。皆さんに来ていただいて、利用者のみなさんもとても嬉しそうで、特に瀬尾くん。山口さんは来週も君に来てほしいと言っていましたよ」
ホームヘルパーの職員の言葉に、拍手が起こる。
隣の瀬尾くんは、少し照れていて、恥ずかしそうだった。
「山口さん、瀬尾くんにだけなんだって、あんなに笑顔になるの。山口さんには瀬尾くんがひつようなんだね。すごいよ」
帰り道、私がそう言うと、瀬尾くんは少し困った表情を浮かべていた。
夕凪駅の自販機でオレンジジュースを買って、慣れた手つきでビーチサンダルに履き替え、夕日が沈む海をふたりで見つめる。
お父さんに連絡をすると、「今日は早く帰れそうだから、ご飯は父さんが作るよ」と返事が来た。だから私は今日、初めて夕日が沈むまで外に居られる。
「西野さんさ」
「なに?」
「そろそろやめてくれる?僕のLIKEが増えるようにするの」
「…やっぱ気づいてた?」
「うん、普通に気が付くよ。それに、ほら。おかげさまでこんなに増えた」
瀬尾くんは左手首を、私に見せる。
『126LIKE』
…あれ、もっといっていると思っていたのに。
まあでも、一旦、9月は一緒に越せることが確定したってことだよね。
こうやって増やしていけば、瀬尾くんが消えちゃうなんてことは防げるんだ。
「ねえ、そういえば、ずっと聞きたかったことがあるの」
「なに?」
「瀬尾くんが転校してきた日の朝、ここで海を見てる瀬尾くんのこと、駅のホームから見かけたの。あの時、海に何を投げたの?」
「…」
「言いたくないことだったら無理に言わなくてもいいんだけどさ。瀬尾くんって、LIKEを稼ぐことを嫌っているでしょう?私にはどうしてもその理由が分からなくて。大勢に愛されたいと思うことの方が怖いって言った意味も、やっぱり私には分からなくてさ。…その、知りたくて。瀬尾くんが考えていること」
瀬尾くんは、私の言葉を静かに聞いて、カバンから何かを取り出した。
それを、手のひらに出して見せてくれる。
「イチゴのヘアピン…?」
「うん。これを、あの日投げようとした。でも出来なくて、結局ここにある」
「これは…」
「妹がいつも付けてるやつ」
「妹居たんだ」
「うん。いる。でも僕らは、異母兄弟なんだ。僕が小3の頃に、母親になるって紹介された人の足に引っ付いてる妹と会ったのが最初。7つ離れてるから、ちっちゃくて可愛くてさ。でも性格はすごく大人びてて、いつもおとなしくて。なのにこのヘアピンがお気に入りなところは年相応で。ほんと、可愛くて」
「ふふ、可愛いね。うちも7つ離れてる弟いるから、なんか分かるかも。生意気だけど、可愛いんだよね」
「うん、すごく、大事な存在だった」
「だった…?」
瀬尾くんがこれからいう言葉が、なんだか分かる気がして。喉の奥が熱くなりそう。
「消えたんだ。LIKE残高がゼロになったから」
「え…」
「西野さんが今思ったこと、僕分かるよ。『どうして妹が消えたって分かるの』だよね。LIKE制度の基本ルールには、LIKE不足になった人は人々の記憶から消えて、最初から存在しなかったことになるって記載されてるし、実際にさ、両親は妹のこと何も覚えていなんだ」
「…」
「でも、兄の僕は覚えてる。両親に言われたことあるよ、夢でもみたんじゃない?って。でもそんなわけがないんだ。ふたりで留守番した日も分け合ったアイスも、作ってあげたオムライスも、結ってあげたポニーテールもちゃんと、鮮明に覚えているから」
「そ…そんなことってあるの…だって…」
あの冬のスキー場で感じた感情が一気に押し寄せてくる。
何もできなかった無力さと、手を伸ばせなかった情けなさ。
覚えていられる方法があるっていうの…?
私は出来なかったのに、瀬尾くんは覚えていられるの?
「どうやらあるみたいだ。僕がその証人。これも、妹から届いたものだし」
瀬尾くんはイチゴのヘアピンをもう一度私に見せる。
「届いたって…」
「正確に言えば、政府からなんだけどね。妹が消えてからしばらくした時、手紙が来たんだ。どうやら世界で数人、僕みたいな人がいるみたいで、まだ研究段階だって書いてあった。だから、今僕も協力してる。その代わりに、妹との文通を許してもらった」
「文通って、あのLIKEを失った人が集まる『再出発地区』とってこと?」
「その通り。妹は今そこで暮らしてるからね。形見って言ったらあれだけど、覚えているからって会えるわけではないから、これ貰ったんだ。たまに、全部僕の夢で、ほんとは妹なんていないんじゃないかって気持ちに苛まれることがあってさ、その度にこれを見て、現実に戻るんだ」
「じゃあなんで、海に投げようと…」
夕日が、今にも沈みそうで、だんだんと辺りが暗くなってきた。
私が見つめる瀬尾くんの目には、オレンジの光がきれいに見える。
「再出発、するんだってさ。僕が覚えていたことで、他の人より早く、新しい環境で暮らせるみたいで。『覚えていてなんて言わない。忘れてもいいからね』だってさ。最後に来た手紙にそう書かれてたから、ムカついちゃって。妹が大好きだった海に捨ててやろうって思った。…まあ結局、出来なかったんだけど」
瀬尾くんがあまりに苦しそうに話すから、喉の奥の熱さに耐え切れなくなってしまった。
私は気づかれないように、静かに涙を流す。
あの朝の日、やっぱり瀬尾くんは泣いていたんだ。
大好きな妹さんを想って。
「妹さんの名前は?」
「莉音(りおん)」
「瀬尾莉音ちゃん…いい名前だね」
「うん、可愛い奴だよ」
その日、私たちは夕日が沈む瞬間をふたりで見届けた。
瀬尾くんの右手に重ねた左手は、同情か慰めか、自分でも分からない。
ただ、君までいなくならないでと、願わずにはいられなかった。



