『倒れてすぐ、救急車は呼んだんですか?』
柊木の母親が、ソファから半身を乗り出すようにして言った。
ここは、職員室の脇にある応接室。
小さなガラステーブルを中心に、柊木の両親と高田、そして教頭が向かい合っていた。
僕たち四人は、そのすぐそばにいるが、誰もこちらを気にも留めない。
高田がいつもより低い声で答える。
『はい。発見後、すぐに救急要請を行っています』
『AEDは?』
『もちろん、使用しました。救急隊が到着するまで、心肺蘇生を続けました』
『嘘、ついてませんか?』
母親の声が強くなる。
目元をハンカチでぬぐうと、化粧がわずかに崩れた。
『柊木さん、嘘なんてついていません。私たちは本当に――』
『だったら』
母親が高田の言葉を途中で上書きする。
『だったら、どうして司は助からなかったんですか!』
「……えっ」
僕は思わず声を上げてしまい、口元を手で抑えた。
けど、高田たちは誰一人こちらを見ない。
僕は意識を向ければ彼らの姿も声も拾えるが、向こうからは違う。
柊木の切れ長の瞳を見つめる。
――死んだ?
柊木は母親に向かって射るような視線を向けたまま、微動だにしない。
教頭が額から溢れた汗を、くしゃくしゃになったハンカチでぬぐう。
『その……現在、当時の状況について確認を進めておりまして、対応に問題がなかったかにつきましては後日改めて――』
『確認したって、司は戻ってこないでしょう!』
『母さん』
沈黙していた父親が、低い声で制した。
母親は肩を上げたまま、うつむく。
代わりに父親が教頭を見る。
『感情的になってしまい、申し訳ありません』
『いえ……』
『私たちへの連絡についても、聞かせていただきたいのですが』
『連絡、ですか』
『学校から連絡を受けた時には、司はすでに亡くなっていました。もう少し、早く連絡を頂ければ、生きている司に会えたかもしれません』
『えっと……救命処置と救急隊への引き継ぎを最優先にしておりまして……』
母親がハンカチを握りしめながら、顔を上げる。
『何も……何もできなかったんですよ、私たち』
その声は、怒っているというより苦しそうだった。
五十嵐が僕の隣で、ぽつりとつぶやく。
「誰も、悪くないのにね」
僕は静かにうなずいた。
息子が突然学校で倒れ、二度と目覚めなかった。
何があったのか。
もっと何かできなかったのか。
そう思うのは自然なことだ。
不自然なのは、話題の中心にいる柊木本人。
彼の表情は、両親が何かを話すたびに険しくなっていく。
それは、彼の母親ととてもよく似ている。
『司は、朝もいつも通りだったんです』
母親がぽつりと言った。
さっきまでの勢いは消えていた。
『六時に起きて、朝食を食べながら、単語帳を見ていました。私は「せっかく作った単語帳が汚れるよ」と笑いかけたんですよ。それが……最後の会話になるなんて』
『そう……でしたか』
高田がうつむいたまま答えた。
『あの子、本当に真面目なんです』
母親の唇が小さく震えている。
『言われたことは、ちゃんとやる子で……塾だって一度も休んだことがなくて。模試の前なんて、夜遅くまで勉強して。あんなに頑張っていたのに……』
父親が母親の背中に手を添える。
『妻も、ずっと司のことを支えてきました』
父親が静かに切り出す。
『私も仕事柄、平日はなかなか時間を取れませんでしたが、進路についても、家族で何度も話し合い、決めてたんです』
『進路を……決めた?』
高田の視線が、わずかに泳いだ。
父親はガラステーブルの上で、指を固く組む。
『このままいけば、医学部も十分に狙えた。本人もそのつもりで勉強していました。高校に入る前から、そのために準備してきたんです』
『し、しかし、進路希望調査票には――』
高田は途中で言葉を止め、父親から目をそらした。
父親は不思議そうに首をかしげる。
『何か?』
『いえ……何でもありません。話をさえぎってしまい、失礼しました』
隣で、柊木の肩がぴくりと動いた。
父親は小さな咳払いをする。
『小学生の頃から塾にも通わせて……中学の時も、部活で勉強がおろそかにならないように、いつも妻が気を配ってきました』
父親の声には、責めるような響きはない。
ただ事実を、一つずつ確認しているようだった。
『私たちはこの十七年間、司の将来のために、できることは全部やってきたんです』
『きっと、立派なお医者さんになれたのに。どうして……どうして私たちの司が、こんな目に……』
母親の言葉は途切れ、それからすすり泣く声だけが辺りに響いた。
誰も返す言葉を持っていないようだった。
五十嵐が制服の袖を伸ばし、目を押さえる。
「……ごめん。私、こういうのに弱いんだ」
僕は目を少し細めて、柊木の両親を見つめる。
――何か、おかしい。
柊木のために、できることは全部やってきたと考えている両親。
だが、当の本人の反応は――。
「もういい」
柊木は吐き捨てるように言い、両親から目をそらした。
「知りたいことは分かった」
「で、でも……お母さんたち、まだ話してるよ?」
五十嵐が目を潤ませながら聞くが、柊木は両親を見ようともしない。
「だから、何?」
「えっと……その……」
「俺が聞きたかったのは、現実でどうなってるか。それだけ」
柊木はそう言い切ると、僕たちに背を向け、応接室を出ていく。
「柊木君」
僕が呼び止めても、柊木は足を止めなかった。
僕は両親に視線を戻す。
現実の世界では柊木が亡くなったことになり、彼の未来は永久に閉ざされてしまった。
そのことを、両親は本気で悲しんでいる。
――いや、少し違う。
両親は、柊木の未来をまるで決まっていたことのように話していた。
なのに、柊木の進路希望調査票は、まったくの白紙。
――どうしてだろう。
知りたい――自然とそう思った。
僕は柊木の後を追い、廊下に飛び出す。
彼の背中は、どこにも見当たらない。
自分の胸に手を置くと、不思議なことに少しだけ温かさを感じた。
柊木の母親が、ソファから半身を乗り出すようにして言った。
ここは、職員室の脇にある応接室。
小さなガラステーブルを中心に、柊木の両親と高田、そして教頭が向かい合っていた。
僕たち四人は、そのすぐそばにいるが、誰もこちらを気にも留めない。
高田がいつもより低い声で答える。
『はい。発見後、すぐに救急要請を行っています』
『AEDは?』
『もちろん、使用しました。救急隊が到着するまで、心肺蘇生を続けました』
『嘘、ついてませんか?』
母親の声が強くなる。
目元をハンカチでぬぐうと、化粧がわずかに崩れた。
『柊木さん、嘘なんてついていません。私たちは本当に――』
『だったら』
母親が高田の言葉を途中で上書きする。
『だったら、どうして司は助からなかったんですか!』
「……えっ」
僕は思わず声を上げてしまい、口元を手で抑えた。
けど、高田たちは誰一人こちらを見ない。
僕は意識を向ければ彼らの姿も声も拾えるが、向こうからは違う。
柊木の切れ長の瞳を見つめる。
――死んだ?
柊木は母親に向かって射るような視線を向けたまま、微動だにしない。
教頭が額から溢れた汗を、くしゃくしゃになったハンカチでぬぐう。
『その……現在、当時の状況について確認を進めておりまして、対応に問題がなかったかにつきましては後日改めて――』
『確認したって、司は戻ってこないでしょう!』
『母さん』
沈黙していた父親が、低い声で制した。
母親は肩を上げたまま、うつむく。
代わりに父親が教頭を見る。
『感情的になってしまい、申し訳ありません』
『いえ……』
『私たちへの連絡についても、聞かせていただきたいのですが』
『連絡、ですか』
『学校から連絡を受けた時には、司はすでに亡くなっていました。もう少し、早く連絡を頂ければ、生きている司に会えたかもしれません』
『えっと……救命処置と救急隊への引き継ぎを最優先にしておりまして……』
母親がハンカチを握りしめながら、顔を上げる。
『何も……何もできなかったんですよ、私たち』
その声は、怒っているというより苦しそうだった。
五十嵐が僕の隣で、ぽつりとつぶやく。
「誰も、悪くないのにね」
僕は静かにうなずいた。
息子が突然学校で倒れ、二度と目覚めなかった。
何があったのか。
もっと何かできなかったのか。
そう思うのは自然なことだ。
不自然なのは、話題の中心にいる柊木本人。
彼の表情は、両親が何かを話すたびに険しくなっていく。
それは、彼の母親ととてもよく似ている。
『司は、朝もいつも通りだったんです』
母親がぽつりと言った。
さっきまでの勢いは消えていた。
『六時に起きて、朝食を食べながら、単語帳を見ていました。私は「せっかく作った単語帳が汚れるよ」と笑いかけたんですよ。それが……最後の会話になるなんて』
『そう……でしたか』
高田がうつむいたまま答えた。
『あの子、本当に真面目なんです』
母親の唇が小さく震えている。
『言われたことは、ちゃんとやる子で……塾だって一度も休んだことがなくて。模試の前なんて、夜遅くまで勉強して。あんなに頑張っていたのに……』
父親が母親の背中に手を添える。
『妻も、ずっと司のことを支えてきました』
父親が静かに切り出す。
『私も仕事柄、平日はなかなか時間を取れませんでしたが、進路についても、家族で何度も話し合い、決めてたんです』
『進路を……決めた?』
高田の視線が、わずかに泳いだ。
父親はガラステーブルの上で、指を固く組む。
『このままいけば、医学部も十分に狙えた。本人もそのつもりで勉強していました。高校に入る前から、そのために準備してきたんです』
『し、しかし、進路希望調査票には――』
高田は途中で言葉を止め、父親から目をそらした。
父親は不思議そうに首をかしげる。
『何か?』
『いえ……何でもありません。話をさえぎってしまい、失礼しました』
隣で、柊木の肩がぴくりと動いた。
父親は小さな咳払いをする。
『小学生の頃から塾にも通わせて……中学の時も、部活で勉強がおろそかにならないように、いつも妻が気を配ってきました』
父親の声には、責めるような響きはない。
ただ事実を、一つずつ確認しているようだった。
『私たちはこの十七年間、司の将来のために、できることは全部やってきたんです』
『きっと、立派なお医者さんになれたのに。どうして……どうして私たちの司が、こんな目に……』
母親の言葉は途切れ、それからすすり泣く声だけが辺りに響いた。
誰も返す言葉を持っていないようだった。
五十嵐が制服の袖を伸ばし、目を押さえる。
「……ごめん。私、こういうのに弱いんだ」
僕は目を少し細めて、柊木の両親を見つめる。
――何か、おかしい。
柊木のために、できることは全部やってきたと考えている両親。
だが、当の本人の反応は――。
「もういい」
柊木は吐き捨てるように言い、両親から目をそらした。
「知りたいことは分かった」
「で、でも……お母さんたち、まだ話してるよ?」
五十嵐が目を潤ませながら聞くが、柊木は両親を見ようともしない。
「だから、何?」
「えっと……その……」
「俺が聞きたかったのは、現実でどうなってるか。それだけ」
柊木はそう言い切ると、僕たちに背を向け、応接室を出ていく。
「柊木君」
僕が呼び止めても、柊木は足を止めなかった。
僕は両親に視線を戻す。
現実の世界では柊木が亡くなったことになり、彼の未来は永久に閉ざされてしまった。
そのことを、両親は本気で悲しんでいる。
――いや、少し違う。
両親は、柊木の未来をまるで決まっていたことのように話していた。
なのに、柊木の進路希望調査票は、まったくの白紙。
――どうしてだろう。
知りたい――自然とそう思った。
僕は柊木の後を追い、廊下に飛び出す。
彼の背中は、どこにも見当たらない。
自分の胸に手を置くと、不思議なことに少しだけ温かさを感じた。

