17歳、僕たちの第一死望

『倒れてすぐ、救急車は呼んだんですか?』

 柊木の母親が、ソファから半身を乗り出すようにして言った。
 ここは、職員室の脇にある応接室。
 小さなガラステーブルを中心に、柊木の両親と高田、そして教頭が向かい合っていた。
 僕たち四人は、そのすぐそばにいるが、誰もこちらを気にも留めない。
 高田がいつもより低い声で答える。

『はい。発見後、すぐに救急要請を行っています』
『AEDは?』
『もちろん、使用しました。救急隊が到着するまで、心肺蘇生を続けました』
『嘘、ついてませんか?』

 母親の声が強くなる。
 目元をハンカチでぬぐうと、化粧がわずかに崩れた。

『柊木さん、嘘なんてついていません。私たちは本当に――』
『だったら』

 母親が高田の言葉を途中で上書きする。

『だったら、どうして司は助からなかったんですか!』
「……えっ」

 僕は思わず声を上げてしまい、口元を手で抑えた。
 けど、高田たちは誰一人こちらを見ない。
 僕は意識を向ければ彼らの姿も声も拾えるが、向こうからは違う。
 柊木の切れ長の瞳を見つめる。

 ――死んだ?

 柊木は母親に向かって射るような視線を向けたまま、微動だにしない。
 教頭が額から溢れた汗を、くしゃくしゃになったハンカチでぬぐう。

『その……現在、当時の状況について確認を進めておりまして、対応に問題がなかったかにつきましては後日改めて――』
『確認したって、司は戻ってこないでしょう!』
『母さん』

 沈黙していた父親が、低い声で制した。
 母親は肩を上げたまま、うつむく。
 代わりに父親が教頭を見る。

『感情的になってしまい、申し訳ありません』
『いえ……』
『私たちへの連絡についても、聞かせていただきたいのですが』
『連絡、ですか』
『学校から連絡を受けた時には、司はすでに亡くなっていました。もう少し、早く連絡を頂ければ、生きている司に会えたかもしれません』
『えっと……救命処置と救急隊への引き継ぎを最優先にしておりまして……』

 母親がハンカチを握りしめながら、顔を上げる。

『何も……何もできなかったんですよ、私たち』

 その声は、怒っているというより苦しそうだった。
 五十嵐が僕の隣で、ぽつりとつぶやく。

「誰も、悪くないのにね」

 僕は静かにうなずいた。

 息子が突然学校で倒れ、二度と目覚めなかった。
 何があったのか。
 もっと何かできなかったのか。
 そう思うのは自然なことだ。

 不自然なのは、話題の中心にいる柊木本人。
 彼の表情は、両親が何かを話すたびに険しくなっていく。
 それは、彼の母親ととてもよく似ている。

『司は、朝もいつも通りだったんです』

 母親がぽつりと言った。
 さっきまでの勢いは消えていた。

『六時に起きて、朝食を食べながら、単語帳を見ていました。私は「せっかく作った単語帳が汚れるよ」と笑いかけたんですよ。それが……最後の会話になるなんて』
『そう……でしたか』

 高田がうつむいたまま答えた。

『あの子、本当に真面目なんです』

 母親の唇が小さく震えている。

『言われたことは、ちゃんとやる子で……塾だって一度も休んだことがなくて。模試の前なんて、夜遅くまで勉強して。あんなに頑張っていたのに……』

 父親が母親の背中に手を添える。

『妻も、ずっと司のことを支えてきました』

 父親が静かに切り出す。

『私も仕事柄、平日はなかなか時間を取れませんでしたが、進路についても、家族で何度も話し合い、決めてたんです』
『進路を……決めた?』

 高田の視線が、わずかに泳いだ。
 父親はガラステーブルの上で、指を固く組む。

『このままいけば、医学部も十分に狙えた。本人もそのつもりで勉強していました。高校に入る前から、そのために準備してきたんです』
『し、しかし、進路希望調査票には――』

 高田は途中で言葉を止め、父親から目をそらした。
 父親は不思議そうに首をかしげる。

『何か?』
『いえ……何でもありません。話をさえぎってしまい、失礼しました』

 隣で、柊木の肩がぴくりと動いた。
 父親は小さな咳払いをする。

『小学生の頃から塾にも通わせて……中学の時も、部活で勉強がおろそかにならないように、いつも妻が気を配ってきました』

 父親の声には、責めるような響きはない。
 ただ事実を、一つずつ確認しているようだった。

『私たちはこの十七年間、司の将来のために、できることは全部やってきたんです』
『きっと、立派なお医者さんになれたのに。どうして……どうして私たちの司が、こんな目に……』

 母親の言葉は途切れ、それからすすり泣く声だけが辺りに響いた。
 誰も返す言葉を持っていないようだった。
 五十嵐が制服の袖を伸ばし、目を押さえる。

「……ごめん。私、こういうのに弱いんだ」

 僕は目を少し細めて、柊木の両親を見つめる。

 ――何か、おかしい。

 柊木のために、できることは全部やってきたと考えている両親。
 だが、当の本人の反応は――。

「もういい」

 柊木は吐き捨てるように言い、両親から目をそらした。

「知りたいことは分かった」
「で、でも……お母さんたち、まだ話してるよ?」

 五十嵐が目を潤ませながら聞くが、柊木は両親を見ようともしない。

「だから、何?」
「えっと……その……」
「俺が聞きたかったのは、現実でどうなってるか。それだけ」

 柊木はそう言い切ると、僕たちに背を向け、応接室を出ていく。

「柊木君」

 僕が呼び止めても、柊木は足を止めなかった。

 僕は両親に視線を戻す。
 現実の世界では柊木が亡くなったことになり、彼の未来は永久に閉ざされてしまった。
 そのことを、両親は本気で悲しんでいる。

 ――いや、少し違う。

 両親は、柊木の未来をまるで決まっていたことのように話していた。
 なのに、柊木の進路希望調査票は、まったくの白紙。


 ――どうしてだろう。

 知りたい――自然とそう思った。

 僕は柊木の後を追い、廊下に飛び出す。
 彼の背中は、どこにも見当たらない。
 自分の胸に手を置くと、不思議なことに少しだけ温かさを感じた。