17歳、僕たちの第一死望

 教壇に立つ絵川由夢と目が合う。
 春を過ぎても羽織っていた紺色のカーディガン、特徴的なアシンメトリーの前髪。
 生前の姿とまったく変わっておらず、せめて足が透明になっていれば分かりやすいのにと思った。

 ふと、絵川が僕から視線を外す。
 彼女の視線を追っていくと、先ほど絵川が『皆さん』と呼びかけた意味が分かる。
 そこには、僕と同じように透けていないクラスメイトが二人、立っていた。

「それで、君は本物の絵川さん……なのかな?」

 声を上げたのは、柊木司(ひいらぎつかさ)だ。
 僕より頭一つ背が高い柊木は、首をぐるりと回して教室の様子を確かめている。

「私は正真正銘、絵川由夢。君のクラスメイト――いや、死んだから『元』って言うべきなのかな」
「そういう枕詞が必要かは知らない」

 柊木は右手を何度か閉じたり開いたりした後、自分の机の表面を指でなでる。
 変わったものと変わらないもの――それを確かめているのかもしれない。
 柊木は目をわずかに細める。

「とりあえず、君が絵川さんだと信じることにするよ」

 クラス一、いや学校一の秀才は、こんな時でも奇妙なほど冷静だ。

「そこに立ってるってことは、この状況を説明してくれる――そう理解していいかな?」
「ええ。君たちに勝手なことされると、迷惑だから」
「なら良かった」

 柊木はわずかに口の端を吊り上げ、自分の席に座った。

「えっ、えっ、ちょっと! 柊木に内海、なんでそんな落ち着いてんの? みんな、どうなっちゃったのよ? それに、なんで絵川さんがここに?」

 先ほどから口を開けたままフリーズしていた五十嵐(いがらし)メルが、たたみかけるように大きな声を上げた。
 明るい茶髪に、校則より短いスカート。
 いつもクラスの中心にいる五十嵐が、僕の名前を知っていたことに驚いた。
 柊木がため息をつく。

「五十嵐さん、異常な時ほど冷静になるべきだ。慌てて教室を飛び出した途端、トラップによって、首をはねられるかもしれない」
「えっ! 私たち、殺されちゃうの?」
「落ち着きなよ。俺は可能性を挙げただけだ」

 柊木の言葉によって、五十嵐の慌てっぷりに拍車がかかる。
 柊木は先ほどより一回り大きなため息をつき、まっすぐ手を挙げた。

「絵川さん。これは周りのみんなが変わったのか、俺たちが変わったのか、どっちなんだろう?」
「いい質問ね」

 柊木と絵川は、授業中の生徒と先生のように見える。

「死んだ私がここにいる。それが答え」
「なるほど……非現実な状況にしては、論理的だ」

 柊木は、あごに手を触れながら小さく笑った。

 僕は黙って二人の会話を整理する。
 死んだはずの絵川が元の姿で立っている。
 変わったのはクラスメイトではなく、僕たち三人が異様な世界に堕とされた――そう考えるべきなのだろう。

 絵川は白いチョークを手に取り、僕たちに背を向ける。
 乾いた音と共に黒板に書かれたのは、『幻』と『死』の二文字。

「私はここを『幻死(げんし)』の世界と呼んでる。死ぬことも生きることも選べない人間が堕ちてくる場所。君たちのようなね」
「君たちのような……?」

 僕はオウムのように、絵川の言葉を繰り返した。
 僕のような人間が『死にたい』と願うのは分かる。
 けど、学校一の秀才と、いつも明るく振る舞っている人間が、僕と同じことを願っているなんて信じられなかった。
 僕が振り返ると、柊木と五十嵐がいらだったように声を上げる。

「絵川さん、悪いけどその見解には賛同できないな」
「ほんとそれ! 私、毎日選んでるし。その……楽しいこと」

 絵川は黙ったまま教壇を降りると、僕たち三人の机の上から、何かを持ち去っていく。
 その動きは工場のロボットみたいにスムーズで、持っていかれたものより、絵川を目で追ってしまう。

「――これを見ても、そう言える?」

 絵川が見せつけたのは、僕たちの進路希望調査票だった。
 僕は目を見開く。

「みんな……白紙?」
「ちょ、ちょっと! 私の、勝手に見せないでよ!」

 五十嵐が自分の調査票を乱暴に取り返し、両腕の中に隠した。
 柊木は両手を組んだまま微動だにせず、無言で絵川をにらんでいた。

「不思議ね。前向きに生きているというわりに、白紙だなんて」

 絵川の言葉に、五十嵐が黙り込んだ。
 柊木は一呼吸置いた後で、静かに口を開く。

「……戻るには、どうすればいい?」
「さあ」
「ずいぶんと無責任だな」

 柊木の眉間にしわが寄る。
 絵川はため息をつき、胸元に落ちてきた長い髪を耳にかける。

「私はここの神様じゃないの。少なくとも、死んだ私にとっては関係ない話ね」

 絵川はそう言うと、僕たちに背を向けた。
 教室には、半透明になったクラスメイトたちの遠い声が漂っている。
 その中で、絵川が走らせる鉛筆の音だけがはっきりと響いた。