教壇に立つ絵川由夢と目が合う。
春を過ぎても羽織っていた紺色のカーディガン、特徴的なアシンメトリーの前髪。
生前の姿とまったく変わっておらず、せめて足が透明になっていれば分かりやすいのにと思った。
ふと、絵川が僕から視線を外す。
彼女の視線を追っていくと、先ほど絵川が『皆さん』と呼びかけた意味が分かる。
そこには、僕と同じように透けていないクラスメイトが二人、立っていた。
「それで、君は本物の絵川さん……なのかな?」
声を上げたのは、柊木司だ。
僕より頭一つ背が高い柊木は、首をぐるりと回して教室の様子を確かめている。
「私は正真正銘、絵川由夢。君のクラスメイト――いや、死んだから『元』って言うべきなのかな」
「そういう枕詞が必要かは知らない」
柊木は右手を何度か閉じたり開いたりした後、自分の机の表面を指でなでる。
変わったものと変わらないもの――それを確かめているのかもしれない。
柊木は目をわずかに細める。
「とりあえず、君が絵川さんだと信じることにするよ」
クラス一、いや学校一の秀才は、こんな時でも奇妙なほど冷静だ。
「そこに立ってるってことは、この状況を説明してくれる――そう理解していいかな?」
「ええ。君たちに勝手なことされると、迷惑だから」
「なら良かった」
柊木はわずかに口の端を吊り上げ、自分の席に座った。
「えっ、えっ、ちょっと! 柊木に内海、なんでそんな落ち着いてんの? みんな、どうなっちゃったのよ? それに、なんで絵川さんがここに?」
先ほどから口を開けたままフリーズしていた五十嵐メルが、たたみかけるように大きな声を上げた。
明るい茶髪に、校則より短いスカート。
いつもクラスの中心にいる五十嵐が、僕の名前を知っていたことに驚いた。
柊木がため息をつく。
「五十嵐さん、異常な時ほど冷静になるべきだ。慌てて教室を飛び出した途端、トラップによって、首をはねられるかもしれない」
「えっ! 私たち、殺されちゃうの?」
「落ち着きなよ。俺は可能性を挙げただけだ」
柊木の言葉によって、五十嵐の慌てっぷりに拍車がかかる。
柊木は先ほどより一回り大きなため息をつき、まっすぐ手を挙げた。
「絵川さん。これは周りのみんなが変わったのか、俺たちが変わったのか、どっちなんだろう?」
「いい質問ね」
柊木と絵川は、授業中の生徒と先生のように見える。
「死んだ私がここにいる。それが答え」
「なるほど……非現実な状況にしては、論理的だ」
柊木は、あごに手を触れながら小さく笑った。
僕は黙って二人の会話を整理する。
死んだはずの絵川が元の姿で立っている。
変わったのはクラスメイトではなく、僕たち三人が異様な世界に堕とされた――そう考えるべきなのだろう。
絵川は白いチョークを手に取り、僕たちに背を向ける。
乾いた音と共に黒板に書かれたのは、『幻』と『死』の二文字。
「私はここを『幻死』の世界と呼んでる。死ぬことも生きることも選べない人間が堕ちてくる場所。君たちのようなね」
「君たちのような……?」
僕はオウムのように、絵川の言葉を繰り返した。
僕のような人間が『死にたい』と願うのは分かる。
けど、学校一の秀才と、いつも明るく振る舞っている人間が、僕と同じことを願っているなんて信じられなかった。
僕が振り返ると、柊木と五十嵐がいらだったように声を上げる。
「絵川さん、悪いけどその見解には賛同できないな」
「ほんとそれ! 私、毎日選んでるし。その……楽しいこと」
絵川は黙ったまま教壇を降りると、僕たち三人の机の上から、何かを持ち去っていく。
その動きは工場のロボットみたいにスムーズで、持っていかれたものより、絵川を目で追ってしまう。
「――これを見ても、そう言える?」
絵川が見せつけたのは、僕たちの進路希望調査票だった。
僕は目を見開く。
「みんな……白紙?」
「ちょ、ちょっと! 私の、勝手に見せないでよ!」
五十嵐が自分の調査票を乱暴に取り返し、両腕の中に隠した。
柊木は両手を組んだまま微動だにせず、無言で絵川をにらんでいた。
「不思議ね。前向きに生きているというわりに、白紙だなんて」
絵川の言葉に、五十嵐が黙り込んだ。
柊木は一呼吸置いた後で、静かに口を開く。
「……戻るには、どうすればいい?」
「さあ」
「ずいぶんと無責任だな」
柊木の眉間にしわが寄る。
絵川はため息をつき、胸元に落ちてきた長い髪を耳にかける。
「私はここの神様じゃないの。少なくとも、死んだ私にとっては関係ない話ね」
絵川はそう言うと、僕たちに背を向けた。
教室には、半透明になったクラスメイトたちの遠い声が漂っている。
その中で、絵川が走らせる鉛筆の音だけがはっきりと響いた。
春を過ぎても羽織っていた紺色のカーディガン、特徴的なアシンメトリーの前髪。
生前の姿とまったく変わっておらず、せめて足が透明になっていれば分かりやすいのにと思った。
ふと、絵川が僕から視線を外す。
彼女の視線を追っていくと、先ほど絵川が『皆さん』と呼びかけた意味が分かる。
そこには、僕と同じように透けていないクラスメイトが二人、立っていた。
「それで、君は本物の絵川さん……なのかな?」
声を上げたのは、柊木司だ。
僕より頭一つ背が高い柊木は、首をぐるりと回して教室の様子を確かめている。
「私は正真正銘、絵川由夢。君のクラスメイト――いや、死んだから『元』って言うべきなのかな」
「そういう枕詞が必要かは知らない」
柊木は右手を何度か閉じたり開いたりした後、自分の机の表面を指でなでる。
変わったものと変わらないもの――それを確かめているのかもしれない。
柊木は目をわずかに細める。
「とりあえず、君が絵川さんだと信じることにするよ」
クラス一、いや学校一の秀才は、こんな時でも奇妙なほど冷静だ。
「そこに立ってるってことは、この状況を説明してくれる――そう理解していいかな?」
「ええ。君たちに勝手なことされると、迷惑だから」
「なら良かった」
柊木はわずかに口の端を吊り上げ、自分の席に座った。
「えっ、えっ、ちょっと! 柊木に内海、なんでそんな落ち着いてんの? みんな、どうなっちゃったのよ? それに、なんで絵川さんがここに?」
先ほどから口を開けたままフリーズしていた五十嵐メルが、たたみかけるように大きな声を上げた。
明るい茶髪に、校則より短いスカート。
いつもクラスの中心にいる五十嵐が、僕の名前を知っていたことに驚いた。
柊木がため息をつく。
「五十嵐さん、異常な時ほど冷静になるべきだ。慌てて教室を飛び出した途端、トラップによって、首をはねられるかもしれない」
「えっ! 私たち、殺されちゃうの?」
「落ち着きなよ。俺は可能性を挙げただけだ」
柊木の言葉によって、五十嵐の慌てっぷりに拍車がかかる。
柊木は先ほどより一回り大きなため息をつき、まっすぐ手を挙げた。
「絵川さん。これは周りのみんなが変わったのか、俺たちが変わったのか、どっちなんだろう?」
「いい質問ね」
柊木と絵川は、授業中の生徒と先生のように見える。
「死んだ私がここにいる。それが答え」
「なるほど……非現実な状況にしては、論理的だ」
柊木は、あごに手を触れながら小さく笑った。
僕は黙って二人の会話を整理する。
死んだはずの絵川が元の姿で立っている。
変わったのはクラスメイトではなく、僕たち三人が異様な世界に堕とされた――そう考えるべきなのだろう。
絵川は白いチョークを手に取り、僕たちに背を向ける。
乾いた音と共に黒板に書かれたのは、『幻』と『死』の二文字。
「私はここを『幻死』の世界と呼んでる。死ぬことも生きることも選べない人間が堕ちてくる場所。君たちのようなね」
「君たちのような……?」
僕はオウムのように、絵川の言葉を繰り返した。
僕のような人間が『死にたい』と願うのは分かる。
けど、学校一の秀才と、いつも明るく振る舞っている人間が、僕と同じことを願っているなんて信じられなかった。
僕が振り返ると、柊木と五十嵐がいらだったように声を上げる。
「絵川さん、悪いけどその見解には賛同できないな」
「ほんとそれ! 私、毎日選んでるし。その……楽しいこと」
絵川は黙ったまま教壇を降りると、僕たち三人の机の上から、何かを持ち去っていく。
その動きは工場のロボットみたいにスムーズで、持っていかれたものより、絵川を目で追ってしまう。
「――これを見ても、そう言える?」
絵川が見せつけたのは、僕たちの進路希望調査票だった。
僕は目を見開く。
「みんな……白紙?」
「ちょ、ちょっと! 私の、勝手に見せないでよ!」
五十嵐が自分の調査票を乱暴に取り返し、両腕の中に隠した。
柊木は両手を組んだまま微動だにせず、無言で絵川をにらんでいた。
「不思議ね。前向きに生きているというわりに、白紙だなんて」
絵川の言葉に、五十嵐が黙り込んだ。
柊木は一呼吸置いた後で、静かに口を開く。
「……戻るには、どうすればいい?」
「さあ」
「ずいぶんと無責任だな」
柊木の眉間にしわが寄る。
絵川はため息をつき、胸元に落ちてきた長い髪を耳にかける。
「私はここの神様じゃないの。少なくとも、死んだ私にとっては関係ない話ね」
絵川はそう言うと、僕たちに背を向けた。
教室には、半透明になったクラスメイトたちの遠い声が漂っている。
その中で、絵川が走らせる鉛筆の音だけがはっきりと響いた。

