17歳、僕たちの第一死望

 自動ドアが開き、安っぽい電子音と一緒に僕はコンビニの外へ出る。

 十月。
 吹き抜ける風には、もう冬の気配が混ざっていた。

 茜色の空の下、車止めに腰掛けた絵川由夢が、膝の上で青色の大学ノートを開いていた。
 彼女が鉛筆を握っているのは、右手ではなく左手。
 かつて別の世界で見た滑らかな動きとはことなり、その動きはぎこちない。

 僕は買ってきた紙パックのミルクティーを、背後から彼女の頬にピトッと当てた。

「冷たっ!」
「はい、これ」
「ありがと……じゃなくて、勝手に見るな!」

 絵川は、左手で慌ててノートを胸に抱え込んだ。
 右手には、サポーターが手首から指の付け根まで厳重に巻かれている。
 僕は一度だけそこへ目をやり、ノートに視線を戻す。

「……ケチだな。見せてくれたっていいじゃない」
「うるさい。まだ、下手くそだから、嫌なの」
「ふうん」

 彼女はノートを抱えて立ち上がった。
 少しふらついた彼女に僕は、そっと肩を差し出した。

 僕と絵川は、通い慣れた通学路を並んで歩く。
 家よりも田んぼと畑が多い、どこにでもある田舎の道だ。
 彼女はまだ速く歩けないので、僕は歩幅を半分にして歩いた。

「そういえば柊木君、また模試の結果送ってきたよ」

 僕はスマホを取り出し、画像を見せる。
 第一志望の地元にある国立大医学部の欄には、太い黒文字で『A判定』と印字されている。

「うわ、なにこれ。気持ち悪い」
「メッセージには『ケアレスミスで三問落とした。凡ミスが悔やまれる』って書いてあった」
「うざ。ブロックしたら?」
「まあ、もう少し様子を見るよ。『友達(仮)』だし」
「君、まだそんな子供じみたこと言ってるの?」

 絵川が笑いながら、自分のスマホを取り出す。

「この前、メルちゃんが送って来た写真見る?」
「いい。五十嵐さんが映ってるわけじゃないんでしょ。知らない人の写真なんか見ても意味ないし」
「半分、正解」
「どういうこと?」
「今回は推しとのツーショット写真だって」

 絵川が見せてくれた写真には、彼女の推しと満面の笑みを浮かべてポーズを決める、五十嵐が映っていた。

「あの子、受験生なのに頭お花畑だよね」
「今の発言、結構ひどいな」
「そお?」
「ちなみに、五十嵐さんは大学は推薦らしいよ」
「はあ? その話、聞いてないんですけど」
「だろうね」
「くそっ、楽できる時はとことん楽にするヤツめ」
「そういう反応するから、教えてもらえなかったんじゃない?」

 僕たちは前を向いたまま、笑い合う。

「――で、君は進路、決まった?」
「うん。本田君と同じ大学」
「高田ちゃんは?」
「気持ち悪いくらい嬉しそうだった。『俺のアドバイスが効いたみたいだな』って」
「うざ。ブロックしたら?」
「そうだね。物理的に」

 絵川が小さく吹き出す。

 立派な将来の夢なんて、相変わらずない。
 ただ、本田と同じ大学で、もっと一緒に過ごしてみたいと思った。
 もっと効率よく時間を潰せそうな――都市デザインを学べる学科もあったし。

 交差点の角で、絵川が西側を指差す。

「私、これからリハビリだから」
「あ、うん」
 
 僕は交差点を東側へ折れた。
 さっきまで並んで歩いていた僕たちの間に、冷たい風が吹き抜けていく。
 赤く染まる空を見上げた瞬間、何の脈絡もなく、それは胸の底から湧き上がってきた。

 ――死にたいな。

 理由なんてない。
 特別、嫌なことがあったわけでもない。
 ただ一人になると、ふっと冷たい影が顔を出す。

 またか、と思う。
 幻死から帰ってきたって、暗い自分が消えるわけじゃない。
 僕の心には、相変わらず冷たいものが巣くっていた。

「内海君!」

 不意に鋭い声で呼ばれ、僕は我に返った。
 振り返ると、少し息を切らした絵川が立っていた。
 持っていたノートを開き、その端をペリペリと乱暴に破る。

「はい」
「何これ」
「見れば、分かる」

 手のひらサイズの紙切れを、押しつけられる。
 そこには、左手で描かれたマッシロの姿があった。
 線はところどころゆがんでいるが、憎めない表情は変わらない。
 マッシロは、ロウソクを刺したかき氷を、空に向かって掲げていた。 

「今日、誕生日でしょ。忘れてたからこれで我慢して」
「覚えて……たの?」
「だから、忘れてたって言ったでしょ。ついさっき、思い出したの」

 絵川は少しだけ顔をそらしながら言った。

「……これ、僕?」
「他に誰がいるのよ。相変わらずかわいくないでしょ?」
「まあ、似てるけどさ」

 僕が言うと、絵川はいたずらっぽく笑った。

「じゃあ、また、明日」

 絵川はサポーターを巻いた右手を小さく振り、僕に背を向けた。
 少しぎこちない足取りで歩く絵川。
 けれど、その背中はまっすぐ伸びていた。

 一人残された僕は、手の中の紙を見つめた。
 左手で描かれた、世界にたった一枚しかない、不器用なシロクマ。

 ――この絵、結構好きだな。

 自然とそう思えた。
 それだけで、さっきまでの冷たい胸の奥が、じんわりと温かくなる。
 
 ポケットの中で、スマホが短く震えた。
 本田からのメッセージだった。

《駅前のファミレスな。ポテトおごるから数学教えろ》

「……こいつも僕の誕生日、忘れてやがる」
 
 口で悪態をつきながらも、僕の足は駅の方へ向いていた。

 僕を通り過ぎていくのは――。

 量産型で区別がつかない住宅。
 稲刈りが終わって切り株だらけの田んぼ。
 何を作っているかよく分からない古びた工場。

 急に、何か造りたくなった。
 帰ったらアプリを開いて、この街に存在しない道を引こう。
 そこに、まったく似合わない建物を、たくさん建ててやるんだ。
 
 ――見せる、約束だから。

 僕は君と違って、忘れっぽくない。

 十七年生きてきて、胸を張れる立派な夢なんて、結局何一つできなかった。
 それは、十八歳になった今も変わっていない。

 また『死にたい』と思う夜が、この先何度もやってくる。
 けど――。

 柊木の愚痴混じりの自慢話を聞いたり。
 五十嵐のうるさい推し活報告にあきれたり。
 絵川の左手で描かれた新作を楽しみにしたり。
 本田と冷めたポテトをつまんだり。
 妄想の街に建物を勝手に造ったり。

 明日まで自分を連れていく――そんな小さな理由が増えていく。
 
 ――なあ、今日もまた。

 僕の寿命、ちょっとだけ伸びたよ。