17歳、僕たちの第一死望

 階段を下り、渡り廊下を抜けて体育館へ向かう。
 隣を歩いていたはずの『彼』の気配は、どこにもない。
 僕が踏み出す右足と、僕が踏み出す左足。
 廊下に響く上履きの音は、最初から一つだけ。

 大きな窓から降り注ぐ月明かりが、広大な板張りの床を青く照らしている。
 ボールは転がっていない。
 バスケットボールのリングが、高い壁の向こうで静かに口を開けている。
 床には、僕の足音だけが乾いたリズムで響く。
 立ち止まることもなく、僕はそこを後にする。

 体育館前の渡り廊下を、途中で折れる。
 校舎の陰から出た瞬間、夜の冷たい空気が頬をなでる。
 コンクリートでできた、低く小さなステージ。
 いつかの夕暮れ、仰向けになって空を見上げていた場所。
 ステージの縁を横切っていると、ふと空の端が目に入る。
 濃い群青色だった夜の底が、薄い水色のベールを一枚重ねたように、淡く滲んでいる。

 校舎へ戻り、階段を三階まで上がる。
 三年一組のドアを、静かに開ける。

 黒板には、チョークで描かれた四頭のシロクマが残されている。
 月明かりの中で、彼らは笑い、怒り、踊り、ペンを握っている。
 僕はそれを一度だけ見つめ、それから前方の席へと歩み寄る。

 絵川由夢の机。
 そこには、開かれたままの茶色の大学ノートが置かれている。

 最後のページ。
 背景のない空間を、どこかへ向かって全力で駆け出している、一頭のマッシロの後ろ姿。
 その先には、何も描かれていない。
 見開きの右側のページは、ただの真っ白な余白として広がっている。

 僕は彼女の机の中に残されていた、鉛筆を手に取る。
 その先端を、真っ白なノートの余白へと近づける。
 頭に浮かぶのは――。

 進学する大学の名前。
 適当な将来の職業。
 あの馬鹿げた、『思春期専門カスタマーサポート』。

 けど、芯の先が紙に触れる直前で僕の手は止まる。

 ――いや。

 僕は息を吐く。

 ――これは、僕のノートじゃない。

 僕は鉛筆を、机の中に戻す。

 ノートは閉じない。
 開いたままの、真っ白なページ。
 以前の僕なら、その空白を見るだけで胸がしめつけられ、顔をそむけていただろう。
 空欄を埋められない自分は欠陥品だと、怯えていたのだろう。
 けど今は、ただその白さを見つめられる。

 白紙は、何もないわけじゃない。
 まだ、決まっていないだけだ。

 ふいに、開かれたノートの右ページが、淡く輝き始める。
 白い紙の上に、斜めに長い光が差し込んでくる。

 僕は顔を上げる。
 窓の外。
 街を囲む低い山並みの向こう側から、夜の闇がゆっくりと溶け、柔らかな光が溢れ出している。

 僕はそれに手をかざす。
 僕の手は、その光をほとんどさえぎることができない。

 身体が光に溶けるように薄く、淡く、ほどけていく。
 とても、怖い。
 泣きたくて叫び出したいくらいに。
 
 ――それでも、僕はそこにいる。

 夜が、明けた。