17歳、僕たちの第一死望

「……どうして?」

 彼は目を丸くして、まったく理解できないという顔をした。

「どうしてって……僕が帰るなら、君も帰るだろ」
「いや」

 僕は窓の外を見つめたまま、首を横に振った。

「帰るのは、君だけでいい」
「何言ってるんだよ。君も――内海新汰だろ」
「ああ、そうだよ。言われなくても分かってる」

 僕は淡々と答えた。

「けど、みんなと過ごして、君はちゃんと変わった」

 僕は自分の胸元に手を当てる。
 指先に触れる自分の身体は、やっぱり冷たい。

「僕は、何一つ変わっちゃいない」

 僕は乾いた笑みを浮かべた。

「こんな欠陥品、連れていってどうするんだ。無駄な荷物になるだけだよ。ここに置いていけばいい」

 僕は彼から一歩、距離を取った。
 月明かりに照らされている場所から、深い闇の方へ。 
 けど、彼は一歩、僕に向かって踏み出してきた。

「どうして、そう簡単に考えちゃうんだよ」
「えっ」

 彼は光と陰の境界線に立つ。

「君と僕、ノートみたいに真ん中で分けられるの?」

 そう言って、彼は笑みを浮かべて僕の隣に並んだ。

「……っ」

 息が詰まった。
 心臓を素手で掴まれたような痛みが、胸の奥を突き抜ける。

 違う。
 僕はそんなことが言いたいんじゃない。
 ただ、僕は――。

「……だって!」

 自分でも驚くほど、激しい声が出た。
 暗い教室に、僕の叫び声がこだました。
 奥歯を噛みしめ、拳を強く握りしめる。
 爪が皮膚に食い込んで、痛かった。

「あっちに戻ったって、何も変わらないんだよ! 進路の紙は白紙のままだし、教室の空気は息苦しいままだし、周りは適当な正解を押しつけてくる! 僕が一緒にいたら、君はまた――」

 激しく肩を上下させる。

「死にたくなる」

 彼は何も言わずに、僕の言葉を真っ向から受け止めていた。
 逃げることも、茶化すこともなく。
 そして、静かに言った。

「……なるかもしれないね」
「え……?」
「また死にたくなるかもしれない。全部どうでもよくなるかもしれない。また誰かをねたんで、何も好きじゃないって、すねるかもしれない。でも――」

 彼は一度言葉を止めた。

「だからって、君だけをここに捨てていく理由にはならないよ」
「なんで……嫌じゃないのかよ。また、あの息苦しい毎日に戻るんだぞ!」
「嫌だよ。死ぬほど嫌だ」

 彼は困ったように眉を下げ、それから、まっすぐに僕を見た。

「けど、一人で帰る方が、もっと嫌だ」

 僕は言葉を失った。
 僕の拳から、力が抜けていく。
 教室内に沈黙が落ちる。

「……僕だって」

 ぽつりと、かすれた声が僕の唇からこぼれ落ちた。
 自分でも気づかないふりをしていた、一番奥底の澱(どろ)のような本音。

「……僕だって、少しくらいは帰ってみたいと思ってるよ」

 彼は目を大きく開いた。
 僕は惨めさに耐えかねて、視線を床に落とした。

「あの教室に戻って……本田君とくだらない冗談を言い合って、僕たちがスマホで造ったこの街に、存在しない道を一本引いてみたい。そう思ってるよ。……思っちゃってるんだよ」

 震える自分の指先を見つめる。

「でもさ……帰って、どうするの?」

 僕は顔を上げ、泣き出しそうな笑顔を作った。

「父さんも、本田君も、待っててくれてるじゃないか」
「それは『君』を、だろ」

 僕は即座に言い返した。

「父さんが知ってるのは、真面目で手のかからない僕だ。本田君だって、くだらない話をしてた僕は知ってても……こんな僕は知らない」

 胸の奥が、冷たい針で刺されたように痛んだ。

「暗くて、卑屈で、何も好きになれなくて、死にたがってばかりいる僕のことなんて、誰も知らない。……僕を待ってる人なんて、向こうの世界にいると思う?」
 
 言ってから、後悔した。
 こんなこと、口にするつもりじゃなかったのに。

「……分からない」
「ほらね」

 僕は自嘲気味に笑った。
 けど、彼の瞳は暗闇の中で静かな光を宿していた。

「だから、確かめに行こう」
「……なにを?」

 彼は僕の手を引っ張り、月明かりに照らされた黒板の下へ。
 僕を模したマッシロの足元に、紫色のチョークで描かれた小さな絵が見える。
 それは、絵川由夢が最後に描き残していったもの。