「……どうして?」
彼は目を丸くして、まったく理解できないという顔をした。
「どうしてって……僕が帰るなら、君も帰るだろ」
「いや」
僕は窓の外を見つめたまま、首を横に振った。
「帰るのは、君だけでいい」
「何言ってるんだよ。君も――内海新汰だろ」
「ああ、そうだよ。言われなくても分かってる」
僕は淡々と答えた。
「けど、みんなと過ごして、君はちゃんと変わった」
僕は自分の胸元に手を当てる。
指先に触れる自分の身体は、やっぱり冷たい。
「僕は、何一つ変わっちゃいない」
僕は乾いた笑みを浮かべた。
「こんな欠陥品、連れていってどうするんだ。無駄な荷物になるだけだよ。ここに置いていけばいい」
僕は彼から一歩、距離を取った。
月明かりに照らされている場所から、深い闇の方へ。
けど、彼は一歩、僕に向かって踏み出してきた。
「どうして、そう簡単に考えちゃうんだよ」
「えっ」
彼は光と陰の境界線に立つ。
「君と僕、ノートみたいに真ん中で分けられるの?」
そう言って、彼は笑みを浮かべて僕の隣に並んだ。
「……っ」
息が詰まった。
心臓を素手で掴まれたような痛みが、胸の奥を突き抜ける。
違う。
僕はそんなことが言いたいんじゃない。
ただ、僕は――。
「……だって!」
自分でも驚くほど、激しい声が出た。
暗い教室に、僕の叫び声がこだました。
奥歯を噛みしめ、拳を強く握りしめる。
爪が皮膚に食い込んで、痛かった。
「あっちに戻ったって、何も変わらないんだよ! 進路の紙は白紙のままだし、教室の空気は息苦しいままだし、周りは適当な正解を押しつけてくる! 僕が一緒にいたら、君はまた――」
激しく肩を上下させる。
「死にたくなる」
彼は何も言わずに、僕の言葉を真っ向から受け止めていた。
逃げることも、茶化すこともなく。
そして、静かに言った。
「……なるかもしれないね」
「え……?」
「また死にたくなるかもしれない。全部どうでもよくなるかもしれない。また誰かをねたんで、何も好きじゃないって、すねるかもしれない。でも――」
彼は一度言葉を止めた。
「だからって、君だけをここに捨てていく理由にはならないよ」
「なんで……嫌じゃないのかよ。また、あの息苦しい毎日に戻るんだぞ!」
「嫌だよ。死ぬほど嫌だ」
彼は困ったように眉を下げ、それから、まっすぐに僕を見た。
「けど、一人で帰る方が、もっと嫌だ」
僕は言葉を失った。
僕の拳から、力が抜けていく。
教室内に沈黙が落ちる。
「……僕だって」
ぽつりと、かすれた声が僕の唇からこぼれ落ちた。
自分でも気づかないふりをしていた、一番奥底の澱のような本音。
「……僕だって、少しくらいは帰ってみたいと思ってるよ」
彼は目を大きく開いた。
僕は惨めさに耐えかねて、視線を床に落とした。
「あの教室に戻って……本田君とくだらない冗談を言い合って、僕たちがスマホで造ったこの街に、存在しない道を一本引いてみたい。そう思ってるよ。……思っちゃってるんだよ」
震える自分の指先を見つめる。
「でもさ……帰って、どうするの?」
僕は顔を上げ、泣き出しそうな笑顔を作った。
「父さんも、本田君も、待っててくれてるじゃないか」
「それは『君』を、だろ」
僕は即座に言い返した。
「父さんが知ってるのは、真面目で手のかからない僕だ。本田君だって、くだらない話をしてた僕は知ってても……こんな僕は知らない」
胸の奥が、冷たい針で刺されたように痛んだ。
「暗くて、卑屈で、何も好きになれなくて、死にたがってばかりいる僕のことなんて、誰も知らない。……僕を待ってる人なんて、向こうの世界にいると思う?」
言ってから、後悔した。
こんなこと、口にするつもりじゃなかったのに。
「……分からない」
「ほらね」
僕は自嘲気味に笑った。
けど、彼の瞳は暗闇の中で静かな光を宿していた。
「だから、確かめに行こう」
「……なにを?」
彼は僕の手を引っ張り、月明かりに照らされた黒板の下へ。
僕を模したマッシロの足元に、紫色のチョークで描かれた小さな絵が見える。
それは、絵川由夢が最後に描き残していったもの。
彼は目を丸くして、まったく理解できないという顔をした。
「どうしてって……僕が帰るなら、君も帰るだろ」
「いや」
僕は窓の外を見つめたまま、首を横に振った。
「帰るのは、君だけでいい」
「何言ってるんだよ。君も――内海新汰だろ」
「ああ、そうだよ。言われなくても分かってる」
僕は淡々と答えた。
「けど、みんなと過ごして、君はちゃんと変わった」
僕は自分の胸元に手を当てる。
指先に触れる自分の身体は、やっぱり冷たい。
「僕は、何一つ変わっちゃいない」
僕は乾いた笑みを浮かべた。
「こんな欠陥品、連れていってどうするんだ。無駄な荷物になるだけだよ。ここに置いていけばいい」
僕は彼から一歩、距離を取った。
月明かりに照らされている場所から、深い闇の方へ。
けど、彼は一歩、僕に向かって踏み出してきた。
「どうして、そう簡単に考えちゃうんだよ」
「えっ」
彼は光と陰の境界線に立つ。
「君と僕、ノートみたいに真ん中で分けられるの?」
そう言って、彼は笑みを浮かべて僕の隣に並んだ。
「……っ」
息が詰まった。
心臓を素手で掴まれたような痛みが、胸の奥を突き抜ける。
違う。
僕はそんなことが言いたいんじゃない。
ただ、僕は――。
「……だって!」
自分でも驚くほど、激しい声が出た。
暗い教室に、僕の叫び声がこだました。
奥歯を噛みしめ、拳を強く握りしめる。
爪が皮膚に食い込んで、痛かった。
「あっちに戻ったって、何も変わらないんだよ! 進路の紙は白紙のままだし、教室の空気は息苦しいままだし、周りは適当な正解を押しつけてくる! 僕が一緒にいたら、君はまた――」
激しく肩を上下させる。
「死にたくなる」
彼は何も言わずに、僕の言葉を真っ向から受け止めていた。
逃げることも、茶化すこともなく。
そして、静かに言った。
「……なるかもしれないね」
「え……?」
「また死にたくなるかもしれない。全部どうでもよくなるかもしれない。また誰かをねたんで、何も好きじゃないって、すねるかもしれない。でも――」
彼は一度言葉を止めた。
「だからって、君だけをここに捨てていく理由にはならないよ」
「なんで……嫌じゃないのかよ。また、あの息苦しい毎日に戻るんだぞ!」
「嫌だよ。死ぬほど嫌だ」
彼は困ったように眉を下げ、それから、まっすぐに僕を見た。
「けど、一人で帰る方が、もっと嫌だ」
僕は言葉を失った。
僕の拳から、力が抜けていく。
教室内に沈黙が落ちる。
「……僕だって」
ぽつりと、かすれた声が僕の唇からこぼれ落ちた。
自分でも気づかないふりをしていた、一番奥底の澱のような本音。
「……僕だって、少しくらいは帰ってみたいと思ってるよ」
彼は目を大きく開いた。
僕は惨めさに耐えかねて、視線を床に落とした。
「あの教室に戻って……本田君とくだらない冗談を言い合って、僕たちがスマホで造ったこの街に、存在しない道を一本引いてみたい。そう思ってるよ。……思っちゃってるんだよ」
震える自分の指先を見つめる。
「でもさ……帰って、どうするの?」
僕は顔を上げ、泣き出しそうな笑顔を作った。
「父さんも、本田君も、待っててくれてるじゃないか」
「それは『君』を、だろ」
僕は即座に言い返した。
「父さんが知ってるのは、真面目で手のかからない僕だ。本田君だって、くだらない話をしてた僕は知ってても……こんな僕は知らない」
胸の奥が、冷たい針で刺されたように痛んだ。
「暗くて、卑屈で、何も好きになれなくて、死にたがってばかりいる僕のことなんて、誰も知らない。……僕を待ってる人なんて、向こうの世界にいると思う?」
言ってから、後悔した。
こんなこと、口にするつもりじゃなかったのに。
「……分からない」
「ほらね」
僕は自嘲気味に笑った。
けど、彼の瞳は暗闇の中で静かな光を宿していた。
「だから、確かめに行こう」
「……なにを?」
彼は僕の手を引っ張り、月明かりに照らされた黒板の下へ。
僕を模したマッシロの足元に、紫色のチョークで描かれた小さな絵が見える。
それは、絵川由夢が最後に描き残していったもの。

