17歳、僕たちの第一死望

 電気が消えてからしばらくして、僕の目が暗闇に慣れてくる。
 もしかすると、その逆で、暗闇が僕を侵食したのかもしれない。

 彼は自分の――内海新汰の席を見下ろしている。

「ほんとに、空っぽだ」
「机がね」

 僕は隣に並び、同じように彼の席を見下ろす。

「そんなに深刻に考える必要はない。君の人生の空っぽさと、机が空っぽなことは無関係だよ」
「そうかな……」
「そうだとも。立派な夢を持つ、彼らの中にも机が空っぽなヤツぐらいいるよ」

 僕がそう言うと、彼は教室内を歩き出す。
 まず柊木の机の中をのぞき込み、次に五十嵐の席をのぞき込んだ。
 彼はため息をつき、その場にしゃがみ込む。
 結果は聞くまでもなかった。
 突然、彼の目が大きく開く。
  
「あれは……?」

 彼はそうつぶやくと、吸い寄せられるように、教室の前方に向かって歩いていく。
 主を失った――いや、主が戻ったかもしれない、絵川由夢の席の脇に立った。
 彼はその机の中から、何かを取り出す。
 それは、絵川がこの世界で使っていた、茶色の大学ノートだった。
 この世界だけに存在する、彼女がここにいたことの証。

「見て……いいと思う?」
「さあね。持ち主はもういないんだ。少なくとも、見ても文句は言われない」

 彼はためらうように指先を出したり引っ込めたりするが、結局表紙をめくった。
 僕は彼の背中ごしにノートの中身をのぞく。

 最初の数ページに描かれていたのは、色んな角度でポーズを取るマッシロ。
 絵川は絵の練習をしていたのだろうか。
 いや、現実では砕けてしまった右手の調子を、確かめようとしていたのかもしれない。
 順番にページをめくっていくと、絵と絵の間につながりが現れるようになった。

 クールぶって、いけ好かない顔をしたマッシロ。
 大袈裟な身振りで、騒ぎ立てているマッシロ。
 何の感情もなく、その場に突っ立っているマッシロ。
 冷めた表情で腕を組み、それらを遠くから見ているマッシロ。

 それは、四頭のマッシロに置き換えられた、新汰たち四人の姿。
 強弱のある鉛筆の線で生き生きと描かれていた。

「彼女、君に内緒でこんなのを描いてたみたいだね」
「うん」

 彼は気のない返事をした。

「ずいぶん、彼女の絵が気に入ったみたいじゃないか」
「うん」

 僕は彼に聞こえるほど大きなため息をついたが、まったく効果はなかった。
 まともに話すのをあきらめ、彼と一緒に絵を眺めることに集中した。
 彼は独り言のようにつぶやく。

「僕……あの時、こんな顔してたのか」
「彼女のフィルターを通したら、だろ?」
「そうだね」

 彼は指でこの世界に来てからの出来事をなぞっていく。
 そして、目の前の黒板の絵につながる――そう思っていた。

「えっ」

 僕と彼は同時に声を上げた。

 ――続きが、ある。

 静かな教室に紙が擦れ合う音が響く。
 彼はページをめくりながら、声を震わせる。

「何だよ。こんなの描いてたなんて……一言も言ってない」

 そこに描かれていたのは――彼らが現実に帰った後の世界だった。

 壁に貼った『絶対現役合格』の文字を背に、猛勉強するのは――柊木司。
 やがて、白衣を着て聴診器をぶら下げる姿に変わる。
 そして、目の前にやって来る動物たちを、疲労困憊の顔で診察している。
 その背後には、小さなシロクマの姿が見える。
 目を輝かせながら柊木を見ているのは、おそらく――。

「おい。このままじゃ、君の子供も医者になっちまうぞ」

 彼はもうこの世界にはいない柊木に向かって、笑いかけた。

 次に現れたのは、ライブでペンライトを全力で振る――五十嵐メル。
 しばらくすると、彼女はスーツ姿に変わり、どこかの会社に勤め始めたことが分かる。
 シーンは移り、五十嵐は友人と共にカラオケに来たようだ。
 そこで彼女は、みんなに歌と踊りと一二〇%の笑顔を披露する。

「やっぱ、アイドル、やってんじゃん」

 次に現れたのは、全身に包帯を巻いた痛々しい姿の――絵川由夢。
 少しずつ、包帯は取れていくが、右手に巻いた包帯は取れない。
 だが、彼女は左手でペンを握り、絵を描いていく。
 最初は下手くそだった左手の絵は、右手の包帯が少なくなるごとにうまくなっていく。
 けど、最後まで右手の包帯は取れなかった。
 彼女は左手と震える右手を使い、真っ白なキャンバスに向き合っている。

「イラストレーター界の二刀流」

 彼女が信じたそれぞれの未来。
 ただの妄想か、予言書か。
 この世界にいる僕たちには、それを判断することはできなかった。
 
 マッシロになった柊木、五十嵐、絵川がページの真ん中を占領する中、ページの隅っこで彼らに控えめに拍手をするマッシロに目をやる。
 それがきっと、彼なのだろう。

 ページをめくっていくと、皆が消え、彼は一人になる。
 彼は頭を抱え、腕を組み、氷の上でゴロゴロと転がるが、どこにも行けない。
 けど、やがて何かを決意したように立ち上がる。
 そして、ノートの右側に向かって全力で駆け出す。
 その先には――。

「何も、ない」

 進路希望調査票と同じ、白紙の空間だけ。
 どこへ向かって走っているのかも、走った先に何があるのかも、何も描かれていなかった。

「……ほらね」

 僕は彼の耳元でささやいた。
 その声、自分でもびっくりするくらい、冷たくて優しかった。

「彼女だって、君の行き先は描けなかったんだ」

 彼は質問に答えない。

「みんな、最初から何か持ってたんだよ」
「……違う」

 彼が何とか絞り出した言葉は、ひどく弱々しかった。

「彼女は分かっていたんだ。君が……君だけが、本当に空っぽだったんだって」

 彼は再び黙り込む。
 僕は彼をなぐさめようと、彼の背中にそっと手を置く。
 その時だった。

 ――温かい。

 凍えるような冷たさを想像していた彼の背中。
 なのに、それは真逆の性質を持っていた。
 僕は思わず、手を引っ込める。

「僕は、違うと思う」

 今度の彼の声は――弱々しくなかった。