17歳、僕たちの第一死望

 頭上の蛍光灯が、チチッと微かなノイズを立てていた。
 半透明の彼の父親と本田は、僕たちのすぐそばにいる。
 けど、二人に僕たちの姿は見えていないし、息遣いすら届かない。
 ガラスの向こうの別世界を覗き込んでいるような、冷たい隔たりがそこにあった。

『本田君、こんな時間に、親御さんは大丈夫だったのかい?』
『大丈夫ですよ。それに……僕の方から、手伝わせてほしいってお願いしたんですから』

 彼の父親は黒いスーツを着ていた。
 肘の部分に少しだけ皺(しわ)が見え、仕事が終わってからそのままここにやって来たのだと想像できる。
 彼は父親の姿を見ながら、ぽつりとつぶやく。

「スーツ姿、初めて見た」
「毎朝、仕事に出かける時、見てるだろ?」
「家の外でって意味」

 本田が彼の机の上に、そっと手を置く。

『高田先生から、ご両親が荷物を引き取りに来るって聞いて……。どうしても、内海……新汰君の机、僕が片付けたくて。一番近くにいましたから』
『ありがとう。妻も来たがっていたんだがね。あの子が亡くなってから、すっかり体調を崩してしまって、今は起き上がるのも……』
『そう……なんですか。無理なさらないでくださいって、伝えてください』

 本田の言葉に、父親は小さくうなずいた。
 僕の隣で、彼が息をのむ音が聞こえた。
 彼の手が、自分の胸のあたりを強く押さえている。
 教室にいる人数が増えたため、酸素が薄くなったのかもしれない。

 父親は折りたたまれた段ボールを広げ、手慣れた様子で底をガムテープで留めた。
 本田が、机の中のものを順番に取り出していく。
 机の上に置かれたのは、授業で配られたプリントの束とペンケース、そしてタブレットPCの充電器。

『ずいぶん、少ないんだね』
『新汰君は真面目だったから。置き勉とか絶対しなかったんで』
『ああ、本当に真面目だったな、あの子』

 父親が独り言のようにつぶやいた。

『これなんか、新汰君らしい』
『筆記用具と充電器……? それが一体?』
『これ、予備なんですよ』
『えっと……』

 父親は首をわずかにかしげた。
 本田は少しだけ寂しそうな目で、充電器を手に取る。
 アダプターとケーブルがきっちりとバンドで留められており、絡まりはない。

『あいつ、もし家から持ってくるのを忘れても大丈夫なように、準備してたんですよ。ま、使ってる所、見たことないですけど』
『そう……だったんだね』
『全員同時に充電することないんだから、友達に借りたらいいのにって思いません?』
『たしかに』
『ほんと、真面目だったんですよ、あいつ』
『……よかったら、予備に一つどうだい?』

 本田は父親から充電器を差し出される。
 一瞬、手を伸ばしかけたが、すぐに首を横に振る。

『いえ、大丈夫です。「本田君のために用意したんじゃない」って、怒られそうだ』
『そっか』

 父親は軽く笑い、段ボールの中に充電器を入れた。
 続いて、ペンケースを手に取った時、中から何かが落ち、机の上を転がった。
 それは、SFアニメに出てくるような宇宙戦艦の模型。
 小型のブロックを組み合わせて作られた、手のひらサイズのものだった。

『なんだろう……これ?』

 父親が不思議そうにそれを拾い上げ、角度を変えながら眺めた。
 真っ白なボディが特徴的で、所々に赤のクリアパーツが組み込まれている。
 よく見ると、ブリッジや主砲まで綿密に作り込まれていた。
 
『うわ、懐かし!』

 本田の顔が明るくなり、宇宙戦艦に顔を近づけた。
 父親が本田の手にそれを乗せる。

『知ってるのかい?』
『はい。たしか、一年の時だったかな? ちょうど今みたいな夏休み前だった気がするんですけど……』

 本田は宇宙戦艦のエンジン部分を指でつまみ、夜の教室の中に浮かせた。

『新汰のヤツ、休み時間はいつも、アプリでなんか建ててるんですよね。家とかお店とか』
『へえ。クラフトゲームってヤツか』
『なんか、スマホが急に壊れちゃったらしいんです。で、アプリが使えなくなって。それでも何か作りたかったんでしょーね。休み時間になると、これ、組み立ててたんですよ』
『そう……』

 本田は父親にブロックの塊を返した。
 父親はそれを手に取り、指先で突起をそっとなぞる。

『もうすぐ、あの子、十八歳の誕生日だったんだよ』
『そう……ですね』
『そんなに長いこと家族だったのに……あの子が、何を好きだったのか、何を考えていたのか、私は知らないんだ。本当に、何も』

 その声は、怒りも嘆きもなく、ただ事実だけを述べているような口調だった。
 彼の話し方と、とてもよく似ていた。
 父親は机の中をもう一度のぞき込んだ後、段ボールのフタを閉じた。

『本田君、今日はありがとう』
『いえ、お礼言うのはこちらです』

 父親が段ボールを抱えて立ち上がる。

『それ、僕が持ちましょうか?』
『いいんだ、大した重さじゃないから』

 本田は少し目を伏せながら、言う。

『そう……ですか』
『本田君。車、正面の方に回すから、ゆっくり来てくれていいよ』
『はい、帰りもお世話になります』

 父親は段ボールを抱えたまま、重そうな足取りで教室を出ていった。
 廊下に響く革靴の音が、少しずつ遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
 一人残された本田は、自分の机の上に腰かけた。

『内海ーん』

 その声は、休み時間にいつも新汰に向けていたものと、まったく同じ軽さだった。

『俺さ。俺が志望してる大学のパンフレットをお前が持ってた時、結構、焦ったんだよね』

 本田の指先が、自分の太ももの上をコツコツと叩く。

『もしお前だけ受かって俺が落ちたら……マジで惨めだし、すげえ嫌だったと思うんだよ。内海んさ、絶対余裕そうな顔して受かりそうだし』
「そんなこと……ないから」

 本田の背中に向かって、彼はつぶやいた。
 それは、現実の世界でつぶやいたとしても、到底本田の耳には届かない小さな声だった。

『俺、ワンチャン、受かるかもしんないわ。お前がいなくなったおかげでさ』

 その言葉は宙に漂ったまま、どこにも辿り着くことなく消えた。
 本田は泣きそうな顔で笑っている。

『……ツッコミなし、か』

 本田は制服の袖で自分の目元をこすった。
 それから、一度も振り返ることなく教室の入り口へ向かい、壁のスイッチに手を伸ばす。
 パチンと乾いた音がして、教室は再び闇に沈んだ。

「――よかったね」

 僕はわざと平坦な声で言った。

「君が消えたおかげで、本田君は席を奪われずに済んだ。これで彼の未来は安泰(あんたい)だ」
「……そんなわけないだろう」

 彼が本気で僕をにらみつける。
 こういう時、彼に冗談が通じないことを僕はよく知っている。

「悪かったよ」

 僕は一度肩をすくめた後、彼に近づく。

「それで、父親と本田君を見て、君はどう感じた?」
「どうって?」
「そのままの意味だよ。君の『そこ』はなんと言ってるかさ」

 僕は再び右手を銃の形に変え、彼の心臓付近に狙いを定める。

「本気で悲しんでくれてた……と思う」
「そうだね。なんたって、彼らは君の親と友達だから」
「含みのある、言い方」
「他意はないよ」

 僕は右手の銃をポケットにしまった。

「君が帰る理由は増えたのかな? それとも帰りたくない理由が増えた?」
「分からない……ほんとに分からないんだよ」

 彼は自分の胸をかきむしるように押さえた。