17歳、僕たちの第一死望

 教室に戻ると、面談を待つクラスメイトが、半分ほど残っていた。
 仲の良いグループで固まり、お互いの進路希望調査票を見せ合っている。
 ゆっくりした足取りで自分の席に戻ると、隣の席の友人、本田(ほんだ)に声をかけられる。

「内海ーん、どうだった?」
「別に。普通」
「おいおい。もうすぐ俺の番なんだからさー、何かアドバイスくれよ」

 本田がわざとらしく肩を落とした。
 僕と本田は、一年生の時から同じクラスだ。
 僕が所属する小さなグループのリーダー的存在でもある。
 ふいに、本田の調査票が目に入り、僕は目を細める。

「それさ……偏差値、足りてるの?」

 第一志望に書かれていたのは、県内で有名な私立大学だった。
 偏差値は学科によってかなり違うが、本田が目指している情報工学科は高い方に分類されるはずだ。

「ん? ああ、全然足りてねえよ。分かってるくせに」
「高田先生に怒られても知らないよ」
「はっ、こう言ってやる。『ワンチャン、受かるかもしんない』って」
「受験ガチャ」
「なるほど。俺にとってはSSR(スーパースペシャルレア)ってか。今日のツッコミもキレてんなー」

 僕のささやかな冗談に、本田は短く刈り上げた後ろ髪を触りながら笑った。
 僕は本田にそこまでウケた理由が分からず、うまく笑みを返せなかった。

「学力に見合った大学を選ぶべきだと思うけど」
「なんだよ、内海ん。大人みたいなこと言うんだな」

 僕はハッとし、シャツの第二ボタン付近を握る。

 ――僕、高田と同じことを。

 きっと本田は深く考えて言ったわけではない。
 けど僕にとって、それは呪いの言葉のように思えた。
 本田は息を深く吐きながら、僕から視線をそらす。

「ガラにもなくさ。本気出そうと思っちゃったんだよね」
「どういうこと?」
「ほら、俺、大概適当じゃん」
「うん」
「いや、そこは一応否定しろ」

 本田は軽く笑いながら、右手の甲を僕の胸元にぽんと当てた。

「好きなものっていっても、スマホでゲームするぐらい。親からも『ゲーム中毒』なんてあきれられてさ。ま、時間無駄に溶かしてるだけって、俺も分かってんだけど」
「僕も、同じ」
「内海んは違うだろ。ちゃんと勉強してんじゃん」

 何が違うのだろう。
 僕にとってはゲームも勉強も、ただ時間を埋めるためにやってるだけだ。

「とりあえず、一生楽しくゲームできりゃそれでいいって思ってさ。だから、なるべくいい大学に行って、ゆっくり休みが取れるいい会社に入りたいんだよ」
「つまり、本気で遊ぶために本気で勉強するってこと?」
「そ。不純だろ?」
「よく分からない」
「おい、ここは肯定するとこだろうが」

 ――うらやましい。

 少し照れたように語った本田の言葉は、不思議なくらい温かかった。
 それは、僕からは決して生まれない種類のものに思えた。
 
「で、内海んはどうすんの?」
「どうって、なにが?」
「この流れで、進路の話以外ありえないっしょ」

 僕は机の上をちらりと見る。
 進路希望調査票は大学のパンフレットの束に隠れており、本田に見られることはない。

「えっと、その……」

 まただ。
 僕は心の中で唇を強く噛む。
 普通の人間なら、ここで適当な進路を答えることができるのだろう。
 けど、僕にはそんな簡単なことができない。
 物心ついた時から、ずっと。

「おっ! まさか、内海んも一緒?」
「えっ」

 一番上に置いたパンフレットは、本田が第一志望にしている大学のものだった。
 高田が選んだ大学にまったく興味が湧かなかったので、気づかなかった。
 担任の言葉が、僕の頭の中でループする。

『内海の学力に見合った大学の資料だ』

 本田が必死になって目指している大学は、僕なら十分に合格を狙える。
 行きたいとも思っていない僕が、その席を取るかもしれない。
 昼間に食べたサンドイッチとおにぎりが、のどの奥から戻ってきそうになった。

 もし僕がその大学を受験しなければ、本田は合格できるだろうか。
 因果関係のない事象が、僕の脳内でブロックのようにピタリと重なり合っていく。
 もし僕が消えれば、世界はいくらか正しい方向に進む――そんな風に思えた。

 ――死にたい。

 そう、心の奥でつぶやく。
 一度しか思っていないはずなのに、その言葉だけが頭の中で妙に長く残った。
 自分の声なのに、なぜか少し遠い。
 その時だった。

「内海ん……どうし……」

 突然、本田の声が、音量ボタンを押し続けたかのように小さくなっていき、耳を澄ませなければ聞こえないほどになった。
 いや、おかしいのは声だけじゃない。
 本田の体が少しずつ透きとおっていき、そのまま背景に溶けてしまいそうになる。
 周囲のクラスメイトも、同様の変化を見せていた。

 ――なんだ、これは。

 吐き気も消え失せるほどの異様な情景。
 呆然としていると、先ほどまで誰もいなかったはずの前方の席に、見慣れた後ろ姿が現れる。
 存在感を失っていくクラスメイトとは反対に、その背中はどんどん明瞭になっていく。
 彼女こそ、透明でなくてはならないというのに。

 鮮明になった彼女は音もなく立ち上がる。
 彼女はカラスのように黒く長い髪をひるがえし、ゆっくりと黒板の前に歩いていく。

「ようこそ、死に損ないの皆さん」

 その声は真夏の青空みたいに澄み切っていて、教室内によく響いた。
 彼女は教卓に両手をつき、かすかに微笑む。

「どうせなら、ちゃんと死んだら? 私、みたいに」

 僕の目の前に立っているのは、一カ月前に自殺したクラスメイト――絵川由夢だった。