17歳、僕たちの第一死望

 僕はピタリと閉じられた三年一組の教室のドアを、ゆっくりと開けた。
 月明かりと廊下の灯りが教室の中を照らすが、所々は深い闇に覆われたままだ。

「……なに? 一人にしてって言ったはずだけど」

 絵川由夢は、教壇の奥で小さく丸まっていた。

「どれだけ一人にしてほしいか、聞いてなかったから。もうそろそろ、いいかなと思って」
「さっきから、一時間も経ってない」
「そう? 僕はもう一日以上、経った気分だ」

 僕は教室の電気のスイッチに手を伸ばしたが、途中で止めた。
 教壇の反対側に僕は座る。

「あの後、僕なりに考えてみたんだ」

 絵川からの返事はない。
 けど、声は間違いなく届いている。
 僕たちは同じ世界の片隅に、座っているのだから。

「悪いけど、やっぱり分からなかった。ネットの悪意がどれくらい痛いのかも、世界に殺されたって感覚も。僕なら電源を切って終わりにしちゃうから」
「幸せな人」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
「それで、わざわざ馬鹿にしに来たわけ?」
「違う」

 絵川はこちらを見ていないが、僕は首を強く横に振った。
 僕は絵川の描いた絵を広げる。
 何度も折りたたんでしまったせいで、もうくしゃくしゃになっている。

「この絵、僕は結構好きだよ」

 絵川の丸まった背中が一瞬だけ動く。

「……あなた一人に褒められたって、何の意味もない」
「世界には、何十億人もいるから?」
「そうよ」
「絵川さんって、平等なんだ」
「当たり前じゃない。クラスメイトだからって、ひいきするわけない」

 僕は真っ暗な教室の天井を見上げながら、ぽつりとつぶやく。 

「六枚目はないの?」
「……飛び降りるシーンでも描けって? 悪趣味にもほどがある」

 その声は、かすかに震えていた。

「――学校にさ。幽霊も妖怪もいなかったんだね」
「は?」

 絵川は顔を上げた。
 暗くてよく見えないけど、頬には涙の痕(あと)のようなものが見える。

「一体、何の話?」
「絵川さんの話だよ」
「訳が……分からない」

 絵川が僕の方を見る。
 教室に入ってから、初めてのことだった。

「ほら、あるじゃん、学校の七不思議」
「七不思議……?」
「うちの学校で一番有名なヤツは――『化学室の秋子さん』」

 僕はわざと声を震わせながら、話す。

「むかーし、昔、化学準備室で悲しい事故があった。秋子さんは勉強熱心な女の子で、化学の先生の手伝いをよくしてたんだ。その最中、誤って硫酸を頭から被り、ひどいやけどで死んでしまったんだ。それから放課後、一人で準備室で掃除をしていると……『お前がやったのか!』と秋子さんに襲われるって話」
「そんな詳しく説明しなくても、知ってる」
「そっか」

 僕は少しだけ言葉を止める。

「で、ここに来る途中さ。寄ってみた。化学準備室に」
「……それで?」
「いなかったよ。秋子さんなんてね」
「馬鹿みたい」

 絵川が平坦な口調で答えた。

「秋子さんだけじゃない。この学校には、どこにもそんな不思議な存在は見当たらなかった」
「それが?」

 僕はそれには答えず、少し間を開けてから話を続ける。

「この学校、創立して何年か知ってる?」
「……たしか、百年ちょっと」
「正確に言うと、来年で百四十九年」
「怪談以外にも詳しいんだ」
「小学生の時、自由研究で調べた時から、何となく数えてるんだ。毎年」

 僕は苦笑する。

「その間にさ。不幸にも亡くなった生徒は一人もいなかったのかな? いや、学校ができる前でもいい。この土地で死んだ人はいたはずだ」
「何が……言いたいの?」
「なのに、絵川さんしか、死んでる人と会ってない」

 絵川の身体は静止し、何も答えない。

「柊木君も五十嵐さんも生きて、この世界にやってきた。現実の世界では、死んだことになっていたり、行方不明になっていたりするだけで」
「……止めて」

 絵川の顔が大きくゆがむ。

「君は最初から、本当のことを言ってたんだね。ここは『死ぬことも生きることも選べない人間』だけが堕ちる世界。だから、死者は存在しない」
「止めてって言ってるじゃない!」

 真っ暗な教室に、絵川の絶叫と荒い息遣いだけが響き渡る。

「絵川さん、君はまだ――生きている」

 僕は静かに、告げた。