17歳、僕たちの第一死望

 僕は夜の校舎を一人で歩く。
 三階の廊下の窓から見えるのは、隣の校舎の灯りと中庭にある小さな外灯だけ。
 他は夜の闇によって輪郭がぼやけ、そこにあるものが何かを判別することができなくなっていた。
 廊下の角を曲がる度、幽霊や妖怪が現れるのではと思ったが、今のところ、出会っていない。

「なんか……知らない場所みたいだ」
 
 こんな時間まで、学校にいるのは初めてだった。
 もちろん、時間の感覚は失われているので、実際に何時なのかは分からないが。
 教室に灯りはついていないが、廊下だけは昼間と同じように明るく、僕の歩く道を照らしてくれる。
 しかし、僕の行き先を導いてくれるわけではなく、僕はリノリウムの床の上をあてもなく歩いていた。 

『少し、一人にして』

 先ほど、屋上で絵川はそう告げた後、校舎の中に消えた。
 僕はもう一度彼女を追いかけることができなかった。
 彼女にどんな言葉をかければいいか、分からなかったから。
 それは、今も変わっていない。

『また、おせっかい?』

 窓の外に広がる闇が、絵川に姿を変えて、僕に語りかけてきた。

「――他人にあまり興味ないタイプだと思ってたんだけどな」

 いや、他人だけじゃない。
 自分にだって、そこまで興味がない。
 だから、ちゃんと自分にも他人にも興味がある彼らを見ていると、なんだか胸の奥がざわざわする。
 それを絵川は『おせっかい』と呼んだけど、僕は少し違う気がした。
 どう違うのか、自分でもよく分からないけど。

 僕はポケットからスマホを取り出す。
 ネットは相変わらず死んだままで、SNSを開いても、エラー画面が表示された。
 そこに表示されているのは、ただの文字。
 拡大していくと、液晶上に並んだドットがただ光っているだけ。
 幻みたいなものにすぎない。

 ――やっぱり、僕には分からない。

 それらが魔法で怪物となり、襲い掛かって来るわけじゃない。
 嫌なら、アカウントを消せばいい。
 アプリをアンインストールしてもいいし、スマホの電源を切ってもいい。
 僕だったら、そうする。
 家まで押しかけて来る人がいたのなら、それで終わらないのは頭では分かる。
 でも――。
 自分の命を投げ打ってまで付き合う義理なんて、どこにもない。

 だから、きっと僕はこのまま世界を一周するほど歩いても、絵川の感じた恐怖を同じ温度で受け止めることができない。
 彼女が失ったものの重さだって、一生かけても分からない。
 それが幸福なことなのか、不幸なことなのか、今の僕には判断できなかった。
 彼女の言ったように、僕は少し『頭、おかしい』のかもしれない。

 僕はスマホをポケットにしまい、もう一つのポケットから、折りたたまれた紙を取り出す。
 絵川の描いた五枚の絵。
 ただ絵を描くことが好きで、褒められて恥ずかしくなり、怪物に襲われた一頭のシロクマ。
 それは、スマホと比べてずいぶん軽く、少し風が吹いただけでどこかに飛んで行ってしまうだろう。
 けど、僕はそれを眺めていると、胸の奥がざわめく。
 そのざわめきは身体中の分子を揺らし、僕の心を温めていく。
 この気持ちは、紛れもなく。

 ――本物だ。 

 僕は重い紙を握りしめ、暗い校舎の奥へ向かって駆け出す。
 目的地は、決まった。