「夜に、なる」
絵川がそうつぶやいた瞬間、背後で鉄製のドアが大きな音を立てて閉まった。
絵川を追いかけ、辿り着いたのは校舎の屋上だった。
先ほどまで、山の上で休んでいた太陽はいつの間にか沈んでいる。
山の向こうだけが赤く染まり、頭上を見上げると星が見え始めていた。
「そうだね」
「長いこと、この世界にいるけど……こんなの初めて」
絵川が僕を見ながら、微笑んだ。
笑っているはずなのに、少しも温かく見えなかった。
絵川は、北側のフェンスを指差す。
高いフェンスの真ん中辺りに、紙のようなものが貼り付けられており、風に揺れている。
その下には、枯れた花束が供えられている。
どんな花であるかは、供えた本人しか分からない。
「あれが、五枚目」
絵川は指し示すだけで、屋上の真ん中に立ったまま動かない。
僕は絵川の脇を通り過ぎ、フェンスに貼り付けられた絵を手に取った。
「なんだよ……コレ」
そこに描かれていたのは――カラスのように真っ黒に塗られたシロクマ。
シロクマは、大量のパソコンやスマホに囲まれている。
そこから飛び出た虫のようにうごめく黒い線が、シロクマに襲い掛かっていた。
シロクマは耳をふさぎ、涙を流しているが、逃げ出すための道はどこにも見当たらない。
「これは、絵川さん?」
「どっちの意味?」
「……どっちって?」
「この絵を描いたのが私ということを聞きたいのか、このシロクマが私ということを聞きたいのか」
絵川が僕の方にゆっくりと近づいてくる。
「どっちも、知りたい」
「君って、案外欲張りね」
絵川は冷たい笑みを深め、僕の隣に立つ。
そして、枯れた花束を手に取り、香りが残っているかを確かめるように顔にうずめた。
「……どっちも、なんだね」
「正解」
絵川はフェンスにもたれ、僕を見つめる。
どうして、もっと早く気づかなかったんだろう。
絵があった場所は、生徒や先生だったらすぐに気づく。
けど、シロクマの絵の噂なんて、一度も聞いたことがなかった。
つまり、この絵は幻死の世界にしか存在しない。
それを描いた人も。
「まさか、私の絵を見たことないなんてね。学校にそこそこ有名なイラストレーターがいたら、一度は見てみようと思わない?」
「興味、なかったから」
「死ぬ前も、死んだ後も?」
「うん。けど、すごいとは思ってたよ」
「すごい?」
「休み時間全部使って、打ち込める何かがあることについて」
「休み時間、ね」
絵川は、無言で輝き続ける星を見上げた。
「それだけのわけないじゃない。全部……全部、使ってたんだよ」
僕が絵川について知っていることはそう多くない。
下の名前が、由夢ということ。
同じ街に住んでおり、同じ十七歳であること。
女子高生イラストレーターとして、ネットを中心に活動していたということ。
そして。
――SNSで炎上し、ここから飛び降りたということ。
その時、だった。
重いドアが開く音がし、僕は振り向いた。
入って来たのは、半透明の姿の男性。
三十代ぐらいだろうか。
顔にまったく、見覚えがない。
サイズの大きい白色のTシャツを着ており、先生にしてはずいぶんラフな恰好だった。
隣に立つ絵川が、花束をその場に落とす。
「ケイキ……さん?」
絵川からケイキと呼ばれた男性は、小さな白い花で飾られた花束を持っていた。
まるで僕たちが見えているかのように、彼が近づいてくる。
彼が目の前でひざまずいた時、花束からリンゴのような甘い匂いがした。
絵川がそうつぶやいた瞬間、背後で鉄製のドアが大きな音を立てて閉まった。
絵川を追いかけ、辿り着いたのは校舎の屋上だった。
先ほどまで、山の上で休んでいた太陽はいつの間にか沈んでいる。
山の向こうだけが赤く染まり、頭上を見上げると星が見え始めていた。
「そうだね」
「長いこと、この世界にいるけど……こんなの初めて」
絵川が僕を見ながら、微笑んだ。
笑っているはずなのに、少しも温かく見えなかった。
絵川は、北側のフェンスを指差す。
高いフェンスの真ん中辺りに、紙のようなものが貼り付けられており、風に揺れている。
その下には、枯れた花束が供えられている。
どんな花であるかは、供えた本人しか分からない。
「あれが、五枚目」
絵川は指し示すだけで、屋上の真ん中に立ったまま動かない。
僕は絵川の脇を通り過ぎ、フェンスに貼り付けられた絵を手に取った。
「なんだよ……コレ」
そこに描かれていたのは――カラスのように真っ黒に塗られたシロクマ。
シロクマは、大量のパソコンやスマホに囲まれている。
そこから飛び出た虫のようにうごめく黒い線が、シロクマに襲い掛かっていた。
シロクマは耳をふさぎ、涙を流しているが、逃げ出すための道はどこにも見当たらない。
「これは、絵川さん?」
「どっちの意味?」
「……どっちって?」
「この絵を描いたのが私ということを聞きたいのか、このシロクマが私ということを聞きたいのか」
絵川が僕の方にゆっくりと近づいてくる。
「どっちも、知りたい」
「君って、案外欲張りね」
絵川は冷たい笑みを深め、僕の隣に立つ。
そして、枯れた花束を手に取り、香りが残っているかを確かめるように顔にうずめた。
「……どっちも、なんだね」
「正解」
絵川はフェンスにもたれ、僕を見つめる。
どうして、もっと早く気づかなかったんだろう。
絵があった場所は、生徒や先生だったらすぐに気づく。
けど、シロクマの絵の噂なんて、一度も聞いたことがなかった。
つまり、この絵は幻死の世界にしか存在しない。
それを描いた人も。
「まさか、私の絵を見たことないなんてね。学校にそこそこ有名なイラストレーターがいたら、一度は見てみようと思わない?」
「興味、なかったから」
「死ぬ前も、死んだ後も?」
「うん。けど、すごいとは思ってたよ」
「すごい?」
「休み時間全部使って、打ち込める何かがあることについて」
「休み時間、ね」
絵川は、無言で輝き続ける星を見上げた。
「それだけのわけないじゃない。全部……全部、使ってたんだよ」
僕が絵川について知っていることはそう多くない。
下の名前が、由夢ということ。
同じ街に住んでおり、同じ十七歳であること。
女子高生イラストレーターとして、ネットを中心に活動していたということ。
そして。
――SNSで炎上し、ここから飛び降りたということ。
その時、だった。
重いドアが開く音がし、僕は振り向いた。
入って来たのは、半透明の姿の男性。
三十代ぐらいだろうか。
顔にまったく、見覚えがない。
サイズの大きい白色のTシャツを着ており、先生にしてはずいぶんラフな恰好だった。
隣に立つ絵川が、花束をその場に落とす。
「ケイキ……さん?」
絵川からケイキと呼ばれた男性は、小さな白い花で飾られた花束を持っていた。
まるで僕たちが見えているかのように、彼が近づいてくる。
彼が目の前でひざまずいた時、花束からリンゴのような甘い匂いがした。

